我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

大和ミュージアムの零戦62型を観察

2013年01月20日 | ミリタリー
今回は、昨年の12/23に訪れた大和ミュージアムに展示されていた零戦62型について観察します。紹介するのを、すっかり忘れていました(笑)。結構、マニアックな内容ですので、興味のない方はスル~していただいて結構です。

先ず零戦の全景写真です。私と同年齢の方は、一度は零戦のプラモを作られたでしょうから見慣れたスタイルですが、とてもスマートなものです。当時の空力学を駆使して、空気抵抗を少しでも減らしたものであることが分かります。















次に各部を詳細に見ていきましょう。先ず尾部からですが、昇降舵のトリムタブが赤文字で「サハルナ」(触るな)と表示されています。これは完成した飛行機には一機ずつクセがあり、このトリムタブを使って、上下左右することなく、真っ直ぐに飛ぶように調整されるのです。トリムタブを触ってしまうと、また調整しないといけないからですね。



この写真は尾部の下部です。零戦は艦上戦闘機ですから、着艦時に用いる艦上フックと呼ばれるものが付いていますが、この零戦には付いていません。配置されてから現地で外されたのか。それとも復元する時に付け忘れたのか。はたまた終戦末期で発着艦する空母が無かったため、製造過程で省かれたのか・・・う~ん、謎です。



主翼に装備された20mm機関砲(内側)と13mm機銃(外側)です。13mm機銃はカセット式の給弾方式ですね。






プロペラ軸の先端に付けられたスピンナです。よく見ると回転方向が表示されています。






写真の赤丸で囲んだ棒は、主脚確認棒です。これは当時の引込脚は故障が多く、着陸しようとしたら主脚が出ていなくて胴体着陸・・・なんてことがありましたので、操縦士は確認棒が飛び出していることで主脚が出ていることを確認し着陸したのです。



前部エンジンカウリング上部の機銃発射口です。靖国神社・遊就館と上野の科学博物館の零戦は下からしか見えませんので、今回、初めて目にすることができました。左右の大きさが違うのは、右側は13mm左側は7.9mm機銃だからです。



操縦桿と主翼エルロン(補助翼)とはロッドで連結されています。小さな前カバーは空気抵抗の減少と氷結防止対策でしょう。



操縦席です。内部まで復元されています。細かいところですが、偵察機である「彩雲」操縦席の戦時中の写真を見たことがありますが、風防枠の内側にはフェルトのような布が貼られていました。これは頭をぶつけてもケガをしないためですが、この零戦には貼られていません。そこまで丁寧に復元しなかったのか。それとも戦争末期の物資不足のため、最初から貼られなかったのか分かりません。



主翼の下の4つのヒレのようなものは、三式一番二十八号爆弾の発射ラックです。この爆弾ですが、爆弾という名は付いていますがロケット弾でした。飛来するB29の攻撃のために用いられましたが、発射すると散弾銃のようにバラバラになりました。また主翼・前縁が黄色が塗られているのは敵味方識別帯と呼ばれたものですが、陸海軍機共通で見られるものです。



主脚のショックアブソーバーです。油圧シュックですね。細い黒いパイプは、ホイールのドラムブレーキ用油圧パイプと思います。



零戦に搭載された中島製(現在のスバル)「栄」エンジンです。空冷二重星形14気筒で排気量27.9L。出力1,150psというものです。ご覧のように2気筒で一本のエキパイですから、2in1の集合マフラーですね。



14気筒で2in1ということは、7本の排気管です。ということは、機体の左右で排気管の数が違うのでは?で確認すると、推測どおり機体右側は4本で、左側は3本というアンバランスなものでした。(今回、初めて気が付きました)






「栄」エンジンのピストンです。ボア×ストローク:130mm×150mmということで、1気筒あたり1,990ccとなります。



ボチボチと疲れてきましたので、このあたりで終わりましょう(笑)。う~ん、何人の方が最後まで読まれたのか疑問ですが、今から約70年前に設計された一つの工業製品として見ていただければ、当時の日本の工業力が伺えるかと思います。
コメント (14)
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