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冬至の決め方(暦の知識)日本史授業に役立つ小話・小技 4

2023-12-18 06:17:56 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技 4

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

4、冬至の決め方(暦の知識)
 もうすぐ冬至となるので、ここで冬至を初めとする二至二分四立(冬至・夏至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬)がどの様に決まるかについてお話しましょう。こんなことを言うと、高校の日本史の授業では学習しないと言われそうです。「大学入試で出題されるわけでもない。敢えて高校の授業で学ぶ必要はないのでは」と批判されたこともあります。そうすると私の反骨心に火が点けられ、猛然と反論したくなるのです。教科書では、欽明朝に百済の暦博士が来日した事、推古天皇12年(60年)に百済僧観勒が暦法を伝えてきたことが記されています。だからこそ厩戸皇子が蘇我馬子と共に『国記』『天皇記』『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』などの歴史書を編纂できたのでしょう。時間の物差しなしに歴史書を著せるはずがありませんから。暦法が伝えられたということだけ学習すればそれでよいのでしょうか。それこそ単なる暗記に過ぎないではありませんか。暦という文化の素晴らしさを、今も生活の中に活かされているということを伝えずに、ただ観勒の名前だけ覚えさせるとしたら、歴史の授業をつまらなくしているのはいったい誰なのかと言いたくなるのです。旧暦の知識は日本史学習には不可欠の基礎知識です。詳しくとは言いませんが、太陰暦の基礎くらいは学習させなければなりません。ところが教科書に記述がないからか、旧暦の基礎知識がない授業者が大変多いのです。生徒が知らないのはともかく、高校で日本史学習を指導する程の人が基礎的なことを知らなくてよいのでしょうか。
 そうは言っても暦学の内容は幅広く、簡単には学べませんし、指導もしきれません。そこで最低限度これくらいはと思って私が授業中に指導している、二至二分四立(冬至・夏至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬)の決め方についてお話しましょう。
 生徒はさすがに冬至・夏至・春分・秋分がどの様な日くらいは知っています。しかしどうして今日がその日だとわかるのかと聞くと、もう答えられません。正確な時計や方向磁石もなしに、どの様にして昼が最も長い・短いとわかるのか、昼と夜が同じ長さとわかるのか、真東から太陽が昇り、真西に沈むとわかるのかと考えてしまうからです。
 実は時計も磁石も使わずにわかっていたのですが、およそ次の様にしてその日を特定していました。水平な地面に、絶対にぶれることのない金属でできた2~3mの柱を垂直に立てます。先端から錘を糸で垂らせば、垂直に立てることは難しくありません。天平7年(735)4月に帰朝した吉備真備が「測影鉄尺」を持ち帰ったことが『続日本紀』に記されています。そしてそのような柱の影の先端の位置を半日がかりで地面に記録します。そして柱の位置を中心として円を書くのですが、その際、朝夕の影の先端は円周外に、昼頃の影の先端は円周内に位置するように半径を調整します。そうすると午前と午後に一回、影の先端が円周上に重なる瞬間があります。その位置を確定したら、その2点を直線で結び、その線分の中点と円の中心を直線で結びます。これで南北の正確な方向が確定しました。次にこの南北の線を少し延長して、毎日影がその線と重なる瞬間、つまり南中時の影の先端を一年間にわたって観測し続けるのです。そうすると影が最も長い日が冬至、短い日が夏至と決定されます。ここまで来れば後はもう簡単です。夏至の影の先端の位置と冬至の日の位置の中間地点が春分・秋分、春分と冬至の位置の中間地点が立冬と立春、春分と夏至の中間点が立夏と立秋を確定する地点となります。よく未だ寒いのに暦の上では立春、まだ暑いのに暦の上では立秋と言われ、中国の暦を用いているので日本の気候に合わないという如何にももっともらしい批判を聞きますが、それは季節の決め方を知らないための誤解です。そもそも季節は太陽高度により機械的に区分されたのであって、気温によるものではありませんから、そのような批判は全く的外れなのです。
 ここまで図を書きながら説明すると、生徒は奈良時代以前に伝えられた暦の知識が、今もなお日常生活の中で生きていることを確認し、歴史学習の面白さを発見することでしょう。「百済僧観勒が暦法を伝えた」とい暗記学習で終わらせては絶対にいけません。またこの方法を用いれば南北の長大な直線を引き、それに直角の東西の線を引くことができますから、南北に直交する道路で区画される平城京ができることになるわけです。手の平サイズの方向磁石では、平城京の測量などできるはずがありません。
 


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