埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
61、鏡を作る
卑弥呼や古墳文化の学習では鏡について必ず触れるのですが、図説資料集に載せられている鏡の写真は、例外なしに模様のある裏面(表面?)だけです。生徒にしてみれば、鏡というからにはどの程度映ったのかが気になるのでしょう。反対の面はどうなっているのかとよく質問されますが、緑青色の錆で覆われていて何も映りません。それなら当時はどの程度映っていたのかを知りたくなるのは自然なことでしょう。そこで庭先で青銅鏡を作ってみました。
ただしそう簡単にはいきません。青銅鏡の原材料である錫の融点は232度ですから、卓上コンロでも簡単に融解するのですが、銅の融解温度は1083(1085?)度もあるからです。ところが融解した錫に銅を投入すると、875度で合金ができるのだそうです。物理化学が不得手な私にはその理由を説明できないのですが、刀鍛冶の知人に教えてもらいました。それなら何とかなりそうだと思い、坩堝(るつぼ)・七輪・木炭・コークス・鋳型とする鉄製の皿とふいご代わりのドライヤーを用意し、何とか直径5㎝の青銅製品ができました。錫と銅の比率は、論文を参考にして20%にしました。5%のものも作ってみましたが、黄金色になり、銅鐸としてはよくても、鏡にはならないと思いました。錫の割合が多い程割れやすく、少ない程展延性があることは、いくつか作っているうちに体験できました。後はひたすら砥石で表面を研磨しただけです。もちろんレリーフ状の模様などはなく、ただ鮮明に映るだけなのですが、結果は十分に満足できるものでした。限り無く細かい研磨材を使用すれば、ガラスの鏡には及びませんが、それに近いレベルまでにはなりました。
こういう体験談を紹介すると、「物作りの好きな人にはできるかも知れないが、私にはとてもできない」と思われることはわかっています。そこで誰でもできる鏡もどきの作り方を御紹介しましょう。近くに鉄工所があれば、丸い鉄板をプレスで打ち抜いてもらいます。工業高校の先生に知り合いがいれば、頼んでもよいでしょう。それもできなければ、100円ショップで丸いケーキを作る型を買えばよいのです。それは多分ステンレス製ですが、青銅の鏡とほとんど見た目は同じです。それを研磨材で磨くのですが、まずは粒度の粗い紙やすりである程度磨きます。紙やすりなら粒度2000番までありますが、それでは不十分で、それから先は粒度3000~5000番くらいまで細かくすれば完璧です。使い方はホームセンターの店員に相談するとよいでしょう。卑弥呼が100枚の銅鏡を贈られたこと、前期の古墳に鏡などの呪術的な物が副葬されたことなどに関連して、役立つことでしょう。
北畠親房が著した『神皇正統記』の冒頭に近い部分で、鏡について次の様に述べられています。「鏡は一物をたくはへず。私の心なくして万象をてらすに、是非善悪のすがたあらはれずと云ふことなし。其すがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源也」。現代語に直せば、「鏡というものは、(自分自身のために)何一つ貯えることがない。私心なく全ての事を照らし映すならば、正しいことと誤っていること、善いことと悪いことなど、物事の本当の姿が現れないということはない。そのものの姿にそのまま感応することが鏡の徳であり、これが正直の根原である」という意味です。もっと短く表現すれば、「清明心」でしょうか。これは「きよきあかき心」と訓み、古来理想的な心の有り様とされていました。卑弥呼がそのように感じたかどうかはわかりませんが、少なくとも『古事記』の神話からはその様に理解できます。 授業ではそこまで話せなくとも、私は次の様に話しています。「いいかい、君たちは鏡を見たことがないと思いなさい。だから自分がどんな顔なのか知らないとしましょう。そして初めて鏡を見たとします。その時の驚きを想像してご覧なさい。鏡が神聖で権威あるものとして扱われたことが、理屈抜きに感じられることでしょう」と。
61、鏡を作る
卑弥呼や古墳文化の学習では鏡について必ず触れるのですが、図説資料集に載せられている鏡の写真は、例外なしに模様のある裏面(表面?)だけです。生徒にしてみれば、鏡というからにはどの程度映ったのかが気になるのでしょう。反対の面はどうなっているのかとよく質問されますが、緑青色の錆で覆われていて何も映りません。それなら当時はどの程度映っていたのかを知りたくなるのは自然なことでしょう。そこで庭先で青銅鏡を作ってみました。
ただしそう簡単にはいきません。青銅鏡の原材料である錫の融点は232度ですから、卓上コンロでも簡単に融解するのですが、銅の融解温度は1083(1085?)度もあるからです。ところが融解した錫に銅を投入すると、875度で合金ができるのだそうです。物理化学が不得手な私にはその理由を説明できないのですが、刀鍛冶の知人に教えてもらいました。それなら何とかなりそうだと思い、坩堝(るつぼ)・七輪・木炭・コークス・鋳型とする鉄製の皿とふいご代わりのドライヤーを用意し、何とか直径5㎝の青銅製品ができました。錫と銅の比率は、論文を参考にして20%にしました。5%のものも作ってみましたが、黄金色になり、銅鐸としてはよくても、鏡にはならないと思いました。錫の割合が多い程割れやすく、少ない程展延性があることは、いくつか作っているうちに体験できました。後はひたすら砥石で表面を研磨しただけです。もちろんレリーフ状の模様などはなく、ただ鮮明に映るだけなのですが、結果は十分に満足できるものでした。限り無く細かい研磨材を使用すれば、ガラスの鏡には及びませんが、それに近いレベルまでにはなりました。
こういう体験談を紹介すると、「物作りの好きな人にはできるかも知れないが、私にはとてもできない」と思われることはわかっています。そこで誰でもできる鏡もどきの作り方を御紹介しましょう。近くに鉄工所があれば、丸い鉄板をプレスで打ち抜いてもらいます。工業高校の先生に知り合いがいれば、頼んでもよいでしょう。それもできなければ、100円ショップで丸いケーキを作る型を買えばよいのです。それは多分ステンレス製ですが、青銅の鏡とほとんど見た目は同じです。それを研磨材で磨くのですが、まずは粒度の粗い紙やすりである程度磨きます。紙やすりなら粒度2000番までありますが、それでは不十分で、それから先は粒度3000~5000番くらいまで細かくすれば完璧です。使い方はホームセンターの店員に相談するとよいでしょう。卑弥呼が100枚の銅鏡を贈られたこと、前期の古墳に鏡などの呪術的な物が副葬されたことなどに関連して、役立つことでしょう。
北畠親房が著した『神皇正統記』の冒頭に近い部分で、鏡について次の様に述べられています。「鏡は一物をたくはへず。私の心なくして万象をてらすに、是非善悪のすがたあらはれずと云ふことなし。其すがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源也」。現代語に直せば、「鏡というものは、(自分自身のために)何一つ貯えることがない。私心なく全ての事を照らし映すならば、正しいことと誤っていること、善いことと悪いことなど、物事の本当の姿が現れないということはない。そのものの姿にそのまま感応することが鏡の徳であり、これが正直の根原である」という意味です。もっと短く表現すれば、「清明心」でしょうか。これは「きよきあかき心」と訓み、古来理想的な心の有り様とされていました。卑弥呼がそのように感じたかどうかはわかりませんが、少なくとも『古事記』の神話からはその様に理解できます。 授業ではそこまで話せなくとも、私は次の様に話しています。「いいかい、君たちは鏡を見たことがないと思いなさい。だから自分がどんな顔なのか知らないとしましょう。そして初めて鏡を見たとします。その時の驚きを想像してご覧なさい。鏡が神聖で権威あるものとして扱われたことが、理屈抜きに感じられることでしょう」と。