60、蟻ときりぎりす
前回、キリシタン版『平家物語』についてお話したついでに、キリシタン版のイソップ物語(ESOPO NO
FABVLAS、エソポのハァブラス)についての小話を一つ。「蟻ときりぎりす」の話は、イソップ寓話の一つとしてよく知られています。目先の快楽に耽るきりぎりすと、日頃から勤勉に働く蟻を対比させ、予測される困難に備えるべきことを説く話は、小学生にもよく理解できます。イソップ寓話が初めて日本に伝えられたのは、実はキリシタン版によるものでした。低俗な話は排除されていますから、信仰的な内容ではなくても、西洋の倫理観を教えるためのテキストとしようという意図があるのでしょう。この蟻の話も収められているのですが、「蟻ときりぎりす」ではなく、「蟻と蝉」となっていて、蝉をきりぎりすに置き替えれば、
よく知られている「蟻ときりぎりす」と粗筋は同じです。いったいどうなっているのでしょうか。
日本に伝えられたイソップ寓話には、大きく分けて三つの系統があります。まず一つ目は、宣教師によって伝えられたキリシタン版です。もともと部数は少なかったでしょうが、江戸時代末期のイギリス外交官アーネスト・サトーが発見し、本国に持ち帰ったので、世界でたった一冊、大英図書館に現存しています。日本にないのは残念ですが、彼が発見しなかったら現存しないでしょうから、感謝しなければなりません。二つ目はキリシタン版とは別系統で、江戸時代初期の慶長年間に『伊曾保物語』と題して木活字で出版されたもので、ここでは「蟻と蝉の事」となっています。その他には、「京といなかのねずみの事」「獅子王とねずみの事」「かはづが主君を望む事」「烏と孔雀(くじゃく)の事」「鳩と蟻の事」「ねずみども談合の事」など、現在でもよく知られた話が収められています。そして明治初期に、英訳本から翻訳された『伊蘇普物語』が出版されました。これには「兎と亀の話」「獅子と鼠の事」のように、教科書や童謡に採用された話もあり、広く流布しました。そしてこの『伊蘇普物語』では、「蟻と螽」となっているのです。
「螽」は「いなご」と訓むのですが、確か「きりぎりす」とルビが振られていたはずです。蝉がきりぎりすになってしまった理由は単純なことで、北欧には蝉が生息していないため、きりぎりすやいなごに替えられてしまったからです。
人から聞いた話ですが、日本に観光に来る北欧の外国人は、蝉の鳴き声を聞いたことがないので、夏の蝉時雨に驚き、騒音として感じてしまうそうです。日本人なら「静かさや 岩にしみ入る 蝉の声」を理解する感性を持ち合わせているのですが、西洋人にはそうではないとのことです。直接に外国人から聞いた話ではないので、憶測で言うのはよくないことですから、いつか尋ねてみたいものです。この小話は、日本史の授業では本筋から外れてしまいますが、生徒の感想では、大いに関心を持ってくれました。
ついでのことに蛇に足を一本書き足しておきましょう。平安時代にはコオロギのことを「きりぎりす」と呼んでいました。江戸時代には、芭蕉の俳諧に、「きりぎりす忘れ音に鳴くこたつかな」という句があるように、コオロギをまだ「きりぎりす」と呼んでいます。ところが賀茂真淵の歌を集めた『八十浦之玉』(やそうらのたま)には、「我が如く妻恋ふるかも蟋蟀(こほろぎ)のころころとしもよもすがら鳴く」という歌がある様に、明らかにコオロギを「こおろぎ」と呼んでいるのです。また十八世紀はじめの百科事典ともいうべき『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)では、現在と同じ様に説明されています。つまり現在のコオロギは、江戸時代のはじめには「きりぎりす」と呼ばれていましたが、十八世紀のうちには、次第に「こほろぎ」と呼ばれるようになったのです。