たまたまネットで、2018年8月17日にNHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で、夏休みの拡大スペシャル版として、「お盆の盆ってなーに」という放送があったことを知りました。そこで早速その内容を検証してみたのですが、NHKの名前でよくもまあ出鱈目な内容を放送したものと、あきれ果てました。
「お盆ってなあに」という問の答が「逆さづり」ということで、駒沢女子大学教授で、市原市の曹洞宗宝林寺重職の千葉公茲師が解説を担当しています。お盆とは正しくは盂蘭盆といい、「仏説 盂蘭盆経」に由来している。そして盂蘭盆とはサンスクリット語のUllambana という言葉に漢字を当てはめたもので、「さかさづり」という意味であるといいます。そして盂蘭盆経に書かれている説話を、インドの昔話という設定で、アニメでお盆の由来をわかりやすく解説しています。
ところがこのアニメがとんでもない出鱈目なのです。目連という釈迦の弟子があの世を覗いて見ると、亡くなった母が逆さ吊りにされて苦しんでいることを知ります。そこで目連はどうしたら母を救うことができるか釈迦に尋ねます。すると釈迦は、僧達の修行が終わる7月15日に、たくさんの供え物を捧げ、お経を読んでもらうように諭したので、そのようにすると母は逆さ吊りの苦しみから解き放たれて、あの世で菩薩となった 、というのです。しかも盆踊りは目連の母と一緒に救われた大勢の人が、喜んで手を上げた姿を見立てた喜びの舞である、というおまけまで付いています。
NHKが住職の解説と共にこのような放送をすれば、誰もが本当のことと信じてしまうでしょう。しかし盂蘭盆経には逆さ吊りに関することは何一つ触れられていないのです。まして盆踊りは日本の風習ですから、盂蘭盆経に書かれているはずがありません。
目連が見た母の姿は、飲み食いしようと思っても、口に入れようとするそばから食べ物が燃え上がってしまい、目の前に食べ物があるのに飢えに苦しむ姿です。それを釈迦に訴えたことや、修行の終わる日に供物を供えたところ、母は苦しみから解放されたということは盂蘭盆経に書かれています。しかしどのように丁寧に読んでも、逆さ吊りのことは一言も書かれていないのです。
盂蘭盆経は原稿用紙に書き写しても3~4枚しかない短いものですから、簡単に読むことができます。ネットで「国会図書館デジタルコレクション 仏説盂蘭盆経」と検索すると、書き下し文になっているものを読むことができます。難しい仏教用語は読み過ごしても、大体の意味は把握できます。その中には盆と盂蘭盆という言葉が数回あるのですが、いずれも供物を盛る器であることは明々白々です。そして逆さ吊りにつながることなど、単語一つさえありません。
監修・解説者の千葉師は現職の僧侶であり、仏教系大学の教授なのですから、よもや10分で読める盂蘭盆経を読んだことがないはずがありません。(失礼ながら、もし読んだことがないというなら、その肩書きは怪しいものと言わざるを得ません)。おそらくは正しい内容を百も承知で、一般受けするように作り替えたのでしょう。千葉師と一対一で向かい合い、盂蘭盆経を目の前で開き、どの部分が目連の母の逆さ吊りなのか質問すれば、ぐうの音も出ずにその誤りを認めるはずです。本当にその様なことは書かれていないのですから。
それなら「逆さ吊り」は千葉師の完全な創作かといえば、必ずしもそうではありません。初唐の7世紀前半、玄応という僧が、勅命によって撰述した『一切経音義』という書物の中に、「盂蘭盆、この言は訛(なまり)なり。まさに烏藍婆拏(うらばんな)と言ふ。この訳を倒懸(とうけん)といふ」という記述があり、これが「逆さ吊り」という理解のそもそもの原点なのです。盂蘭盆は烏藍婆拏(うらばんな)という言葉の訛りであり、倒懸という意味である、つまりわかりやすく言えば逆さ吊りを意味しているというのです。『一切経音義』は日本に伝えられ、「盂蘭盆」が「逆吊りの苦しみ」を意味する梵語であるという理解は、日本にも古くからありました。室町時代の有職故実書である『公事根源(くじこんげん)』には、「盂蘭盆は梵語であり、逆さ吊りのような餓鬼の苦しみから救い出すため器である」、と記されているのですが、『公事根源』の著者である一条兼良(いちじようかねら)は、当時「日本無双の才人」と評された大学者ですから、後世の人がそれを信じたのも無理はありません。そのような理解は現在も活きていて、中村元という偉大な仏教学者が独力で著した大著『佛教語大辞典』にもそのように説かれていますから、一般の人が盂蘭盆を逆さ吊りと理解するのも無理はありません。
しかし仏教の専門家がそのように理解することは、これを見過ごすことはできません。そのように説くことは、盂蘭盆経を読んだことがないということを自ら宣伝しているようなものであり、仏弟子として実に恥ずかしいことなのです。NHKの番組製作者が知らないのはやむを得ません。しかし解説する僧侶が知らないとなれば、これは実に恥ずかしい。善意に解釈すれば、本当は知っているのに、一般受けするように意図的に改変したのかもしれません。そう思いたいものです。
また盆踊りの由来について触れられていますが、そのような理解を証明する文献史料など、何一つありません。これは完全なる創作であって、あまりにも出鱈目すぎます。またネット上では「修業」という表記がありましたが、正しくは「修行」と書くべきもの。技術の習得は「修業」であり、宗教的な場合には「修行」と書かなければなりません。
現在では日本中で盂蘭盆の逆さ吊り起原説が流布していますが、盂蘭盆という仏事は盂蘭盆経を根拠にしているのですから、逆さ吊り説を説く寺院・僧侶・石材店・葬儀社は、まずは盂蘭盆経を謙虚に読み学んでほしいものです。
なおこの問題については、過去に何回か下記のようにネット上に拙文を公開していますので、是非御覧下さい。通説が如何に出鱈目であるか、納得していただけることでしょう。
「うたことば歳時記 盂蘭盆・お盆の起原(出鱈目な通説)」
「うたことば歳時記 盆踊りの起原」
「うたことば歳時記 『盂蘭盆経』を読む(逆さ吊り)説は出鱈目」
「お盆ってなあに」という問の答が「逆さづり」ということで、駒沢女子大学教授で、市原市の曹洞宗宝林寺重職の千葉公茲師が解説を担当しています。お盆とは正しくは盂蘭盆といい、「仏説 盂蘭盆経」に由来している。そして盂蘭盆とはサンスクリット語のUllambana という言葉に漢字を当てはめたもので、「さかさづり」という意味であるといいます。そして盂蘭盆経に書かれている説話を、インドの昔話という設定で、アニメでお盆の由来をわかりやすく解説しています。
ところがこのアニメがとんでもない出鱈目なのです。目連という釈迦の弟子があの世を覗いて見ると、亡くなった母が逆さ吊りにされて苦しんでいることを知ります。そこで目連はどうしたら母を救うことができるか釈迦に尋ねます。すると釈迦は、僧達の修行が終わる7月15日に、たくさんの供え物を捧げ、お経を読んでもらうように諭したので、そのようにすると母は逆さ吊りの苦しみから解き放たれて、あの世で菩薩となった 、というのです。しかも盆踊りは目連の母と一緒に救われた大勢の人が、喜んで手を上げた姿を見立てた喜びの舞である、というおまけまで付いています。
NHKが住職の解説と共にこのような放送をすれば、誰もが本当のことと信じてしまうでしょう。しかし盂蘭盆経には逆さ吊りに関することは何一つ触れられていないのです。まして盆踊りは日本の風習ですから、盂蘭盆経に書かれているはずがありません。
目連が見た母の姿は、飲み食いしようと思っても、口に入れようとするそばから食べ物が燃え上がってしまい、目の前に食べ物があるのに飢えに苦しむ姿です。それを釈迦に訴えたことや、修行の終わる日に供物を供えたところ、母は苦しみから解放されたということは盂蘭盆経に書かれています。しかしどのように丁寧に読んでも、逆さ吊りのことは一言も書かれていないのです。
盂蘭盆経は原稿用紙に書き写しても3~4枚しかない短いものですから、簡単に読むことができます。ネットで「国会図書館デジタルコレクション 仏説盂蘭盆経」と検索すると、書き下し文になっているものを読むことができます。難しい仏教用語は読み過ごしても、大体の意味は把握できます。その中には盆と盂蘭盆という言葉が数回あるのですが、いずれも供物を盛る器であることは明々白々です。そして逆さ吊りにつながることなど、単語一つさえありません。
監修・解説者の千葉師は現職の僧侶であり、仏教系大学の教授なのですから、よもや10分で読める盂蘭盆経を読んだことがないはずがありません。(失礼ながら、もし読んだことがないというなら、その肩書きは怪しいものと言わざるを得ません)。おそらくは正しい内容を百も承知で、一般受けするように作り替えたのでしょう。千葉師と一対一で向かい合い、盂蘭盆経を目の前で開き、どの部分が目連の母の逆さ吊りなのか質問すれば、ぐうの音も出ずにその誤りを認めるはずです。本当にその様なことは書かれていないのですから。
それなら「逆さ吊り」は千葉師の完全な創作かといえば、必ずしもそうではありません。初唐の7世紀前半、玄応という僧が、勅命によって撰述した『一切経音義』という書物の中に、「盂蘭盆、この言は訛(なまり)なり。まさに烏藍婆拏(うらばんな)と言ふ。この訳を倒懸(とうけん)といふ」という記述があり、これが「逆さ吊り」という理解のそもそもの原点なのです。盂蘭盆は烏藍婆拏(うらばんな)という言葉の訛りであり、倒懸という意味である、つまりわかりやすく言えば逆さ吊りを意味しているというのです。『一切経音義』は日本に伝えられ、「盂蘭盆」が「逆吊りの苦しみ」を意味する梵語であるという理解は、日本にも古くからありました。室町時代の有職故実書である『公事根源(くじこんげん)』には、「盂蘭盆は梵語であり、逆さ吊りのような餓鬼の苦しみから救い出すため器である」、と記されているのですが、『公事根源』の著者である一条兼良(いちじようかねら)は、当時「日本無双の才人」と評された大学者ですから、後世の人がそれを信じたのも無理はありません。そのような理解は現在も活きていて、中村元という偉大な仏教学者が独力で著した大著『佛教語大辞典』にもそのように説かれていますから、一般の人が盂蘭盆を逆さ吊りと理解するのも無理はありません。
しかし仏教の専門家がそのように理解することは、これを見過ごすことはできません。そのように説くことは、盂蘭盆経を読んだことがないということを自ら宣伝しているようなものであり、仏弟子として実に恥ずかしいことなのです。NHKの番組製作者が知らないのはやむを得ません。しかし解説する僧侶が知らないとなれば、これは実に恥ずかしい。善意に解釈すれば、本当は知っているのに、一般受けするように意図的に改変したのかもしれません。そう思いたいものです。
また盆踊りの由来について触れられていますが、そのような理解を証明する文献史料など、何一つありません。これは完全なる創作であって、あまりにも出鱈目すぎます。またネット上では「修業」という表記がありましたが、正しくは「修行」と書くべきもの。技術の習得は「修業」であり、宗教的な場合には「修行」と書かなければなりません。
現在では日本中で盂蘭盆の逆さ吊り起原説が流布していますが、盂蘭盆という仏事は盂蘭盆経を根拠にしているのですから、逆さ吊り説を説く寺院・僧侶・石材店・葬儀社は、まずは盂蘭盆経を謙虚に読み学んでほしいものです。
なおこの問題については、過去に何回か下記のようにネット上に拙文を公開していますので、是非御覧下さい。通説が如何に出鱈目であるか、納得していただけることでしょう。
「うたことば歳時記 盂蘭盆・お盆の起原(出鱈目な通説)」
「うたことば歳時記 盆踊りの起原」
「うたことば歳時記 『盂蘭盆経』を読む(逆さ吊り)説は出鱈目」
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