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『誹風柳多留』 高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2021-01-01 19:21:29 | 私の授業
誹風柳多留


原文
①国の母生まれた文(ふみ)を抱きあるき       (第一篇)

②晦日(みそか)そば残ったかけはのびるなり     (第三二編)

③義貞の勢(ぜい)は浅蜊(あさり)を踏みつぶし        (第一篇)

④三人で一人魚(うお)食ふ秋の暮     (第二二篇)

⑤子が出来て川の字なりに寝る夫婦     (第一篇)

⑥孝行のしたい時分に親はなし     (第二二篇)

現代語訳
①故郷の母は、孫が産まれたという娘の手紙を、まるで赤ん 坊を抱くようにして、嬉しそうに歩き回っている

②大晦日の夜に、売掛(うりかけ)の借金取りが来たので、拝み倒して延 ばしてもらえたのはよいけれど、せっかくの年越しの
 掛蕎麦(かけそば)も伸びてしまった

③新田義貞の軍勢は稲村ヶ崎から鎌倉に侵入したから、海辺 で浅蜊(あさり)を踏みつぶしたことだろう

④「秋の夕暮」を詠んだ三人の歌人の中で、二人は僧侶だか ら、魚を喰えるのは俗人の定家だけだ

⑤子が産まれると、夫婦は子を中に挟んで、川の字のように なって寝ることだ

⑥親孝行をしたいと思う頃には、もう親は亡くなっている。 もっと早く孝行しておけばよかった

解説
 『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』は、江戸時代の庶民文芸である前句付(まえくづけ)の秀句を集めて刊行された句集です。前句付は俳諧の一つで、課題として出された七七の前句に、気の利いた五七五の付句を付けて詠む文芸です。もとは俳諧の修練法の一つだったのですが、次第に前句は付句のヒントに過ぎなくなり、付句が文芸として独立したわけです。そして初めは小規模に楽しんでいたのですが、次第に点者が前句を公示し、市民が付句を投稿する形で普及しました。この様な興業は、「万句合(まんくあわせ)」と呼ばれました。
 前句付の点者は何人もいたのですが、柄井川柳(からいせんりゆう)(1718~1790)の選ぶ句が人気を集めました。前句の面白さや、選ぶセンスの問題なのでしょう。選ばれた句は「勝句(かちく)」と呼ばれ、簡単な刷り物になったのですが、明和二年(1765)、柄井川柳の友人で俳諧作家の呉陵軒可有(ごりようけんあるべし)(御了見あるべし)が、多くの秀作の中から、付句だけで意味がわかるものを集め、『誹風柳多留』と題した冊子として発売しました。投稿者には、自分の句が掲載されるかもしれないという新しい楽しみが増え、ますます前句付は庶民の文芸として広まってゆくことになったのです。そして現在では、点者の名前を取って、前句付は「川柳」と呼ばれています。ですから柄井川柳は、前句付(川柳)を普及させた功労者であり、呉陵軒可有は『誹風柳多留』の産みの親なのです。
 『誹風柳多留』という書名については、本来は滑稽さを表す「俳」なのでしょうが、敢えて「そしり」を意味する「誹」としているのは、滑稽だけではなく、風刺を意図したからなのでしょうか。「柳多留」という呼称は、江戸時代の結納や婚姻の必需品である柳材製の酒樽(さかだる)を、縁起を担いで「家内喜多(やなぎだ)留(る)」と表記していたことに、「川柳」の「柳」を掛けたものです。
 『誹風柳多留』は初期にはほぼ毎年発行され、第二四編までは呉陵軒可有が選んでいます。一般的には呉陵軒可有が選句した第二四編までが高く評価されているのですが、江戸の庶民生活を知る史料としては、どれも一級の歴史史料です。しかしその後は選句の仕組みが曖昧になって発行数ばかりが増え、天保九年(1838)に廃刊となるまでに、合計一六七編も発行されました。
 前句付の投稿は、次のような仕組みによっていました。江戸市中の風呂屋・茶屋・居酒屋など、人が多く集まる所に、「連」と呼ばれる取次所が設けられます。そこに興業者が、点者が示した題である前句と締め切り日を公示します。例えば⑤の川柳の前句は、「はなれ(離れ)こそすれ、はなれこそすれ」というものです。すると付句を詠んだ市民が、一句につき十数文の「入花料(にゆうかりよう)」という投稿審査料を取次所に払って応募します。一文が現在のいくらになるかは、換算するものにより異なるのですが、二十円~三十円と見ておけばよいでしょう。高い評価を得た「勝句(かちく)」は、まとめて簡単な刷り物にされ、そこそこの景品や現金を添えて投稿者に返されました。入選率は三%程度だそうです。最盛期の明和期には一度に二万の句が集まったこともありますから、「万句合」は大袈裟ではありません。百万人とされる江戸の人口から計算すれば、一%以上になります。現在でも川柳は盛んであり、新聞に投稿する人も多いことでしょうが、それを遥かに凌ぐ人気があったわけです。
 膨大な数の川柳から数句選ぶことは難しく、「独断と偏見」で選んでみました。①は、初孫の産まれたことを喜ぶ、親の愛情を素直に詠んでいます。②は、売掛と掛蕎麦の「かけ」をかけ、支払期限と蕎麦がのびたことを掛けています。また年越蕎麦(そば)の風習があったことがわかります。③は、新田義貞が鎌倉を攻略した時、海辺の稲村ヶ崎から侵入したことを踏まえています。④は、『新古今和歌集』に収められた、いわゆる「三夕(さんせき)の歌」(秋の夕暮の歌)を詠んだ寂蓮(じやくれん)・西行・藤原定家の中で、僧侶でない俗人は定家一人であることを、「魚を喰える」かどうかで表しています。現代人なら、説明されないとわからないかもしれません。⑤⑥は諺にもなっていますから、今さら説明の必要はないでしょう。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『誹風柳多留』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。



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