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『武士道』 高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2020-12-29 10:42:13 | 私の授業
武士道
原文
 About ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M. de Laveleye, our conversation turned, during one of our rambles, to the subject of religion. "Do you mean to say," asked the venerable professor, "that you have no religious instruction in your schools?" On my replying in the negative he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated "No religion! How do you impart moral education?"
 The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days, were not given in schools; and not until I began to analyze the different elements that formed my notions of right and wrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils.
 The direct inception of this little book is due to the frequent queries put by my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in Japan. In my attempts to give satisfactory replies to M. de Laveleye and to my wife, I found that without understanding Feudalism and Bushido, the moral ideas of present Japan are a sealed volume.
 Taking advantage of enforced idleness on account of long illness, I put down in the order now presented to the public some of the answers given in our household conversation. They consist mainly of what I was taught and told in my youthful days, when Feudalism was still in force.

現代語訳
 およそ十年前のこと、私はベルギーの法学の権威である故ド・ラヴレー氏邸で歓待され、数日滞在したことがあった。ある日のこと、共に散策しつつ宗教の話題になった時、尊敬すべき老教授は、「あなたの説くところによれば、日本の学校では宗教教育はないとでも言われるのか」と問うたのである。私が「ございません」と答えるや否や、氏は愕然として立ち止まり、到底忘れることのできない声で、「何と、宗教がないですと。それならばいったいどの様にして道徳教育を授けるのか」と、繰り返し嘆息した。
 その時、私は呆然としてその質問に答えられず、言葉に詰まってしまった。私が幼少の頃学んだ道徳教訓は、学校で学んだものではなかったからである。そして私の正義・邪悪の観念を形成している色々な要素を分析するに至り、この概念を私(の鼻)に吹き込んだのは、実に「武士道」であることを見出したのであった。
 この小著を叙述するに至った直接の契機は、我が妻が、「日本で遍く行われているあれこれの思想や風習は、如何なる理由によるものか」と、しばしば問うたことであった。そしてド・ラヴレー氏や我が妻に対して、納得させられる答を与えようと試みた。そして私ははたと気付いたのであった。封建制度と武士道というものが何であるかを理解しなかったら、現在の日本の道徳観念は、封印された秘本同然であるということを。
 私は長い間病床にあり、止むをえず無為の日を過ごしているのを幸い、家庭で妻と語り合い、妻に答えたことを整理し、いま読者諸氏に提供する。その内容は主として私の若き日々に、封建制度がなお盛んであった時に教えられ、また語られたところのものである。

解説
 『武士道』は、1898年(明治31)、新渡戸稲造がアメリカで著した『Bushido: The Soul of Japan』の日本語訳です。日本人の道徳の核心が武士の倫理観によっていることを、欧米の宗教・思想と対比しつつ、欧米人に理解できるように英語で解説したもので、彼はその武士の倫理観を「武士道」と表現したわけです。内容は、武士道を義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの徳目に分けて解説し、合わせて切腹に見る生死観、女性観、大和魂から、武士道の継承や未来にまで及んでいます。書名は『武士道』ですが、武士道そのものを解説することが目的ではなく、あくまでも武士道に代表される日本人の倫理観を叙述することが目的でした。読んでみると、現代人には受け容れられないこともあるでしょうが、明治時代の著作なのですから、現代の価値観で裁くのは可哀相というものです。
 確かに「武士道」と言う言葉は、現代の倫理観にはそぐわない印象を与えるでしょう。しかし熱烈なキリスト教徒である著者が、日本を含めて世界の思想・哲学・宗教・歴史の事象や名言を自在に繰り出す論証は、「武士道」にたいする偏狭な先入観を取り除き、『武士道』に今もなお普遍的な価値を持たせているのです。ヨーロッパの騎士道と対比させたことも、欧米で受け容れられた理由の一つでしょう。彼の専門は農業経済学ですから、どれも皆専門外のことばかりです。彼は「武士は知識のための知識を軽視する。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である」と述べていますが、その幅広い知識と見識は、まさに「知識が知恵を得る手段」であることを証明しています。
 執筆の動機はここに引用したように、26歳の時にドイツで出会った老法学教授との会話や、30歳の時に結婚した米国人の妻メアリー・エルキントン(日本名は万里)との家庭における会話でした。『武士道』を執筆していたのは36~37歳の頃ですから、老教授から示された宿題を、妻と語りながら10年間も答を探して温めていたのでしょう
 『武士道』は、世界各国語にも翻訳され、米国大統領のセオドア・ルーズベルトやジョン・ケネディーも愛読者の一人であったことはよく知られています。日露戦争勃発後、いずれ米国の仲介を予想した日本政府は、大学でルーズベルトと同窓であった金子堅太郎を派遣します。そして金子と駐米公使高平小五郎が大統領の昼食会に招かれた際に、この『武士道』が話題となりました。後日贈呈された大統領はこれを読んで感銘を受け、何十冊も買って家族や友人たちに配ったということです。彼が後に国際連盟事務次長に推挙されたのも、『Bushido: The Soul of Japan』によってその広い見識と高潔な人格が、国際的に高く評価されていたからに他なりません。
 現在の学校教育では、小学校では2018年度(平成30)から、中学校では2019年度(平成31)から道徳という教科として授業が行われていますが、武士道的な道徳教育は行われていません。しかし思いやりやいたわりの心は「仁」に、困難をものともせずにそれを実行することは「義」や「勇」に、それを目に見える形で表現することは「礼」に、嘘やごまかしを退けることは「誠」に通じます。また学齢が高くなれば、歴史や古典文学の授業で、古人の感動的な逸話を学ぶこともあるでしょう。
 彼は巻末に、「武士道は独立した道徳律としては、滅んでしまうかもしれない。しかしその力は地上から滅びはしないであろう。その勇と徳の教訓は、体系としては崩れ去るかもしれない。しかしその光明と栄光は、その廃墟を乗り越えて永遠に生きてゆくであろう。その象徴である桜の花のように、西方の風に吹かれて散り果てても、その余香は馥郁として人生を豊かにし、人類を祝福するであろう。」と述べています。「武士道」という言葉は用いられなくとも、長い時間をかけて発酵熟成された日本人の倫理観は、確実に継承されていくのでしょう。
 新渡戸稲造は旧5000円紙幣の肖像となっていました。そこには太平洋を挟んで日本と米国が向かい合っている地図も描かれています。昭和初期、日本と米国の関係が次第に緊張してゆく中で、日本の進路を憂えつつ、日米の関係改善に尽力しました。彼は若い時に「太平洋の架け橋になりたい」と誓願を立て、自費で米国に留学しましたが、晩年にも太平洋の架け橋たらんとして、国際的に活躍しました。『武士道』こそは、その誓願の精華の一つなのです。
 『武士道』の名場面としては、義・勇・仁・礼・誠・忠義などの徳目について述べている部分から選ぼうかとも思ったのですが、迷った挙げ句に冒頭の序文を選びました。それはどれも甲乙を付けがたかったこと、また短い著作であるので、この際全文を読むことをお勧めしたく、その動機付けになればと考えたからです。

昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『武士道』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。



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