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公文書の元号表記  日本史授業に役立つ小話・小技 35

2024-03-23 19:05:20 | 私の授業
公文書の元号表記  日本史授業に役立つ小話・小技 35

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。 

公文書の元号表記 
 一般的には、現在の公文書には日付が元号で表記されています。中にはそれが気に入らない人もいることでしょう。確かに元号には利便性において西暦に及ばない点がありますから、私はそのような主張にも一理あることは十分に尊重するつもりです。しかし元号を使用することには、利便性だけでは片付けられない、歴史的な意義があるのです。養老令という奈良時代初期の法典の儀制令という部分には、「文書に年を記す場合は、みな年号を用いなければならない」、と定められています。史料の原文は次の如くです。「凡(およ)そ公文(くもん)の年を記すべくんば、皆年号を用よ」。「公文」とは、まあ現在の公文書と言えるでしょう。養老令は、西暦701年の文武天皇の時に定められた大宝令をほぼ受け継いだものですから、大宝令にも同じ条文があったと考えられます。大宝令以前に年を表す場合は、「○○天皇何年」のように天皇の治世数で表すか、或いは干支を用いていたのですが、これにより年号の使用が法律的に裏付けられたことになります。
 年号の使用は、かつて中国を中心として朝鮮やベトナムの歴代王朝でも使われていました。しかし現在も使用しているのは日本だけです。なぜ日本では消滅しなかったのでしょう。理由はいくつかあるとは思いますが、公文書には必ず年号を用いよという令の規定があったこともその一つだと思います。養老令の儀制令を読むことなどまず普通はありませんから、あまり知られていないと思いますので、敢えて御紹介してみました。
 なお私はここでは元号と年号を併用しています。ネット情報でその区別が正しく説明されているのを見たことがないのですが、歴史的には明確な相異があります。年号という言葉は、和銅改元の際に初めて用いられ、以後は六国史にたくさん見られます。つまり「年号」が正式な呼称だったのです。「元号」が用いられるようになったのは、一般には明治の一世一元の制以後という説明が多いのですが、これは明白な誤りで、明治改元の詔には、「今後年号ハ御一代一号ニ定メ慶応四年ヲ改テ明治元年ト為ス及詔書」と明確に記されていますから、この時点でも「年号」が正式な呼称でした。これは日本史の先生でも誤解していることが多いと思います。「元号」の表記が正式に用いられるのは、明治憲法と共に公布された皇室典範以後のことです。ただし終戦で皇室典範は無効となり、それ以後は慣習的に元号が使われていましたが、現在では元号法が施行されていますので、「年号」ではなく「元号」が正式な呼称なのです。
 以上の様に法律上は違うのですが、日常生活では混同して用いられていますから、あまり神経質になることはないと思います。それより公文書に年号・元号を用いることは、大宝令・養老令以来のことという事を確認しておきましょう。


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