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一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【40】

2008-04-08 01:07:31 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【40】
Kitazawa, Masakuni

 ソメイヨシノはかなり散り、満開時の華やかさはないが、ヴィラ・マーヤの裏庭の白山桜をはじめ、山桜がその盛りを迎えている。みずからの若葉や芽吹きはじめた雑木の狭緑を背景に、裏山のそこここに白い泡のように天空に盛りあがる花々の姿は、朝日あるいは夕陽を浴びて幻想的でさえある。メジロ、ヒワ類、ガラ類、ヒタキ類など野鳥の囀りも華々しく、春を謳歌している。

 夜、いつもは冬の寒夜に鳴くフクロウが、めずらしくくぐもった神秘な声を聴かせる。

 花闇にフクロウの鳴く春の宵

ティベットの悲劇

 北京オリンピックにあわせて、ティベット自治区をはじめとするティベット人居住地域で、中国政府や漢民族に対する大規模な暴動が起こり、多くの犠牲者をだして鎮圧されつつある。ギリシアでの聖火採火式をはじめ、ヨーロッパの各地で聖火リレーに対する妨害が起き、ティベット人だけではなく、人権擁護団体や一般の同調者たちが活動に参加している。ティベットの独立を奪い、彼らの文化を抑圧し、漢民族への同化を強制している中国への世界の怒りは当然である。

 中国や朝鮮半島、あるいは東南アジアをめぐる過去の「歴史認識」を明確に清算していないわが国が、中国をきびしく非難するには若干のためらいがあるが、その自覚のうえで、やはり人種差別や異文化の抑圧には批判の声をあげなくてはならない。

 約30年前、まだ文化大革命下の中国を訪れたことがあるが、一面「貧しくても平等」の徹底を追い求めるその姿に感銘を受けはしたが、延辺朝鮮族自治州を訪問し、中国政府の少数民族政策がまったく誤っているのをみて、衝撃を受けたことがある。

 つまりそれは、かつてアメリカ合衆国政府やオーストラリア政府が、アメリカ・インディアンやアボリジニーのひとびとに対して行った「同化政策」であり、共産主義イデオロギーに裏打ちされたより徹底した強制という惨状であった。これらの政府がこの過去の誤りを認め、彼らに正式に謝罪し、次々に彼らの存在権や文化の復権を認める政策を打ち出しているこの21世紀に、ティベットやウィーグル自治区でいまなお文革時代の強制政策を継承しているのを見るのは、怒りを超えてその非人間性に恐怖を覚える。

 朝鮮族自治州では、自治州とは名のみ、漢民族の大々的な移住で人口比率を大幅に変え、朝鮮族の幹部をさしおいて漢民族の幹部が権力を掌握し、漢民族優先の開発を行っていた。もっともひどいのは教育であった。小学校から朝鮮語は禁止され、歴史の授業では朝鮮半島の歴史はいっさい教えていなかった。

 ある夕べ、首都延辺で観劇に招待されたが、上演された京劇風のパフォーマンスは、革命中国の誕生や人民解放軍を称えるものばかり、やっと「白頭山に太陽が昇る」という歌が登場したので、「白頭山に太陽が昇る、金日成という太陽が」とうたうのかと思ったら、なんと「白頭山に太陽が昇る、毛沢東という太陽が」という歌詞に驚きあきれ、思わず隣に坐っていた朝鮮族の通訳氏の顔をみた。だが彼は仮面のように無表情であった。中国語・朝鮮語・日本語を通訳するこの下級幹部は、その深い眉間の皺が物語るように、一生涯日本と中国という二つの「主人」に仕え、その苦渋を顔に刻んできたのだ。

 朝鮮族は人口も少なく、この抑圧的同化政策にひたすら耐えているようにみえたが、人口も多く、かつて独立国であったティベットや、勇猛な戦士であったウィーグルのひとびとにとっては、忍耐も限度であったにちがいいない。ダライ・ラマ14世が独立ではなく、ティベット文化を保全する「高度の自治」を求めているいまこそが、対話と政策転換の好機なのだ。それを行わないかぎり、ティベットやウィーグルの若者たちは先鋭化し、アルカイダなどと連携する武装闘争に走ることとなるだろう。それは独自の非暴力的仏教文化を築いてきたティベットにとっても、文化的自殺行為にほかならない。


ブータンよ、おまえもか

 地球上の最後の秘境、この世のシャングリラ(架空の楽園)とたたえられ、前世紀の終りから「伝統と共生する近代化」という独自の道を探ってきたブータンが、いま大きな転換点にさしかかっているようだ。ひとつは王国創設百年を記念して(2007年であるが、占いにしたがって2008年に延期したという)議会制民主主義を導入し、立憲王制に移行する措置である。これも国王の主導で、国民の多くは議会制など必要がないと考えているが、それ自体はよい改革といえよう。

 問題は、テレビやインターネット、携帯電話などの解禁によるグローバリセーションの波涛が、首都を中心に襲いかかりつつあることだ。若い世代がその波に飲みこまれはじめている。たとえば外出には民族衣裳(男はゴー、女はキラ)の着用が義務づけられているが、家に帰るやいなやそれを脱ぎ捨て、Tシャツ姿で外国のテレビ・ゲームに熱中するといった風景である。

 明治の近代化、あるいは敗戦後のアメリカ化に直面した日本の姿に似ているが、ゴーを脱ぎ捨てるように彼らがやがて、ブータンの伝統文化や種族的アイデンティティを脱ぎ捨ててしまうのではないかと危惧せざるをえない。国王や議会がこの難しい舵取りを誤らないようにと願うばかりである。

 それとともに気になったのは、このシャングリラにも、人種差別や異文化の抑圧が存在しているという事実であった。すなわちその対象は、王国の南部の低地帯に居住し、また労働者として首都などの都市にも多く住むネパール系のひとびとである。ヒンドゥー教徒の彼らの宗教儀礼は禁止され、民族衣裳の着用も許されず、ゴーやキラを強制されている。職業も差別され、公的な職につくことはできない。一時期内戦によるネパールからの難民が急増したが、彼らは差別と生活苦にあえぎ、さらにインドなどに避難するという。

 ブータンよ、おまえもか。この地球に、人種差別や異文化抑圧のない国などは存在しないのか。と、ただ頭を抱えるのみであった(The National Geographic, March 2008;Bhutan’s Enlightened Experimentを読んで)。


北沢方邦の伊豆高原日記【39】

2008-02-27 07:46:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【39】
Kitazawa,masakuni

 三原山内輪山の冠雪も消え、陽射しはうららかなのだが、大気はまだ冷たい。今年は数週間遅いが、淡い色の紅梅と大きい花の白梅がいまを盛りと咲き、メジロの群れを呼び寄せている。夕暮れ時、ヴィラ・マーヤの庭に、やや大きめのタヌキが散歩していた。灰色のみごとな毛並みに太い尾、ちらりとこちらを向いた顔の、黒く隈取をしたようなつぶらな目がかわいい。それほど驚いた様子もみせず、悠々と歩いて森に消えていった。仲良くなりたいものである。

ソロモンの指輪 

 かつて、パヴロフの「条件反射」の犬や、実験心理学のマウスやラットが典型であるように、近代科学の全盛期には動物は、環境に条件反射するだけのたんなる生物学的機械だと思われていた。もっともスキナー流の行動科学そのものが、人間さえも刺激に反応するだけの「ブラック・ボックス」機械だと考えていたのだから、それも当然といえよう。しかし近代科学以前、および以後、つまり脱近代科学では、動物も人間も脳の基本的機能はほとんど変わらず、同類であると思われていた、あるいはそのように認識されはじめている。

 『旧約聖書』によると、ユダヤの王ソロモンは、魔法の指輪を嵌めると動物たちと会話ができたという。『ソロモンの指輪』という啓蒙書を書いた動物学者のコンラート・ローレンツは、すでに三十年以上もまえに、動物の知能の高さを称え、魔法の指輪がなくても人間とも交流できる巧みなコミュニケーション能力について書いている。

 犬、とりわけ大型犬を飼った経験のあるひとなら、彼らが人間の言語をいかによく理解し、それに従って行動するだけではなく、表情や身振りで自分たちの意思をもいかによく伝えているか、十分に理解している。それだけではない。彼らはいわば飼い主を「値踏み」して、この程度の飼い主ならこの程度に付き合おう、と彼らの世界を別につくりあげてしまうようだ。昔、当時マスメディアでかなり有名だったある学者の家を訪ねたとき、二頭の大型のコリーがあまりにも傲慢だったのに驚いたが、彼らは躾のできない飼い主を見下し、むしろ自分たちがボスだと思っていたにちがいない。

 チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿がすぐれた知能をもち、道具を使い、彼ら固有の言語を発達させ、また実験室で人間の言語を理解し、記号のボードを使用して人間と会話ができることはひろく知られている。海の哺乳類であるイルカやシャチも、それに劣らぬ能力を身につけている。だがそれ以外の動物、とりわけ体重を極端に軽くするため、脳も小さい鳥類でさえも、おどろくべき認識能力や人間との言語コミュニケーション能力をもっていることが明かとなってきた。

ペッパーバーグ博士のオウム

 1999年に書かれたアイリーン・ペッパーバーグの『アレックス研究』は、当時のアメリカの知的世界で大きな反響を呼んだ。私も早速手に入れたが、多くの図表が入った431頁に昇るまったくの専門書で手ごわく、序論を読んだだけで書棚に置いておいた。だが「ナショナル・ジオグラフィック」誌2008年3月号の「動物の心(マインド)の内側」という特集で、彼女のインタヴューや実験を含め、その内容がきわめて魅力的に紹介されているのを読み、再読することにした。

 同誌によれば、1977年、ハーヴァード大学を卒業したばかりのペッパーバーグは、シカゴのペット店で灰色アフリカ・オウムを手に入れ、アレックスと名づけて飼育した。きわめて巧みに英語を繰るアレックスが、たんに人間の言語を模倣しているだけなのか、理解して使用しているのか、また後者であるとすれば彼らは世界をどう認識しているのか、語らせてみたいという熾烈な好奇心にうながされ、研究をはじめたという。

 当時の学界の主流は、動物は環境の刺激に反応するだけの自動機械(オートマトン)だとする学説に支配されていて、類人猿ならともかく、鳥を対象にするなどという彼女の研究は「クレージー」だと嘲笑された。だがアレックスは言語の意味を理解するだけではなく、たとえば小さなプラスティックのがらくた類から同じ色の二つをとりあげ、「なにが同じ?」と聴くと、間髪をいれず「カラー(色)」と答え、「なにが違う?」と聴くと「シェイプ(かたち)」と答える。お腹が空けば「ブドウが欲しい」とか具体的に要求し、リンゴの味がバナナとチェリー(さくらんぼ)の中間の味だというので、バネリーという新語を発明したりする。のちに研究室にきた新米のオウムが、ペッパーバーグの問いに明確に答えられないと、「トーク・クリアリー!(はっきり話せ)」と命令したりする。

 また彼女の研究室に男性の研究員が入ってくるとやきもちを焼き、逆に性別を問わず気に入っているひとには、肩に止まり、耳穴にカシューナッツを押し込んだりと、人間と変わらない感情生活を送っていた。

 残念ながらアレックスは昨年9月、31歳の生涯を閉じたが、ペッパーバーグの『アレックス研究』は、動物学に一時代を画すものとなった。

 たしかにオウム類は、その発声器官の特殊な構造のため人間の言語を模倣できるが、模倣できない多くの動物も、その意味を十分理解し、自分たちに固有の表現方法で人間とコミュニケーションをはかっている。同誌に取り上げられているオランウータンやボノボやイルカ、アジア象やボーダーコリー(牧羊犬)はもちろんのこと、カレドニア・カラス(なんと肉の入った籠に仕掛けた「知恵の輪」様の鍵をもはずしてしまう)や太平洋巨人蛸(研究員を標的に口から潮水を飛ばし、当ると喜ぶという)にいたるまで、動物の知能や能力は人間を驚かせる。

 むしろ人間を対象にした心理学者や認知心理学者たちのほうが、動物のこうした能力に懐疑的であるという。彼らは、かつての近代科学の固定観念に呪縛されているのだ。脱近代科学(ポストモダン・サイエンス)はすでに、物理学や数学、あるいは微生物科学や脳神経科学からはじまっていたが、いまや動物学も新しい認識論の有力な担い手となりはじめている。


北沢方邦の伊豆高原日記【38】

2008-02-06 13:24:56 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【38】
Kitazawa,Masakuni  

 数日まえ、夜中雨が降りつづいたが、明け方から霙まじりの雪となった。低気圧が去り、この二・三日、澄みきった青い空を背景に、まばゆいばかりの陽の光を受けて大室山が白銀に輝いている。東に目を転ずると、大島の三原山内輪山が、同じく雪を戴いているのがみえる。庭の白梅が小さな花をほころばせ、メジロたちが交替で蜜を吸いにくる。

 庭にでると、手が届きそうな枯枝にシジュウカラが止まり、声をかけるまで鳴きつづけ、注意を喚起する。「ああ、おまえか」というと、嬉しそうに身をくねらせ、羽ばたいて去っていく。いつか書斎に二度も入ってきたシジュウカラにちがいない。どんな動物にも、ひと(鳥?)一倍好奇心の強い個体がいるのだ。

「脱亜入欧」と「脱イスラーム入近代」 

 「ニューヨーク・タイムズ」書評紙2008年1月6日号は、全紙イスラーム特集であり、読みでがあった。非ムスリム(非イスラーム教徒)の書いた本を、ムスリムまたは中東系知識人が書評し、またその逆もあるだけではなく、それらを挟んでそれぞれ二人ずつがエッセイを書くという仕組みになっている。

 たしかに公正だが、私の気になったのは、ムスリムまたは中東系知識人の多くが現在のイスラーム文明または文化に批判的であり、「自由と民主主義」というフランシス・フクヤマ流の近代化または西欧化に賛意を示していることであった。それに対してむしろ、デヴィッド・L・ルイス(『神のるつぼ;イスラームそしてヨーロッパの形成、570から1215』)やザカリー・キャラベル(『おんみに平和あれ;ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒共存の歴史』)などの本が、むしろイスラーム文明の栄光やその寛容を称えている。 

 おそらくエドワード・サイードなども存命であれば、この特集に参加したにちがいないが、彼などはこの「自由と民主主義」の賛美の先駆者であったといえる。西欧在住のイスラーム知識人はなぜこうなってしまうのだろうか。

 たとえば、リー・ハリスの『理性の自殺;啓蒙思想に対する急進イスラームの脅威』の書評を書いたアヤーン・ヒルシ・アリである。

 たしかにこれはひどい本である。自爆攻撃に代表されるイスラーム急進派の「狂信主義」は、西欧の伝統的な「理性信仰」に対する挑戦であり、近代を築き上げてきた啓蒙思想の破壊にほかならない、と著者は主張する。さらに、現在アメリカのアカデミズムに充満する文化相対主義は、イスラーム狂信主義をも理解しようとするが、こうした理性的寛容、つまりハリス流にいいかえれば「理性狂信主義」は必ずイスラーム狂信主義によって滅ぼされる、すなわちそれは「理性の自殺」なのだ、ともいう。西欧はすべからく「理性狂信主義」を脱してイスラーム狂信主義と戦わなくてはならない、と。

 アリはハリスのこうした主張を批判する。そのこと自体は正しい。だがよって立つべき道は、あくまでも「自由と民主主義」だという。なぜなら、狂信主義はつねに集団的なものであるが、西欧の「自由と民主主義」は、あくまで個の尊重とその合意のうえに成立しているからである、と。

 たしかにイスラーム急進派の文化は、中東の部族社会や部族中心主義と切り離すことはできない。だがアリのいうように、それがただちに集団的狂信主義の温床であるとはいえない。中東以外の多くの部族社会でも、西欧流の「自由と民主主義」とはまったく異なったかたちではあるが、個人の自由や、ロングハウス・デモクラシーとよばれるようなみごとな民主制が存在してきた。もし現在の中東にそのような自由と民主制が明確でないとしても、それは西欧植民地主義の長期にわたる抑圧や伝統的社会形態の解体に由来するものであって、伝統そのものからではない。

 おそらく明治以後の日本社会と同じく、西欧植民地主義による急激な近代化の結果、伝統は歪曲され、共生のコミュニティが、個人を抑圧する「強制」のコミュニティとなったからにちがいない。同じ号にも、革命後のイランで20年にもわたって牢獄につながれた二人の女性のそれぞれの回想記が書評されているが、こうしたきびしい女性差別も、けっして伝統であったとは思われない。

 サイードをはじめとする西欧在住のイスラーム知識人は、結局「脱亜入欧」を提唱した福沢諭吉と同じ思想的・イデオロギー的地位を占めているといえよう。あるいは近くは、わが国の戦後民主主義を主導した知識人たちと酷似している。つまり真の伝統を、近代化または植民地化による歪曲された「伝統」と混同し、濁った盥の水ともいうべき後者とともに、真の伝統という赤児を溝に流してしまったのだ。

 戦後民主主義で育てられた若い世代は、その結果、種族的アイデンティティを失い、ひいては個人的アイデンティティを危機に陥れることとなった。だが幸いなことにイスラーム諸国では、それは西欧在住知識人にとどまり、中東の若い世代ではまだ、イスラーム的アイデンティティは強固であるようにみえる。


北沢方邦の伊豆高原日記【37】

2008-01-16 00:08:25 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【37】
Kitazawa,Masakuni  

 雨上がりの冷たい朝、まだ空を蔽う灰色の雲を背景に、庭の樹々や繁みに小鳥たちが舞う。コガラやヤマガラ、シジュウカラやゴジュウカラなどのガラ類だけではなく、メジロやホオジロ、あるいはキビタキなど多種の鳥が入り交じる。かつてはかまびすしいほど鳴き交わしたホオジロも、すっかり姿を消していたが、少しは復活してくれるのだろうか。ヴェトナム戦争の末期、その声は「撤兵いつ(何時)、撤兵いつ、ニクソンさん」と聞こえたが、この春はおそらく「撤兵いつ、撤兵いつ、ブッシュさん」となるだろう。

妙なる小川のざわめきと鳥たちの歌

 書斎でふとFMのスイッチを入れたら、ベートーヴェンの「田園交響曲」の第2楽章「小川のほとりの光景」の、絶妙な楽器のたわむれがひびいていた。弦楽器とホルンの奥深くゆったりとした流れを背景にした、第1ヴァイオリンの高音のトリルにからむクラリネットとファゴットの旋律である。一瞬恍惚とするような美しさと間合いのよさであった。これを聴きのがしてはいけないと、カミさんにも教え、ふたたび書斎にもどった。

 とにかく奥行きのある、色彩ゆたかな音の流れなのだ。ふつう主声部のみが強調され、鳴りひびくが、ここでは主旋律と対旋律とがみごとに絡まりあい、そのあいだにも副声部が見え隠れし、ポリフォニックな音のうねりが、8分の12拍子というひろびろとした時空を満たしていく。フルートとオーボエとクラリネットが紡ぎだす例のウグイス、ウズラ、カッコウの囀りも、あまりの間合いのよさで身震いするほどだった。

 凡庸な演奏で聴く「田園交響曲」ほど退屈で長々しいものはない。だがこれは終楽章にいたるまで、飽きないだけではなく、強く惹きつけられた。フィリップ・ジョルダン指揮、マーラー室内管絃楽団というアナウンスで、その名をはじめて耳にしたが、ベートーヴェンの管弦楽曲にひそむ繊細にして緻密な音づくりを、これほどみごとに再現した演奏は珍しい。フル・オーケストラでのブルーノ・ワルター指揮で、ベートーヴェンのこうした側面を浮き彫りにした名演をCDで聴いたことはあるが(とりわけ「交響曲第3番エロイカ」と「交響曲第8番」)、それはもう過去のことと思っていた。良き伝統が受け継がれることは、とにかくうれしい(1月10日)。

諸悪の根源としての近代国家とナショナリズム 

 NHKBS1で、アルベール・カーンの映像コレクションにもとづくイギリスのドキュメンタリー番組「奇跡の映像」シリーズが放映された。フランスの平和主義者で富豪のカーンが、第1次大戦の恐ろしい実像や世界の国々の文化を後世に残さなくてはならないと、巨費を投じて撮影させた当時の色彩写真やモノクローム・フィルムのコレクションを、さまざまな分野の学者やジャーナリスト、あるいは写真家などのコメントをつけ、編集したものである。 

 すぐれた構図とあいまって、現在の色彩写真よりはるかに絵画的で劇的なおもむきのある第1次大戦の最前線の映像や、町々のすさまじい破壊の跡も、きわめて説得的であったが、シリーズ7(1月11日)の第1次大戦後の中近東の変貌を伝える映像には、深く考えさせられた。 

 ドイツ側について参戦したがために、没落し、解体させられた旧オスマン帝国は、バルカン半島から中近東一帯を蔽う大帝国であったが、その支配下では、イスラーム教徒やキリスト教徒(カトリック、ギリシア正教、スラヴ正教、マロン派など)、あるいはユダヤ教徒などが平和に共存し、ゆたかさを分け合っていた。ところがその没落によってバルカン半島や中東は、将来の独立を餌にイギリスとフランスの植民地としてさまざまに分割され、またイギリスはアラブ人のパレスティナに、ユダヤ国家の建設を約束するにいたった。そこから悲劇がはじまる。 

 「列強」の植民地となることを回避してトルコは、ムスタファ・ケマルのもとで強引な近代化をすすめ、ギリシアと戦端をひらき、大量のギリシア人を虐殺し、東ではアルメニア人やクルド人の排除や殺戮を行う。つまり近年のボスニア内戦で悪名高くなった「民族浄化(エスニック・クレンジング)」を、いちはやく開始したのだ。スミルナをはじめエーゲ海の町々は灰燼に帰する。バルカン半島や中東では、分割された諸種族が分離独立を求め、近代国家建設をめざすナショナリズムが燃えひろがり、葛藤と混乱が拡大する。 

 パレスティナをめぐるイスラエル対アラブの度重なる戦争といまもつづく血腥い対立、旧ユーゴスラヴィア解体後の戦禍、アフガンとイラクの戦乱、何百万という死者を出し、なおも出口のない(バルカンではコソヴォ紛争がつづいている)これらの紛争は、すでに第1次大戦後の「列強」の飽くなき植民地主義に端を発していた。 

 そもそも西欧の植民地主義そのものが、近代国家の成立とそのナショナリズムと不可分であり、富を追求する西欧近代国家の「国益」なるものが植民地主義を招いたのだ。さらに第2次大戦後、植民地から独立した国々を襲った悲劇、つまりインドとパキスタンの分離時の血みどろの抗争から、ルワンダやコンゴなどの部族対立による戦乱と大量虐殺(むしろ近代国家成立以前は諸部族は平和に共存していた)にいたるすべての悲劇は、西欧から受け継いだこの近代国家とナショナリズムという「国」の誤った自己主張に由来する。 

 いうまでもなくここで国というのは、そこに生活にかかわる帰属意識をもったひとびとの集まりであり、種族や文化や宗教の違いにまったくかかわりはない。その統合の過程が武力によるものか否かを問わず、一旦成立した国は、平和と安定によって富をみずから生みだし、蓄積し、分配していく。旧オスマン帝国はそうした昔の栄光ある国の最後の姿であったのだ。 

 われわれはいまや、近代国家とそのナショナリズムが諸悪の根源であることを認識しなくてはならない(経済的グローバリズムはその楯の別の側面である)。


北沢方邦の伊豆高原日記【36】

2008-01-05 21:51:15 | 伊豆高原日記
北沢方邦の伊豆高原日記【36】
Kitazawa,Masakuni

 「新春」というには寒さもきびしい正月であった。いうまでもなく旧暦では元日は2月の中下旬(今年は早く、7日である)で、陽光も明るく、春のきざしに溢れているがゆえに新春なのだが。

 枯葉の山をツグミがつつき、葉を落した雑木の枝々を、ヤマガラやコガラたちが飛び交う。サザンカやツバキの花々の紅が、わずかな陽光に照らされた寒々とした風景に、あざやかな彩りを添えている。その上方に、午後の陽射しにきらめく海がある。

 とにかく2008年は明けた。わが家は来客でにぎわったが、世界にはきびしい年となりそうである。

グローバリズム破綻の徴候

 年明け早々、株価の暴落や原油価格の1バレル100ドル突破など、世界経済に黄信号が点滅しはじめた。おそらくそれは、経済グローバリズム破綻の最初の徴候といっていいだろう。

 すでにたびたび繰り返してきたように、市場と資源の激烈な制覇戦争・争奪戦争である経済グローバリズムは、新自由主義と新保守主義の世界制覇によってはじまり、それらが敷いた「市場万能」「規制緩和」「小さな政府」という既定の路線をひたすら走ってきた。グローバリズムの生みだす富によって、国内が、そして世界が潤うというまったくの幻想を、メディアを通じて振りまきながら。

 だが経済グローバリズムはそれ自体のなかに、恐るべき矛盾を内包していた。その破綻は時間の問題であったのだ。

 まず資本それ自体が生みだす矛盾である。グローバルな競争に生き残るためには、企業は一方で生産コストの果てしない低下を図り、他方でグローバルな展開のために資本の巨大化を図らなくてはならない。M&A(吸収と合併)の反復によって多国籍大企業・大金融機関はますます巨大化するが、その裏でコスト削減は労働の強化や賃金の低下をもたらし、コスト競争に耐えられない中小零細企業の壊滅を引き起こす。

 つまり資本の巨大化は、その本来の基盤である国内の経済構造を歪曲し、ついには解体させるにいたるのだ。とりわけ今回の危機の引き鉄となったアメリカのサブプライム・ローン問題が典型である。住宅バブルの頃、低所得者向けの住宅ローン、つまり低所得者救済の仮面をつけたローンを、証券化して広く大きくばらまき、巨額の利子を手にしようとした金融機関のもくろみが、バブルの破裂によって破綻したものである。つまりみずからの基盤のひとつである大衆から利益を得ようとしたが、その大衆自体が資本の巨大化がもたらしたバブルの破裂に押しつぶされ、金融危機の引き鉄を引くこととなったのだ。

 みずからが巨大化することでみずからの基盤を歪曲し、はては押しつぶすという矛盾はいたるところで火を吹きつつある。それと同時に「規制緩和」「市場万能」がもたらした資本主義の恐るべき投機化が、この危機を一層煽りつつある。

 すでに1980年代、イギリスの経済学者故スーザン・ストレンジが、新自由主義による資本主義の投機化の危険を指摘し、いまや体制は「カジノ(賭博場)資本主義」となったと述べた。ヘッジ・ファンドによる90年代のアジア通貨危機が、その最初の大規模なあらわれといえる。しかしカジノ資本主義に乗じて展開したヘッジ・ファンドだけではなく、各種の年金基金など本来は健全な基金までもが投機的な動きをはじめた、というよりも投機的にならざるをえない状況に追いこまれていった。

 いずれにしろ、これら巨大流動資金によるいわばカジノでの賭けが、原油や食料など、われわれの生活に直結する資源にまでおよぼされ、価格の高騰をもたらしたのだ。すでに労働条件の劣悪化で疲弊したひとびとや、悪化し切った地方経済を、カジノ資本主義の奔流が襲うこととなる。ひとり巨大多国籍企業や金融機関という組織のみが生き残り(ほんとうに生き残れるか)、そこに働くひとびとをふくめ、人間は「人間」であることを辞めざるをえない。

 それだけではない。グローバリズムが加速した自然環境の荒廃とそれがもたらす地球温暖化によって、人類の生存すら危機のなかにある。1月4日に放映されたテレビ朝日の開局50周年記念と銘打った「地球危機2008」は、この問題に関する迫力あるドキュメンタリーであった(全時間をみたわけではないが)。ここで紹介することはしないが、もし再放送される機会があれば、一見をすすめたい。

 とにかく今年は、波乱の一年となるだろう。

北沢方邦の伊豆高原日記【35】

2007-12-12 09:57:53 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【35】
Kitazawa, Masakuni  

 枯葉の舞いのなかで、庭の隅に張られたいくつかのクモの巣が風にゆれて光り、中心では、ジョロウグモがまだ寒さに耐えて頑張っている。夕べの紫色の海に、イカ釣り漁船の漁り火がまたたく季節となった。真冬にかけて、夕暮れの美しい日々がつづく。

東洋人のパターン認識 

 NHKBS1で、韓国のドキュメンタリー番組「儒教Ⅲ礼」を見た。8人8列64名が一糸乱れず舞う、まぼろしの八佾〔はちいつ〕の舞いの文舞〔ぶんぶ〕(武舞に対応する)など、孔子廟や宗廟、あるいは皇帝や王のまえで舞う豪華な舞が、おそらく韓国国楽院の出演であろうが、絢爛と繰り広げられるなど、視覚的にも楽しめる番組であった。

 こうした演出だけではなく、韓国の田舎にいまでも残っている古式ゆかしい儒教のさまざまな宗教儀礼(日本に儒教とりわけ朱子学の影響はあったが、宗教としての儒教は輸入されなかった)や、都市でいまも行われる伝統衣裳に身を包んだ男子・女子の儒教成人儀礼など、李王朝以来の韓国の儒教が、いかにひとびとのあいだに深く浸透しているかを物語っていた。

 いまわれわれ現代社会に不可欠のITやさまざまなディジタル機器を動かす原理である0と1との2進法(00の次は01、次に11となり、次に進むと一桁上って100となるという方式)つまり2進数値(バイナリーディジット略してビット)は、ライプニッツが発明したとされるが、彼自身宣教師に教えられて、『易経』(周易ともよばれる)の64卦が、2000年もまえに発明された2進法(0と1の代わりに陰と陽)であることを知り、愕然としたという挿話など、教えられることが多かった。

 そのなかでも興味深かったのは、アメリカの大学でのある心理実験であった。担当した教授の名は失念してしまったが、彼自身はかつて、人類の心理構造は普遍的であると信じてきたが、私流にいえば、西洋人と東洋人との「パターン認識」がまったく違うことを発見し、心理構造に種族の差があることを確信するにいたったというのだ。

 たとえば、牛と鶏と草の描かれた絵を示して、このなかからもっとも関係の深い二つを選べ、という問いをあたえると、西洋人被験者は例外なく牛と鶏を選ぶのに対して、東洋人被験者は例外なく牛と草を選ぶという。結果を知らされるまえに、私も一瞬の判断であったが、鶏も草をついばむことなきにしもあらずだが、やはり牛と草だろうと考えた。つまり典型的な東洋人であったのだ。

 西洋人といっても白人種であるだろうが、彼らは動物対植物というカテゴリー概念で牛と鶏を選ぶが、東洋人おそらくモンゴロイドは、動物の生態をまず考え、牛と草を選ぶのだ。いまはやりのエコロジー的な発想である。

 もうひとつの実験は、魚の泳ぐ水槽であるが、それを観察した結果を報告させると、西洋人は例外なく、そこに泳ぐ魚の種別や形、模様などを記憶するが、東洋人は水草のゆらめきや石の配置、泡の上昇などと、それをめぐって泳ぐ魚たちという認識パターンを示すという。つまり東洋人は水槽全体を、ひとつの動く風景としてとらえるのだ。

 このドキュメンタリーでは、この心理実験を東洋画に結びつけて説明し、そこでは人物もこの実験の魚同様、風景の一要素としてのみ認識されているとし、人間を中心としてみる西洋人にとって東洋画が理解し難いのは、この認識の違いにあるとする。もちろんそのことは正しいが、問題はこの「パターン認識」の差異がなにに由来するかであるだろう。

パターン認識と世界観の差異 

 それは結局、むずかしくいえば世界観、要するに世界の見方に由来する。われわれ東洋人にとって、生きとし生けるものすべてに仏性があるとする仏教が典型であるように、世界は万物相互が密接にかかわりあう「共生」の宇宙であり、人間といえどもその一要素でしかない。世界はその全体性で眺められる。

 ところが西洋では、人間が神に選ばれた万物に優る生き物とするキリスト教が、古くから人間中心主義を貫いてきたし、とりわけ近代では、個の尊厳とその「主観性」が認識の中心と考えられてきたがため、いわば透明なガラス箱であるこの主観性を通じてしか、ひとは事物を認識できなくなってしまった。主観性は蓄積した知識やそれを無意識に分類するカテゴリーで世界を判断する。

 西欧の絵画はこの人間中心主義を反映しているし、十八世紀に興隆した風景画といえども、描くものの主観性としての感情が投影されている。私が十九世紀の画家カミーユ・コローの絵を好きなのは、ひとつは樹木の描き方などきわめて東洋的であり、中国画の影響を受けているのかと思われることもあるが、そこに淡い褐色を主体として投影されている感情が、自然と一体化したかのようにきわめておだやかであり、心が癒されるからである。同じフォンテーヌブロー派の、他の画家たちの風景画にはまったくないものである。

 モネやゴッホなど印象派の「革命」は、まさにこの主観性の殻を打ち破ろうとした点にある。彼らは自己の主観性を超え、自然そのもののもつ潜在的な力を、光りと影のうつろいのなかで、大胆な色彩やかたちとして表現しようとしたのだ。ゴッホの晩年の絵は、宇宙や自然そのものの妖しいゆらめきであり、モネの最後期の「睡蓮連作」は、瞑想のなかに宇宙を映しだす、まさにウパニシャド(インドの哲学書)の世界である。

 だが彼らの「革命」は、浮世絵ショックともいうべきできごとから生じた。日本からの輸入陶磁器の包装紙に使われていた大量の浮世絵が、驚くべき絵として彼らに衝撃をあたえたのだ。たとえばのちにドビュッシーが自作の交響詩『海』の表紙に使用した北斎の相模沖の波涛の絵は、波の描写のたんなる誇張ではない。北斎は天にも届かんとする波涛の力と、翻弄される釣り舟のひとびとを描くことによって、宇宙に充満するエネルギーまたは「気」を表現しようとしたのだ。印象派の画家たちは、そこに主観性の小さな枠を打ち砕くなにものかを感じ取った。世界は主観・客観を超えたところにある、と。

 このメッセージはいまこそ重要である。地球温暖化による環境危機のさなか、大自然全体の「共生」(生物学的意味でのシンバイオシス)をまず感じ、人間をその点景としてとらえる東洋哲学や芸術の視座を復権させなくてはならない。われわれは日本人である以上に、東洋人である自覚とアイデンティティを回復し、危機の克服に寄与すべきである。キリスト教徒でもないのにクリスマスを盛大に祝うが、伝統行事をほとんど忘却した西洋崇拝・白人崇拝の日本人を、いったいだれがつくりだしてしまったのだろう。

お知らせ
遅くなりましたが、
北沢方邦『ヨーガ入門―自分と世界を変える方法』平凡社新書は、
来年2月に発売されることになりました。
ご一読いただければ幸いです。
また、新年1月20日(日曜日)夜9時からのN響アワー
青木やよひが出演し、
ネルロ・サンティ指揮によるベートーヴェン『交響曲第八番ヘ長調』にまつわり、
ベートーヴェンの大曲のなかであ唯一献呈者のいないこの曲の謎を語る予定です。
これもお聴きいただければ幸いです。


北沢方邦の伊豆高原日記【34】

2007-12-02 13:16:41 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【34】
Kitazawa, Masakuni

 急に秋が深まった、というより初冬がやってきたため、めずらしく伊豆高原の紅葉が美しい。朝夕の気温差の少ないこの地は、樹々はあまり紅葉することなく、枯葉色のまま落葉する。しかし今年は、雑木類の黄葉が鮮やかに、ハゼやウルシの紅を引き立たせている。

著しい知のレベルの低下 

 久しぶりに東京にでる都合があったため、輸入楽譜や本の購入のためヤマハ(残念ながら新築中で仮店舗は遠く、山野楽器におもむいた)や日本橋丸善を訪れた。 

 新築前の丸善では、和書はすでに近隣のビズネスマン向けの本しか並べていなかったので期待はしなかったが、洋書売り場には、まだ私が手にとって読みたいような書籍が、人間科学・自然科学を問わず置いてあった。 

 ところが新築後の洋書売り場には愕然とせざるをえなかった。ほとんど知的ショックといっていい。つまりここも、ビズネスマン向けの実用書や語学書、あるいはせいぜいメディアで話題となっている(たとえばアル・ゴアの何冊かの環境問題発言書など)本しか置かれていないのだ。思想や哲学書あるいは最新の自然科学の啓蒙書などが棚にないか、店内を数回廻ってみたが、ない! 

 一九五〇年代から七〇年代にかけての、かつての明るく広々とした洋書売り場の棚を、ぎっしりと埋め尽くしていたハードカヴァーの数々の書籍、平台をこれも埋め尽くしていたペーパーバックスや雑誌類、そしてそれらを手に取り熱心に読みふけるひとびと、あの知的な刺激に溢れた光景はどこへいってしまったのだろうか(フランス書や文芸書などヨーロッパ物を多く並べていた紀伊国屋書店の洋書売り場も、まったく同じ風景であった)。 

 あの頃、洋書売り場に上がって真っ先に手に取ったペリカン・ブックスの新刊書の多くは、いまもわが家の新書・文庫本専用の棚に収まっている。まだ私の英語力も十分でなかった時代、とにかく知に飢えて辞書を片手に読み漁っていたのだ。 

 あの時代が懐かしいわけではけっしてない。だがこの風景の変化が、わが国の知的レベルの著しい低下と、内面的文化の荒廃を告げているのではないかと、外の暗い曇り空にもまして暗い日本の未来への不安に、胸を閉ざされたしだいである

いまバルトークが語りかける 

 アメリカ合衆国打楽器芸術学界世界大会・ヨーロッパ打楽器大会招待演奏凱旋公演と題して、上野信一打楽器リサイタルが11月28日トッパン・ホールで行われた。この公演のための日本人作曲家の委嘱作品をふくめ4曲が演奏された。 

 彼が輝かしい打楽器技術と、繊細にして的確な音楽的感覚をそなえたひとであることはすでに知っていたが、あらためて感銘を深めることができた。 

 4組の打楽器セットを楽章毎に変えていくアンドレ・ジョリヴェの「打楽器協奏曲」全曲(ピアノ野平一郎)も興味深かったが、とりわけバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」(ピアノ:パトリク・シグマノフスキー/池田珠代、打楽器:上野信一/フレデリク・マカレス)が、全体として出色の出来栄えであった。  

 この曲には個人的な思い出がある。一九五〇年代、作曲家の故柴田南雄と私が、戦後の日本の音楽界にバルトークをはじめて体系的に紹介し(戦前にも断片的な紹介はあったが)、『音楽芸術』誌などに論文や楽曲解説を精力的に書いていた。輸入楽譜がようやく手に入るようになったが、現代音楽の輸入レコード(まだSPであった)はNHKにしかない時代であった。そのNHKラジオの教養番組を担当する第2放送から、ドイツ・グラモフォンの最新レコードで、バルトークの「2台のピアノと打楽器のソナタ」が入ったので、その放送の解説をお願いしたいと依頼された。ところが間際になってどうしてもスタジオが取れないので、録音ではなく生放送だという。生まれてはじめてのラジオ出演が生放送とは、と愕然としたが、あらかじめ原稿を作成し、心理的にあがることもなく無事終了した。 

 だが私のトーク中に珍事が起こったのだ。マイクロフォンを挟み、男性アナウンサーが私の向かいに対峙していたのだが、急にくしゃみか咳を誘発したらしく、ハンカチで口を蔽ってスタジオの外に飛び出したのはいいが、その拍子に狭い部屋の壁に立てかけてあった折りたたみのパイプ椅子を足に引っ掛け、倒してしまった。一瞬の轟音が生放送中のスタジオに響き渡ったのはいうまでもない。  

 そのときのレコードの印象(演奏者がだれであったかもはや記憶にないが)も、またその後演奏会で聴いた印象も同じであったが、この曲はあくまで2台のピアノが主役であって、打楽器はいわば伴奏する脇役にすぎないように思われていた。 

 だが今回はまったくちがう。それは、2人のピアノ奏者と2人の打楽器奏者、合計4人相互のいわば熾烈な決闘であり、そこから第2次世界大戦前夜の緊迫した状況に対する音楽的主張や思想を立ち昇らせようという、バルトーク自身の本来の意図を鮮明にしたものであり、その意味で啓示的な演奏であった。 

 重苦しい状況とそれに立ち向かう断固とした意志をうたう第1楽章、バルトーク固有の「夜の音楽」様式の深く沈潜する第2楽章、農民舞曲の歓呼に乗せた母なる大地とそこに生きる生命や人間への賛歌である第三楽章、だがそれも祖国を後に亡命する決意のなかで、一場の夢のように消えていく最後の数十小節の重み、それらすべてを浮き彫りにした名演であった。

FM放送よ、おまえもか 

 夕食後の休息にと、よくNHKのFMにスイッチを入れる。我慢のできない演奏のときには切るが、比較的よく聴くほうである。ところがときどき、わが耳を疑うアナウンスに出くわす。 

 だいぶ以前だが、リストの「巡礼の年第1集スイス」の「オーベルマンの谷」が演奏された。女性アナウンサーは繰り返しそれを「オーベルマンの旅」と述べ、ご丁寧に「オーベルマンという青年の心の旅を描く作品」と解説するではないか。たしかにこの曲は、ユイスマンスの小説『オーベルマン』の幻想的な一場面に霊感をえたものだが、原題は「ヴァレー・ドーベルマン」であってけっして「ヴォワイヤージュ・ドーベルマン」ではない。 

 数ヶ月たって別のピアニストが同じ曲を演奏したが、そのときもまた「オーベルマンの旅」とアナウンスし、同じ陳腐な解説を繰り返していた。あきれてものもいえない。 

 つい最近も、「南仏の古都サント」の修道院でのコンサートというアナウンスに出くわした。たびたびサントというのでそんな町があるのかと思っていると、「ローマ時代の遺跡もある由緒ある町並み」という解説で、はたと「ナントの勅令」で有名なナントであることに思いいたった。それに驚いていると、「次の曲目はベートーヴェンの交響曲第六番田園ハ長調」と語り、解説のあとで「ではベートーヴェンの交響曲第六番田園ハ長調をお聴きください」と繰り返すではないか。たしかに片カナのサとナ、ハとヘは似ているが、これはもはや読み間違いの段階ではない。西欧のクラシック音楽を扱うディレクターやアナウンサーが「田園」がヘ長調であることを知らないとは、世も末というほかはない。 

 電波メディアだけではない。大新聞にもこれに似た誤りが横行している。もう昔のことでなんの記事であったか忘れたが、朝日新聞のそれに関連したデモンストレーション画面に、Fresh Cake(新鮮なケーキ)のつもりらしいが、Flesh Cake(人肉ケーキ)と表示されているのに思わずわが目を疑った。

 また毎日新聞のコラム「余禄」で、ヒトラー暗殺事件にかかわり自決させられたロンメルを、「ナチス親衛隊の将軍」と書いているのに驚いたことがある。ヒトラーへの狂信的な忠誠に凝り固まった親衛隊と、貴族出身者が多く、ヒトラーをひそかに成りあがり者と軽蔑していたドイツ国防軍の高級将校団とは、同じ武装集団であり、同じ戦争を戦ってはいたが、まったく別世界であったのだ。「砂漠の狐」と英軍に恐れられたロンメル将軍も、地下で憮然としたことであろう。最近も似たような誤りにしばしば出会う。新聞社には校閲部という部局があるはずだし、こうした歴史の誤りは、調べればすぐわかることである。 

 いずれにせよこれらの事例も、わが国の知のレベルの著しい低下を示す徴候にほかならない。


北沢方邦の伊豆高原日記【33】

2007-10-29 21:19:25 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【33】
Kitazawa, Masakuni
 

 季節の移り変わりが早い。多忙だったせいもあるかもしれないが、樹々が色づきはじめ、モズの高鳴きが森に木魂し、澄み渡った空に秋らしい陽射しがまばゆい、といった典型的な「日本の秋」はほとんどなく、夏が終わったと思うや、すでに肌寒い初冬のきざしである。それどころか、今日は季節はずれの台風で、激しい風雨に樹々がどよめいている。地球温暖化による異常気象をまざまざと実感する。

 ここまで書いて、風邪で寝こんでしまった。熱はほとんどないのに、耳下腺が腫れ、喉が痛む。ヨーガをやっていても、ヴィールスやバクテリアなどの感染は妨げられない。ただ回復が早いことはたしかである。今日は秋の陽射しがまばゆく、樹間にみえる海が青い。

西村朗氏との対話 

 『洪水』という詩と芸術の雑誌に依頼され、ヴィラ・マーヤで作曲家の西村朗氏と対談した。『洪水』とはまた恐ろしい題名だと思ったが、編集長の池田康氏によれば、バングラデシュの「洪水」に霊感をえた詩人白石かずこ氏の命名だという。たしかに急流の多いわが国では、洪水は恐ろしいイメージだが、ガンジスやインダス、あるいはラインやドナウといった大陸の大河の洪水は、ゆったりと増水し、引いたあとには、ゆたかな泥土を残していく。古代エジプトのナイルも、文明をはぐくむ母なる大河であった。それにこの「洪水」は、芸術の領域の狭い枠を超える意味もあるという。

 それはともかく、この対談は私にとっても実りゆたかであった。なぜならすぐれた作曲家が、いかに深く広い内面世界、いいかえれば「哲学」から作品を創造しているか、その内奥をかいまみることができたからである。

 とりわけ戦後、日本の音楽界を支配してきた根強い「神話」がある。それは、古典派からロマン派にいたる近代音楽は、作曲者の個人的な感情を表現してきたのであり、それに反逆する「現代音楽」は感情を排除し、純粋なモノとしての音の構築に専心すべきである、というものである。古典やロマン派の音楽の演奏ですらこうした神話に支配され、いっさいの感情を排除し、総譜の音を流麗に、構築的に表現すればいいのだ、という流行が生まれるにいたった。ヘルベルト・フォン・カラヤンやその無数の亜流がそれである。

 音楽から「意味」や「思想」を追放する「絶対音楽」の神話といいかえてもよい。

 作曲のコンクールでも、精密な総譜を書き、大オーケストラを咆哮させる技術をもちながらも、新奇な音を羅列させるだけでなんのメッセージ性もない作品が溢れ、私を辟易させるばかりであった。

 だが本来の作曲はこうしたものではない。たとえばベートーヴェンは動乱の時代を生きながら、たえず内面で思想的な格闘をつづけ、それを音として表出しようとしていた。1814年から書きはじめた『日記』には、その苦闘のあとが記され、世界観にいたっては『ウパニシャド』をはじめとするインド哲学まで探求されている。彼の晩年の作品は、音としてのこうした「思想」抜きには語れない。

 西村朗(以下敬称略)の作品は、圧倒的なメッセージ性に溢れている。ときにはわれわれは、腕づくで異世界に曳きさらわれる。それはまさに「洪水」である。彼の作曲技法はひとくちに「ヘテロフォニー」とよばれる。それは異質な音響が微妙にふれあい、交錯しながら持続することを意味するが、同時に西欧の近代音楽が打ちたててきた「音楽原理」そのものへの「ヘテロ(異質)」な原理を意味する。つまり作曲家個人の主観性を、主題やその展開、あるいは和声といった形式や技法で表現してきた「原理」を、「洪水」のように超え、その枠組みを解体したところに成立するヘテロフォニーである。

 ベートーヴェンと比較したのも、彼の世界観や思想の根本に『ウパニシャド』があるからである。正確にいえば、仏教をも包括するウパニシャド的世界観というべきであろう。古代インドの経典『リグヴェーダ』の注釈書である『ウパニシャド』は数十冊に昇るが、その根本思想は共通である。すなわち人間の個我(アートマン)を取り巻く世界は、神々がつくりだしたマーヤー(幻影)の世界である、いいかえれば主観性にもとづく世界は幻影にすぎないとする。だがもし人間が、なんらかの修行や知恵によって幻影の世界の帳を破り、宇宙の根本であるブラフマン(宇宙我)と一致すれば、そこに光り輝く真理の世界があらわれる。それが幻影の世界からの解放、または解脱(ムクティ、モクシャ)である。

 インド古典音楽が、ラーガやターラとその霊妙な変換によって、このアートマンとブラフマンの一如の状態を導こうとするとすれば、西村朗の音楽は、大オーケストラや近代楽器、ときにはアジアや日本の楽器によってそれを行おうとしている。

 かつて西欧の異端の大哲学者スピノーザは、この主観性が消失し、宇宙と一体となる世界を「実体」と名づけ、それを神そのものの実現としたが、西村朗の作品は、この「実体」の目眩めく音の大洋にわれわれを沐浴させてくれる。

予告
対談の掲載される『洪水』(アジア文化社)は、12月に発行される予定です。
また来年(2008年)4月19日(土曜日)には、
北沢と西村の対話を含む『世界音楽入門』(昼の部)『西村朗の世界』(夜の部)が、
セシオン杉並で、ドビュッシー、バルトーク、西村朗などの作品の演奏とともに開催されます。
詳細はいずれこのブログに掲載します。以上ご期待ください。


北沢方邦の伊豆高原日記【32】

2007-09-25 23:07:17 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【32】
Kitazawa, Masakuni
 

 朝夕はめっきり涼しくなった。樹間を吹き抜ける風が肌に快い。夜は仲秋の名月(旧八月十五日、今年は暦のうえでは9月25日)が近く、下弦の月が中天に懸かり、虫の音が耳に快い。今年もコオロギやカネタタキが家のどこかで鳴き、夜の瞑想に誘う。

バイオエタノールについて 

 ガソリンやディーゼル油に代わり、二酸化炭素排出減少の切り札としてバイオエタノールが喧伝されている。だがはたしてそれは切り札なのか、そしてそれによる食料価格の高騰が、世界の貧困層から食料を奪うことにならないのか。

 『ナショナル・ジオグラフィック』誌は環境問題に力を入れているが、07年10月号でバイオエタノールの特集をしている(Growing Fuel;The Wrong Way,The Right Way)。それによると、食料を原料とするバイオエタノール生産は「悪い道」であり、けっして切り札とはなりえないという。

 たとえば合衆国では、ブッシュ政権がトウモロコシによるバイオエタノール生産に力を入れているが、専門家の試算によると、トウノロコシの生産(農薬・化学肥料・大型耕作機械の燃料など)や運搬、あるいはエタノール生産(蒸留に高熱が必要である)や運搬に要する石油エネルギーと二酸化炭素排出量は、生産されたエタノールによる排出量削減や省エネルギー量を上回り、まったくの「無駄仕事boondoggle」である。それによる他の作物の生産減少と食料価格の高騰は、アメリカ経済に負荷をあたえつつある。

 他方ブラジルでは古くからサトウキビによるエタノール生産が盛んであり、国内の自動車エンジンもエタノール用に改造されている。またサトウキビによるエタノールはトウモロコシ原料によるものより純度も高く、エキスを絞った廃棄物を蒸留用燃料にするなど、生産効率が高い。しかしサトウキビ畑の拡大のために次々に広大な熱帯雨林が伐採され、また単作のための土壌の荒廃や流出でヘクタールあたりの収量の大幅な減少など、国土の荒廃化がはじまっている。熱帯雨林喪失による二酸化炭素の吸収量減少と、このバイオエタノールによる排出量の減少を単純比較しても損失は大きい。

 いずれにせよ食料によるバイオエタノール生産は、世界の環境を悪化させ、貧困層から食料を奪い、経済に負荷をあたえるまったくの愚策、つまり「悪い道」にほかならない。だがそれに代わる「善い道」がある。

 それはバイオマスなど生物廃棄物を原料にするエタノール生産と、近年の微生物科学の驚くべき展開によって発見された新しい微生物原料による生産である。

 わが国では一部堆肥に使用されるほか大量に廃棄される稲藁や麦藁などの農業廃棄物、あるいは落葉などセルローズを含むすべての生物廃棄物が原料になりうるが、問題はそれを収集するコストであるだろう。だがあとで述べるように農村を「生物循環コミュニティ」として再編すれば、この問題の解決は不可能ではない。

 また荒地や沼地で急速に成長するある種の雑草類も、計画的に栽培すればゆたかな原料になる。また最近の微生物科学の応用として、とりわけ成長力の強い藻類が原料として有力になりつつある。しかもそれらは発酵も早く、蒸留されたエタノールも上質である。生産に要するエネルギー(インプット)と、生産されたこれらのエタノールのエネルギー(アウトプット)は、なんと1対36という驚くべき数字になるという。二酸化炭素ガス排出削減量は、ガソリンに比べ、トウモロコシ原料エタノールが22パーセントであるのに対して、藻類に限らずセルローズ原料エタノールの削減量は、92パーセントに及ぶ。

 すでにアメリカでは一部の大学や研究機関が、微生物科学の応用によるエタノール生産の先端的研究部門や施設を創りつつある。麹や納豆など古代から微生物科学の応用にすぐれていたわが国が、これに遅れをとってはならない。地球環境のためにも、一刻も早く政府が開発のイニシアティヴをとるべきであろう。

生物循環コミュニティとしての農村

 グローバリズムによる資源と市場の苛烈な争奪戦争を終わらせなくてはならない。だがそれに代わる経済体制は、まだだれも提示できないでいる。

 おそらくその中核となるのは、環境技術とそれによる産業の転換であり、先端的な基礎研究や応用研究、あるいはそれによる技術開発をになう知と教育の体系であろう。またそれをいわば実験として導入する種々のパイロット・プロジェクトによって、産業構造全体の転換のための突破口を穿っていくべきである。たとえばわが国の農業を考えてみよう。

 現在進められている「規制緩和」は、大企業などの農業参入を許し、経営規模を拡大して農業の生産効率を高めようとするものである。だがこの方向による「近代化」では、合衆国、カナダ、オーストラリアなどの広大な集約農業に、いつまでも追いつくことはできない。むしろそれらの国では、大型機械やヘリコプターなどで化学肥料や農薬を撒き散らし、トウモロコシや小麦などの単作をつづける農業は、土壌の流出や粘土化など土地の荒廃、収穫量の必然的な減少をもたらし、遺伝子組替え作物の導入などによってようやく維持されているにすぎない。かつての「グリーン・レヴォリューション(緑の革命)」の挫折同様、ここにも未来はない。

 むしろわが国の地理学的特性(里山などの地形)を生かし、小規模輪作など地域の風土に対応した生態的で伝統的農業を、高度技術で再生し、地域を「生物循環コミュニティ」として再編していくことこそ望ましい。大型農業機械(エタノール・エンジン)は共有とし、都市の生物廃棄物や、家畜なども含む地元の農業廃棄物を堆肥化する共有の堆肥プラントを造って輪作的有機農法を促進し(堆肥プラントは家庭用のメタン・ガスをつくりだす)、また上記のバイオマスや雑草や藻類によるエタノール・プラントを建設し(廃棄物は堆肥原料になる)、燃料の自給を計る(余剰エタノールは売ればよい)。また村落の電気をはじめとするエネルギーは、太陽光発電・風力発電・バイオマス発電(エタノール生産の副産物でもある)・渓流のあるところではコンピュータ制御による小規模水力発電など、完全な自給も可能である。

 こうしたパイロット・プロジェクトに名乗りを挙げる自治体に、自立できるまでの初期投資と技術指導をおこなう公団を設置するとよい。道路公団をはじめとする高度成長期の特殊法人を完全に廃止すれば、こうした先進技術やプロジェクトを担う公団の設置は可能である。

 最新の微生物科学などが明らかにした大自然の驚くべきダイナミックな共生(シンバイオシス)のメカニズムを、いかに人間社会のシステムとして組みこんでいくか、それが脱近代文明構築の鍵となる。


伊豆高原日記【31】

2007-08-28 06:49:01 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【31】
Kitazawa,Masakuni  

 伊豆高原にはめずらしく、30度以上の日が数日つづく猛暑も一段落し、海からの涼しい微風が再び心地よく吹きはじめた。旧暦ではいま七月、つまり初秋であるが、夜きわだつ虫の音を別として、昼はまだ秋の気配は少ない。秋の最初の伝統行事であったタナバタ(今年は8月19日)の夕も、湿気が多く、星影もあざやかとはいいがたかった。もっともこの地も街灯や人工照明が増えたおかげで、かつての夏の銀河のまばゆいばかりの輝きも、すっかり褪せたことは事実である。

中世グローバル文明の興亡

 数学やコンピュータに詳しくないひとでも、アルゴリズムという術語は耳にしたことがあるだろう。数学的には再帰(帰納)関数と定義されるが、一定の数学的手続きを有限回くりかえすことで完結した結果がえられる方式をいう。たとえばフィボナッチ数列というものがある:

 0,1,1,2,3,5,8,13,21……
 
 これは第2項以後、前の数字を足すことで後の数がえられる。数式化することもできるが、こうしたものを(原始的)再帰関数という。

 再帰関数は、ゲーデルがあの有名な不完全性定理の証明に使って一躍脚光を浴び、さらにコンピュータ・プログラムの作成に不可欠として、情報技術を担う最強の数学的道具となった。

 このアルゴリズムの語は、九世紀のイスラームの数学者アル・コワリズミ(ラテン語でAlgoritmi)の発見に由来している。アルゴリズムに限らない。語頭にアル、つまりアラビア語の定冠詞のつく用語は、すべて中世イスラームの発見や発明に由来する。たとえばアルジェブラ(代数)、アルカリ、アルカロイドやアルコール、アルム(明礬)などの化学用語、アレルギーやアルビノ(白子または色素欠乏症)などの医学用語などである。アルがつかなくてもアル・ウドが訛ったリュート(弦楽器)、タリフ(関税)など、多数の用語はアラビア語からきている。

 音階名ド、レ、ミ、ファ、ソル、ラ、シは、アラブの音階名ダル、ラ(ra)、ミ、ファ、サド、ラ(la)、シンの訛化である。そもそも上記のフィボナッチ数列で書いた数字はアラビア数字であり、それまではヨーロッパは煩雑なローマ数字(たとえば2007年はMMVIIと表記する)を使っていた。

 文明のあらゆる分野におそるべき影響をふるったイスラームの思想や科学や芸術とはなんであったのか。またそれはなぜ中世に黄金時代を築いたのか。そしてなぜこの巨大なグローバル文明は、18世紀以後没落を余儀なくされたのか。こうした疑問に応えるマイケル・ハミルトン・モーガンの『失われた歴史;イスラーム科学者、思想家、芸術家の永続的遺産』Michael Hamilton Morgan.Lost History;The Enduring Legacy of Muslim Scientists,Thinkers, and Artists. National Geographic Society,2007.を、きわめて興味深く読了した。

イスラーム拡大の秘密

 片手に『アル・クルアーン(コーラン)』、片手に剣というイスラーム像は、十字軍戦争以来の西欧がつくりあげたものであって、イスラームはほんらい決して好戦的ではない。にもかかわらず8・9世紀、イスラームの領土が短期間に急激に拡大したのは、その宗教的寛容と経済政策のおかげであった。

 先行する兄弟宗教であるユダヤ教とキリスト教をイスラームは十分に尊敬し――周知のように『クルアーン』には『聖書』の記述が多く取り入れられている――、進出した地ではモスクが建設されるまで、これらの宗教の寺院の一隅を借りてイスラームの礼拝が行われていた。兄弟宗教だけではない。ペルシアのゾロアスター教、インドのヒンドゥー教なども尊重され、改宗が強制されるようなことはけっしてなかった。ただムスリム(イスラーム教徒)に比べ、異教徒は税金を高く徴収されたので、その理由から自発的に改宗するひとびとは多かった。

 この宗教的寛容が異教徒の学者や技術者、あるいは商人や貿易商をイスラームの都市に惹きつけ、彼らのエネルギーと創意を発揮させ、空前の経済的繁栄と科学や技術、あるいは医学や芸術の黄金時代をもたらしたのだ。事実、たとえばクルタワ(コルドバ)を首都とするスペインのウマイヤー王朝時代、キリスト教による迫害を逃れ、ユダヤ人の学者や芸術家がコルドバやトレドに集まり、それらの大学や研究機関のレベルを飛躍的に向上させた。

 王朝の交替などでは戦乱や血腥い騒乱が起きたことは事実であるが、どの王朝もこの宗教的寛容と学芸の保護や振興という政策は、忠実に受け継いだ。なぜならこの時代のイスラームは、「信仰」と「理性」を厳密に区別し、政策や学問における理性の行使こそ、神の教えにかなうものとされたからである。

 イスラームだけではない。13世紀に東西にわたる大帝国を築いたモンゴルにしても、敵対するものは容赦なく殺戮したが、降伏や同盟を選ぶものには寛容であり、とりわけ異教を尊重したからである。モンゴルの宗教はラマと呼ばれる仏教であり、仏教は他宗教にきわめて寛容であった。東は中国の元、西はこのイスラーム圏にわたる大帝国は、それぞれの地域の文化を尊重しただけではなく、それらの大規模な交流をはかり、中世世界に「ひとつの巨大なグローバル文明」(モーガン)を築きあげるにいたった。

 従来の好戦的で侵略的なモンゴルという西欧中心主義的史観をくつがえす、このモンゴル観も画期的である。

「失われた歴史」の遺産

 事実、東の元の皇帝フビライの弟フレグが西の帝国の元首となり、現在のアゼルバイジャンに首都を築いたが、そこにバグダッドからアル・トゥシを招き、当時世界最大の天文台を造営させた。天文学者にして数学者のこのアル・トゥシこそすでに13世紀に、地球や惑星が太陽の周りを回転している事実を正確に計算した大科学者である。中世からルネサンスにかけてのヨーロッパの学僧や知識人の教養の出発点は、アラビア語の習得であったが、コペルニクスの「地動説」は、このアル・トゥシをはじめとするイスラーム天文学の文献からの借用であることが、近年明らかにされた。

 アル・トゥシだけではない。9世紀のペルシアのオマール・ハイヤームは、詩集『ルバイヤート』の詩人として知られ、18世紀のその英語訳はヨーロッパ・ロマン主義勃興の引き鉄となったが、本職は宮廷数学者・天文学者であり、たとえば1年の日数を365・2918と計算していた。現在のスーパー・コンピュータによる計算では365・2910とされているから、その正確さは驚異でさえある。

 イスラーム世界では、早くから地球が球体であると認識され、その直径や赤道の円周などもほとんど正確に計算されていた(現在の数値とは数百キロ程度の誤差しかない)。中国で発明された磁石(指南)やイスラームの発明である天体観測の機器(四分儀・六分儀)を搭載したイスラームの船団は、インド洋をへて中国までの海のシルク・ロードを開拓していた。あるいは世界最初のパラシュートやグライダー(イスタンブールでの数十分飛行が記録されている)、あるいは揚水ポンプなど、レオナルド・ダ・ヴィンチに先立つ多くの技術的発明とその実験・実施は枚挙にいとまがない。

 化学はアラビア語でアル・ケミーというが、それがヨーロッパにアルケミー(錬金術)として誤伝し、ほんらいのケミストリー(化学)と長い間共存することとなった。医学の分野でのマイモニデス(ラテン名)、哲学の分野でのアヴィケンナ(同、イブン・シーナー)やアヴェロエス(同、イブン・ラシード)などが中世やルネサンスにあたえた大きな影響は、西欧哲学史や科学史でも早くから扱われていたことはいうまでもない。だが近代の成立の基底とさえなったこれらイスラームの、さらにはさかのぼって中国やインドあるいはイスラーム以前のペルシアなどのこれらの科学や技術、詩文学や音楽などは、西欧のルネサンス以後、なぜその黄金時代の輝きを失ってしまったのだろうか。

 それは西欧近代が、植民地の開拓と資源の収奪という帝国主義的制覇の道を歩み、それにともなって中東やアジアが貧困の沼地に沈みはじめたからである。イスラーム文明の夕映えであるオットマン・トルコ――しかしその残照はモーツァルトやベートーヴェン、レッシングやゲーテ、あるいはドラクロアなどの良きオリエンタリズムに反映している――を最後に、イスラームの太陽は地平線に没する。

 だが、西欧近代の絶頂であるとともにその没落の開始を告げるグローバリズム制覇のいまこそ、われわれはこのイスラーム文明の根底にあった寛容と共生の精神を学ばなくてはならない。これは、西欧グローバリズムに暴力で対抗しようとしている一部のムスリムにとっても、根本的な教訓となるはずである。

 『失われた歴史』は現在の世界とその未来についても、深く考えさせてくれる。邦訳がでたら一読を薦めたい。


北澤方邦の伊豆高原日記【30】

2007-08-16 18:31:33 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【30】
Kitazawa,Masakuni

 テッポウユリの季節が巡ってきた。緑一色の庭のいたるところで、純白の花弁が微風にゆれている。その清楚なたたずまいといい、高貴な香りといい、なにかこの世のものでないおもむきがある。月遅れの盆(ほんとうの旧暦の盆つまり旧七月の満月は今年は八月二十八日に当る)に咲くのも、むべなるかなと感じてしまう。

 今日終戦記念日は、伊豆高原のわが家でも今年はじめて気温が30度となり、62年前のあの暑い日を思いださせてくれた。連日の米軍機の爆音も、機銃掃射の音も、鉄道を狙う爆撃音もない奇妙な静寂、あくまでも青く澄み切った空、容赦なく焼け野原に照り返す烈日、汗と埃の染み付いた衣服を通じて肌を蒸す暑熱、常態となっていた耐えがたい飢餓感、あるいは拡声器を通じてひびく、敗戦を告げる天皇の声の思いもかけない甲高さと詔勅独特の抑揚……すべてが一瞬によみがえり、また消えていった。

パール判事の非暴力思想

 八月十四日、NHK総合テレビで放映された「パール判事は何を問いかけたのか」は、地味ではあるがきわめて明証性の高いすぐれた番組であった。

 いわゆる満州事変からはじまり、日中戦争、太平洋戦争を指導した日本の戦争責任を問う「東京裁判」で、いわゆるA級戦争犯罪人の全員無罪という少数意見を主張したインドのパール判事の膨大な判決文をもとに、彼の主張とその裏にある法倫理や思想をみごとに明らかにし、また盟友となったオランダのレーリック判事にあたえた影響や、見渡すかぎりの廃墟となったヒロシマを上空から見て衝撃を受け、パール判事とは異なる少数判決を書いたレーリック判事の内面を追うドキュメンタリーである。

 パール判決は、法的にはきわめて単純で明快である。すなわち事後に制定された法律で、事前に起きた事件または犯罪は裁くことができない、という「事後法」の問題である。東京裁判のモデルとなったのは、ナチスの戦争犯罪を裁いた「ニュルンベルク裁判」であり、そこで適用された、通常の戦争犯罪、平和に対する犯罪、人道(ヒューマニティ)に対する犯罪の三つの告発が、そのまま東京裁判の憲章とされた。パールはそれが事後法に相当するとし、この事後法の適用は、結局勝者による敗者の裁きという復讐またはルサンティマン(怨恨)の表現以外のなにものでもなくなる、というものである。

 だが誤解してはならない。彼がそれによって、とりわけアジアで犯された日本の戦争犯罪を免責しているのではまったくないことである。法廷でとりあげられた南京虐殺をはじめとする日本軍による多くの残虐事件を彼もきびしく告発し、それらは近代日本が西欧帝国主義の道を選択した結果であると断罪している。

 つまり彼が告発しているのは、近代日本であるだけではなく、植民地や資源の争奪に走った西欧帝国主義であり、その制覇の手段となった戦争そのものである。

 それだけではない。彼は戦争の根本である暴力そのものが、つねに世界を誤らせてきたという。この非暴力の提唱をみても明らかなように、彼はマハートマ・ガーンディーの信奉者である。コルカタ(カルカッタ)でインド独立運動に携わった法律家として彼は、戦争や暴力が真の平和や心の平安をもたらすことはまったくありえないことを学んだ。この確信、というよりもこの倫理的法思想が、あの1000頁にも及ぶ膨大な判決書となり、戦争そのものを問うことのない近代的な多数意見と、根本的に対立する少数意見となったのだ。

 出発点では典型的な西欧の法律家であり、多数意見の判事たちとほとんど変わりがなかったオランダのレーリック判事が、最終的に、A級戦犯のうち軍人を有罪、広田弘毅元首相をはじめとする文官を無罪とする少数判決を書くにいたった内面の変遷が、またわれわれを深く考えさせてくれる。

 彼はたまたまパール判事の隣席であったというだけではなく、彼の人柄や思想に深く惹かれ、盟友となっていった。興味をもちはじめた非暴力の思想が天啓のようにひらめいたのは、彼が連合軍の飛行機に同乗し、ヒロシマを上空から眺めたときである。一望の瓦礫となった太田川の広大な河口デルタは、戦争や暴力の究極のむなしさを訴えていた。

 彼はまた、ナチスの一党独裁によって必然的に幹部の「共同謀議」が成立するドイツの戦争犯罪とは異なり、戦前の日本の統治機構で軍の「統帥権」から排除された政府や議会が、戦争拡大に反対したにもかかわらず押し流されていった意思決定の過程を精密に判断し、A級戦犯の「共同謀議」を断罪する多数意見をきびしく批判した。

 東京裁判ののち、オランダに帰ったレーリックは、非暴力や真の平和を追求する平和研究センターを設立し、一生をそれに捧げたという。

 パール判事やレーリック判事を更迭させるため、多数意見のなかの強硬派であるイギリスの判事らがGHQのマッカーサー司令官を訪れたとき、冷たくあしらわれたという挿話も興味深かった。マッカーサーは、サンフランシスコにあった軍の日本研究センターから日本の戦後統治についての報告や助言を受けていたし、総司令部内にその人材を多く抱えていたこともあり、日本がドイツとはまったく異なったケースであることを十分認識していたにちがいない。

 いずれにしろ、戦争とはなにかを深く考えさせる番組であった。


北沢方邦の伊豆高原日記【29】

2007-08-01 23:03:10 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【29】
Kitazawa, Masakuni

 ヤマユリの季節は終わりに近い。そろそろウグイスも鳴きやむ頃だが、今年は新顔が登場して楽しませてくれた。わが家が寝坊なのを知っているらしく、早朝裏の森にやってきては、ホーホケキョならぬ、ホー・オキロ(起きろ)!と、防音のよい寝室にも届く元気な声を聴かせてくれた。ありがとう。

 今朝二階に上がる階段に、大きなイエグモがいるので挨拶したが、お腹に白い袋を抱え、出産まじかを知らせていた。家の中で出産されると何百匹という蜘蛛の子が四方に散るので大変だと、よく言い聞かせ、ハンドタオルでそっと捉え、外に放してやった。

参議院議員選挙をカタルシスにしてはいけない 

 7月29日の参議院議員選挙で民主党が大勝し、自民党が歴史的敗北を喫した。連立与党の公明党も伸び悩んだが、野党の社民党も議席を減らした。他の野党ではわずかに国民新党が気を吐いたといえる。

 多くの報道が指摘したように、年金や経済格差などの深刻な問題に加え、政治資金をめぐる各閣僚の醜聞や自殺、女性や原爆をめぐる失言など、選挙直前に噴出した安倍内閣の惨状が選挙を直撃したことは事実である。だがそれだけではこの歴史的選挙の底流を読み誤る。

 これはたんに安倍内閣に対する国民の不信任の表明であるだけではなく、「小泉改革」にはじまるいわゆる改革路線に、国民の多数、とりわけ地方が反乱を起こしたのだ。すなわち「小泉改革」なるものは、たびたび述べてきたように、「規制緩和」「市場万能」「小さな政府」を合言葉にアメリカ合衆国が主導するグローバリズムに乗り、多国籍大企業・多国籍金融機関にのみ有利な政策を推進し、中小企業や地場産業を壊滅させ、貧富の格差・大都市対地方の格差を増大させ、労働条件を劣悪化し、国内の環境問題もそうであるが、資源争奪戦争によって地球環境を破壊し、人類を破滅の道に導く路線にほかならない。

 安全保障や外交の面からしても、それはアジアとの協調を軽視し、日米安保条約の実質的な軍事同盟化をはかってアジアに無用な緊張を増大させ、ODA予算の削減によって貧困の撲滅や経済的南北問題解決の責任を放棄するという最悪の選択にほかならない。とりわけ安倍内閣は、拉致問題を口実に北朝鮮との関係を悪化させ、六カ国協議で孤立するという愚策の上塗りをし、朝鮮半島の非核化という最大の課題に背をむけることで、むしろ日本国民の安全をみずから台無しにている。

 民主党も、この現実を国民の目に明確に示すことができず、ましてグローバリズムの方向転換をはかるような長期政策を打ちたてる目標や意欲さえもたないようにみえる。社民党は「護憲」「護憲」と叫ぶだけの「護憲カラス」でしかないし、国民はもう「同じ古い歌」(ザ・セイム・オールド・ソング)は聞き飽きたのだ。国民新党がわずかに気を吐いたのは、保守政党ではあるが、市場万能のグロ-バリズムへの危機感や社会的弱者への皮膚感覚的な関心が、地方の有権者の共感を呼んだのだといえる(ただし比例区候補にフジモリを担いだのはまったくいただけない)。

 これからは参議院第1党となった民主党の力が試されるが、党内に「小泉改革」に共感し、日米軍事同盟化推進を望む若手の新保守主義者・新自由主義者を抱え、安全保障をはじめとする重要政策や路線の決定さえできないこの党に、ほとんど期待することはできない。

 必要なのは政界再編である。民主党がこれらの新保守主義者・新自由主義者と訣別し、自民党の加藤紘一や谷垣派などに代表される新路線の模索派や、国民新党・新党日本などと合同し、アメリカ民主党など国際的な中道左派と連携できる党を立ち上げることができるなら、日本の未来にも希望がもてる。小沢代表は、政界をこうした方向に転換させるような「豪腕」を発揮できるのだろうか。


北沢方邦の伊豆高原日記【28】

2007-07-22 16:26:49 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【28】
Kitazawa, Masakuni  

 ふたたびヤマユリの季節が巡ってきた。絢爛とした白い大きな花弁、むせかえるような豪奢な香り、これが栽培種ではなく、『古事記』や『万葉集』の昔から山野に自生していたなどとは信じがたいほどである(すでに述べたように古語ではサヰといい、群生する河原に流れる川はその姿からサヰ川と呼ばれ、狭衣川、狭井川、犀川などと当て字された)。群生というほどではないが、ヴィラ・マーヤの庭にも咲き乱れている。風で倒れかかったわが家の数本を花瓶に挿しただけで、家中が香りに溢れ、気分までが豪奢になる。

欧米がもたらしたパレスティナの悲劇 

 ハマスとファタハという二派の対立の激化で内戦状態になっていたパレスティナのガザ地区は、ハマスの治安部隊と武装勢力による制覇で、一応収束した。自治政府のアッバス議長は、ハマスとファタハの連立内閣を強制的に解散させ、ファタハ単独内閣を樹立した。ハマスが排除されたとして、欧米はパレスティナというよりもアッバス議長への援助を再開し、ガザを孤立させようとしはじめている。まったくの愚策というほかはない。

 そもそもパレスティナに近代民主主義を持ちこみ、選挙を奨励したのは欧米ではないか。国際監視団が保障した公正な総選挙の結果、ガザに限らず民衆は、腐敗したファタハに替わって医療と福祉で民衆に貢献するハマスを選択したのだ。ハマスを「テロリスト集団」としてその結果を拒否した欧米、とりわけ合衆国は、みずからの提唱する「民主主義」に二重基準(ダブル・スタンダード)を持ちこみ、民主主義そのものを否認するという巨大な矛盾を背負うこととなった。そのような「民主主義」を世界のだれが信じるだろう。

 さらにファタハでさえ、かつて欧米にとってはPLO(パレスティナ解放機構)という「テロリスト集団」にほかならなかった。数々の航空機ハイジャック、ミュンヘン・オリンピックでのイスラエル選手銃撃事件、テル・アヴィヴ空港での無差別乱射事件(日本赤軍によって実行された)など、アラファト議長の主導下で行われた事件はまだ記憶に新しい。

 最終的にはパレスティナに独立国家としての地位をあたえよ、という国際世論とその努力が、長い年月をへて自治政府を誕生させ、ファタハを合法的な統治集団と化したのだ。たとえハマスが「テロリスト集団」だとしても(私はそうは思わないが)、彼らを正当な統治集団として認めることが、逆に彼らを国際的に責任ある政治集団に育てあげることとなる。中東ではわが国は、こうした方向にむけてパレスティナを中心に、欧米やアラブ諸国、あるいはイランなどとを仲介する絶好の立場にある。だがそうした理念はおろか、政治的嗅覚さえないのが日本政府とその外交なのだ。いつものことながら、「情けなさに涙こぼるる」である。

ニュールック・ボナパルトとしてのサルコジ大統領

 フランスの新大統領サルコジ氏の『回想記』──通常は大統領を退任してから書くのだが、これは彼の個人的な記録である──ともう一冊の本が、『証言』(Testimony)と題して英訳された。フランスの哲学者ベルナール = アンリ・レヴィによる書評がニューヨーク・タイムズ書評紙に掲載され、話題を呼んでいる(July 22, 2007)。

 かいつまんでいうと、かつては非共産党左翼に位置し、その後かなり右寄りの路線に転じたレヴィであるが、その彼がサルコジ氏を「ニュールック・ボナパルト」と断じ、その選出を、「これはある社会運動、疑いもなく野蛮で、暴力的で恐るべき社会運動の開始」の徴候であるとしている。

 その理由は、この『回想記』で触れられているフランスの過去の歴史の評価にある。つまりサルコジ氏は、対独協力者のヴィシー政権にはホロコーストの責任はほとんどないとし、アルジェリア独立戦争でのアルジェリア人の虐殺や拷問は「(アルジェリアの)文明化の過程で起こったこと」と免罪し、若者や労働者たちの反乱であった1968年の「フランスの五月」は記憶ともども一掃すべきだとする。この本に書かれているわけではないが、われわれにも周知の2005年秋、移民の若者たちによるアルジャントゥイユの暴動では、彼らを「(社会の)カス野郎ども」と呼び、「あいつらを片付けるのが私の使命だ」という有名な暴言を吐いた。

 この書評には、マーク・アレイリーの肖像画がつけられている。つまり頭部は横目で睨みつけるサルコジ氏、胴体は懐に手を入れ、勲章とサーベルを下げるナポレオンという卓抜な絵で、思わず笑ってしまう。だがフランス人にとって、これは笑いごとではない。

CIA抱腹絶倒物語

 CIAつまりアメリカ合衆国の中央情報局は、かつては泣く子も黙る恐るべき有能な情報機関として、イギリスやイスラエルなどのライヴァル機関には一目置かれ、かつての敵ソヴェトや東欧の情報機関などには徹底的に憎悪された。

 アメリカ国民の巨額の税でまかなわれるこの巨大組織は、アメリカの安全保障には不可欠の組織として国民に容認されてきた。だが、はたしてそれがこの巨費に見合う働きをしてきたか、むしろ無能でときには間抜けであったのではないか、と、情報公開法によって明らかにされた過去の膨大な資料をもとに告発する本があらわれた。

 ニューヨーク・タイムズ書評紙の同じ号に掲載されたティム・ウィーナーTim Weiner(ザ・タイムズ誌CIA担当記者)の『灰の遺産――CIAの歴史』Legacy of Ashes;Historyof the CIAである。

 彼によれば、CIAは戦後の重要な局面転換、たとえばソヴェトの核実験(1949)、北朝鮮による朝鮮戦争の開始(1950),ハンガリー動乱(1956)、キューバ危機(1962)、5回にわたる中東戦争の勃発(1970年代)、ソヴェトのアフガニスタン侵攻(1979)、イラン・イスラーム革命(1979)、イラクによるクウェート侵攻(1990)、インドの核実験(1998)など、どれひとつとして予知することはできなかった。 

 イラン革命時に有名なアメリカ大使館員人質事件が起こった。ある館員はCIAの要員でイラン側にきびしく取り調べられたが、イランの国語ペルシア語をひとことも話せず、中東の知識もおどろくほど欠如していたので取調べ官があきれて「おまえはほんとうにCIAか」といったという。

 CIAの間抜けさ加減を象徴する絶好の挿話が書かれているので紹介しよう。

 現在、更迭されたラムズフェルド氏に代わって国防長官となっているロバート・ゲイツ氏は、父ブッシュ政権時代CIAの主席補佐官をつとめていた。1990年の8月、彼は休暇で家族とともにピクニックにでかけていた。妻の友人の女性がピクニックに参加するためにやってきたが、彼女はそこにゲイツ氏がいるのを見て驚いて言った: 
「あなたここでなにをしていらっしゃるんですか?」 
逆にゲイツ氏が驚き、「なにをおっしゃってるんですか?」 
彼女「侵攻(インヴェージョン)ですよ!」 
主席補佐官「侵攻って?」 
彼女「イラク軍がクウェートに侵攻したんですよ、ご存じないんですか」

 だがこの抱腹絶倒の場面に笑ってばかりいられない。冷戦時代、鉄のカーテンの彼方に送りこまれたCIAの要員やその手先のスパイたちは、容赦なく殺され、逮捕されて拷問され、あるいは二重スパイを強要され、断わると処刑された。こうして闇の中に葬られたひとたちは数百人以上に昇るという。本書の題名の「灰」は、いうまでもなくこれらのひとたちの遺灰を意味する。


北沢方邦の伊豆高原日記【27】

2007-06-24 20:28:33 | 伊豆高原日記
北沢方邦の伊豆高原日記【27】
Kitazawa,Masakuni  

 ヤマボウシをはじめ樹々の白や淡黄色の花々が、やや盛りを過ぎたが濃緑の森を彩っている。ホトトギスかかまびすしく空を翔け、それぞれ鳴き方のちがうウグイスが、高らかに縄張り宣言をする。わが家は三羽の境界に位置するらしく、異なった方角から交替でやってきては近くの雑木で鳴き交わす。梅雨らしからぬ晴天がつづき、各地のこの夏の水不足が心配である。ちなみに、旧五月(さつき)の梅雨どきの晴天を「五月晴れ」というのであって、グレゴリオ暦の五月にいうのはまったくの誤用である。残念ながら定着してしまったが。

脱ダーウィン主義(ポストダーウィニズム)

 微生物科学の進展で、ダーウィンの進化論の書き換えが進んでいる。グローバリズムに乗じて猛威を振るった新ダーウィン主義(ネオダーウィニズム)の凋落は近い。『利己的な遺伝子』で有名となった新ダーウィン主義者のリチャード・ドーキンズが、昨年、神の存在を否定し、神への信仰は妄想であるだけではなく有毒であるとする『神という妄想』(The God Delusion)を刊行し、一時期ベストセラーとなった。かつて読んだジム・ホルトの書評(ニューヨークタイムズ書評紙Oct 22,06)は的確であった。

 つまりそれは、一方ではブッシュ政権を生みだしたキリスト教原理主義などには解毒剤となるが、他方ではイスラームをはじめ世界宗教の本質やその知をゆがめ、たんに誤解をあたえるだけではなく、宗教にかかわる知そのものを破壊する、というものである。

 その書評に引用されていたドーキンズの一文には、思わず失笑してしまった。「イスラームは肉食遺伝子複合(ジーン・コンプレックス)に、仏教は菜食遺伝子複合に類似している」と。こんな浅薄な理解で世界宗教を論ずるなどとは論外である。

 この脱ダーウィン主義的進化の問題については、『ナショナル・ジオグラフィック』誌七月号「誘惑の羽根」(ジェニファー・S・ホランド文、ティム・レイマン写真)が面白い示唆をあたえてくれた。

 パプア・ニューギニアには、有名な極楽鳥(日本学名フウチョウ)の多くの種がいる。世界全体で38種が数えられているが、そのうち34種がここに住む。熱帯雨林に映える目も彩な緋色や瑠璃色の羽根や尾、あるいはあでやかな冠を振りかざした雄たちは、くちばしや足で均して地上や樹上につくりあげた舞台で、ここを先途と踊りに専念する。群がった雌たちは熱心にそれを観察し、気に入ったものが番いとなる。

 この求愛の踊りはいまや世界的に知られているが、雄の翼や尾の羽根、あるいは冠など極彩色の装飾や、その複雑な舞踊のステップなどがなぜこれほど発達したのか、進化論に新しい課題をもたらしている。結論をいえば、生存競争とそのための自然選択(ナチュラル・セレクション)というダーウィンの理論を超えて、身体装飾や求愛儀礼を発達させたのは、セクシュアリティ(性的行動様式)という文化的な表現欲求からである。餌の豊富な熱帯雨林に住み、天敵が皆無という恵まれた条件が、セックスという直接的な生物学的欲求よりも文化的欲求を優先させたのだ。

 極楽鳥たちの行動は、人間の進化を考えるうえでも示唆的である。

サイモン・ラトルよおまえもか

 NHK・FMでサイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管絃楽団の、ベルリンでの演奏会録音が放送された(6月22日夜)。

 デビュー当時のラトルは、みずみずしい感性と的確な音楽構成力で大いに将来が期待されたし、ベルリン・フィルハーモニーの芸術監督に抜擢されたのも当然と思われる存在であった。その思い出があるだけに、胸躍らせるほどではないにしろ、この放送を聞き逃すまいと心がけた。だが結果は大いなる失望であった。

 みずから抜粋したベルリオーズの『ロメオとジュリエット』からの2曲は、旋律美の強調だけで、ベルリオーズ特有の隠されたゆたかな多声が生かされず、深みに欠け、かつてのシャルル・ミュンシュの名演には遠くおよばなかった。

 ストラヴィンスキー後期のバレエ曲『アゴン』はさておき、問題は最後のベートーヴェン『交響曲第五番ハ短調』である。各楽章すべて、これでもか、これでもか、とたたみかける威圧的な表現は、まさに中期ベートーヴェンの典型的なステレオタイプ、あるいは先入観で塗り固められた像であり、聴いていて辟易させられた。

 第一、抒情的に深みのある第2楽章や、謎めいた迷路のような第3楽章のやや抑制の効いた変転のあと、スケルツォの終わりに置かれた仄暗くひそやかな「ドミナント(属音)のトンネル」(エルネスト・アンセルメの言)を抜けでるがゆえに、終楽章のハ長調の光の爆発が、めくるめくほど輝くのであって、先行する2楽章がこのように猛々しく演奏されるなら、その効果はまったく失われてしまう。

 多楽章形式の音楽、とりわけソナタや交響曲では、楽曲全体の構成やその力の配分をどうするかが、それぞれの楽章のテンポの取り方とあいまって、決定的なものとなる。こうした基本中の基本を、ラトルのような「マエストロ(巨匠)」には説くまでもないと思うが、いったいどうしたのだろう。

 こうした演奏はブラーヴォの喚声に包まれるだろうと予測したが、そのとおりであった。演奏家と聴衆が一体となってつくりあげたこの威圧的で猛々しいベートーヴェン像は、いつになったら解体することができるのだろう。盛大な喚声と拍手のなかで、ああ、ラトルよ、おまえもか、と力なくつぶやくだけであった。

『マルテの手記』の読み方

 杉山直子の新著『アメリカ・マイノリティ女性文学と母性』をいただいた。まだ全部を読みとおすにはいたってないが、中国系女性作家マキシン・ホン・キングストンを論じた第2章を読んで、いろいろと教えられ、また感銘した。なぜ第2章から読みはじめたか、それは六十一年まえの記憶と重なったからだ。

 いま私の机のうえに、茶色の絹で表装した分厚い岩波文庫が一冊置かれている。絹装丁の文庫とは、と不思議に思われるかもしれないが、粗末な表紙が破れたため、厚紙に端切れの絹を張って背を糊づけしたからだ。奥付に、『マルテの手記』昭和21年1月20日第1刷発行とあり、敗戦の翌年、苦労して手に入れた本であることを物語っている。岩波文庫の新刊があると、神保町の焼け残った一画にある岩波書店のまわりに、襤褸をまとったひとたち(いまのホームレスたちのほうがはるかにましな服装をしている)や、階級章をはがした軍服の復員兵たちが空腹をかかえながら徹夜で行列した時代である。増刷しようにも紙はなく、印刷所の大半は焼失してしまっていた。もちろん焼け野原に本屋などがあるはずもない。

 それはともかく、リルケの『マルテの手記』は私の魂を震撼させた。16歳の私にすべてが理解できたわけではないが、断片として書きこまれたあらゆる場面が、かつて読んだことのない深い内面的世界を開示したのだ。

 その『マルテの手記』が『西遊記』と並んで物語の思想的骨格となっている(なんという取り合わせだ!)、というホン・キングストンの小説『トリップマスター・モンキー』のみごとなフェミニスト批評的分析が、杉山の手で行われていた。

 この二つの本を解読するキーワードは「母性」である。『マルテ』では主人公の母親の姿や彼女のことばが、断片である全体を統合するディスクール(言説)となっていて、『西遊記』では、一見荒唐無稽な冒険譚をはるか上方から見渡している観音菩薩(中国と日本ではジェンダーは女性である)の姿が、統合のディスクールとなる。この二つのテクストをを巧妙に利用してホン・キングストンは、サンフランシスコの混沌とした現代のマイノリティ社会に生きる男性主人公に孫悟空の姿を重ね、彼の内面の混乱やアイデンティティ危機を「母性」によって救済しようとする。

 あとはこの本を読んでいただくしかないが、『マルテの手記』を「母性」をキーワードに解読することは、私にとっても大きな啓示であった。

北沢方邦の伊豆高原日記【26】

2007-06-05 23:35:22 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【26】
Kitazawa, Masakuni  
 
 季節の移り変わりが早い。朝、窓を開けると柑橘類の白い花々の甘い香りが漂う日々はあっという間に過ぎ、野生のジャスミンの同じく白い花の強烈な芳香にむせる日々も過ぎ去ろうとしている。旧五月つまり梅雨時に咲くのでその名があるサツキが、すでに満開の桃色もあれば散りはじめているものもあり、わが家にいたっては、白や赤白斑の花がやっとほころびはじめたばかりだ。ヴィラ・マーヤの紫のサツキは、まだ気もない。

 ときどき朝取り立ての有機野菜をいただく植木屋の御主人が、今朝ジャガイモとタマネギを届けてくださったが、野菜の出来がおかしく、タマネギはもう地中で芽をだしはじめているといっていた。いずれにせよ地球温暖化の暗い影といえよう。

 一ヶ月集中して本を書いた(『ヨーガ入門』平凡社新書でこの秋刊行予定)後遺症で、まだ疲れがとれない。八〇歳近い身でモーツァルトの真似はできないことを痛感したしだいである。その間に溜まった雑誌類をのんびりと読んでいるが、『ナショナル・ジオグラフィック』誌が、環境破壊に連動する地球温暖化問題に意欲的に取り組んでいるのが目についた。政治的・イデオロギー的色彩をいっさい排除して、淡々と事実を記述する同誌の姿勢は、声高でないだけに説得力がある。日本語版に掲載されているかどうか知らない(インターネットで調べればすぐわかることだ)が、ぜひ多くの人に読んでいただきたい。

アマゾンの最後 

 同誌一月号の「アマゾンの最後」と題するスコット・ウォレスの文・アレックス・ウェブの写真がすごい。「この論文を読んでいるあいだにも、フットボール場200よりも広いブラジルの熱帯雨林が破壊されている」というリードは、けっして誇張ではない。

 いま環境にやさしいとして、日本でもバイオエタノールが自動車燃料に推奨されているが、稲藁や雑草、あるいは落葉などバイオマスを原料とするならともかく、トウモロコシやサトウキビ、あるいは大豆など食料を原料にするなどとは論外である。ベネスエラのチャベス大統領が主張しているように、世界の飢えた20億人の貴重な食糧を奪うだけではなく、この熱帯雨林の破壊に直結しているのだ。

 世界最大のバイオエタノール生産国ブラジルでは、原料の大豆・トウモロコシ・サトウキビなどの価格高騰で、大企業だけではなく、零細農民にいたるまで作付け面積の拡大に狂奔している。ということは、政府の乱開発規制にもかかわらず、闇の農地拡大、いいかえれば熱帯雨林の消滅に拍車がかかっている。かつては熱帯雨林と共存していた、熱帯果樹などの植えられた牧歌的で古典的な農園は、かつての日本のバブル時代の地揚げ屋と同じ土地マフィアの脅迫的な買収で次々と失われ、土埃の舞う荒涼とした新開農地に換えられ、隣接する雨林も、これも稀少な熱帯木材を狙う林業マフィアに伐採され、荒廃し、農地に変わっていく。

 重武装したマフィアのガンマンには、政府環境省の監視団にはとうてい対抗できない。熱帯雨林を護ろうとする環境保護活動家は次々と暗殺され、ついには運動の象徴であったドロシー・スタング尼もマフィアの銃弾の犠牲となった。この流れはもはや、軍隊の動員とそれによる監視網の創設によってしか妨げることはできないだろう。

 これがグローバリズムによる資源争奪戦争の最前線なのだ。

マングローヴ林の消滅と暗闘

 同誌二月号には、これもグローバリズムによる資源争奪戦争のもうひとつの最前線からの報告が載っている。「黒い金(石油)の呪い――ニジェール・デルタの希望と裏切り」と題するトム・オニールの文とエド・ケイシの写真である。

 アフリカ中央部を西から東に流れ、大湾曲をして西へと流れを変え、大西洋に注ぐ大河ニジェールの河口付近は、かつてゆたかなマングローヴ林が広がる湿地帯であった。このデルタに点在する村落は、海水と淡水の入り混じる絶好の条件で生育する豊富な漁業資源で生活していた。船を駈って都市に魚を運び、穀類を手にする生活も恵まれていた。だが1960年代この一帯に石油が発見されてから、漁民たちは「黒い金」の呪いのもとに置かれるようになった。

 それでも原油価格が安定していた時代は、まだ牧歌的であった。だがこの十数年来、原油価格が高騰しはじめてから、それはまさに呪いとしかいいようがない状況となった。英米や西欧の石油大資本が進出し、デルタだけではなく、沖合いも海中掘削の櫓で埋めつくされ、パイプラインがマングローヴ林を伐採して縦横に走りはじめた。

 大気は余剰ガスの燃焼で汚染され、水は漏洩する原油でよどみ、大量に消失したマングローヴはもはや魚をはぐくまず、漁業は壊滅した。そうかといってハイテク化された搾油施設は技術者以外の労働を必要とせず、漁民の雇用はほとんどなかった。村落はスラム化し、貧困が大地を蔽った。中央政府の高級官僚と石油資本は癒着し、汚職が蔓延し、石油による莫大な国家収入も、この貧困の解決に投じられることはまったくなかった。

 たびたびの原油漏洩(一部はパイプラインに穴を開け、原油を盗む盗賊団による)や大気汚染に対する補償要求に発する人権運動が、現地の知識人を中心に起こったが、ほとんど成果をあげることができなかっただけではなく、活動家たちの暗殺さえもたらすことになった。。そこで一部の過激な若者たちは、武装闘争に決起するにいたった。それがMEND(ニジェール・デルタ解放運動)である。

 MENDは石油施設を襲撃し、パイプラインを破壊し、白人技術者たちを誘拐し、多額の身代金を獲得し、それを戦費として武装を強化し、組織を拡大する。警備陣や国軍との激しい銃撃戦で多くの死傷者をだすが、戦争神エグベスの加護をあらわす伝統的な赤と白の布を腕や腰に巻いた戦士たちの士気は高い(軍神である八幡〔厳島〕女神の加護をあらわす赤または白の布を鎧の下に巻いた平安朝時代や、戦前の千人針を思い起こさせるが)。

 この状況は年々深刻化し、ナイジェリアの経済と政治を深部でゆるがす事態となりはじめているが、この暴力的で経済帝国主義的資源戦争に、中国やインドあるいは韓国があえて参加し、分け前に預かろうとしている。社会主義を標榜する中国よ、おまえもか、という感を深くするが、わが国が手をだそうとしていないのがせめてもの慰めである。

WEO創設の提唱

 同誌六月号は「大氷解」という特集で、北極圏・南極圏あるいは各地の氷河の氷が温暖化によって融けだし、危機的状況であることを知らせている。十年まえまでは温暖化の元凶が、人間の手による二酸化炭素ガスの排出であることを疑う気象学者や気候学者がいたが、いまや疑うものはいない(ブッシュ政権が合衆国機関である各研究所にこうした主張やデータの発表をさせない圧力をかけたことは広く知られている)。また十年まえには誇張として批判を受けた諸データの推計が、誇張どころか現実はそれさえ超えているという恐るべき事実が明らかとなっている。

 いまや回復不可能となる大自然の限界が先にくるか、そのまえに回復可能な数値にまで二酸化炭素ガス排出を抑制できるか、時間の競争となっている。

 われわれ先進国の人間も、従来のままエネルギー消費をつづけるかぎり、非先進国のひとびとやわれわれ自身の子孫に対して、環境破壊に加担する加害者でありつづけることを自覚しなくてはならない。

 だが同時に、この資源と市場の激烈な争奪戦争を終わらせないかぎり、人類の未来は存在しないし、そのためには国家が主導するだけではなく、強力な国際機関の介在による経済と産業の構造転換、いいかえれば文明そのものの転換を計らなくてはならない。

 すでにフェア・トレードのための世界公正貿易機構(WFTO)の創設を提唱したが、今回はそのための世界環境機構(WEO)の創設を提唱したい。詳細についてはまた書く機会があるだろう。