えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

ほどほどの雨

2013-06-25 14:09:28 | 歌う

           「ほどほどの雨」

 ★『赤光』をじっくり読めというように雨音が重くなってくる夜

 『赤光』~しゃっこう~は斉藤茂吉の第一歌集。23歳から31歳にかけての作品がおさめられている。10年以上も前のことだが、「あなたは短歌を読まず、詠んででばかりいるとアナタの作品は痩せてしまう」と言われたことがあった。だれに言われたか思い出せないが、歌人なら当然知っている名歌をほとんど知らずに、詠んでばかりいたのだ。詠むというよりメールを書くように。「自在なお歌ですね」などと言われても褒められたと思っていた。気ままにやっていたので、こんなに長く短歌と付き合ってこられたのかもしれない。

 ★亀が子を産むのは六月らしわれも一編の詩を産めるか雨夜

 ★四百の窓をひらいて我の詩を待ちわびている原稿用紙

 原稿用紙を見ていると400の窓がみな「早く書いて」と私の文字を求めている。ような感じだ。

 ★雨はやみ人工池の水面はわれの笑顔をひたぶるに欲る

 いつの間にか私の行動範囲には池が消えている。いや埋め立てられて家やビルが建てられたのだ。今頃なら蓮のうす紅の蕾が見られたあの池はない。駅ビルの人工池は水だけ。その水面はわたしの笑顔をしきりに求めているのだが。
       6月25日 ほどほどの雨は止み日照り  松井多絵子  


朝日歌壇6月24日

2013-06-24 14:12:39 | 歌う

              「朝日歌壇6月24日」

<佐佐木幸綱選>
★どの道もトンネルに続く我が街は「レンコン街」と人は言ひける
                        (竹田市) 飯田 博和

 あれから半年余りも過ぎたが笹子トンネルの事故は生々しい。天井板が落下し走行中の車3台が下敷き、トンネル内での火災発生、死者は9人。旅行の折りに私がよく通るトンネルである。
 大分県竹田市の飯田博和さんはどの道もトンネルに続く街で暮らしていられる。「レンコン街」とはおもしろい見立てだが、不安を伴う。佐佐木選者の「評」は「つい先日、大分県竹田市に行き、数多くのトンネルを実見してきた」。私は竹田市を訪れたことがないので調べてみた。

 トンネルが多いのは「竹田湧水群」があるためらしい。阿蘇山系からの伏流水が水源。「日本名水百選」に選ばれている。ホタルの名所の「河宇田湧水」も知られている。岡城跡、愛染堂、観音寺 キリシタン洞窟礼拝堂、旧竹田荘などなど、竹田市に行きたい人たちが沢山のトンネルを造ったのだろう。
 竹田市は名曲「荒城の月」のモデルとなった城下町、飯田さん、アナタは素晴らしい処に暮らしていられますね。バラの木には棘があるように時々トンネルがコワイ、わかります。竹田城跡の紅葉は見事だそうですから、この秋に私はレンコンの穴をくぐり竹田市へ行くかもしれません。
    6月24日 久しぶりにレンコンを食べようかしら今夜 松井多絵子


あじさいの葉

2013-06-23 13:54:50 | 歌う

              「あじさいの葉」

 ★あじさいの葉に水羊羹をのせるとき和服の母があの世より来る
                         松井多絵子歌集『厚着の王さま』より

 水色のあじさいが青紫になっている。女なら三十路の半ば過ぎか。わたしだって三十代があった。あの頃はかなり「いい女」だったように思えるのは紫陽花のせいかもしれない。庭のあじさいの葉を一枚切り取りその上に水羊羹を置く。楕円の真緑の葉に長方形の水羊羹がよく似合う。食卓の水羊羹をながめながら、今年の前半が終わることに気づく。いつのまにか過ぎてしまった半年、わたしの好きな初夏が去って行くのだ。

 あれは4年前の今頃だったか。或る料亭の客たちが刺身に添えてあったあじさいの葉を食べ、食中毒になり入院した騒ぎがあった。刺身に添えてある紫蘇の葉はかならず食べる私が、なぜか水羊羹のあじさいの葉は食べたことがない。庭の紫蘇の葉は虫に食われて穴だらけだが、その傍のあじさいは無傷だ。絵本には紫陽花の葉につねにカタツムリがいるが、我が家の紫陽花の葉には現れない。やはり毒があるのだろう。毒があるから色を変えながら咲き続けるのか。

 ★紫陽花に毒の潜むということを知りてもやはり紫陽花が好き

   あじさいの葉にのせた水羊羹に緑茶を添えて、あの世からきてくれた母へ 「さあ、どうぞ、
   私は太りたくないから食べないの」   
         6月23日 今日はやさしい松井多絵子


わたしはトマトの信者

2013-06-22 14:03:37 | 歌う

              「わたしはトマトの信者」

 わたしの朝はトマトからはじまる。トマトの赤は日の出の赤。今日一日を元気に過ごせると思わせてくれる。夏以外は缶詰めのカットトマトを白い深皿に入れレンジで1分。今は完熟のトマトの大きな1個を細かく刻み粉チーズを振りかけながら食べる。トマトをおいしく食べるには白い器にいれること。雲のなかの太陽みたいで楽しい。朝食はトマトのほかに、パン、チーズ、ヨーグルトなど調理しない朝食。食後はクリープ入りの珈琲を2杯飲みながらテレビを見る

 トマトを食べれば体の中に陽が輝き私を元気にしてくれる {トマトはわたしの守護神}

▲トマトに含まれるリコピンは強い抗酸化作用を持ちシミの元になるメラニンの生成を抑える。

▲塩分の排出に関わるカリウムを多く含む。生食より熱したほうがよいらしい。

 つぎの歌は 斉藤茂吉のよく知られた1首。赤茄子はトマトのことだそうです。

★赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

お隣りの温室にたくさんの赤茄子が実のり、いくつかは完熟、早く召し上がったらいいのに。

♪♪♪ 梅雨晴れの昼の赤茄子あかあかと熟れすぎてなお枝にとどまる
     6月22日  2時間前に詠みました. 松井多絵子


かたわれの耳輪

2013-06-21 15:13:26 | 歌う

             「かたわれの耳輪」

★耳の輪のひとつを失くし右の耳ばかりが風のうたごえを聞く
       
 数年前の初夏、Y子は大切な真珠のイヤリングの片方を失くしてしまった。「欧州の古城をめぐる10日間の旅」でのこと。最後の日にフランスの古城での晩さん会があり、ロングドレスに真珠の首輪そして真珠の耳輪の盛装。あこがれの古城へ向かう途中で左の耳にイヤリングがないことに気づいた。折角のワインに酔えずにホテルに帰る。部屋中をさがしても見つからないまま帰国したそうである。「あのイヤリングは48000円だったの。A短歌大会に応募して選者賞をいただいたときの「私へのご褒美」 ステージで賞状を頂いたときに付けた記念の耳輪だったのだ。

 私も耳輪の片方を失くしたことがあった。トルコ石の偽物だったが紺碧の海色の片割れがしばらく忘れられなかった。左右あっての耳輪なのだ。「片割れの真珠の耳輪はどうしたの?」Y子は冷めた珈琲を飲み干してから言う。「箱に入れたままよ。見たくもないわ」

 片割れは哀しい。定年後の夫をうるさがっていたK子は、未亡人になってから夫の事ばかり話す。「うるさい夫」だったのに亡くなってからは「優しい夫」に変わってしまった。

 そうだ!耳輪の片割れはまだ役に立つ。顔の右側は髪を垂れて耳をかくす。左だけ付ければいい。ワンポイントの美。ホンモノならば一点だけ光らせればいい。 「Y子よあなたは左の横顔がいい。授賞式やフランスの古城の晩さん会をあなたと共にした耳輪のかたわれを左の耳につけてごらんなさいな」 さて私の偽トルコ石の耳輪のかたわれは何処かしら。20年前の。
           6月21日  ねむいねむい午後 松井多絵子