「あじさいと共に」
ことしの関東地方の春は早すぎる桜の満開からはじまり、すでに去ってしまった。せめて初夏はのんびり過ごしたいが。
▲あじさいの夢の道にて今しがた出会いし人に会いたくなりぬ
▲あじさいの花まだ若き寺に来て三年ぶりに亡きひとに会う
<あじさい>の語源はあづ(集まる)、さゐ(真藍)とも言われる。日本には奈良時代からあったようだが「万葉集」には大伴家持と橘諸兄の二首のみである。花の色が変わることから、「心がわり」のようで不道徳とみなされていたという説もある。あじさいが大好きな私はやはり「不良老女」なのか。花の色の変わってゆく過程、そして泡立つように咲きひろがる花々の球、まだ咲き続けてほしい。初夏を私から去らせないために。
▲紫陽花の道がおわりて振り返る今年はすでに半ばをすぎた
初夏を知らせるように咲き始めた水色のあじさいは淡い青になり、紺碧になった頃には梅雨。小雨に濡れた紫陽花はとても叙情的だ。近年あじさいの品種改良が進んでいるらしく、白い変形の花球や淡いグリーンの花など園芸店を飾っている。が今年ほあじさいの終わりも早い。
▲紫陽花はもう紫陽花ではなくなったサムライブルーが消えてしまって
6月29日 今年の前半が終わりますね。ため息の松井多和え子
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