まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

なぜ上下関係で生まれた恋は長続きしないのか

2010-02-23 23:59:59 | 性愛の倫理学
昨日書いたように
上下関係が上手く機能したおかげで、みごとに恋が芽生えたわけですが、
悲しいことにこの恋は長続きしません。
今日はその仕組みを解明していくことにしましょう。
上下の恋が急速に冷めていくのは、
男性の側と女性の側双方がそれぞれに変質を遂げてしまうからです。
それぞれの側から見ていくことにします。

まずは女性から。
というよりもこれは女性の側が一方的にどうこうという問題ではないのですが、
男女の関係には一般的に次のような法則があると思われます。
「もともとどんなに上下関係があろうとも、つきあっているうちに対等な関係になる。」
どうですか皆さん。この法則、思い当たるところはありませんか?
先輩と後輩であろうが、先生と生徒であろうが、どれほど年が離れていようが、
つきあい始めるといつの間にか、当初あったはずの上下関係はどこかへ消え失せてしまうのです。
あるいは消え失せてしまうというよりも、薄まってしまうと言った方がいいかもしれません。
それはどういうことかというと、
仕事上のことや部活のことや学業上の事柄において、知識・技能・経験に差があったとしても、
それらは人間の生活の中のほんの一部を占めているにすぎません。
いったんつきあい始めると、それら以外の日常生活の全般を共有するようになるわけです。
趣味に関すること、食事や健康に関する事柄、ファッションに関すること、
デートスポットの情報、時事問題、金銭問題、キャリアや進路選択に関する問題、
一般常識、家族やその他人間関係に関するトラブル対処法、等々。
これらすべての面で男性が常に優っているということはまずありえないでしょう。
したがって男性の優位はしだいに相対化され薄められていき、
だんだんと対等な関係に近づいていかざるをえないのです。

これに加えて、女性には相手の可愛いところを見つけようとする性向が、
生まれつき備わっているように思えてなりません。
もともと相手のことを尊敬の眼差しで見つめていたのに、
つきあっているうちにどんどん相手の弱いところ、ダメなところを探し出し、
それを 「カワイイ」 と言って愛でようとしないでしょうか、世の女性たちって。
それは男性によって一方的に支配されないための知恵 (?) なのかもしれませんし、
あるいは、相手の世話を焼いてあげるためには、ただ相手を尊敬するだけでなく、
相手を可愛いく思うということがどうしても必要なのかもしれません。
いずれにせよ、先輩男性や年上男性が相手の女性のことを可愛く思っていただけの関係から、
後輩女性や年下女性も相手のことを可愛く思う (つまり相手を下に見る) ようになっていき、
2人の関係は対等な関係へと変質していくのです。
そのこと自体は、関係の長期化に伴う不可避的なプロセスですから、
特に問題視すべきことではありませんが、
たとえそうなったとしても男性はあいかわらず、
自尊心を満たしてもらうことを求め続けているということは、
けっして忘れてはならないでしょう。
しかし、世の多くの女性はどうもあっさりそこを忘れてしまいがちなような気がするのです。
やはり 「カワイイ」 とか 「ダメな人ね」 ばかりではなく、
時には 「すっごぉい」 と言っておいてもらえないと、
男性たちは、そう言ってくれる人を新たに求め始めてしまうのではないでしょうか。

次に男性の側の問題。
これも男性云々というよりも一般的な法則として次のようなことが言えます。
「他人には上手に教えられても、身内には上手く教えられない。」
これにはさらに2つの下位法則が含まれています。
その1「仕事なら上手に教えてあげられるけど、仕事外では上手く教えられない。」
上の側に立って相手に教えてあげるというのはけっこう大変だし面倒なので、
仕事でなければやっていられないということがまずあります。
仕事上の付き合いの場合、相手に教えることが自分のチームの成果に影響してきますので、
そもそも教えないわけにはいきません。
そうやって教えていると自尊心が満たされていい気分になり、
さらに教えていくこともできるわけですが、
いずれにせよ仕事に関わる部分でしょう。
もちろんさらに進んで趣味の分野でもなにか教えてあげられれば、
それはたいへんけっこうなことですが、
趣味が同じとは限りませんし、上述したように、
趣味の分野に移ったとたんに相手の方が詳しくなるということもありえるでしょう。
いずれにせよ教えるというのは大変な作業ですので、
たとえ教えてあげられるような何かを持っていたとしても、
仕事がらみでなく教えてあげるというのはけっこう鬱陶しいことなのです。
学校ではいい教師なのに、
家で自分の子どもに教えているとヒステリックになってしまって、
上手に教えてあげることができないという先生の話はよく聞くのではないでしょうか。

しかし、より重要なのはもうひとつの下位法則です。
その2「身内のことはわかっている気になってしまうので、
     きちんと相手のことを理解してあげる努力を怠ってしまう。」
これは決定的です。
前回、相手のことをきちんと把握しないと上手く教えてあげることができないと書きました。
身内の場合、相手のことはもう十分にわかっているという過信がありますので、
ついこの部分を軽視してしまい、上手く教えられなくなるわけです。
しかも、男女関係に話を戻すならば、
相手に教えてあげるために相手のことを理解しようと努力するという部分が、
共感してあげる努力に似ているために、女性は愛されていると感じられたわけです。
しかし私は実はこの2つは別物であるだろうとも書きました。
つまり、この段階で男性がやっていたのは、
実は共感ではなくて、情報収集にすぎなかったのです。
情報収集は、情報が集まればもう必要なくなります。
つきあいが長くなれば長くなるほど、情報がすでに十分集まっていますので、
男性は相手の話を聞く必要がなくなっていきます。
ですから、ふたことみこと聞いただけで、
ああ、それはあれの話ね、そういうときはこうすればいいよ、
とすぐに教えに入ってしまうのです。
これでは女性の共感してもらいたいという欲求はけっして満たしてもらえないでしょう。
こうして女性はもう愛してもらっていないという不満を募らせていくことになるのです。

男性はもはや自尊心を満たしてもらうことはなく、
女性はまったく共感してもらえなくなってしまうのです。
この関係が破綻するのは目に見えていると言えるでしょう。
当初の上下関係のことを忘れて、
互いに相手のことを尊敬してあげたり、共感してあげたりすることができるならば、
その関係は長続きしていくかもしれませんが、
関係が変質するということすらわからないまま、
関係成立当初のあの蜜月の関係を懐かしく思っているだけだったとしたら、
2人の恋に未来はないでしょう。
2人の関係をどう進展させていくのかいかないのか、
互いの覚悟を確かめておく必要があると思います。