以前にせっかく作った文書ファイルを消去してしまってはいけないという話を書きました。
今回はさらにそれの進化形です。
みんながふだん書くレポートぐらいではどうだかわかりませんが、
一般的な文系の論文 (10,000字~20,000字くらい?) や、
卒論 (だいたい40,000字以上でしょうか) などのように、
ある程度長い文章を書くときって、
執筆にけっこう時間がかかりますし、
そのあいだに何度も、章立ての変更や文章の書き直しをすると思います。
そんな中で、せっかく書いたけれどけっきょく使えなくて、
ごっそり削除しなきゃいけないことってないですか?
卒論指導を受けていて、指導教員の先生が、
「この章 (節、段落) は前後のつながり悪いから要らないんじゃない?」
なんてあっさり言ってきたりして。
文章書くのって、書いてみないとわからないことがたくさんありますから、
すべてが最初から計算通りに、必要なことを必要なだけ書いて書き終わる、
なんていうことはまずありません。
頭の中にあるもやもやとしたものをとにかく文章化してみて、
書けたものを読んでみて初めて、ああこれは必要だった、
これはちょっと論点がずれていた、とかが判明するわけです。
ただし、必要がなかった部分というのは、
今書いているその論文の中のその文脈の中では必要なかった、というだけの話で、
それ自体はあなたの頭の中にあったことですから、
あなたが書きたいことではあるわけです。
とはいえ、残念ながらこの論文では使えないわけですから削除しなくてはなりません。
さて、そんなとき皆さんはどうしているでしょうか?
Delete ボタンを押し続けてダーッと消していきますか?
それが一番もったいないやり方です。
そういうときはマウスで範囲指定して、「切り取り」 するようにいたしましょう。
万一気が変わったときは、すぐであれば 「元に戻す」 ことができますから。
最初のやり方でも 「元に戻す」 ことはできるのですが、
「元に戻す」 のは回数制限がありますから、
1字ずつ消してしまうと、字数分だけ回数カウントされ、
字数によってはすべての文字を復元できない可能性があります。
「切り取り」 であれば、全体の切り取りが1回とカウントされますから安心です。
しかし、私のオススメはもっと別の方法です。
それが 「余滴ファイル」 を作るというやり方です。
例えば、「規定的判断力の自由」 という論文を書いていて、
なにか削除しなきゃいけない部分が出てきたら、
先の方法で、範囲指定して 「切り取り」 したあと、
すぐに新しいファイルを開いて、そこに切り取った文章を 「貼り付け」、
そのファイルに 「規定的判断力の自由(余滴)」 というような名前をつけて保存するのです。
その後も削除しなきゃいけない部分が出てくるたびに、
その余滴ファイルに貼り付けて保存していきます。
つまり、せっかく思いついて文章化もしたけれど、その論文では使えなくなったものを、
そのまま闇に葬り去ってしまわないできっちり取っておく、という方法です。
今の文脈では使えなかったけれど、構想はまた変わるかもしれないので、
そのときに必要になってくるかもしれませんし、
たとえこの論文ではもう出番はなくとも、別の論文を書くときに使えるかもしれません。
そう考えると余滴ファイルはアイディアの宝庫なわけで、
これを保存しておかずに、削除部分を切り取ったあとそのまま上書き保存して、
どんどん先に書き進めていってしまうというのは、
なんともったいないことだろうと思います。
私の座右の銘 「書き留めなければ何も起こらなかったも同じこと」 というのは、
紙ベースの頃の言い方であって、
パソコン文書作成の時代はこう言い換えなければいけないのかもしれません。
「書いて、さらに保存しなければ何も起こらなかったも同じこと」
ちなみに 「余滴」 という言葉は、
高名なカント研究者である高峯一愚先生の著書のタイトル
『断思断想 カント研究余滴』 で初めて知りました。
高峯先生は長年カントを研究してきて、
『カント純粋理性批判入門』、『カント実践理性批判解説』、『カント判断力批判注釈』
といった本格的な研究書を出版されてきたわけですが、
その御自分のメインストリームにはまらなかった、
そのつどいろいろな場で発表してきた小論を集めた論文集を 「余滴」 と名づけられたのです。
この 「余滴」 という言葉のイメージが気に入って、使わせてもらっています。
私の場合、余滴はいいからその前にまずメインの仕事をとっとと形にしろよ、
という意地悪な声が聞こえてくる気がしますが、
まあいずれの御時にか、余滴ファイルの中から私の主著が、
むくむくっと生じてくることを期待しましょう。
今回はさらにそれの進化形です。
みんながふだん書くレポートぐらいではどうだかわかりませんが、
一般的な文系の論文 (10,000字~20,000字くらい?) や、
卒論 (だいたい40,000字以上でしょうか) などのように、
ある程度長い文章を書くときって、
執筆にけっこう時間がかかりますし、
そのあいだに何度も、章立ての変更や文章の書き直しをすると思います。
そんな中で、せっかく書いたけれどけっきょく使えなくて、
ごっそり削除しなきゃいけないことってないですか?
卒論指導を受けていて、指導教員の先生が、
「この章 (節、段落) は前後のつながり悪いから要らないんじゃない?」
なんてあっさり言ってきたりして。
文章書くのって、書いてみないとわからないことがたくさんありますから、
すべてが最初から計算通りに、必要なことを必要なだけ書いて書き終わる、
なんていうことはまずありません。
頭の中にあるもやもやとしたものをとにかく文章化してみて、
書けたものを読んでみて初めて、ああこれは必要だった、
これはちょっと論点がずれていた、とかが判明するわけです。
ただし、必要がなかった部分というのは、
今書いているその論文の中のその文脈の中では必要なかった、というだけの話で、
それ自体はあなたの頭の中にあったことですから、
あなたが書きたいことではあるわけです。
とはいえ、残念ながらこの論文では使えないわけですから削除しなくてはなりません。
さて、そんなとき皆さんはどうしているでしょうか?
Delete ボタンを押し続けてダーッと消していきますか?
それが一番もったいないやり方です。
そういうときはマウスで範囲指定して、「切り取り」 するようにいたしましょう。
万一気が変わったときは、すぐであれば 「元に戻す」 ことができますから。
最初のやり方でも 「元に戻す」 ことはできるのですが、
「元に戻す」 のは回数制限がありますから、
1字ずつ消してしまうと、字数分だけ回数カウントされ、
字数によってはすべての文字を復元できない可能性があります。
「切り取り」 であれば、全体の切り取りが1回とカウントされますから安心です。
しかし、私のオススメはもっと別の方法です。
それが 「余滴ファイル」 を作るというやり方です。
例えば、「規定的判断力の自由」 という論文を書いていて、
なにか削除しなきゃいけない部分が出てきたら、
先の方法で、範囲指定して 「切り取り」 したあと、
すぐに新しいファイルを開いて、そこに切り取った文章を 「貼り付け」、
そのファイルに 「規定的判断力の自由(余滴)」 というような名前をつけて保存するのです。
その後も削除しなきゃいけない部分が出てくるたびに、
その余滴ファイルに貼り付けて保存していきます。
つまり、せっかく思いついて文章化もしたけれど、その論文では使えなくなったものを、
そのまま闇に葬り去ってしまわないできっちり取っておく、という方法です。
今の文脈では使えなかったけれど、構想はまた変わるかもしれないので、
そのときに必要になってくるかもしれませんし、
たとえこの論文ではもう出番はなくとも、別の論文を書くときに使えるかもしれません。
そう考えると余滴ファイルはアイディアの宝庫なわけで、
これを保存しておかずに、削除部分を切り取ったあとそのまま上書き保存して、
どんどん先に書き進めていってしまうというのは、
なんともったいないことだろうと思います。
私の座右の銘 「書き留めなければ何も起こらなかったも同じこと」 というのは、
紙ベースの頃の言い方であって、
パソコン文書作成の時代はこう言い換えなければいけないのかもしれません。
「書いて、さらに保存しなければ何も起こらなかったも同じこと」
ちなみに 「余滴」 という言葉は、
高名なカント研究者である高峯一愚先生の著書のタイトル
『断思断想 カント研究余滴』 で初めて知りました。
高峯先生は長年カントを研究してきて、
『カント純粋理性批判入門』、『カント実践理性批判解説』、『カント判断力批判注釈』
といった本格的な研究書を出版されてきたわけですが、
その御自分のメインストリームにはまらなかった、
そのつどいろいろな場で発表してきた小論を集めた論文集を 「余滴」 と名づけられたのです。
この 「余滴」 という言葉のイメージが気に入って、使わせてもらっています。
私の場合、余滴はいいからその前にまずメインの仕事をとっとと形にしろよ、
という意地悪な声が聞こえてくる気がしますが、
まあいずれの御時にか、余滴ファイルの中から私の主著が、
むくむくっと生じてくることを期待しましょう。