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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

福山雅治の福島応援歌

2011-12-13 19:22:19 | 幸せの倫理学
先日久しぶりに、カラオケで福山雅治の 「Peach」 を歌いました。

昔はよく歌っていたのですが、最近では 「Gang★」 や 「化身」 など、

もろエロい曲に取って代わられてあまり歌うことがなくなっていました。

ところで、90年代の福山の曲って、この曲や 「HELLO」、「Message」 など、

歌詞の中にタイトルがまったく出てこない曲がいくつかありますね。

特にこの曲は、歌詞を全部歌い終わってみても、

なんで Peach なのかがサッパリわかりませんでした。

しかし今回、震災後に初めてこの曲を歌ってみて、

この曲は福山雅治の予言の歌だったのではないかと気づきました。

Peach というのは福島のことを意味していたのではないか、と。

彼はこのたびの大震災や原発災害をすべて予知していて、

福島のための応援歌を10年以上も前に作っておいたのではないでしょうか。

Wikipedia を見てみると、Peach というのは女性のお尻をイメージしていたと書いてありますが、

しかし、あの歌詞と女性のお尻とは全然ピッタリ来ないじゃないですか。


「(Tu Tu Tu) 負けるもんか

 (Tu Tu Tu) 立ちあがれ

 (Tu Tu Tu) 愛のため

 (Tu Tu Tu) 逃げるもんか

 (Tu Tu Tu) 負けるもんか

 (Tu Tu Tu) 立ちあがれ

 (Tu Tu Tu) 愛のために



どうです。

お尻の歌なんかじゃないでしょう。

これはゼッタイに今の福島のために捧げられた曲だと思うのです。

うーん、すごいなあ、福山雅治

彼は予言者だったんだ。

ただのエロの師匠じゃなかったんだな。

これからも福島のためにこの曲を歌い継いでいかなければっ


「世界はもだえてる

 ボクたち さあ どうする

床屋の男の子

2011-12-07 08:00:59 | 幸せの倫理学
昔、床屋で、お母さんに連れてこられた、

幼稚園児くらいの可愛い男の子と隣り合わせたことがありました。

私を担当していた理容師さんの、母親と思われる初老の女性がその子の担当になり、

子どもを退屈させまいとその子にいろいろと話しかけていました。

しかし、アンパンマンの話をしてもディズニーランドの話をしても、その子はいっこうに乗ってきません。

困り果てた様子で彼女はその子にこう問いかけました。

「ぼくの一番好きなものはな~に?」

それでも押し黙っていた彼に、その子のお母さんがたまりかねて言いました。

「カズヒロ、好きなものあるでしょ。おばさんに教えてあげて。」

彼はさらに一瞬ためらってから、厳かに一言だけ発しました。











「オクラ。」










可愛い男の子が口にしたあまりにも意外な名詞に私は腹がよじれそうになりましたが、

顔を背けながらなんとか笑いをこらえました。

お母さんの 「あんた、何言ってんの。もっと他に好きなものあるでしょ」 とか、

その女性の 「オクラって美味しいわよねぇ」 という空しいフォローが続きましたが、

その後もとうとう話が盛り上がることはありませんでした。

私はただひたすら自分の散髪が早く終わって、どこかで大爆笑したいとだけ願っていました。

あのときのその一言を思い出すと今でも私は笑えてくるのですが、

はたしてこれだけの状況説明でその可笑しさを皆さんにお伝えできたのか自信がありません。

カラオケ・ルール

2011-10-28 11:46:18 | 幸せの倫理学
昨日はゼミ飲みでした。
4年生の就職祝いと3年生の新歓を兼ねた久しぶりの飲み会です。
前期のあいだは倫理学ゼミには4年生1名、大学院1年生1名ずつしかおらず、
しかも4年生は就活に追われていましたから、
なかなか、よーし飲みに行こう! というノリにはなりませんでした。
(けっして男ばっかりだったからその気にならなかったというわけではありません)
後期になって、3年生が男子1名、女子3名入ってきてくれて、
私を入れて総勢7名となり、飲み会を開くのにいい人数になってきました。
というわけで昨日は日本酒の師匠の店 「麦のはな」 で鍋パーティとなりました。
カツオとしめ鯖の刺身、焼き餃子、サンマの塩焼き、水炊きなどなどをたらふく食べ、
飲み放題つきで3,500円というのは満足度が高いです。
残念なのは若者中心のメンバーだったので日本酒を飲まなかったことですが、
まあそれはまた別の機会に日本酒好きな人とゆっくり飲みに来ることにいたしましょう。

さて、一次会が終了し、ひとりは明日の朝が早いということで帰っていきましたが、
残りの6名でどこに行こうかという話になり、SHIDAXに歌いに行くことになりました。
私はスナックとかではよく歌っていますが、カラオケボックスに来るのは本当に久しぶりです。
今年の倫理学ゼミ生はみんな上手で、それぞれ独自の世界をもっており、
これからもたびたび歌いに来ることになるのではないかと予感させられました。

ところで、カラオケボックスとかに行った場合、
私はみんながどんなふうに曲を入れるのかをそーっとチェックしていたりします。
みんなに薦められてもなかなか入れようとしない人、
リモコンを独占して自分の歌いたい曲を探し続け、入れ続け、歌い続けている人など様々です。
私としては次の3つのカラオケ・ルールを自分に課しています。
1.人が歌っているときはちゃんと聞く。
2.みんなが均等に歌っているか気を配りながら、自分の曲を入れるようにする。
3.全然歌っていない人や、みんなよりもあまり歌っていない人がいたら曲を入れるように薦めるが、
  本人がそんなに歌いたがっていないならばムリ強いはしない。
カラオケにおける自分のモットーみたいなものです。
あくまでも自分のモットーにすぎないので、このルールを人に強制したりはしません。
チェーン・カラオケ状態の人がいたとしてもそれを責めたりするわけではないのです。

さて、初めてのメンバーでカラオケボックスにやってきて、
この新しい倫理学ゼミのみんなはどんなふうに振る舞うのかなあと見ていたら、
誰も何も言ったわけでもないのに、それはもうみごとに統制が取れていました。
全員がカラオケ・ルールの1と2をみごとに遵守しているのです。
自分が歌い終わったら、人の歌もちゃんと聞き、拍手や手拍子などで盛り上げ、
その人の歌を褒め、その曲やアーティストについて思い出を語り、
そして、他のみんなが曲を入れ終わったのを確認してから次の曲を入れる、
という行動を6名全員が守り続けていたのです。
特にカラオケ・ルールの2ですが、これを守り続けるとどうなるか?
最初1巡目に歌った順番がまったく入れ替わったりすることなく、
2時間のあいだ毎回毎回同じ順番で全員が歌い続けたのです。
それはもうみごとなものです。
こうなるとカラオケ・ルールの3はまったく必要ありません。
そして、カラオケ・ルール1もきっちり守られていますので、
ただ自分が歌いたい歌を歌うだけではなく、
カラオケがみんなのコミュニケーション・ツールとなっています。
こんなに気持ちよく楽しいカラオケは生まれて初めてだったと言ってもいいのではないでしょうか。

うーん、さすがは倫理学ゼミだっ!
カラオケすら倫理的なのか?
みんなはいつも友だちと歌うときも、こんなふうなのでしょうか?
それとも昨日はゼミの先生との初歌だったので、
遠慮していてたまたまああなったというだけなのでしょうか?
もう少し打ち解けた頃にまた、今度は全員で歌いにいき
今回の出来事がたんなる偶然だったのか、
それとも全員が本当に倫理的な人なのか確かめてみたいと思います。

福島の熱い土曜日

2011-10-21 08:01:56 | 幸せの倫理学
       

この週末は 「復興マルシェ」 が開催されます。

昨年行けなかった 「街なかマルシェ」 が、

今年は 「震災復興」 をタイトルに掲げて大々的に行われるようです。

農産物を販売するばかりでなく、生産者と消費者が直接語り合える、

「ファーマーズカフェ」 という場が設けられたり (「てつがくカフェ」 のパクリでしょうか?)、

放射能検査のデモンストレーションなんかも行われるようです。

22日 (土) と23日 (日) の2日間、街なか広場で10時から4時まで開催されますので、

今年はぜひ行ってみたいと思います。



22日 (土) にはさらに 「福コン2」 も開催されます。



あの 「福コン」 の第2回ですね。

まさか年内にまた開催されるとは思っていませんでした。

第1回のときは人が集まりすぎてお店に入れず通りに人が溢れるという事態が多発していましたが、

今回はあのときの教訓を踏まえてシステムは改善されているのでしょうか、気になるところです。



そして、22日はなんといっても 「てつがくカフェ@ふくしま 特別編」 があります。



明日は福島の熱い土曜日になりそうですね。

お昼には 「復興マルシェ」 でうどんや焼きそばを食べ福島の野菜を買い、

2時までに西口に移動してビューホテルで福島の未来についてテツガクし、

頭と口の回転が鋭くなったところで東口に戻って 「福コン2」 に参戦するというのが、

この土曜日に福島を満喫するフルコースではないでしょうか。

たぶん 「てつがくカフェ」 の打ち上げがあるので、私は 「福コン2」 には参加できないと思いますが、

マルシェと哲カフェは堪能してきたいと思います。

皆さんもぜひ福島の熱い土曜日をお楽しみください。

四苦八苦

2011-08-10 07:18:47 | 幸せの倫理学
このブログのなかに 「生老病死の倫理学」 というカテゴリーを設けています。
最初は 「生と死の倫理学」 というタイトルで起ち上げたのですが、
そのうちに病気や老いの問題も扱わなければということになって 「生老病死」 に拡張しました。
この生老病死というのが、仏教が説く人間の根本的な四苦であるということは、
皆さんよくご存知のことでしょう。
さらに、この四苦で終わりではなく、「四苦八苦」 という言い方もあって、
人間の苦しみはもっとたくさんあるということもたぶんご存知でしょう。
しかし、じゃあ八苦を全部言えと言われてスラスラ答えられる人はどれくらいいるでしょうか。
私も初めて知って以来、そのうちの2つはとても印象的なのですぐに覚えられましたが、
残りはなかなか覚えられずにいました。
しかし、先日の放送大学における対面授業 「生老病死の倫理学」 のときに、
Wikipedia で調べていって話をしたのをきっかけにやっと全部覚えることができました (たぶん)。
皆さんもこの機会にぜひ覚えてみてください。

まず、「四苦八苦」 と言われると四苦のほかにあと8つ苦しみがあるように思われがちですが、
そうではなく、四苦プラスあと4つの苦で合わせて八苦だという仕組みを知っておきましょう。
だから生老病死のほかにあと4つだけ覚えればいいのです。
そう考えると気が楽になりますね。

さて、残りの四苦はすべて4文字熟語になっており、それが覚えにくさの最大要因です。
元の四苦のほうは生苦、老苦、病苦、死苦とそれぞれ二字熟語で、
しかも 「生老病死」 という4文字熟語さえ知っておけば全部クリアですから、
私なんかでも簡単に覚えられてしまうのですが、
それに対して4文字熟語を新たに4つも覚えなければならないというのは、
やはり記憶に障害を抱えた者にとってはハードルの高い仕事になります。

まずは、私でもすぐに覚えられたインパクトの強い2つからいきましょう。
内容的にも 「あるある、その苦しみ」 と思えるようなものなので覚えやすいと思います。
最初は 「愛別離苦 (あいべつりく)」。
愛する者と別離する苦しみです。
これはツライですね。
1年間くらい悪夢を見続けちゃいそうですね。
誰でも思い当たることがあるでしょう。
漢字もそのまんまですね。

続いて 「怨憎会苦 (おんぞうえく)」。
怨みや憎しみを抱くような相手に会ってしまう苦しみです。
私は個人的にはそういう相手に出会ったことはありませんが、
小説や映画などでそういったケースはいくらでも取り上げられていますから、
その手の苦しみがあることを想像するのは難しくありません。
おどろおどろしい音の響きと漢字のインパクトが強烈に記憶に残ります。

3つ目はこのあいだやっと覚えたばかりですが、
意味も漢字もわかりやすいので、ちゃんと覚えようとさえしていれば、
もっと簡単に覚えられたかもしれません。
「求不得苦 (ぐふとくく)」 です。
求めるものが得られない苦しみです。
これも 「あるある」 という感じですね。
求めても得られないもの、たくさんありすぎます。
私が以前に書いた 「幸福になる方法」 は、
求不得苦を避けるための方法だったと言えるかもしれません。

最後が 「五陰盛苦 (ごおんじょうく)」 です。
これは本当に覚えにくいです。
「五蘊盛苦 (ごうんじょうく)」 とも言うらしいですが、
「蘊 (うん)」 なんていう漢字はまず書けるようになると思えませんから、
こちらはゼッタイに覚えられないでしょう。
それと比べると、五陰盛苦はまだなんとかなりそうな気もします。
意味がまた難しいです。
詳しい説明は Wikipedia にお任せしてしまいますが、
「五蘊 (五陰)」 というのは色・受・想・行・識という5つの心身の働きのことで、
心身が活動しているだけで次から次へと湧き起こってくる苦しみが五陰盛苦です。
「受 (しゅ)」 や 「想 (そう)」 や 「識 (しき)」 の説明を読んでみると、
私が 「受け止め方のゲーム」 と呼んでいる話は、
五陰盛苦をコントロールするための方法だったのかもしれないと思えてきます。

さて、四苦八苦のうちの生老病死以外の残りの4つ、覚えられたでしょうか?
・愛別離苦
・怨憎会苦
・求不得苦
・五陰盛苦
の4つです (読めましたか?)。
ぜひ覚えて、飲み会の席などで蘊蓄を披露してみましょう。
(おっと、五蘊のウンは蘊蓄 (うんちく) のウンだったのか…)
最初の2つはなかなか脱却が難しそうですが、
求不得苦と五陰盛苦の2つは完全にはなくせないまでも、
軽減することはできるのではないかという気もしなくもありません。
成仏 (輪廻転生の無限循環から解脱する) なんていう方法ではなしに、
四苦八苦をコントロールできるようになれると幸せに生きられるのですが…。

38日後の松川浦

2011-04-18 21:02:37 | 幸せの倫理学
福島大学よりも一足先に、相馬の看護学校が今日から授業開始になりました。
相馬の看護学校は3月11日も授業をやっていて、授業中に被災し、
そのまま昨年度は終了し、今日がそれ以来の再開&再会だそうです。
その授業再開の初日にさっそく 「哲学」 の授業です。
あんな大災害があったあとですが、「哲学」 の授業はいつも通りに始めることになりました。
「哲学の先生に聞きたいこと」 もやりましたので、
追い追い 「哲学ファック」 にもお答えしていきたいと思います。

さて今日は授業の前に、松川浦に寄ってきました。
いつもなら松川浦に行ったら、美味しい地場の魚料理を食べたり、
市場で魚を買ったりしていたのですが、
その松川浦も大きなダメージを受けてしまいました。
あれから40日近くが経っていますが、今どうなっているのか、
相馬に行くこの機会に、サッとでもいいので見ておきたかったのです。

115号線で相馬にたどりついたら、そのまま市街地を抜けて松川浦方面に向かうのですが、
まだ市街地のうちにこんな光景に出くわしました。



ここらあたりはまだだいぶ内陸ですので、地震による被害でしょう。
車庫になっていた家屋の手前部分が倒壊して車を押しつぶしてしまったのでしょうか。
やはり私たちが中通りで体験したのとはレベルの違う揺れに襲われたのだと思われます。

そのまま直進し、6号線を横切ってさらに海に向かいます。
相馬の市街地から松川浦まではけっこう距離があります。
まだまだ海岸は先だよなあと思っていたら、突然道路の横にこんな光景が見えてきました。



なんでこんなところまでというぐらい、このあたりはまだまったく海の気配のないところです。
これでビックリしていたら、そのすぐ先にもっと驚くべき光景がありました。



よくわかりにくいですね。
帰りがけに反対側から撮ったのがこれです。



先ほどのはボートというくらいの大きさでしたが、こちらは完全に漁船でしょう。
ものすごい大きさです。
それがこんなところまで流されてきてしまっているのです。
これには唖然としてしまいました。
そのエネルギーはまったく測りしれないほどです。

さらにしばらく走ってやっと松川浦に着きました。
道もあちこち損傷していて、スムーズには走れない状況です。
ただ、海辺の家屋などはもちろんその多くはダメージを受けているのですが、
根こそぎ流されてしまっているというほどではないようです。
松川浦という地形が津波からある程度守ってくれたのかもしれません。
とはいえ、先ほどの漁船があんなところまで流されてしまったくらいの被害はあったわけですから、
やはりその爪痕はあちこちに残されています。



左側が海 (内海?) ですが、左側の船も座礁しているのですが、
道をはさんで右側にも船が上陸してしまっています。
さらに目を転じると松川浦の中にこんな光景が…。





言葉を失います。
震災から1ヶ月以上が経ってもなお、
こんなショッキングな光景を目の当たりにするとは思っていませんでした。
ほんのわずかのあいだ見て回っただけですが、
その威力の凄まじさにすっかり憔悴してしまいました。

しかしながら、もっと驚いたのは、
これだけのダメージを受けながらも、松川浦の人々がこの地で生活再建を始めていることでした。
海辺にある家屋では多くの方々が瓦礫の片づけをしていました。
その近くでは集団下校の子どもたちの列ともすれ違いました。
地震にも津波にも負けることなく、少しずつ普通の暮らしが再開され始めているのです。
自然の力の脅威とともに、人間の力の逞しさも感じられた松川浦探訪でした。

福島大学震災義援金

2011-04-07 15:33:23 | 幸せの倫理学
昨日の記事に対してコメントを頂戴しました。

「福島大学震災義援金」 が発足したという情報提供でした。

これは震災詐欺とかではなくちゃんとした正式のお話です。

福島大学の公式ホームページで確認することが可能です。


「福島大学震災義援金の受け入れについて」(PC版)

「福島大学震災義援金の受け入れについて」(携帯版)


コメントにもあったとおり、これは福島大学の復興のみを目的としている義援金ですが、

賛同いただける方はなにとぞ御協力のほどよろしくお願い申し上げます。

たしかに私、このところ毎晩飲み歩いております (誰に見られてるんだろう)。

これは、経済的に壊滅的な被害を被った福島の飲食店街の復興支援のためにやっていることなので、

力の続くかぎり (金力、体力、肝臓力…) がんばっていきたいと思いますが

それはそれとして、私も本学の学生のために微力ながら協力できればと思っております。

エイプリルフール中止

2011-04-01 08:57:16 | 幸せの倫理学
今日は4月1日、エイプリルフールですが、

こんな大災害が起こった直後に嘘をつくなんて不謹慎だということで、

日本全国でエイプリルフールは中止になったそうです。

「エイプリルフール見送り」

こういうときだからこそ、ちょっとした笑いや心の余裕が必要だと思うのですが、

頭の固いお偉いさんたちの決めることはホントに的外れですね。




P.S.

ちなみに 「不謹慎」 という言葉も不謹慎だということで、

文化庁は使用の自粛を決めたそうです。

「『不謹慎』 自粛を要請」

まったく…。

変わったこと、変わらなかったこと (その2) ・ うちの3姉妹

2011-03-27 20:13:04 | 幸せの倫理学
3月11日以降 (正確には停電が解消した3月12日以降)、
とにかくよくニュースを見るようになりました。
情報がないというのは本当におそろしいことで、
自分が中通りで見聞きしたこと以外、
今回の震災の全貌がどんなものだったのかというのはまったくわからなかったわけで、
東北全土で実際にはどんなことが起こっていたのか、
それはもうイヤというほどニュースを見まくりました。
それに当時も今も福島に関してはずーっと発災中なわけで (福島だけではすみませんね)、
福島原発がどうなっているのか、どうなっていくのか、
それはもう眼を皿のようにしてウォッチし続けていなくてはならないわけです。

それにしても今回の震災がもたらした、想像を超えた被害の足跡と、
一歩進んでは三歩くらい後退しつつ、どんどん悪化していく原発の様子を、
毎日のように追いかけていると、どんどん気が滅入っていき、
さすがのポジティブ・シンキングの私もどんよりした暗い気分に沈んでいってしまいます。
これはすこぶるマズイ状態で、なんとか気分を盛り上げなくてはなりません。
ブログの師匠のお友だちの言葉は、その意味でものすごーくよく理解できます。
「お願い、何か前向きになれるメールちょうだい」
師匠はこれに答えるようにその後たくさんの前向きな情報を発信してくださっていて、
それにはたいへん勇気づけられました。
この場を借りて御礼申し上げます。

そんななか、最近になって新たに私の習慣となったことがあります。
それがこれ ↓ ですっ!

変わったこと (その2) ・ うちの3姉妹

短歌の師匠のブログで紹介されていて初めて知り、
私もこのブログで一度取り上げたことがありますが、
松本ぷりっつという漫画家さんの子育てマンガブログ 「うちの3姉妹」 です。
何が習慣になったのかというと、これを片っ端から読むことにしたのです。

前はカテゴリーごとに攻めてあれやこれや読んでいましたが、
とにかく2005年から始まっているブログで蓄積が膨大で、
とてもじゃないけど全部見るのはムリだろうなあと思っていたのです。
しかし、今回こういう事態が起きて、とにかく笑いとポジティブな気持ちを求めていたときに、
たまたまここを見に行って、This Is It ! と思ったのです。
それ以来、カテゴリーごとに拾い読みしていくのではなく、
過去のアーカイブに行って、2005年10月の第1回めから全部読み始めたのです。
だいたい1日に1ヶ月分だけ見るようにしています。
ついつい後を引いてもっと見てしまうときもありますが、
1日のなかのどこかの時点で、これを見てげらげら笑うという時間を設けるようにしたのです。
これはけっこう自分的にはいい習慣だと思います。
そういう時間をむりやりにでも作っておかないと、
こんな状況下では精神が参ってしまうでしょう。
それに子どもの話というのはめちゃくちゃ癒やされます。
そして彼らの中にこそ、未来と希望と夢があるという気がしてきます。
最近、落ち込みがちだという皆さん、騙されたと思ってぜひご覧になってみてください。

変わったこと、変わらなかったこと (その1) ・ 毎日の朝シャン

2011-03-25 05:26:37 | 幸せの倫理学
今回の震災がもたらした壊滅的被害から比べると、
福島県中通りは比較的、被害が少なくてすんだと言えるのかもしれません。
本とともに暮らしている私は、大学でも自宅でも、
大量の本が部屋中にひっくり返るという被害に遭いましたが、
この大災害の中でそれくらいですんだことはむしろラッキーでした。

しかしながら、それくらいですんだ福島県中通りであるにもかかわらず、
ライフラインの復旧にはものすごく手間取り、
公共交通網にいたっては未だに復旧する目処が立っていないというところに、
今回の震災の爪痕の深さを感じることができます。
福島駅のそばの我が家は、翌日には停電から解放されましたが、
水道は1週間以上回復せず、ずっと断水したままでした。
電気 ・ ガス ・ 水道 (うちはオール電化なのでガスは関係ありませんが) という、
現代生活の根本を支えるライフラインのうち1つでも欠けるとどうなるのかということを、
今回の震災によって実体験として思い知らされることになってしまいました。
一度でもこういう経験をしてしまうと、
それまでのごく当たり前の日常生活のありようがガラッと変わってしまいます。
私個人に関しての話ですが、今回の経験を経て変わったことと、
変わらなかったことを順次記していきたいと思います。


変わったこと (その1) ・ 毎日の朝シャン

もともと私は寝ぐせがつきやすい体質 (髪質?) なので、
朝起きるとたいてい髪がしっちゃかめっちゃかになっています。
これを元通り修正して何事もなかったかのように出勤するためには、
一度完全に頭を濡らしてドライヤーをかけ直さなければなりません。
毎朝必ずそれをしなければならないわけですから、
夜お風呂に入ってシャンプーしドライヤーで乾かすのはムダ以外のなにものでもありません。
というわけで、私はだいぶ以前から朝シャン派でした。
お風呂にシャワーがついているのが当たり前になった頃から、
(昔は家庭のお風呂にシャワーなんてなかったんですよ)
夜の入浴はやめて、朝シャワーを浴びてシャンプー ・ セットをするという生活になりました。

ところが、今回の長期断水により、朝シャンどころか、
シャワーを浴びることもできなければ、
お風呂に入ることもできないという生活を強いられることになりました。
けっきょく丸々1週間、風呂もシャワーもなしで生きたことになります。
つらつらと思い返してみるに、これは私の長い人生の中でも完全に初めての経験です。
これはツラかったですねぇ。
食べるものや飲み水に困っている方々もおられることを考えれば、
これくらいどうということないじゃないかと理性的には理解できるのですが、
感覚的、肉体的にはやはりツライものはツライです。
これだけ長期化すると、髪の毛を中心として身体中から放たれる異臭には、
自分の鼻がそのうち慣れてきてしまいましたし、
(うしろから風に吹かれるとときどきツンと臭いますが)
こんなに頭を洗わずにいると、髪の毛がペッタリしてきて、
寝ぐせなんて問題にならなくなってくるのだなという発見もありましたが、
とにかく自分の身体がイヤでイヤでしょうがないという感覚に苛まれました。

1週間の耐乏生活ののち温泉に行って久しぶりに髪と身体を洗い、
湯船にゆっくりつかったときには、本当に心からの幸せを味わうことができました。
そして、ごく当たり前の日常生活行為だと思っていたものが、
なんと贅沢な営みだったんだろうと深く感謝せずにはいられませんでした。
「有り難い」 とはまさにこのことです。
いつもみんなに言っていることなのに、自分は心底それを理解してはいなかったのだなと、
若干反省モードに入ってしまいました。

さて、その後ですが、今回のこの経験を経て、毎朝シャワーを浴び、
シャンプーをしなければならないという思い込みからは解放されたように思います。
寝ぐせなんてどうでもいいじゃないか、
1日や2日くらい身体を洗わなくてもまだ全然臭くないじゃないかと、
鷹揚に構えていられるようになりました。
それと同時に、風呂やシャワーってどれくらい水を消費しているんだろうと、
恐ろしいと思ってしまう感覚も身についたのかもしれません。
ふと気づくと、あれ今日シャワー浴びなかったなとか、
いやそういえば昨日も髪洗ってないんじゃないかななんていう日が増えています。
おそらくこれはいい傾向なのでしょう。
しだいに生活が復旧して、なんでも好きなだけ使える日常に戻ってしまうのではなく、
日々の有り難みに感謝できる感覚を維持していきたいと思います。

救われる何気ない一言

2011-03-18 10:48:23 | 幸せの倫理学
ブログの師匠がお友だちから 「お願い、何か前向きになれるメールちょうだい」 と頼まれ、

河北新報に載ったニュースを紹介されていました。

ブログの弟子のぢゅんちゃんが我が家のパソコンを使って、

「爆心地への励ましを!」 というメッセージを書いていました。

はたしてこういう非常時にも通用するかどうかわかりませんが、

日常のなかで他人の何気ない一言に助けられた話を披露しあうトピックがありましたので、

とりあえずご紹介しておきます。

本当はこういう時じゃないときに紹介したかったし、

ヤフーニュースでも取り上げられたからすでにご存知の方も多いとは思いますが、

まあいいでしょう。


「他人の何気ない一言に助けられた」


「他人の何気ない一言に助けられた <2>」


たぶん今もこんな何気ない一言が、被災地の各所で交わされているのだろうと思います。

私たちはお互いに助け合い支え合い、必ずやこの危機を乗り越えてみせますっ!

エアコン復活!

2011-02-08 16:44:34 | 幸せの倫理学
我が家も引っ越して5年目を迎えております。
引っ越しのときに頭を悩ませたのがリビングの冷暖房をどうするかでした。
ちょっと広めの作りにしてしまったために、
床暖房にしようとすると莫大な費用がかかってしまうし、
どっちみち夏場はそれとは別にエアコンも必要だし、
でもエアコンだけで福島の冬をしのげるのだろうか、
エアコンにするとすると2台設置しなきゃいけないのか、それとも1台ですむのかなど、
わからないことがたくさんありました。
ヤマダ電機の親切な販売員さんと何度も打ち合わせをしたりしながら、
けっきょく当時最新の、一般家庭用でも最も強力な、
しかもお掃除ロボットつきというナショナルのエアコンを1台設置することですませたのです。
入居後数年のあいだはそれで問題ありませんでした。
夏の一番暑い日や冬の一番冷え込む日などはちょっと、
エアコン1台じゃやっぱり厳しいかなと思う日もないわけではありませんでしたが、
基本的にはこれでなんとかなっていたのです。

ところが昨年の冬から部屋が全然暖まらなくなってしまったのです。
昨年の冬は久々の本格的に寒い冬でしたから、
これくらい寒くなるとやはりエアコンではムリなのかなあと最初は思っていたのですが、
どうもそれだけではなさそうです。
エアコンの吹き出し口から出てくる空気が、手をかざしてみても全然暖かくありませんし、
部屋がまったく暖まっていないにもかかわらず、すぐに運転休止してしまったりします。
なんかエアコンの調子悪いなあと思いつつ、「なんでも先送り主義」 の私は、
ほったらかしにしたまま、なんとかあの冬を乗り越えてしまったのです。
夏が来たときもエアコンの働きぶりはイマイチでしたが、
冬ほどの不便はなく、そこそこ冷やしてくれてはいましたので、
あいかわらずそのままにしておきました。
うちでカントの読書会を開いたときに、
ある方が (この方についてはそのうち書きます) 汗をダクダクかいておられたのが、
ちょっとだけかわいそうでしたが、
何か手を打たねばというほどではありませんでした。

そして、この冬が来たのですが、昨年よりもさらに寒い感じです。
リビングにいるときは毛布を羽織っていなくてはいけないくらいですが、
今はもうできるだけリビングには行かないようにしています。
一昨日のシステム手帳の写真は写りが悪かったと思いますが、
あれはリビングではなく寝室のベッドの上で撮ったからです。
最近では研究もブログ更新も寝室でやっているのです。
読書会ももううちでは開催できず、ぢゅんちゃん宅ばかりを使わせてもらっています。
さすがに心配になってカバーを開いてフィルターを見てみますが、
お掃除ロボットはちゃんと活躍しているようでフィルターにホコリが付着していたりはしません。
しかし、リモコンのお知らせボタンを押してみると、
室内温度が29℃とか30℃と表示されます。
「そんなにあったかいわけないやろっ!」 とリモコン相手に大声でツッコんでしまいますが、
何度やっても結果は同じです。
そして先週、年明け2回目の風邪をひくにいたり、
これはやはりどこかが故障しているにちがいない、このままではマズイと判断し、
とうとう重い腰を上げて修理を依頼することにいたしました。

その修理の方が昨日やってきてくれたのです。
やはりエアコンの不調でした。
といっても故障というようなものではありません。
原因はフィルターでした。
私が一見してキレイじゃんと思ったフィルターは、
たしかに毎回お掃除ロボットでクリーニングされて、
わかりやすい綿ぼこりなどは除去されているんですが、
小さいゴミがフィルター全体にびっしりとつまっていたのです。
そのために本体がいくらがんばって暖かい空気を吹き出そうとしてもそれが外に出ていかず、
そして熱が機内にこもってしまうので、室温がもう十分上がったと判断して運転を中止してしまう、
という悪循環が生じていたということなのだそうです。
ですから、修理といっても歯ブラシを使ってフィルターを水洗いしただけです。
こんなことなら私にもできたでしょう。
しかし、たったこれだけでエアコンは完全に生き返りました。

ものすごく暖かい風がバンバン出てきます。
部屋が広すぎるから、福島の冬が寒すぎるからこのエアコンでは暖まらないんだと思っていましたが、
全然そんなことはありません。
昨日は久しぶりにまた冷え込んだ日でしたが、
フィルターを洗って運転し始めたら、すぐに部屋は暖かくなって、
むしろ暑いぐらい、修理の人と 「もういいから止めましょうか」 と話すくらいでした。
このふた冬のあいだに我が家を訪れてくれて寒い思いをさせてしまった皆さんを、
全員またお迎えして、この暖かさを味あわせてあげたいくらいです。
家のなかが暖かいって本当に幸せなことですね。
歯ブラシ1本でこの幸福が手に入るのなら、とっくの昔にやっておけばよかった
あのインフルエンザもひかずにすんだかもしれない…。
まあでもこれをいい教訓として、全自動の機械だからといって安心したりせず、
幸せのために自分でも少しは働こうと思います。
ああ、それにしてもあったかい

幸せに生きるための心理学

2011-01-08 12:25:34 | 幸せの倫理学
私のブログの師匠が絶好調です。

なんかあちこちに行っていい話をして回っているようです。

うらやましいかぎりです。

やはり、倫理学なんていう辛気くさい学問よりも、

心理学という時代の最先端の学問のほうが役に立つのでしょうか?

まあ、そういう学問論はやめておきましょう、空しくなってしまいますから…。

私も直接聞いたわけではないのですが、

生徒の皆さんの感想をちらっと拝見させてもらっただけでも、

なんだか自分まで幸せになってきてしまいます。

中間先生の幸福論は、私のようなノーテンキな幸福論とちがって、

不幸を目の当たりにしている人、幸福を受け入れられない人にも届くようなお話なので、

ぜひ皆さんもちょっとのぞいてみて幸せになってください。



「幸せに生きるための心理学」


「自分を伸ばすための心理学」


「子育て子別れの心理学」 「リプライ(2)」 「リプライ(3)」


「前向きに生きるための心理学」 「コメント補足」

あけましておめでとうございます2011

2011-01-01 12:00:00 | 幸せの倫理学

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年の半ばに毎日更新は断念してしまいましたが、

その後も週6ぐらいのペースでブログの更新は続けてきました。

子どもの頃、元日から日記をつけ始めても本当に文字通り三日坊主で、

三が日でやめてしまうということがよくあって、

手垢のついていない真新しい日記帳がどんどん増えていくことに、

セルフエスティームの低下を感じていたものですが、

それに比べてブログはよく続いているものだと思います。

今年もしょうもないネタを書き連ねていきますので、

今後ともよろしくお引き立てのほどお願い申し上げます。

年も改まって心機一転、新しいカテゴリーを起ち上げる野望も抱いています。

それも含めて乞うご期待ということで。

ご覧頂いている写真は、東京の新居のエレベーターホールから望む富士山です。

神田神保町のオフィスピルの最上階17階からの眺めですが、

東京のど真ん中といえども、さすがにここまで上ると富士山も見えてしまうのですね。

以前の住まいからは東京タワーが見えていましたが、

今後は富士山映像が新年の定番写真になるかもしれません。

今年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

南郷中学校キャリア教育講演会

2010-12-13 22:42:35 | 幸せの倫理学
今日は南会津町の南郷中学校に行ってきました。
キャリア教育講演会です。
いつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか」 という話を、全校生徒70名、
さらに今回は保護者の方々が30名近くいらっしゃる中でしてきました。
それにしても12月に南会津までドライブですから、
行く前からいろいろと不安が募っておりました。
天気予報は雨ですが、朝起きたらむちゃくちゃ冷え込んでいます。
この冬一番の冷え込みじゃないでしょうか。
クルマの気温計は出発時点ですでに1.5℃を示していました。
会津は福島よりも寒いはずです。
そこに雨なんか降ったら絶対に雪になっちゃうんじゃないでしょうか。
ビクビクしながら出発です。

今回は、皆さんからのアドバイスに従って白河ルートにしました。
白河中央まで東北自動車道で行き、
そこから289号線 (甲子道路) で西に向かいます。
白河に着いたあたりから雨がパラパラ降ってきましたが、
気温はあいかわらず1℃くらいで雪にはならずにすんでいます。
しかし、甲子道路は峠越えの道でどんどん標高が上がっていくにつれ、
道路の脇に雪が残っているのが見えてきました。

   

積もっている雪を見るのは今シーズン初めてです。
しかし、幸いなことに道路にはまったく雪は残っていません。
道路脇に並んで立っているポールを見ると、
本格的な冬になるとこの道も圧雪がこんなところまで積もるのでしょうが、
今日のところは雪道運転はしなくていいようです。
ヒヤヒヤものでしたが、当初の予定通り2時間半ほどで南郷中学校に到着しました。
校長先生にうかがったところ、やはり12月でこんなに雪が少ないのは珍しいそうです。
きっと南郷村 (現南会津町) が私のことを歓迎してくれて、
雪を降らせるのを遅らせてくれたのでしょう。
無事に着けて本当によかったです。

さて、講演のほうは、いつもの内容ではありますが、
中学校1年生も聞いているということを考えると、
高校で配布しているプリントと同じじゃちょっとマズイかなと昨日の段階で急に考え、
難しい言葉を少しやさしく言い換えたり、漢字をひらがなに変えたりしました。
50分というこれまでで一番短い持ち時間だったということもあって、
最初のあたりの難しい話をカットして、中学1年生にもわかるということを意識してみました。
時間に関しては、どうしても尺におさまりきれず、5分ほど延長してしまいましたが、
その件については校長先生に最初からご了解いただいていましたので、
まあよしとしましょう。
前回の失敗を反省して、今回は生徒の皆さんに筆記用具を用意してもらっていましたし、
ちゃんと感想用紙も配布して、満足度評価も記入していただくことができました。
満足度は全体で4.54。
たいへん高い評価をいただけたのではないでしょうか。
生徒の皆さんだけだと4.62、保護者の方々が4.33。
学年別に見てみると、1年生が4.64、2年生が4.65、3年生が4.56。
3年生や保護者の方々になるほど評価が下がっているのは、
話が簡単すぎて物足りなかったということなのでしょうか。
しかし、今回は1年生にもわかるということを目指していましたので、この結果には大満足です。

感想を書いてもらう時間はあまりなかったのですが、
1年生はこんなことを書いてくれていました。

「早く大人になりたい。」

「早く僕も働きたい。結婚したら幸せな家庭を築きたい。」

「人間はなんでも出来て自由なので、これからも学びたいです。」

「自分がもっと大きくなったら、他の人も幸せにしてあげられる人になりたい。」

うーん、うれしいなあ。
ちゃんと私が一番伝えたかったことを受け止めてくれているじゃないですか。
特に、キャリア教育講演会という趣旨からすると、
子どもたちに早く働きたいと思ってもらえるというのはサイコーの成果ではないでしょうか。
2年生のなかには話の細部もちゃんと捉えてくれている人がいました。

「算数はとても大事だということが分かりました。」

「今は練習問題だということも分かった。」

前にこのブログで、社会に出るにあたって算数・数学が大事という話を書きましたが、
最近の講演ではその話も少し盛り込むことにしていて、
なぜ算数・数学 (やその他の教科) を勉強しなきゃいけないのかを話しています。
大人になって社会に出たら、正解のない問題を考え抜く力が必要になるのだけれど、
最初からそんなに難しい問題を考えることはできないので、
小中高では正解の出る簡単な問題からスタートして、
少しずつ難しい問題を考えられるようにトレーニングしているんだよと説明しています。
その話をちゃんと受け止めてもらえたようで、とてもうれしいです。
そして、3年生からはこんな決意表明と励ましの言葉をいただきました。

「かっこいい大人になりたい。
 かっこいい大人を育てて下さい!」

素晴らしいですねえ、南郷中学校生
まずは自分が幸せになる力をつけること、でも自分だけの幸せじゃなくて、
人も幸せにしてあげられるようなカッコイイ大人になってほしいというのが、
今回の講演の結論だったのですが、
そうしたら本当に自分のことだけじゃなくて、ぼくのことまで、
あるいはぼくが育てる大学生たちのことまでちゃんと考えてくれたんですね。
こんな励ましの言葉をいただいたのは初めてかもしれません。
本当にどうもありがとうございました。
保護者の皆さんからもこんなお言葉を頂戴しました。

「高度な学びが人を (自分も他人も) 幸せにするのなら、親としてもがんばりたいと思います。」

「人間に生まれて、幸せに生きるために、これからも色々と考え、仕事をして、がんばりたいです!!」

「ちょうど、子どもがなぜ学ぶのかわからず、学ぶ意欲がなくて悩んでいたところでした。
 うまいアドバイスもできなかったところ、今日のお話が聞けて本当によかったです。
 自分もまた学びたいなと思いました。ありがとうございました。」

保護者の方々にまで、自分ががんばって働いていきたいとか、
自分もまた学びたいと思ってもらえるなんて予想していませんでした。
大人自身が楽しそうに働いたり、自ら進んで学んだりしている姿を見せてあげることが、
なによりのキャリア教育だろうと思います。
今回の講演が、親も子も一緒に楽しみながら学び働く家庭を築いていくための、
ちょっとしたきっかけになれたらうれしいのですが…。
講演終了後には、生徒会長さん (2年生) がお礼のことばを述べてくださったのですが、
その挨拶も、私の話を深く理解した上でのとてもいいスピーチだったので、
本当に中学生なのと思って、ちょっとゾクッとしてしまうくらい感動的でした。
私の話をこんなに一生懸命聞いてくれて、本当にありがとうございました。
帰りには花泉の純米酒 (花泉は南会津町のお酒だったんですね) まで頂戴し、
今回もまた心に残る南会津への旅となりました。

とっても心があったまってルンルン気分で帰途についたのですが、
甲子道路の峠越えのあたりはこんなことになっていました。



雪がけっこう降っていて、完全に雪道になっていました。
さっき通ってきたときからほんの数時間しか経っていないのに、
まったく道の様子が一変しています。
今シーズン初の雪道運転、しかも山道というのでちょっと緊張しましたが、
峠を越すと雪は雨に変わり、それほどの距離を走らずにすんだので、事なきをえました。
南会津はこれから本格的な雪国と化していくのでしょう。
南郷中学校の皆さん、
雪のなかで力をたくわえ、新芽を育てる草木のように、
毎日の学びを大切にして、大きく育っていってください。
そして、ぜひ福島大学でまたお会いしましょう