昨日に引き続き、標記講演で寄せられた質問について。
パソコンゲームにはまりすぎる子どもに何かアドバイスは?心配しています。
時間が多いことで気になっているのであれば、
昨日の記事とも関連することかなと思いますので、
それを参照くださればと思います。
なお、これは昨日の補足にもなってくるかと思いますが、
何か自分がしようと思っている矢先に「~~しなさい」と言われると
やる気が失せるということがあります。
「自分が」そうしようと思っていたのに
そこで人に言われてしまうと
あたかもその人に言われてやっているかのように思えて
おもしろくない、というわけです。
そう思うのも、人間には自律性の欲求があるからです。
自分で決めて行動したい、自分の心をもつ一人の人間でありたいと思うのです。
さて、自律性の欲求を重視したDeci博士は、講演の際、
パソコンゲームは「選択」できる事柄が豊富にあること、
だから人はそれに夢中になるのではないかと言っていました。
もちろん、ステージをクリアするごとに「有能感の欲求」も
満たされていきますね。
ステージをクリアしなくとも、
自分が何かを操作しているというそのことだけでも、
有能感を体験することにつながると思います。
そういう欲求を満たすのがパソコンゲーム場面だけであれば
それに夢中になってしまうのは仕方ないのではないかと。
なので、それらの欲求をパソコンゲーム以外でも
満たすようにすることを考えるのが大事ではないかとおっしゃってました。
ただ、なかなか、ゲームに勝るものを
日常で用意するのは難しいかもしれません。
なので、やはり、ゲームを制限するための取り決めが
必要になるかと思います。
しかし、やはり、禁止することだけを考えると
お互い苦しくなると思います。
そこでそもそも、なぜゲームをやることが
そんなに心配になるのか?ということを考えてみてはいかがでしょうか。
きっと、ゲームをやることそれ自体よりも、
ゲームをやることによって、何が阻害されている、と
感じているからではないでしょうか。
たとえば、ゲームでは本当は「関係性」は満たされていないはずなんですが、
満たされたような気になっているかもしれません。
また、「有能感」も、現実世界に根ざしたものではないんですよね。
現実世界での充実した関係や有能感の喜びを
十分感じることができているか、そういう機会を味わえているか。
情緒を伴った全身で感じられるそういう体験をしっかりと経験できているか。
たとえばそういったことをどうやって体験してもらおうか。
このような視点から考えるのも、
この問題に取り組む1つの方向性かな、と思います。
パソコンゲームにはまりすぎる子どもに何かアドバイスは?心配しています。
時間が多いことで気になっているのであれば、
昨日の記事とも関連することかなと思いますので、
それを参照くださればと思います。
なお、これは昨日の補足にもなってくるかと思いますが、
何か自分がしようと思っている矢先に「~~しなさい」と言われると
やる気が失せるということがあります。
「自分が」そうしようと思っていたのに
そこで人に言われてしまうと
あたかもその人に言われてやっているかのように思えて
おもしろくない、というわけです。
そう思うのも、人間には自律性の欲求があるからです。
自分で決めて行動したい、自分の心をもつ一人の人間でありたいと思うのです。
さて、自律性の欲求を重視したDeci博士は、講演の際、
パソコンゲームは「選択」できる事柄が豊富にあること、
だから人はそれに夢中になるのではないかと言っていました。
もちろん、ステージをクリアするごとに「有能感の欲求」も
満たされていきますね。
ステージをクリアしなくとも、
自分が何かを操作しているというそのことだけでも、
有能感を体験することにつながると思います。
そういう欲求を満たすのがパソコンゲーム場面だけであれば
それに夢中になってしまうのは仕方ないのではないかと。
なので、それらの欲求をパソコンゲーム以外でも
満たすようにすることを考えるのが大事ではないかとおっしゃってました。
ただ、なかなか、ゲームに勝るものを
日常で用意するのは難しいかもしれません。
なので、やはり、ゲームを制限するための取り決めが
必要になるかと思います。
しかし、やはり、禁止することだけを考えると
お互い苦しくなると思います。
そこでそもそも、なぜゲームをやることが
そんなに心配になるのか?ということを考えてみてはいかがでしょうか。
きっと、ゲームをやることそれ自体よりも、
ゲームをやることによって、何が阻害されている、と
感じているからではないでしょうか。
たとえば、ゲームでは本当は「関係性」は満たされていないはずなんですが、
満たされたような気になっているかもしれません。
また、「有能感」も、現実世界に根ざしたものではないんですよね。
現実世界での充実した関係や有能感の喜びを
十分感じることができているか、そういう機会を味わえているか。
情緒を伴った全身で感じられるそういう体験をしっかりと経験できているか。
たとえばそういったことをどうやって体験してもらおうか。
このような視点から考えるのも、
この問題に取り組む1つの方向性かな、と思います。