がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

昨日の読売新聞社説について

2008年01月08日 | Weblog
2008年01月08日 22時46分記載

まず、昨日の読売新聞朝刊社説のURLを紹介しておく。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080106ig90.htm



おそらくナベツネが書いているのだと思うが、実にナイーブな言説である。共産主義思想にかぶれていた学生時代よりもナイーブになっているのではないだろうか。



日米安全保障体制は矛盾を内包した体制である。その矛盾を我が国の力で解消することは出来ない。その出来ないことを、この一人の老人は必死でやろうとしている。これを成し遂げなければ死ねないくらいに思っているのであろう。出来もしないことをやろうとする使命感ほど厄介なものはない。



我が国には非核三原則がある。しかし、日米安保体制下で我が国に核が持ち込まれたことがないと言えるか。私は核は恒常的に持ち込まれていると思っているが、「持ち込まれたことはない」と言い張ろうと思えば言い張れる。なぜなら、確認する手段がないからである。



表向き非核三原則を掲げ、平和の尊さを唯一の被爆国としてアピールし、佐藤栄作元総理がノーベル平和賞まで受賞しながら、他方で核兵器が恒常的に持ち込まれ、その核の傘の下に入り国家の安全が保障されてきたというのが日米安全保障体制の実体である。大きな矛盾に包まれた体制である。そしてそれは、繰り返しになるが、解消しようのない矛盾である。我々日本人はその矛盾した体制の中で生きていくしかない。そうすることによってアメリカが日本から手を引くのであれば核武装するまでである。そこではじめて日本の主体的外交が可能となる。それまでは世界秩序の維持はアメリカに任せておけばいい。日本が核武装するよりはマシだと、アメリカもそれを望むだろう。



我が国は我が国で身の丈にあった暮らしをしていけばいいだけである。「アメリカが押し付けた憲法9条のせいで軍隊は出せません。」とだけ言っていればいい。下手な、出来もしない使命感は持つべきではない。我が国も、ナベツネも。



世界の秩序は「力(power)」によって決定されている。「力(power)」を持たない現在の我が国に主体的外交など出来るわけがない。(「出来る」って言うのは格好いいけど、実際出来ないんだから。)



自衛隊との相互協力なんて必要ないんだよ、米国には。アメリカだけでどんな国とだって戦えるんだから。


我那覇選手の仲裁申し立てをCASが受理 判断へ

2008年01月08日 | Weblog
2008年01月08日 17時01分記載

まず、時事通信の記事をそのまま掲載させてもらう。

「Jリーグ川崎のFW我那覇和樹(27)がドーピング(禁止薬物使用)規定に違反したとして処分された問題で、同選手の代理人は7日、同選手が処分取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(本部・スイス、CAS)に仲裁を申し立て、受理されたことを明らかにした。代理人によると、仲裁判断は原則として4カ月以内に出される。
 我那覇は昨年4月に風邪で体調を崩し、チームドクターから禁止薬物を含まない点滴を受けた。Jリーグはこれをドーピングと認定し、同選手に出場停止6試合の処分を科した。
 これに対して我那覇側は、2007年版の世界反ドーピング機関(WADA)の規定では、「医師が治療行為として行う点滴治療(静脈注射)はドーピングに該当しない」などとしている点を挙げ、行為の正当性を主張。さらに、処分の手続きにも不備があった、と指摘している。」



1行目の表現が誤解を生むので、改めてもらいたい。時事通信に限らないが、我那覇選手の件を報じる際に「禁止薬物使用」という日本語を使いがちだが、それは単に機械的に「doping」を和訳しているだけで、我那覇選手の問題を報じる際には使う必要のない言葉である。



WADAの規程( http://www.wada-ama.org/rtecontent/document/WADA_Code_Japanese.pdf )では、その第2条により、禁止物質、あるいはその代謝物又はマーカーの存在が確認された場合にはドーピングと推定され、無過失責任を競技者が負うとされている。しかし、我那覇選手から禁止薬物(正確には「禁止物質」と言うべき)が検出されていないことは我那覇選手・Jリーグ間で争いのないことである。Jリーグが(私に言わせれば)勝手に、根拠もなく「ドーピング規程違反」と看做して処分を科したことが問題になっているのである。(だから我那覇選手は仲裁を求めている。)



「ドーピング規定違反」というのは、確かに、Jリーグがそう言って処分を科しているので、そう報道することは構わないが、「禁止薬物使用」というのは事実に反するし、当事者間においても争いのないことなので、使用しないでもらいたい。



報道機関には正確な言葉の使用、正確な事実関係の把握を望みたい。




ナベツネ、森喜朗以下の自民党議員の馬鹿さ加減

2008年01月08日 | Weblog
2008年01月08日 15時34分記載

まず、本日の読売新聞朝刊4面記載の記事URLを紹介する。インタビューアーは読売新聞政治部次長柴田岳氏。http://www.yomiuri.co.jp/feature/shinnen_interview/fe_sh_20080108.htm?from=yoltop



回答者の政治学者 大山礼子氏の言うことに異論はない。佐々木毅先生、飯尾潤教授、大山礼子氏と、まともな学者は真っ当な意見を持っている。理解不能なのは、そういう人達にインタビューをして、真っ当な意見に触れながら、なお、「ねじれてるから大連立」などと短絡的な方法論を結論とする読売の、ナベツネの言説である。



ナベツネ、森喜朗あたりは、最近は3分の2条項は憲法で与えられた権限であることを殊更強調している。

憲法には3分の2条項が勿論規定されている。しかし、同時に、両院協議会の規定も置かれている。憲法は、衆議院と参議院の議決が異なった場合には、両院協議会で妥協案を探る途を残している。ナベツネや森はそこには触れない。

新テロ特措法案については、小沢が妥協の余地がないと言っているので、両院協議会を飛ばしてもやむを得ないかとも思うが、他の法案については、安易な3分の2条項の行使は差し控えるべきである。現在の両院協議会の在り方を見直し、妥協を図れるよう最大限努力するのが政治家の責務である。その上でどう審議を尽くしても妥協案の策定が不能な場合には衆議院での再可決もやむを得ない。



読売や自民党政治家に言っておきたいのは、両院協議会を活用できるようにしてこなかったのは自民党の責任であり、参議院を衆議院のカーボンコピー等と呼ばれる程に貶めてきたのも自民党だということである。



本来、上院たる参議院は、良識の府として、大所高所から下院たる衆議院の活動を監視できる機関としておかなければならなかった。明文の規定からはその機能を発揮することが出来ないのであれば、慣習上その機能を発揮できるようにしておかなければならなかった。イギリスには成文憲法がないことからもわかるように、憲法の世界では、慣習が大きな意味を持つ。しかし、自民党はそうしてこなかった。衆議院と同じような選挙制度を導入し、衆議院と同じ機能だけを果たすようにしてしまった。なぜか。参議院に、下手に大所高所から正論を唱えられては面倒だからである。そのようにして、本来は良識の府にいるべきではない人間が参議院に議席を有し、党執行部の言いなりになっている。ねじれるまでの自民党にとってはとても都合が良かった。



しかし、ナベツネ・自民党政治家の貧困な頭では想像出来なかった事態が起こってしまった。先の参院選の結果である。その事態に遭遇してはじめてナベツネ・自民党政治家は焦った。その結果が大連立の仕掛けであり、3分の2条項行使の声高な主張である。泥縄もいい所である。



現在のままでは上院たる参議院の存在意義が薄い。参議院の在り方を選挙制度を含め改善していく必要がある。読売はだから憲法改正だと言いたいのだろうが、憲法改正をするまでもなく出来ることは山ほどある。先にそれをやれ。