がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

どうにかならねえか箱根駅伝

2008年01月02日 | Weblog
2008年01月02日 14時48分記載

リタイアする選手が出る度に嫌な思いにさせられる箱根駅伝。今年も嫌な思いにさせられた。順天堂大学の選手がリタイアしたからだ。

あんな状態で走り続けられるわけがないだろう!すぐに止めろ、監督!



しかし、問題の根本は、止めない監督にあるのではなく、止めるのを躊躇させるシステムを組み込んでいる箱根駅伝主催者にある。

1人途中棄権者が出るとレース自体を続行させないシステムにしているため、身体的にはどこからどう見ても走れない選手が走り続けようとし、監督も手を差し伸べることをためらう。明らかな欠陥ルールである。



走者が身体的に続行不可能な状態になった場合、リザーブの選手を走らせるようにしておけばいい。当然リザーブの選手はピンピンした状態で走り始めることが出来るので、リタイアした選手が既に走った距離に応じた待機時間を付与する。過去の各区間ごとのデータを解析すれば、この区間のこの地点でリタイアした場合にはこの位の待機時間を与えれば、他の1人で走り切る選手よりも有利な条件とならない、というのは容易に設定できる。なぜそうしないのか。主催者に卑しい精神があるからに他ならない。



体がボロボロになりながらも走り続けようとする選手の姿は非常に絵になる。視聴者もぐっと惹きつけられる。そこに監督が歩み寄る。手を掛けた段階でレース全体を棄権することになる。監督は躊躇する。逡巡した後、苦渋の表情で選手に手を掛ける。よく頑張ったと労う。これ以上ないほどのお涙頂戴である。いい加減にしろ!



私は人間の命・健康は人権の次に大事だと思っている。(従って、人権侵害に対する戦いのためであれば命を落とすことがあっても仕様がないと思っている。人権がなければ「人間」とは言えないと考えているので。)

箱根駅伝を走る選手にとって「箱根駅伝」はとても大事なものなのだろう。しかし、それは命・健康の尊さと比べれば、比較にならない。命を落としても構わないと言うのであれば、直系尊属に死ぬことの了解を取ったうえで、テレビに映らない所で勝手に死んでくれ。命が自分だけのものだと思うのはひどく傲慢な考え方である。そんな傲慢な人間は死んだらいいだろう。



こんなもの放送するな、日本テレビ!すぐにルールを変えろ!



(なお、私は上記の考えを持っているので箱根駅伝の中継は中学生になってから見ていない。しかし、テレビのニュース中で放送されることがあるので目に入ってしてしまうことがある。ニュース番組をよく見るので。)