がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

有益だった書籍とサイト

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月27日記載

私にとって有益であった書籍やサイトを以下に紹介したい。ガン患者の方はご覧になっては如何であろうか。

1)平岩正樹氏の書籍全て:氏の書籍は取り寄せて殆ど読んだが、同意・共感出来ない部分がなかった。非常に有益な著作の数々であった。

2)がんのWeb相談室:がん治療に真摯に取り組んでいる医師が、がん患者の質問に答えてくれるとてもタメになるサイト。URLは http://2nd-opinion.eee.ne.jp/

3)夢幻夜想:同じ病と闘った方の記録。とても勉強になった。URLは http://www.serio.ne.jp/~shion/mugen/

4)Ryo's:同じ病と闘った子の記録。子供の持つ強さ、優しさ、人生の過酷さ・無情さを教えてくれる。URLは http://www2.tba.t-com.ne.jp/ryos/

5)星の王女さま:同じ病と闘った子の記録。家族の絆、親の子を思う気持ちを教えてくれる。URLは http://www3.famille.ne.jp/~hoshi/


国民を拘束するもの

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月27日記載

我が国は取り敢えず法治国家である。その法治国家にあって我々国民を強制力をもって拘束するものは「規範」である。それでは「規範」とは何であろうか。国語学者であり文芸評論家でもある福田恆在(つねあり)氏に依れば、「規範とは、事実の如何にかかわらず、それが行われることを要求するもの。」ということになる。具体的には、憲法・条約・法律・命令・条例・規則・慣習・条理等があげられる。

過日、本ブログで述べたが、我が国の法律は殆どが政府提出法案(官僚が作成したもの)を審議し、可決して成立したものである。

加えて、法律の下位規範である政令、規則、通達等も官僚によって作られている。要するに我が国は官僚により支配(=コントロール)されているということである。

近現代を通して人類が追求してきたのは、「権力(power)」を如何にコントロールし、人々の権利・自由を最大化するかである。そしてそれは主に欧米諸国においてそれなりの成果を見せている。

翻って我が国はどうであろうか。甚だ心許無い。制御されるべき行政権が立法権によって制御されていない。逆に、行政権が立法権をコントロールしている。これでは国民の権利・自由が十分に擁護されない。

「行政による支配」を脱し、「法の支配(rule of law)」を確立しなければならない。そのためには国民の目的意識を持った具体的な行動が必要である。口を開けてただ待っているだけでは行政は国民を蔑ろにするばかりである。

国民負担率

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月21日記載

国民負担とは、所得税・住民税といった税金と年金保険料・健康保険料・介護保険料・雇用保険料・労災保険料といった社会保険料を合わせたものを言い、その収入に占める割合を国民負担率という。

給与所得者であれば痛感していると思うが、びっくりするくらいの金額が引かれる。収入によって差があるので一概には言えないが、その収入に占める割合、即ち国民負担率はおよそ40%である。

以前に本ブログで税制について少し触れたが、国および地方公共団体の財政を考えるためには、税金以外に社会保険料も合わせて考える必要がある。なぜなら、我が国の社会保険料は「保険料」という名目で誤魔化されてはいるが、実質的には税金だからである。これを税と年金の混濁という。

では何故そのような姑息な形で社会保険料という名の税金を我が国政府が徴収しているかというと、税金をこれ以上徴収できないくらい既に徴収しているからである。

ここで、我が国で徴収されている税金を列挙してみよう。

まず、国が徴収する税金として、所得税、法人税、相続税、贈与税、消費税、酒税、たばこ税、たばこ特別税、揮発油税、石油税、石油ガス税、航空燃料税、自動車重量税、登録免許税、印紙税、とん税、特別とん税、関税、地方道路税、電源開発促進税。

次に、地方公共団体が徴収する税金として、住民税、事業税、固定資産税、自動車税、鉱区税、軽自動車税、特別土地保有税、地方消費税、たばこ税、ゴルフ場利用税、不動産取得税、自動車取得税、軽油取引税、狩猟税、入湯税、事業所税、都市計画税。

国民全員が上記の税金全てを納めているわけではないし、法人が納める税金も記載しているので、「国民負担」という意味では正確でないことは承知している。そう承知しながら上記のように列挙したのは、我が国政府および地方公共団体はこれだけの税金を徴収しながら、なお膨大な借金を抱えているという事実を認識して欲しかったからである。

上記の税金に加え、我が国政府は社会保険料という名の税金を徴収しており、これは年々その割合が上昇していくことが既に決まっている。



国民負担率が高くても、それに見合ったサービスが得られていれば問題はない。問題は、これだけ徴収していながらろくなサービスが受けられていないということである。

年金の受給開始年齢は引き上げられたし、老人の医療費負担は増したし、勤務医や看護師は不足しているし、病床数が削減され行き場のない老人は増えているし、障害者の雇用割合は低いし、バリアフリー化は進んでいないし、失業した際の失業保険給付料は削減されている。とても安心して生活を送れるような国ではない。

給与所得者の中には、自分がいくら税金を徴収され、社会保険料を徴収されているか認識していない人が少なくないように思う。まずは、その点を認識し、我が国政府が、我々が支払っている金銭に見合ったサービスを提供しているのか否か、厳しくチェックしていく必要がある。


余命1ヶ月の花嫁

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月19日記載

昨日TBSで放送された「余命1ヶ月の花嫁」というドキュメンタリーを見た。タイトル通りの内容で、見ていて辛かった。その中で「花嫁」さんが言ったひとことが深く心に残っている。余命1ヶ月を切った「花嫁」さんをビデオで撮っていた恋人が「今何してるの?」と何の気なしに聞くと、「生きてる」と。恋人は何も言えなかった。私も何も言えない。「生きてる」ことを「花嫁」さんのように深く噛みしめたことが私にはない。

届いたくだらないコメントについて

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月18日記載

以下に私に届いたくだらないサイトからのくだらないコメントを引用する。

「メシマコブをご存知ですか。一度、ご覧ください。 」

私のブログはコメントの承認制を採用しているので、コメントとしては公開されないが、届いたくだらないコメントにひとこと言っておく。

くだらないコメント寄こすな。

以前にも述べたが、がんには手術・抗がん剤・放射線しか効かない。他のあらゆる行為は無駄である。

メシマコブだのフコダインだの全く無駄だ。無駄とわかっているのに売り付けている人間・法人の行為は法的には詐欺であり、道義的には誠に罪深い。くだらないことに私の貴重な時間(=命)を割かせるな。

がん患者の皆さん、くだらないサイトに惑わされないよう気をつけてください。

今日の心温まるニュース

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月17日記載

産経新聞によると、姫路市在住の匿名の個人の方が、自身が病気で救急車を呼んだ際の隊員の親切で丁寧な処置に感銘を受けたとして、「救急救命活動に役立ててほしい」と1000万円相当の救急・救助用機材を姫路市消防局に寄贈したとのことである。

寄贈された機材は、災害時の仮設救護所や指揮所などに活用されるエアテント(約350万円)2張り、自動体外式除細動器(AED)2台、一般向けAED講習に使われるトレーナー10台、心臓マッサージや自発呼吸などを練習できる救助訓練用人形1体だそうである。

なかなか出来ることではない。こういう人が存在するという事実に感動する。

こういう人に半歩でも近付く努力をしたい。


頂いたコメントについて16

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月13日記載

頂いたコメントについて言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「ぶしつけな質問に具体的なご回答ありがとうございました。裁判員制度についても、よく分かりました。おっしゃるような背景があったのですね。
権力に対して懐疑的なまなざしを僕は持っており、ともすれば全てを否定しかねないことにもなりかねないという戒めの言葉としても捉えられました。
裁判員制度にしても(どのように選ばれるのか分かりませんが)、やはり選び出す側と選ばれる側の格差はあるのだと思います。
正義ということも大変難しい問題だと思いますが、今一度法律と国家の関係について考えたいと思いました。そこには正義を問う以前に何か限界があるような気もしています。
どうもありがとうございました。」

そう言って頂けると有難い。本ブログをきっかけに、読んだ人が色々と考えてくれればと思って記事を掲載しているので。

本ブログ冒頭でも述べているとおり、私は人間の考えは全て主観だと思っている。数字を入れてもっともらしく書いているが、私が記す文章全てが私の思考回路を経由した私の主観である。相対的と言い換えてもいい。

民主主義は、あらゆる考えが相対的であるとの前提で成り立っている。絶対的に正しい何かが客観的に存在するのであれば、多数決などする必要がない。絶対的・客観的に正しい何かに従えばいいだけの話である。

私は民主主義が正しい制度だとは思っていない。しかし、それ以外の制度で人間社会が成り立つとも思っていない。絶対的価値観は独裁へと繋がり、人間を最も不幸にする。民主主義を採用する他ないというのが歴史が示す教訓である。


他者の話に耳を傾け、自らの価値観を可能な限り相対化し、出来るだけ主観を排除して物事を考えようとすることはとても大切なことである。(しかし、それもどこまで行っても主観であることに変わりはないが。)なぜなら、それが独善に陥らず、社会を独裁化させないための唯一の方法だからである。-自戒を込めて-


頂いたコメントについて15

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月11日記載

頂いたコメントについて言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「4番目と関連するのかしないのか分からないのですが、お訊きしてみたいことがあります。
企業や国を相手にした場合「和解」と判決がよく下されますが、それは判例によって国家や企業の責任を法的に確定しないため、つまり両者の活動を縛らないよう「解釈をしない」ということなのだと読んだことがあります(「カネと暴力の系譜学」萱野稔人)。
仮にそうだとして、法曹人口を増やすことを国がすすめていることの背景は何なのか知りたいと思いました。審理の効率などはあると思いますが。
突然失礼しました。」

まず最初に申し上げておきたいのは、和解とは訴訟当事者間における合意であり、判決とは裁判所の下す判断であるので、「和解」という「判決」は存在しない。(「裁判上の和解」という、確定判決と同じ効力を持つものもあるが、これも「判決」ではない。)

次に、「企業や国を相手にした場合「和解」と判決がよく下されますが」との点についてであるが、ここは、企業や国を相手にした訴訟の場合、裁判所が和解を勧めることがよくあることを言いたいのだと思うが、これは全くその通りである。その理由としては、コメントがをくださった方が引用されているように「判例によって国家や企業の責任を法的に確定しないため、つまり両者の活動を縛らないよう「解釈をしない」ということ」と考えることも可能だとは思う。そして、そのように権力機関を懐疑的眼差しをもって見つめることは権力の暴走を食い止めるために必要なことであるとも思う。

しかし、企業や国を相手にした訴訟の場合、裁判所が和解を勧める理由は他にもあると私は思う。

良いか悪いかの評価は別として、事実として裁判は物量戦である。資金が多い方が裁判を有利に進められる。印紙税のないアメリカと違って我が国では結構な金額の印紙代がかかる。企業や国を相手に高額の損害賠償請求をしようと思えば、請求する時点でかなりの印紙代がかかる。それに加えて、日本では裁判の結論が出るまでに結構な時間がかかるので裁判を維持するためには高額の弁護士費用も必要になる。勝訴を勝ち取ってもそれまでの経費や弁護士への成功報酬を差し引けば足が出てしまう可能性もある。裁判を戦い抜く労力も相当なものである。

上記のような事情を考慮し、早急な救済を図るため和解を勧めることもあるのだと思う。

公害訴訟や薬害訴訟においては早急な救済の必要性はより一層高まる。被害者に有利な内容で和解を勧めることには一定の合理性があると考える。



さてここで、日本の裁判官は何人くらいいると思われるだろう。およそ3000人である。(ちなみに検察官はおよそ2000人、弁護士はおよそ1万5000人である。)

それに対し、全裁判所の新受件数(民事・刑事・行政・少年・家事の各事件の総数)は実に588万件である。裁判官の負担は非常に重い。裁判官が訴訟において和解を勧めるのにはこのような事情もある。和解の方が判決よりも早く決着がつく。裁き切れない数の事件を抱えた裁判官が和解をもって事件処理を早く進めたいと考えても不思議は無い。

上記のような事態を打開しようと司法制度改革は始まった。裁判官を増員したかったのである。

司法制度は、司法の独立を守るべきとの考えから、裁判所・検察庁(=法務省)・日本弁護士連合会(略して日弁連)の法曹三者によって決定される。裁判官を増員したい裁判所に、これまた検察官を増員したい検察庁が同調し、反対する者の多かった日弁連を押し切る形で、法曹三者を増員することを中核とする司法制度改革は進められている。

私は司法制度改革に賛成である。理由は以下のとおりである。

行政と同じく司法も国民に対するサービスであると私は考えている。受益者たるべき国民が司法サービスを満足に受けられないようでは法治国家とは言えない。人口10万人あたりの法曹の人数は、アメリカはもとより、イギリス・フランス・ドイツ等に比べて圧倒的に少ない。国民から遠いところに司法は置かれている。

さらに、医療制度における医師不足と同様の問題が司法制度にも存在する。都市部に弁護士が集中し、地方の弁護士が足りないのである。この問題を解消するためにも法曹の増員は不可欠であると考える。


裁判官や検察官といった権力機関の人間を信用できないということであれば、裁判官や検察官を選挙によって選出するという方法もある。そのような方向に司法制度改革を持っていっても良いと思う。(一定の刑事裁判に国民が関与することとなる平成21年実施の裁判員制度はその第一歩と言ってもいいかもしれない。)

しかし、いずれにしても司法を担う人間を多くするべきとの結論は変わらない。

「justice delayed,justice denied(遅れた正義は、否定された正義)」という言葉がある。1日でも早く正義は実現されなければならない。(正義とは何か、という大きな哲学的な問題が横たわってはいるが。)

頂いたコメントについて14

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月07日記載

頂いたコメントについて言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「国民年金に関する問題は本当に残念ですよね。60歳から65歳へと引き上げられたことももちろんそうですが、今回のデータ取り扱いに関してもそうですね。
こんなやり方を見ていると、若者だって払いたくなくなるのは仕方がないような気もします。しかし、お年よりの数が増え、それを支えるために支払わなくてはいけないという事実もあるのですが...


道路に関する一部の官僚がどんどんお金を横流しにするのはフィリピンでもあるんです。選挙前だけは仕事もきちんとするのですが...
そのため、フィリピンの田舎では道路が割れてガタガタ、事故も発生しやすくなっています><
(国からの援助金をより多く自分の懐に入れるため、安上がりな道路しか作らないからです)

自分勝手はだめです><」



このコメントをくださったのは、同じ大学出身のoh-sarisariさんである(ブログはこちら→ http://ameblo.jp/oh-sarisari )。以前に本ブログで紹介させて頂いた平井礼子さん(ブログはこちら→ http://ameblo.jp/pwjafghanistan/ )同様、NGOの職員としてフィリピン(平井さんはアフガニスタン・おそらく別のNGO)で活動されている。

私は法律に関わる仕事に就いているが、ある人に「お前のやってるのは評論だろ。」と言われたことがある。確かに、法律は評論の部分は否定し難く存在すると思う。しかし、そう言った人がしている仕事も所詮は評論だと思っている。

oh-sarisariさんや平井礼子さんが行っているのは実践そのものである。非常に貴い仕事の1つだと思う。

「職業に貴賎はない」という言葉がある。確かに賎しい職業というのはないだろうが、貴い仕事は存在すると思う。

自分も貴い仕事をして生きていけたらなと思う。

「思索の人として行動し、行動の人として思索せよ」(ベルグソン)


続・頂いたコメントについて13

2007年08月21日 | Weblog
2007年07月02日記載

頂いたコメントに言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「手術前に医師から聞いていたのと術後の現実とはかなりのギャップがありました・・・。
その医師は転勤でいなくなり、交代した医師は「○○先生が(前任者)どのように言ったか知りませんがもう良くはなりませんよ」・・・ちょっと言い方にカチンと来ました。
本当にもうこの状態から改善されないのかなぁ・・・。」

「もう良くはなりませんよ」という直接的な言い方をするかどうかは別として、治る見込みの無い若しくは低い患者に対する治療についてモチベーションを持たない医師は少なくないように思う。それは何故か。医師の職責を「完治させること」と勘違い・思い違いをしているからではないか。そこには人の命に対する驕りも透けて見える。

以前にこのブログでも少し触れたが、人に死が必ず訪れる以上、医療行為は本質的にはすべて延命行為である。延命行為に意味が無いと考える医師は、医師を辞めたほうがいい。

良くはならなくても、それ以上悪くならないように工夫を凝らし、患者のQOLを高め、1日でもその人がその人らしく暮らしていけるよう努めるのが医師のあるべき姿である。「もう良くはなりませんよ」などとわざわざ口にし、患者や患者の家族の気持ちを逆撫でしたり、気力を萎えさせることは医師としてあるまじき行為であり、言語道断である。

そのような医師の下にいることに私としては疑問を感じるが、ここから先はご夫妻の判断に委ねるしかない。


頂いたコメントについて13

2007年08月21日 | Weblog
2007年06月30日記載

頂いたコメントについて言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「夫もなかなか思うように前に進めません。
でも、あきらめる事なく先を見ています。
セカンドオピニオンに対しては積極的ではなく、子供じゃないのでその気になるまで待つのみです。
先日骨シンチの検査をしましたが、悪い方の足の膝から下が黒く写っていました。
転移ではないとの事ですが、何らかの原因はあるはずですよね。
CRPは問題ないのですが、白血球が12000位あります。
多いですよね。
体調がイマイチなので抗癌剤(イレッサ)はお休みしています。
こういう状態ですが会社には行っています。
休職したら?って言うのですが、行けるうちは頑張ると。
我が家は子供がいないのですが、働き盛りの子持ちの方は経済的にも大変でしょうね。
がんは長い治療になりますから。
それでは、検査が良い結果になりますように。」



セカンドオピニオンについては、ご主人にも考えがあるであろうから、ご夫妻の決定に委ねる他ない。

骨シンチで黒く写るということは、骨転移か炎症があるのではと思うので、私なら、転移でないのであれば何であるのかを確かめようとするだろう。

体の状態の良い時の数値がわからないので、どの程度高いかはわからないが、一般的には、高い白血球の数値と言っていいと思う。炎症があるのかもしれない。

会社についても、私であれば休職してしまうが、ご主人には思う所があるのかもしれないので、セカンドオピニオン同様、ご夫妻の決定に委ねる他ない。

何がベストの選択かは人それぞれ、夫婦それぞれ違うであろうから、ご主人にとって、ふみさんにとって、ご夫妻にとってベストな選択をして頂きたい。