2007年02月10日記載
私は病気になってから1度も泣いたことがない。元々冷静なことと、泣いて治るものではないという冷めた気持ちのせいであろう。
しかし、1度だけ泣きそうになったことがある。小学4年生の時の担任の先生と話をした時である。現在その先生は高校で教員をしているのだが、ひょんなことから連絡先を知ることとなり、電話をしてみた。 電話口に出た先生は約20年経った現在も当時と変わりなく、若々しい感じで、当時私を呼んでいたように私を呼んだ。そのせいもあったのだろう。自分も小学4年生の頃に戻ったような気がしてしまった。
当時私はスポーツ少年団に入って野球をしており、また、勉強もよく出来た。両思いの彼女も居て、学級委員もしていた。友人も沢山居て、楽しい毎日を過ごしていた。そんな私に(勿論私にだけではないが)、その先生も目をかけてくれ、休み時間には一緒にドッジボールをしたり、サッカーをしたりした。休日には何人かで先生の家に遊びにも行った。
その当時は今のようになるとは想像すらしなかった。そのギャップが悔しくもあり、悲しくもあったのだろう。不覚にも涙が出そうになった。自分でも意外であった。
病気になる前にはもう戻れない。
今日の言葉:「偶然が全ての考えを与え、偶然が全てを奪う。自らの力によって獲得できるものは何も無い。」(ドイツの厭世主義哲学者ショーペンハウエルの言葉)
私は病気になってから1度も泣いたことがない。元々冷静なことと、泣いて治るものではないという冷めた気持ちのせいであろう。
しかし、1度だけ泣きそうになったことがある。小学4年生の時の担任の先生と話をした時である。現在その先生は高校で教員をしているのだが、ひょんなことから連絡先を知ることとなり、電話をしてみた。 電話口に出た先生は約20年経った現在も当時と変わりなく、若々しい感じで、当時私を呼んでいたように私を呼んだ。そのせいもあったのだろう。自分も小学4年生の頃に戻ったような気がしてしまった。
当時私はスポーツ少年団に入って野球をしており、また、勉強もよく出来た。両思いの彼女も居て、学級委員もしていた。友人も沢山居て、楽しい毎日を過ごしていた。そんな私に(勿論私にだけではないが)、その先生も目をかけてくれ、休み時間には一緒にドッジボールをしたり、サッカーをしたりした。休日には何人かで先生の家に遊びにも行った。
その当時は今のようになるとは想像すらしなかった。そのギャップが悔しくもあり、悲しくもあったのだろう。不覚にも涙が出そうになった。自分でも意外であった。
病気になる前にはもう戻れない。
今日の言葉:「偶然が全ての考えを与え、偶然が全てを奪う。自らの力によって獲得できるものは何も無い。」(ドイツの厭世主義哲学者ショーペンハウエルの言葉)