がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

泣きそうになったこと

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月10日記載

私は病気になってから1度も泣いたことがない。元々冷静なことと、泣いて治るものではないという冷めた気持ちのせいであろう。

しかし、1度だけ泣きそうになったことがある。小学4年生の時の担任の先生と話をした時である。現在その先生は高校で教員をしているのだが、ひょんなことから連絡先を知ることとなり、電話をしてみた。 電話口に出た先生は約20年経った現在も当時と変わりなく、若々しい感じで、当時私を呼んでいたように私を呼んだ。そのせいもあったのだろう。自分も小学4年生の頃に戻ったような気がしてしまった。

当時私はスポーツ少年団に入って野球をしており、また、勉強もよく出来た。両思いの彼女も居て、学級委員もしていた。友人も沢山居て、楽しい毎日を過ごしていた。そんな私に(勿論私にだけではないが)、その先生も目をかけてくれ、休み時間には一緒にドッジボールをしたり、サッカーをしたりした。休日には何人かで先生の家に遊びにも行った。

その当時は今のようになるとは想像すらしなかった。そのギャップが悔しくもあり、悲しくもあったのだろう。不覚にも涙が出そうになった。自分でも意外であった。

病気になる前にはもう戻れない。

今日の言葉:「偶然が全ての考えを与え、偶然が全てを奪う。自らの力によって獲得できるものは何も無い。」(ドイツの厭世主義哲学者ショーペンハウエルの言葉)


頂いたコメントについて6

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月10日記載

掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。

「厳しい現実が待っていることが、伝わってきました。ガンになることは、まるで犯罪を犯してしまったようなことなのでしょうか。。。
与えられるのを待つのではなく、努力して奪い取って生きていく、娘もそうであって欲しいし、あたし自身もそうありたいと思います。」

「犯罪を犯してしまった」のではなく、「犯罪の被害にあった」と考えるのが適切ではないかと思う。

日本では、犯罪被害者が好奇の目に晒されることが少なくない。表向き「お気の毒に」などと言いながら、面白おかしく書き立てられ、報道される。

私もまず「どうしたの?」から始まって、「治るの?」「お気の毒に」などと言われるのは日常茶飯事である。「お前に何か関係あるのか」と思いながらも適当に流している。キリがないからである。

これから先いわれもない偏見や好奇の目にさらされることは少なくないと思う。しかしそこは自らの信念を揺るぎないものとして対処していってもらいたい。

今日は好きな言葉ではなく、日本で何故上記のような状況が生まれるのかを理解するのに役立つ書籍の紹介をして好きな言葉に変えさせてもらいたいと思う。

元・一橋大学学長 阿部謹也著『「世間」とは何か』


障害者雇用について2

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月09日記載

私は病気になった時、個別指導塾を経営していた。経営・運営のみならず講師もしていた。プレイングマネージャーである。 (この頃の話はまた後日詳しく記したいと思う。)生徒達と楽しく暮らしていて、これが当面は続くものと考えていた。しかし、それは病気になることによりあっさり否定されることになる。1年4ヶ月の入院生活を終える頃にはすっかり生徒数も減少し、塾経営だけでは生活出来なくなっていた。当たり前である。経営者兼運営者兼講師の私が1年4ヶ月も居なかったのであるから。

そこで私は、塾を信頼できる知人に任せ、自身は企業に就職して生活の糧を得ることにした。

最初私は企業への応募書類に骨肉腫に罹患したことを正直に書いていた。しかし、すべて見事に落とされた。それまでに「ガンになった人は就職することが出来ない」という話を聞いたことはあったが、そんなこともないだろうと高を括って馬鹿正直に病気のことを書いていた。しかし現実はそんなに甘くなかった。

書類が通らないのであれば止むを得ないと思い、病名を変えた。骨巨細胞腫という良性腫瘍ということにした。見事に書類が通り、10日後に内定を得た。私はその後しばらくして転職するのだが、その際も本当の病名を伏せた。書類はほとんど通り、内定は2社から得て、そのうちの1社で今働いている。

偶然の可能性をゼロだとは言わない。しかし、体験的に言えば、ガンだということは就職する際には言わないほうが得策だと思う。試用期間が過ぎるまでは黙っていた方がいい。ガン患者を見る企業の眼差しは真に冷たい。

ここでまた厚生労働省の役人に提案したいのだが(八百屋で魚の感は拭えないが)、入社までは病名を聞くことを法律で禁じてはどうだろうか。企業は入社後配慮しなければならないことを知るために正直に話して欲しいと言う。詭弁である。本当にそうなら入社日にでもじっくりヒアリングすればいい。面接という限られた時間で病気の何がわかるのか。人事の人間は医者ではない。骨腫瘍の何がわかるのか。企業にとって不都合な病気を抱えている人間を掴まされないようにと聞いているとしか思えない。

企業が障害者雇用に真剣に取り組んでいるというのであれば、面接では障害に対してどのようなサポートが出来るかだけを話し、原因は聞かない。原因については入社後に産業医立会いの下じっくりヒアリングをする。そういう姿こそがあるべき姿なのではないだろうか。

ところで、私は名言や格言が好きである。そこで、今回からブログの最後に好きな言葉を記したいと思う。

今日の好きな言葉:「権利は与えられるものではない。奪い取るものである。」


障害者雇用について

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月08日記載

我が国では一定規模以上の企業には障害者を雇用することが法律で義務付けられている。総従業員数の1.8%以上を雇用しなければならない。しかし、その義務を果たしている企業は多いとは言えない。それではその義務を果たさない企業はどうなるか。1.8%に満たない人数×5万円を毎月納めることになる。障害者の側から言わせてもらうと極めて手ぬるい。金さえ払えば義務を免れられるのでは義務を果たそうと真剣に考える企業は少なくて当たり前である。実態がそのことを証明している。障害者の雇用を確保しようと立法者が真剣に考えているのであれば、1.8%に満たない人数×50万円を毎月国に納めさせるぐらいのことはしてもらいたい。詰まるところ企業は損得で動いているので、障害者雇用率は著しく上がると思う。

最近はCSR(企業の果たすべき社会的責任)やコンプライアンス(法令遵守)などという言葉を掲げている企業が多い。障害者雇用率1.8%を切っている企業がそんなことを言っているのを見るとはらわたが煮えくり返る。「綺麗事並べ立てるな!なめるな!」と心底腹が立つ。「私達はお金が大事です。利益のためには障害者なんて雇ってられません。」と正直に言え、と思う。法律に公然と違反していてよくCSRやらコンプライアンスなどと言えるなと思う。

読んでて「感情的になっているな」と思われている方もいるかと思うが、社会悪に対しては怒りをぶつけることは私は大切だと考えている。それがより良い社会を構築するために不可欠であると考えている。柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を生む機械」という発言に怒りを覚えた方も多かったかと思うが、それと同様である。日本人は総じておとなし過ぎる。社会悪に対してははっきりと怒りを表明するべきである。

障害者雇用についてはもう1つ言っておきたいことがある。日本では上記のように一応法律があるため、仕方なく障害者を雇っている企業がある。そういう企業が採る手段は障害者を契約社員や嘱託社員で雇うことである。期間は半年や1年である。意図が見え見えである。体調を崩したらすぐクビにするためである。「ふざけるな!」と言いたい。日本企業の就業規則には大抵、心身の障害により職務を遂行できなくなった場合には解雇が出来る旨の規定が置かれている。それで十分であると思う。敢えて健常者と障害者の雇用形態を変える必要性・許容性・合理性は全く無い。全く働けない人間を雇い続ける義務までは企業にはないと私も思う。そこから先は国が責任をもって対応すればよい。

健常者と障害者を別異に取り扱い、著しく不利な雇用形態で障害者を雇うことは差別である。


頂いたコメントについて5

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月08日記載

掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。

「病気だけじゃなく大変ですよね

大人になれば、病気や障害とつきあいながら社会生活しなければならないので大変ですよね。

私はいわゆる障害者枠で入社したので障害を考えた仕事を任されていましたが入社も8年目になってくるといろいろなことに自分も周りも慣れてしまって、本当は加重をかけてはいけない右手も、手は使えてしまうので「ここまではやっていいだろう」ということがかなり曖昧になり「持てそうなとこまで持ってみる」になってしまってました。
今回も復帰するにあたって、「当面はマイペースでやってね」と上司は言ってくれましたし特に困りそうな業務からは外してもらいましたが、会社にいれば上司以外からも仕事は容赦なく来るのでなかなか体調を理由に引き受けない訳にもいかなくなってしまいます。どこかで線をひかないと自分を守れない事は分かっているのですが。。
子供は子供で、学校という集団生活のなかで自分だけ出来ないことがあったりすると辛かったりストレスを感じたりするでしょうね。自分も経験しましたが体育の授業など「自分だけできい」ことは精神的に苦痛だと思います。徐々に集団生活に慣れて行くといいですね、と思います。」

全く同感である。同じ部署の人は足に障害を抱えていることを知っているので足に負担のかかる業務に対しては配慮をしてくれる。しかし、他の部署の人は障害だとは思っていないので、関係なく足に負担のかかる業務にも付き合わされる。悪意がないのはわかっているだけに断るのもなかなか難しい。そうかといってそこかしこに「私は障害者ですよ。」と触れ回るのも卑屈な感じがして嫌だ。多くの人と関わりながら仕事をしていくなかで、嫌味にならないようにしつつ自分の体を守っていくのはなかなか難しい。


ああ、疲れた(_ _ )

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月07日

仕事が忙しくて疲れた(_ _ )。私は今の会社に病気のことは告げずに入った。偏見にさらされるのが嫌だったからである。従って私は、会社では「少し足の悪い人」である。ゆえに容赦なく仕事は降ってくる。

子供が骨肉腫になったらそれはそれで一大事だが、大人でなってもそれなりに大変である。骨肉腫だからって、足が動かなくったって誰かがお金をくれるわけではない。生きていくためにはお金がいる。堂本剛どころではなく、正直しんどい。


続々・頂いたコメントについて3

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月04日記載

掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。

「先生だったんですね☆
もっと、早く知り合えたら良かったです。
退院とともに、受験生になった娘です。
今度の、火曜から、私立2校と公立2校の受験の始まりです。いろいろ悩んだ末、障害のことは気にせず、本人の希望の高校を受験します。
どーなりますやら。。。」

私は学生の頃のバイトを含めるとおよそ600人位の生徒と接してきた。個別指導の塾だったので、下は小1から上は高3まで、学年・性別・科目・レベル・公私立問わず、色々な生徒と接してきた。障害を持つ子とも接してきた。

その中で一貫して言い続けてきたことは、良い結果が出るにこしたことはないが、結果は、最終的には特別な意味を持たないということであった。この考えは私の人生観を反映している。人間は何も持たず裸で生まれてきて、何も持っていくことは出来ずに死んでいく。それでは人間にとって意味あることは何か?どのように生きたか、その1語に尽きる。私はその信念をもって生徒に接してきたし、今もその信念は変わらない。

お嬢さんは過酷な治療を乗り越え、障害も抱えながら、なおかつ希望の高校の受験を決意した。誠に立派なお嬢さんである。入試結果がどのようなものになるのか、その後の高校生活がどのようなものになるのか、誤解を恐れず率直に言えば、あまり興味がない。その厳しい条件下で自らの意思を表明し、実行した時点でその後の人生を自分で切り開いていける強さを感じるからである。高校受験はうまくいかないかもしれない。高校に入ったらとても不便な生活を強いられるかもしれない。しかし、お嬢さんはきっとそれら全てを乗り越えられるだろう。なぜと言って、あの治療を乗り越え、自らの志を立てられるだけのお嬢さんだからである。

12歳の子供が強いられるにはあまりに過酷な試練を強いられたが、そこからお嬢さんは色々なものを掴み取ったのではないだろうか。自らの力で。お嬢さんの人生が光輝くものとなることを確信している。


続・頂いたコメントについて3

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月04日記載

掲題の件についてコメントする。頂いたコメントは以下の通り。

「体調がよくないのですね。。。
厳しい季節です。免疫力も回復していないでしょうから、大変ツライことと思います。
最近、心無きブログの存在を知り、娘が、病気と闘ったことさえ否定されているような気持ちがしてたので、このブログを見つけた時、大変申し訳ないのですが、仲間がいた!と、大変、心強く思ったのです。
あたしのコメントに対するお返事もいただき、本当に、心強く感じました。同じ病気でも、治療法や、手術法が違う方のお話は聞いたことあるのですが、このブログにある内容は、娘の経験と重なることが多く、忘れかけていたことを、たくさん思い出しました。
娘が、偏見に負けず、胸を張って生きていくよう、もちろん!精一杯、支えます。
ありがとうございました。。。」

私自身も経験していることだが、心無いことを言う人や、偏見はそこら辺にゴロゴロ転がっている。自分に余裕が無い時はイラッときたり、カチンときたりするが、時間の経過とともに大体流していけるようになる。あまり気にされないようにしてもらえたらと思う。

最後の最後はお母様だけがお嬢さんを認めて守ってあげればいいし、そういうご自身の生き方を誇りにしさえすればいい。究極的には、人間にとって他人の評価は一切関係ない。

ただ、そうは言っても、世の中そんなに偏見に満ち溢れている人ばかりでもないので、気持ちを楽にもって偏見を持たない人達との関わりを大事にしてもらいたい。偉そうなことを言ってしまって申し訳ない。


頂いたコメントについて4

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月04日記載

掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。

「■体調悪いのですね

体調が回復することを願っています。
傷の痛み、障害の辛さどれも辛い事ですが私が一番辛いと思った時は手術の翌日、腸閉塞になった時でした。ご飯も水も飲めなくてお腹の痛い数日間、傷の痛みは完全に忘れてました。
12歳で骨肉腫になったお嬢さん、闘病の詳細は分からないですが1年10ヶ月もの間お嬢さんもお母さんも本当に頑張りましたね、と思います。
私も19歳のとき骨肉腫の手術をして私自身も頑張ったとは思いますが毎日のように遠くから面会に来てくれた母は相当頑張っていたと思います。手術から3ヶ月が経った頃、母は疲れからくるストレス性大腸炎で入院してしまいました。
一番辛い時、側にいてくれた母に感謝しています。」

私は腸閉塞にはならなかったが、ご存知かと思うが、全身麻酔下での手術の後は全身の機能が低下していて、腸も動きを止めている。腸が動くようになるまでは水すら口に出来ない。水を口に出来ないことがこんなに辛いものだとは思わなかった、と私も当時思ったものである。

私も母には大変感謝している。大変な苦労をかけて申し訳ないとも思っている。母と呼ばれる人はほとんどの人がそうだと思うが、子供を愛している。我が家もごたぶんに漏れず、多分息子(私)を愛している。私が病気になってからずっと「○○(私の名前)が死んだら私も死ぬ。」と妙なプレッシャーを掛け続けている。これが、私が病と闘うのを頑張るようにとの叱咤激励であれば問題ないのだが、私が死んだら本当に後を追ってきそうな勢いがある(笑)。自分のために病と闘ったと同時に母のためにも闘った感じである。有難いやら有難くないやら、今も判断がつきかねている(笑)


頂いたコメントについて3

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月03日記載

掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下の通り。

「■体調はどうですか???

わたしの娘は、12歳で骨肉腫になりました。広範囲切除術、人工関節置換術、1年10ヶ月の治療を終え、昨年2月に退院しました。
体に副作用による後遺症を残しましたが、それでも、今、生きていてくれることに感謝しています。
治療のつらさ、病気に対する恐怖など、落ち着いた文面で書かれていますね。大変参考になりました。
再発、感染、転倒など不安もいっぱいですが、娘が、胸を張って生きていけるよう支えていきたいと思います。」

「体調はどうですか???」と聞かれたならば、「頗る悪い」と答えたい(笑)

冗談ではなく、実際非常に体調が悪い。困るのは、思い当たるフシがありすぎて原因が特定できないことである。この体調の悪さはいつまで続くのだろうと暗澹たる気持ちになる。

閑話休題。

1年10ヶ月の闘病生活を乗り越えられたということで、大変立派なお嬢さんである。大人でも死んだ方がマシだと思わせるあの治療を12歳の子が乗り越えたというだけで賞賛に値する。

以前にも記載したが、骨肉腫の好発年齢は10代、次いで10歳未満なので、私の入院していた病院にも子供達がたくさんいた。

しかし、私の目から見ると、子供達の方が逞しく、笑顔が多かったような気がする。かえって大人の私の方がへこたれてる感じだった。子供の持つ強さを感じた。きっとお嬢さんもそのような明るく強いお子さんなのだろう。

「娘が、胸を張って生きていけるよう支えていきたいと思います」とあるが、治療を乗り越えた時点で既に胸を張っていいと思う。

同じ病気で、1年10ヶ月の入院期間というと、どのような治療が行われたのかは大体察しがつく。それを乗り越えたということは、その時点で既に立派なお嬢さんである。自慢して回っていいくらいである。

年齢が若いだけに、不安がつきまとう期間も長くなるが、頑張ったお嬢さんを支えてあげて欲しい。(私が言わなくてもそのつもりであると思うが。)

お嬢さんの完治を心から願っている。


続々々・頂いたコメントについて2

2007年08月07日 | Weblog
2007年02月01日記載

しつこいようで恐縮だが、掲題の件について言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「■体温が分かるのはすごいですね

私もこれから体温を測り続けていけばそうなるのでしょうかね。思えば人工骨を入れてから今までの約8年間、かなり無防備だったのだなと思いました。人工骨を入れている同じ世代の方にはなかなか出会えないのでDrが言わない限りは体験談などを聞く機会はありませんでした。
このブログを見つけられて良かったと思っています。
今は本当にこの先に待つ「何か」にむけ踏ん張っていくしかないと思っています(≧ ≦)Ω
ありがとうございます!」

まず、「今までの約8年間、かなり無防備だったのだなと思いました」との点についてであるが、特にそういうことは考えなくてもいいのではないかと思う。人工物を入れて2年以上経過してから当該人工物に感染するというのは極めて稀なことである。アンラッキーだったとしか言いようがない。それ以上でもそれ以下でもない。余談かもしれないが、虫歯の菌から感染することもあるので虫歯があれば、機会を見て治しておいたら如何かと思う。

次に、「このブログを見つけられて良かったと思っています」の部分についてであるが、そう言って頂けるのは素直に嬉しい。このブログを始めたのが情報を欲している人に情報を提供したいと考えてのことだったからである。

私も骨肉腫に罹患しているということが判明してから、かなり情報収集に奔走した。しかし、罹患者の絶対数が圧倒的に少ない病気ゆえ、正確な情報の収集はかなり難しかった。今私が提供している情報が正確なものである保証は全くないが、無いよりはましな情報は提供出来ているのではないかと思っている。そこからまた読者が深く情報を探っていってもらえれば良い。

最後に、「今は本当にこの先に待つ「何か」にむけ踏ん張っていくしかないと思っています」との点についてであるが、全くその通りだと思う。私の感覚で言えば、闘病は「頑張る」というよりは「踏ん張る」というイメージに近い。「耐え忍ぶ」と言ってもいいかもしれない。踏ん張らなくていい結果となることを心から願っているが、万一、踏ん張らなければならない事態になったとしたら、なんとか踏ん張ってもらえたらと思う。

骨肉腫罹患、MRSA感染、人工関節抜去、その結果としての膝関節のない生活、5種7クールの抗がん剤治療、身体障害者となっての生活。どれもそれほど多くの人が経験することではないと思う。稀少な情報として、今後も可能な限り提供していきたいと考えている。ただ、気長に待っていて欲しい。いかんせん未だ体力が全く回復しない。