新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月17日 その4 20年度の我が国の衛生用紙の販売量

2021-03-17 16:18:49 | コラム
20年の我が国の衛生用紙の販売量は微減だった:

紙業タイムス社のFUTUREの最新号に衛生用紙の販売量の統計が掲載されていましたので、お知らせ致します。資料は「機械すき和紙連合会(日本家庭紙工業会)」となっておりました。

テイシュ  403,109 トン 対前年比 △7.4%  販売金額 83,509百万円  △7.8%
トイレ紙 1,090,347 トン 対前年比 △0.3%       184,800百万円  △0.4%
タオル紙  235,087 トン 対前年比 11.5%       43,726百万円  13.9%
その他   86,280 トン 対前年比 2.3%       19,466百万円  △1.0%
合計   1,814723 トン 対前年比  △0.9%       331,500百万円 △0.8%

あらゆる紙類の中で成長を続けてきた衛生用紙が僅かと雖もマイナス成長だったとはやや意外だった。

参考資料:紙業タイムス社刊行 Future 21年3月22日号

東京電力柏崎苅羽原発のテロ対策不備の不備を原子力規制委員会が指摘

2021-03-17 09:27:29 | コラム
「危機管理とは」:

掲題の件では畏メル友のYO氏からも指摘があった。報道を知って「またあの規制委員会が何かクレームを付けているのか」とは思った。だが、直ちに約1年前に掲載してあった級友から教えられた「危機管理とは」を思い出したのだった。そこで敢えてYO氏にはその内容を再送したので、ここに再録する次第だ。

「危機管理とは」:

そんな事態はあり得ないと言えるか:


昨15日には(20年3月)、昭和20年の中学入学以来の級友で化学の技術者から彼が経験した「危機管理とは」という話を聞く機会があった。彼は工場の運営と管理も経験した技術者としての視点から見れば、この度の新型コロナウイルスの感染に対する我が政府の危機管理として対応は未だ不十分ではないかとの感想を述べていた。

彼はフランスの企業との合弁の工場を管理していた際に「危機管理のマニュアル」を作り上げて本部に提出した時の経験を聞かせてくれた。彼は良く出来ているとの自負があったが、本部の反応は意外にも「これでは不十分だ」だったそうだ。フランス側からの指摘は「もし、工場に何処か知らない外国の飛行機が飛来した場合の対策が欠けている」というものだった。彼は「そんなことはあり得ないではないか」と反論すると「絶対にあり得ないと言えるか」と切り返されたいうこと。

要するにフランス側は「危機管理とはその範囲を広く取って、あり得ないだろうという事態まで想定して入れておくべきではないか。この世には絶対にあり得ないということはない」と指摘した来た由だった。級友は「なるほど、そういうことか」と納得したそうだ。アメリカの会社で彼らの物の考え方を知る機会があった私にとっても、尤も至極な指摘だと思わせられた。ここでも言えることは、既に何度か引用したYM氏の「継ぎ足し方式ではなく、最初から範囲を出来る限り広く取っておくべし」が当て嵌まると思っている。

私がアメリカでの経験を2例ほど挙げておこう。先ずはW社の我が事業部の取引先で急成長の可能性を秘めた中規模の紙加工会社に、「数量値引き」(=volume discount)契約を提案した時のことから。副社長と最高到達点をどの辺りに設定するかを打ち合わせた。私は副社長に「現状が1万トンにも満たないのだから、1万5千トン辺りを限界に」と提案して却下された。彼は3万トンにすべきだと言うのだった。「あり得ない数字で、非現実的では」と返すと、「この世に絶対があるか。もしも3万トンに達した時に契約がないから値引きしないと言えるか」と厳しく諭された。

次は「契約の観念の話」を同僚たちと語り合っていた時のこと。話題に上ったのはかのシアトル・マリナーズのイチロー君で、アメリカ人たちは彼の契約条項に「もしもホームラン王になった場合に翌年の年俸の増額は幾ら」が入っていると言うのだった。彼らの説明は「これは決して非現実的ではなく、イチローの実力からすれば、その気になって打率を捨ててホームランを狙った場合にはその可能性は十分にあり、その条項を入れておくのはごく当然のこと」となっていた。ここまで来ると、上記の「危機管理とは」から少し逸脱するが、彼らの物の考え方が見えてくると思う。

この話も結局は「我が国とアメリカ/ヨーロッパとの文化と思考体系の相違」という辺りに落ち着くのだと思う。
<引用終わる

そう言えば、日本大学・危機管理学部の福田充教授はこの頃に「政府の専門家会議に危機管理の専門家が入っていないのは疑問だ」と言っておられた。


言葉は正確に使おう

2021-03-17 08:55:47 | コラム
英語教育に問題があるのでは:

情報セキュリティ学科とは:
長崎県立大学にこういう名称の学科があると知って悲しくなった。しかも、この大学では英語の教育にも熱心のようなので、一層失望感が増してきた。ここまでで私が何を言いたいのかがお解り願える方がおられれば嬉しいのだが、そうは行くまいと懸念している。あらためて述べておくと、これは英語では“security”であって、動詞の“secure“の名詞形なのだ。動詞のsecureの発音は「セキュアー」である。その名詞形を何処かに巣食う輩がローマ字読み式に「セキュリティ」としたのは、とんでもない誤りであると指摘して、ずっと憤慨してきた。

ところがである、その困ったものだと思っている「セキュリティ」を事もあろうに公立大学で学科の名称に使ってしまっていたのだった。見識を疑いたくなるし、この大学で英語を教えておられる先生方は「セキュリティ」という表記に疑問を持っておられなかったのかと、疑問に思うと同時に情けなくなってしまった。大学校で英語を教えておられながら、辞書の発音記号くらい確認されないのかと訝ると同時に、大学当局はnative speakerにでも「正確な発音」を確認される機会はなかったのかと伺いたくもなる。学内で誰が一人くらい「セキュアリテイ」辺りは思いつかなかったのだろうか。

コロナ(=corona):
これは「光冠」で広辞苑には「太陽や月のまわりに接して生じる美しい小光彩」とある。五月蠅い事を言う奴だと非難されるのを承知でいうが、決して「新型コロナウイルス」などを意味していない。先頃、李御寧氏の「縮み志向」を引用して「何でも短縮形に持って行きたがる我が国の言葉に対する姿勢、就中マスコミのそれ」を批判した。この「コロナ」の悪質性(?)は単なる短縮ではなく、最初の「新型」を飛ばして全くウイルスの名称でも何でもない「コロナ」で代用してしまった事にある。しかも、マスコミは躊躇せずこれに飛び付いて遍く普及させてしまったのは酷すぎる。

私がこの「コロナ」を使うのを最初に聞いたのは石原良純だった。その時は「こう言う遣い方もあったのか」と多少新鮮に響いたが、言葉の誤用であるのは宜しくないと感じただけで終わった。まさか、この誤用がマスコミだけに止まらず、国会議員さんも重用されるし、最早公用語であるかのような印象すらある。困った事だと思う。まさか、一般の方々は「コロナ」がウイルスの意味ではなく「光冠」だとはご存じないのではあるまいな。私は何処かにおられる権威者が「この新型コロナウイルスをコロナと呼ぼう」とお決めになったかと真剣に疑っている。困った事だ。

インフル:
これを私のワープロソフトに入力すると「略称」と出てくる。だが、そのまま続けると自動的に「インフルエンザ」になってしまう。そうなんだ、これは往年に漢字で表現されていた「流行性感冒」即ち「流感」のことなのだ。思うに、新聞社は見出しに使う場合に「流行性感冒」では長すぎるので「流感」にしていたが、世の流れであるカタカナ語の魔力にでも取り憑かれたのか「インフルエンザ」の頭の部分を採って「インフル」にしたのだろうと悪意で推察している。馬鹿な事だと切り捨てたい。「インフルエンスが、俺をどうしてくれるのか」と怒っているとも述べた事もあった。

私がウンザリしている事は、字数や行数に制約がある新聞が略語に走る辺りなのだ。この点は多少は理解する。だが、テレビでもラジオでも「インフルエンザ」や「ヘリコプター」を全部発音しても何秒もかからないし、CMの時間に食い込む事などないだろうと思っている。しかも、困った事に「ヘリ」と言えば誰にでも「ヘリコプター」の意味だと解って貰える点だ。しかし、大上段に構えて「英語教育の面」から語れば、英語には“copter”か“chopper”との略称はあるが“heli”は存在しない。テレビ局御用達の「フリップ」も、この誤った短縮形の類いで“flip chart”が元の英語だろう。

結び:
言葉の誤用を指摘するつもりで始めたが、結局は「カタカナ語排斥論」になってしまった。ではあっても、「言葉は正確に使いましょう」と言う点を強調しておきたいのだ。問題は「単語を覚えて受験に備えよう」という歪んだ英語教育の在り方が、かかる不適切なカタカナ語を粗製濫造させているの原因なのだと非難し攻撃したい。意味を覚えるだけではなく「発音記号にも目を通しなさい」と言いたいのだ。何にでもカタカナ語を見たら、先ず「これは本当に英語にこのような単語が、こういう意味で使われているか」を確認すべきなのだ。