新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

東京電力柏崎苅羽原発のテロ対策不備の不備を原子力規制委員会が指摘

2021-03-17 09:27:29 | コラム
「危機管理とは」:

掲題の件では畏メル友のYO氏からも指摘があった。報道を知って「またあの規制委員会が何かクレームを付けているのか」とは思った。だが、直ちに約1年前に掲載してあった級友から教えられた「危機管理とは」を思い出したのだった。そこで敢えてYO氏にはその内容を再送したので、ここに再録する次第だ。

「危機管理とは」:

そんな事態はあり得ないと言えるか:


昨15日には(20年3月)、昭和20年の中学入学以来の級友で化学の技術者から彼が経験した「危機管理とは」という話を聞く機会があった。彼は工場の運営と管理も経験した技術者としての視点から見れば、この度の新型コロナウイルスの感染に対する我が政府の危機管理として対応は未だ不十分ではないかとの感想を述べていた。

彼はフランスの企業との合弁の工場を管理していた際に「危機管理のマニュアル」を作り上げて本部に提出した時の経験を聞かせてくれた。彼は良く出来ているとの自負があったが、本部の反応は意外にも「これでは不十分だ」だったそうだ。フランス側からの指摘は「もし、工場に何処か知らない外国の飛行機が飛来した場合の対策が欠けている」というものだった。彼は「そんなことはあり得ないではないか」と反論すると「絶対にあり得ないと言えるか」と切り返されたいうこと。

要するにフランス側は「危機管理とはその範囲を広く取って、あり得ないだろうという事態まで想定して入れておくべきではないか。この世には絶対にあり得ないということはない」と指摘した来た由だった。級友は「なるほど、そういうことか」と納得したそうだ。アメリカの会社で彼らの物の考え方を知る機会があった私にとっても、尤も至極な指摘だと思わせられた。ここでも言えることは、既に何度か引用したYM氏の「継ぎ足し方式ではなく、最初から範囲を出来る限り広く取っておくべし」が当て嵌まると思っている。

私がアメリカでの経験を2例ほど挙げておこう。先ずはW社の我が事業部の取引先で急成長の可能性を秘めた中規模の紙加工会社に、「数量値引き」(=volume discount)契約を提案した時のことから。副社長と最高到達点をどの辺りに設定するかを打ち合わせた。私は副社長に「現状が1万トンにも満たないのだから、1万5千トン辺りを限界に」と提案して却下された。彼は3万トンにすべきだと言うのだった。「あり得ない数字で、非現実的では」と返すと、「この世に絶対があるか。もしも3万トンに達した時に契約がないから値引きしないと言えるか」と厳しく諭された。

次は「契約の観念の話」を同僚たちと語り合っていた時のこと。話題に上ったのはかのシアトル・マリナーズのイチロー君で、アメリカ人たちは彼の契約条項に「もしもホームラン王になった場合に翌年の年俸の増額は幾ら」が入っていると言うのだった。彼らの説明は「これは決して非現実的ではなく、イチローの実力からすれば、その気になって打率を捨ててホームランを狙った場合にはその可能性は十分にあり、その条項を入れておくのはごく当然のこと」となっていた。ここまで来ると、上記の「危機管理とは」から少し逸脱するが、彼らの物の考え方が見えてくると思う。

この話も結局は「我が国とアメリカ/ヨーロッパとの文化と思考体系の相違」という辺りに落ち着くのだと思う。
<引用終わる

そう言えば、日本大学・危機管理学部の福田充教授はこの頃に「政府の専門家会議に危機管理の専門家が入っていないのは疑問だ」と言っておられた。



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