新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月16日 その2 小池百合子東京都知事に望む事

2021-03-16 10:52:30 | コラム
小池都政の限界が迫ったのでは:

緊急事態宣言の解除か再々延長かが問われているこの時期に、遺憾ながら東京都では感染の下げ止まりか、再上昇の危機が取り沙汰されるに至った。私はそこに小池百合子東京都知事の「やっている振り」というか無策であって、格好を付けて体裁を整えているだけで、内閣の先手を打ってみせる手法の限界が迫ってきたのではないかと思って見ている。何を望むのかといえば「小細工を排除した一貫した思想のある政策の実行」である。

何年前だったかを思い出したくもないが、就任後に豊洲移転を延期して失態を演じたし、内田茂都議や石原慎太郎君を相手に派手な対抗劇を演じて見せた。それに飽き足らず都民ファースの設立で失点を挽回したかと思えば、希望の党で「排除宣言」で民主党を瓦解させただけに終わった辺りを見ていると、私はこの方は都知事としての確たる「プレーブック」を持っておられるのかが疑問に思える。実行してきた施策に一貫性がなく、フットボール用語に言う「プレー崩れ」で「スクランブル発進」ばかりのようにしか見えなかった。

そこに天から降ったか地から湧いたか、新型コロナウイルスの感染が始まって、小池都知事の得意技である英語擬きを駆使してウイルスの制圧策を打ち出したのだった。しかも、その際には以前に得意技とした誰かを敵対視する手法をデザインして西村康稔大臣を標的としたかと思えば、菅首相の先手を打つ策を編みだして、内閣が如何にも後手後手であり、小池都知事の後追いであるかのように演じて見せたのだった。以上は敢えて小池都知事のウイルス対策を悪意を持って批評すれば、このようになると言いたかったのだ。

私は我が国のウイルス制圧策が世界にも希な成果を挙げているのは、我が国の民度の高さが大いに貢献していると思うのだ。「それはおかしい。貴殿は何度も我が国の民度に問題ありと言ったではないか」と言われそうだ。だが、私はこれまでに繰り返して、アメリカと比較した場合の我が国民の質の高さを指摘して来た。少数民族が多く、多くの階層が複雑に入り乱れているアメリかでは僅か1~5%の知識も教養も資産も十分に保有する支配階層を除けば、決して民度は高くないと指摘して来た。その民度の高さが政府のウイルスの制圧策の効果を発揮させているのだと思っている。

安倍前内閣以来、菅内閣も同様だが、ヨーロッパやアメリカのような「都市封鎖」だの「外出禁止令を発して違反者からは罰金を」という類いの「二進法的」な極端な手を打たずとも今日までの成果が挙がったのは、ひとえに民度の高さのお陰と、私は確信している。だが、東京都内では若者どもを中心に「緊急事態宣言馴れ」と「ウイルス何するものぞ」といったような事態を軽視する風潮が流行り始めたのは間違いないと思う。いや、都知事が何もしなくても一定の効果が出るのならば、ストレス解消(「フラストレーション」が正しい)をしてやろうと思う輩が増えたのではないか。

再びフットボール用語に頼れば、東京都下では「何らのデザインされたプレー」で攻めなくても、ある程度以上のヤードは稼ぎ出せるのだと、若年層を中心に事態を甘く見る輩が増えたのではないのか。私は事ここに至れば、感染の再度の増加を防ぐ為には「スクランブル発進」ではなく、キチンとしたある程度の強行策に打って出る必要がある気がしてならない。即ち、周辺の3県の知事を巻き込んで内閣の先手を取るのではなく、改正特措法が許す範囲内の罰則を伴う手段も必要だと思うのだ、仮令都議会選挙が迫っていようとも、解散の時期が見えていても。

即ち、東京都政と新型コロナウイルス対策に確固たるプレーブック(一貫した政策と対策の意味だ)を用意して、感染の再度増加を防ぐ手立てを講ずるべき時ではないかと言う事。この点は菅首相にも西村大臣にも当て嵌まると危惧するのだ。やって欲しい事は、より厳しい制圧対策に加えるに「速やかなるワクチン接種の進行」、「特効薬の国産化と承認」、「厚生労働省の意識改革」、「二進法的な思い切りの良い政策の実行」、「実効性がある水際対策」等々である。

小池さんに望みたい事は「スタンドプレイや内閣の先手を取っている時期はとっくの昔に終わったと自覚すべき事」である。


緊急事態宣言は解除か再延期か

2021-03-16 08:25:42 | コラム
菅首相には申し訳ないが“indecisive”という単語を思い浮かべた:

昨日の参議院予算委員会で福山哲郎立憲民主党幹事長だったと記憶するが「宣言は解除か再延期か」と突っ込んだ。首相は簡単に言えば「専門家の意見に任せる」と言うに等しい答え方をされた。忌憚のないところを言えば「例によって逃げた」と感じたのと同時に、上記の indecisive(ジーニアス英和には「決断力のない、優柔不断の」と出てくる)を思い浮かべた。「その答えでは西村康稔大臣と同じ責任回避か逃避だ」と言う事。そこで、福山氏は返す刀で尾身茂分科会長の意見を求めた。訊かれた尾身氏も辛いだろうなとは感じた。

その答えはと言えば、先ほどテレ朝に出ていた中尾彬にも「何が言いたいのかサッパリだ」と斬って捨てられたほど「政治家的」な、如何様にでも解釈できる表現だった。私はこの「先生」はとっくの昔に医学の専門家の領域を離れて、政治の専門家たちよりも政治屋的に変身されたと思っている。この返答に福山氏が満足したとは思えない表情を見せていたと思う。

ところで、その来たる21日に期限を迎える緊急事態宣言だが、何処かで若者が「今や宣言があってもなくても同じなほど、一般大衆は宣言慣れしてしまったので、解除してもしなくても状況は変わるまい」と指摘していたのが極めて印象的で、「同感」と叫びたい思いだった。言葉を換えれば「若者たちはウイルスを舐めきっている」とでもなるだろうというのが現実ではないのか。それは、テレビが映し出す都内の盛り場での人出を形成する若者たちの群や、ここ大久保通りを占拠している白くない外国人たちの安心しきった顔付きからも明らかだ。

要するに「あってもなくても同じの緊急事態宣言」とでも言いたいほど、彼らはウイルスと宣言慣れしてしまったのではないのか。しかも、宣言から直接影響を被るのが飲食業界が主流で、そこにはマスコミの「可哀想だキャンペーン」的な報道にも押されたのか、時短営業に対する休業補償金まで出ているのだ。それ以外には諸外国のような文字通りの都市封鎖もなければ、店内の飲食禁止令もないのである。それでも、大衆は世論調査に対して「菅内閣の対策不十分」と答えたがるが、数字の面では我が国は世界で最も優れたウイルス征圧に成功しているのだ。

しかも、小池都知事のように口先だけの演技派がおられて、ただひたすら「ステイホーム」のような得意の英語?を駆使されてご協力をお願いするだけで、無為無策の知事もおられるのだから始末に困る。私は菅首相には「この際、専門家だの分科会のご意見を承ってから決められるのではなく、これだと自信がある思い切った策を打ち出されて果断に実行されるべき時が来ているのではないのか」と申し上げたいのだ。噂によれば、菅官房長官当時には官僚の人事には極めて冷酷だと言われるほど厳しかったそうだから、その決断力を大きく政策面に活かして頂きたいものだと思う。

換言すれば、疫学の専門家と言うよりも「習うよりは馴れよ」を地で行かれて、政治屋的におなりだと思わせらる分科会長を盾にして頂きたくはないのだ。確か、田崎史郎氏だと思ったが、政府はNTTの沢田社長とは事前に答弁の摺り合わせが出てきていたと指摘しておられた。その技が出せるのであれば、武田良太総務相などには、あのように立憲民主党に繰り返して突っ込まれるような曖昧な答弁をしないような教育的指導くらい出来たのではなかったかと思ってしまう。就任後半年も経ったのであるから、リーダーシップと決断力を見せて頂いても良いのではないか。