新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月15日 その3 政治家の質の劣化を憂う

2021-03-15 16:49:14 | コラム
長老の嘆き:

先日の長老との電話会談の際に、彼は「現在の政治家たちの質の劣化は目に余る」と慨嘆しておられた。私も「全く同感」と言う他なかった。その際にこちらから敢えて言いだした事が二つあった。

一つは古くから言われている事で「政治家に自分の能力以上の期待を抱いてはならない」だった。これは如何にも陳腐だが、「遺憾ながらその程度の者たちしか政治を志さない嫌いがあるようだし、選ぶ方にも責任無しとは出来まい」と申し上げた。賛同を得た。

もう一つは、当方の中学以来の同級生たち二人の関連である。一人は神奈川県下の言わば政治の裏の実力者(有力者でも良いか)で、建設関係の会社も経営する遣り手だった。偶々同級生の一人が彼の仕事の本社所在地の市役所の選挙管理委員長だった。私はその委員長に「何で彼は自分で政治に出ていかないのか。あれほどの力量があれば当選確実では」と尋ねてみた。その答えはきつかった。「お前も解ってないな。奴は自分から出て行くほどの間抜けじゃないんだ」だったのだ。驚かされたが「なるほど」と妙に納得した。

この挿話も長老に回顧してみたら「上手い事を言うものだな」と、感心された次第だった。確かに、この見解が当て嵌まってしまうような閣僚や議員がいる事は疑いないように思えるのが、遺憾千万である。

3月15日 その2 参議院予算委員会

2021-03-15 14:08:37 | コラム
福山哲郎氏は言った「コロナとワクチンのことの質問がしたかった」と:

本15日はNTTの沢田社長と東北新社の中島社長が証人として出席するとあったので、敢えて福山立憲民主党幹事長の質問に焦点を合わせて、テレビ観戦(この場合「戦」の字が適切かと思うのだが)を選んだ。客観的に言えばと言うか、自公内閣支持の立場を離れて評論家的に言えば、かなり激しい興味ある遣り取りだったと評価したい。福山幹事長の質問を査定すれば「善くぞ問い質した」の部分で約90点、「例によって例の如き揚げ足取り」で50点未満だったので、平均すれば70点ほどになるかと思う。

証人と閣僚の答弁を借りれば「細かい点は差し控えるが」となるが、私なりに「これは」と「それは如何なものか」等の気が付いた点を列挙していこうと思う。

福山哲郎立憲民主党幹事長の嘆き:
彼は「本当はコロナやワクチンに関して質問した事が沢山あったのだが、これまでの質問(NTTと東北新社関連)のようなことを起こしてくれたので、そちらに長い時間を取らざるを得なかったのはきわめて遺憾である」と、菅首相と内閣に向かって不満をぶつけていた。これを何と採るかで、福山氏の質問の評価は分かれると思う。即ち、揚げ足取りの部分は否定できないほどあったと感じたから言うのだ。

社長を喚問する意義と無意味な点:
経験上も断言したい事は「我が国の会社組織では、規模か大きくなればなるほど、地位が上がっていけば行くほど、一般的に言える事がある」という点で、実務の担当と現場から遠ざかってしまうので、余程の能力があれば別だが、社長のような方は日常的な業務の内容に精通していなくても、さほど不思議ではないのだ。美しい言い方をすれば「下部組織に権限を委譲」をされるので、細かい事まで詳細な報告は受けておられないのは珍しい事ではないのだ。

ICT化が進んだ現在の事は知らないが、社長に全担当者からの報告書が上がっていく事はないだろうと思う。当方の親友であるある世界的な多国籍企業の副社長だった人は「自分自身ではPCを操作して受信したメールを見る事も、返信もしない。全ては秘書が取捨選択して必要なものだけ上げてきて、それらを検討して指示をするとか返信の内容を伝えて送信させてきた」と回顧していた。それは、彼自身が全受信分に対応してしまっては、それだけで日が暮れてしまうからだったそうだ。こういう話は他からも聞いた事があった。

果たして、実務の世界におられなかった福山氏がこのような経営者の日常の業務を弁えていたかどうかは疑問だと思う。だが、もしも承知で質問していたのであれば、それこそ時間の無駄遣いだっただろう。事実、中島社長の答弁は全て黒子から貰ったメモを読むか、耳打ちされただけの答えだったのは普通の事だろう。まして、記憶が正しければ、中島氏はつい先頃引責辞任(だったのか?)した前任者の後を引き継いだばかりだったから、あの答弁は仕方がないと思わせられた。

NTTの沢田社長は中島氏のようにもたついていなかったが、かなり不器用に「差し控えます答弁」で逃げ切ったと思っておられるだろうと読んでいた。かなり明快に「親睦を図ろう」と「情報交換をしよう」と総務省側から持ちかけられたので、予算を決めて応じたので、総務省側の1万円負担の条件も提示したと言っておられた。要するに、何らかの見返りを求めて会食を願い出る為の会合(会食)ではなかった旨を、ハッキリと答えておられたと聞こえた。

接待(会食)に対する立憲民主党の見解:
全野党の解釈としても良いかも知れない。彼らは一般論として「接待とは何らかの下心を持ってか、見返りを期待して費用を投じて供応するものである」と決め込んでいるかのようにしか思えない。これは認識不足が時代錯誤だろうと思う。見返りを期待していては、恰も現代の「越後屋。お主も悪じゃのう」と言っているのと同じではないか。東北新社はいざ知らず、政府が30%の株式を保有するというNTTが情報交換を求められれば応じたかも知れないし、供応までする意味があるのかなと思わせられた。この野党の接待についての見方はおかしいと思う。

メモまたは議事録:
福山幹事長はしきりに総務省側に東北新社が外資法違反の申告に来た際等々の会談のメモがあるべきで、それらの提出を執拗に求めていた。一聴極めて尤もな詰問だったと聞こえたかも知れない。私は総務省の報告書に関する内規がどのようになっているかなど想像も出来ない。課長以上の役職者が事細かに日常の業務の報告を上司に口頭で伝えるのか、書面にするのか、Emailの形式にするのかだと思う。総務省がどれほど多忙かも想像もできないが、毎日のように数十通も上がってきた場合に、局長なり審議官が全部に目を通すものだろうか。アメリカ式に細部まで通じているのか。

私の関心は「政党の幹部には所属議員から毎日のように報告書が上がってくるのだろうか。口頭での活動の報告が義務付けられているのだろうか」との点にある。もし如何なる形ででも上がってくるのであれば、幹事長には全部を読む義務が生じるだろうし、読んでいれば自分の仕事が出いなくなるだろう。それとも、週刊文春だけは定期購読でもしているのか。彼らはこのような実務の世界を知らずして、為にする揚げ足取りの質問をする傾向があるのは確かだと思う。

首相と閣僚の答弁の問題点:
私が疑問に思う事は「菅総理は本日のような委員会に臨まれる前に(というか前夜にでもか?)全閣僚と総務省の幹部を集めてハドルを組んで、シグナルの交換(「サインの交換」は誤ったカタカナ語だ)してあったのかという点だ。出来ていなければ「テイームウワーク」が十分に整っていない段階にあると非難したい。私ならば福山氏が追求を諦めたかのような武田総務大臣の「国民の疑念を招くような会食には応じない」という下手な逃げ方をする答弁を許していれば、野党の揚げ足取りの機会を実質的に提供しているのと同じではないか。それとも「武田、うい奴」との評価か。

菅首相は何故煮え切らない答弁を続けるのかも良く解らない。明快に「今後は総理大臣の権限を以て、如何なる関係先と先方の負担額の方が大きくなるような食事会または会合を一切、今日を以て禁止する」くらいの見得が切れないのかと思って聞いていた。また、福山幹事長も繰り返して「総理大臣の息子が同席していれば忖度が」と切り込んでいたのに対して、「総務省が接待なり何なるを受けていた時期は19年であって、自分は官房長官だった」くらいを指摘されないのかと不満というか不思議に感じていた。


COVID-19用ワクチン接種待望論

2021-03-15 09:00:32 | コラム
新宿区役所から未だ何のお達しもないが:

河野太郎担当大臣は「都内の高齢者のワクチン接種は4月12日から開始の見込みと述べた」というような報道が何回もあった。それまでには既に1ヶ月を切っている。超後期高齢者としては新宿区役所から何らかのお達しがあるのを、一日千秋の思いで待っている。だが、読み損ないでなければ、5の日に発行される新宿区の広報には何らの関連の記載がない。私は善意で接種会場の設定、高齢者の名簿の製作や必要な書類と窓あき封筒の準備等に手間取っているのだろうかと考える事にしている。それにしても遅くはないだろうか。

先日語り合った同じ新宿区の住民である長老などは「期待はしているが、6月頃になるものと決めつけて待つことにした」と言われたし、渋谷区のYM氏は「期待せずに待つことにしているが、4月中はあるまい」とこれもアッサリと割り切っていた。世論調査などでは接種を希望するとの答えは60%程度だったとの報道もあった。私は国費で賄って下さる以上、一日も早く安心感を得たいものだと心から願っている。

先日もおかしな現象ではないかと指摘したが、我が親愛なるマスメディアは相変わらず熱心に「昨日は何人のアナフィラキシーが発生した。圧倒的過半数は女性である」という具合に「皆様方、怖れなさい」と言わんばかりの過剰報道振りだ。私はこのマスメディアの姿勢では上記の60%という高率は彼らの大勝利ではないかと嘆いている。私にはかかる否定的な報道の仕方は疑問であるとしか思えないのだ。昨日になって産経新聞が漸く小池都知事の3県の知事に対する小細工を批判する記事を載せたが、このようなことを報じるのが彼らの務めではないのかな。

私のような高齢者ともなれば、外出しないことは何ら欲求不満(フラストレーションであって、マスコミが言うストレスではない)とはならないが、若い世代にとっては欲求不満は募ることだろう。そうかと言って盛り場に出掛けて深夜まで彷徨っていては、事は「緊急事態宣言」の再々延長で済む事態にはなるまい。そこに小池都知事の口先だけの体裁だけを整えた小細工ばかりでは、都内の感染の再度の増加(何で「リバウンド」というカタカナ語に執着するのか)は回避できなくて当たり前ではないかと危惧する。小池都知事の猛省を求めたいが、「何とかの面に水」だと思う。

終わりに矢張りカタカナ語を批判しよう。マスコミどころか政府も「アナフィラキシー」というドイツ語を使っているのは、未だ何とか看過できないでもないが、アナフィラキシー・ショックは頂けない。それは「ドイツ語と英語の組み合わせになっているから」である。先日も指摘したが英語は“anaphylaxis“なのだ。従って理屈を言えば正確には「アナフイラクテイック・ショック」となるのだ。綴りは”anaphylactic shock“なのである。何処かにいる製造業者は「これでは面倒だ」と「アナフィラキシー・ショック」としたのだと読んでいる。貶す方も疲れる話だ