新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月21日 その2 東京オリンピック・パラリンピックについての「閃き」

2021-03-21 14:24:46 | コラム
開催されている絵が見えてきた:

これまでずっと、私独得の「閃き」では「2021?オリンピックが開催されている絵が見えてこない」となっていた。だが、事ここに至って何と開催されている絵が浮かんでくるようになったのだ。だが、それは決して明るい絵ではなく、かのバッハ会長様にもご承認頂いた外国からの観客はおらず、未だウイルス感染の恐怖から解放されていない邦人の観客の姿も疎らな国立競技場の有様だったのだ。何故そうなってしまうのだろうかを、私なりに考察してみた。

先ずは、折角あれほど努力して国を挙げて(挙げたのだろうと思うが)承知に成功した「2020東京オリンピック・パラリンピック」ほど、予想もしていなかっただろうような問題に禍された大会もないだろうと思わせらたほど、次から次へと難題やおかしな事件に襲われ続けた。傍目に見ていれば、何となく何か見えざる力に呪われているのではないかと、疑いたくなったほどだ。誰も夢にも予測していなかった新型コロナウイルスが、どうやら中国から出て全世界を襲っただけではなく、我が国にも入ってきたようで、20年7月の開催は延期せざるを得ない事になってしまった。

このCOVID-19についてはかなり悲観的な見通しを立てていた知り合いの元財界人でも「20年一杯には収束するだろう」と予想しておられた。だが、延期した今年の7月開催まで後4ヶ月と迫っているにも拘わらず、菅政権は肝腎のワクチンの接種が行き渡るのを、オリンピックの開催に間に合わせる訳にはいかないと認めてしまった。これ等は円滑なオリンピック開催にとっては好ましからざる材料の一つであると思う。だが、悪材料と悪条件はこれだけには止まっていなかった。

私はマスメデイアの過剰な騒ぎ過ぎの為に、全世界に我が国の欠陥の如くに知られてしまった森喜朗大会組織委員長の舌禍事件の影響は甚大で、その他のこのオリンピック開催に向けての準備不足や、これまでに見えていなかった問題点まで暴き出してしまった。それだけに止まらず「我が国が如何にも女性蔑視であり、女性の扱いが不平等である」と彼らは喧伝してしまったのだった。これなどは要らざる大騒ぎだった。その為にと言うか何と言うか、橋本聖子オリンピック担当大臣の見識不足まで暴き立てる副反応まで起こした。あの橋本さんの選任騒ぎも醜態の一種だったと思う。

その他に看過できないのが、私が「信頼できないのでは」との疑問を投げかけているトーマス・バッハ会長の存在も、なくても済んだ問題を招いた一因だと思っている。と言うよりも、もしも、開催中止にでもなってNBCからの放映権料が入ってこないと、IOCにとっては重大な財政問題となる危険性は見逃せないのだ。であるから、バッハ会長は下手に手を替え品を替えて、何が何でも開催に持っていこうとするのではないか。だからこそ、我が国には無断で方針を変え、中国からのワクチン無償提供を受け入れて、代金はIOCが負担すると言い出す始末だ。支離滅裂ではないか。

それだけで事が済んでいればまだしも、週刊文春方がまたしても炸裂し、昨年3月の事だったという佐々木某氏の「女性軽視、それも容姿を論う企画を提案して却下された事が暴露されてしまった」のだった。しかも、今回も何処かで誰かがこの件をいち早く海外に流して、多くのUKやアメリカのメディアに揶揄されてしまう結果になった。私はスマートフォンのリテラシーに暗いのだが、LINEとやらの交信が他人に読まれて(読み取ってか?)判明したというのも、穏当ではない気がする。佐々木某氏の後任で手間取っているのもみっともないが、北野武だとの噂もあるとか。

ここまで書き並べてきただけでも「なんてこった」とウンザリしている。第一に21日で緊急事態宣言は解除だそうだが、肝腎の開催都市である東京都では口先ばかりのスタンドプレー知事さんの下では、「リバウンド」とやらの危険性が声高に騒ぎ立てられているではないか。その知事さんのお陰で?開催の設備がある周辺の3県の知事さんたちのウイルス対策の進捗の度合いにも乱れがあり、彼らの絆も弱体化したかに見えて仕方がない。この辺りは菅首相の問題と言うより、西村康稔大臣の力不足に問題があるのではないのかと言いたくなる。尾身氏への過度の依存も気になる。

最後に余計なお世話だと思うが、毎日のようにテレビでAPAホテルのCMを見せられると、外国からの観客が来ないとなった場合の大・中・小のホテルの経営も気になる。彼らは飲み屋ではない以上何らの補償制度もないだろうから、これから夏場に向けて更なる苦境に立たされるのではないか。帝国ホテルが先頭を切って長期宿泊プランを打ち出したのも宜なるものがあると思って見ていた。そうだからと言って、経済を回そうとかの理由もあって緊急事態宣言を解除したのが最善の策だったかは、そう遠くない機会に明らかになってくるのだろう。だから、オリンピックは開催するのか。


選抜高校野球大会に思う

2021-03-21 10:58:56 | コラム
良くも開催したものだと思った:

やっと緊急事態宣言が解除されたような苦しい時期に、この大会を開催まで持って行かれた関係者には敬意を表しておこう。そう言えば高校野球もやっていたなと気が付いて、昨20日は天候も不順だったので2試合を観戦した。私は全国の代表が出てくる高校野球には色々な点で興味があるのだ。その意味でも昨日はかなり真剣に観察していた。


先ずは氏名の関連から。本日の産経新聞では阪大の加地伸行名誉教授は福島瑞穂参議院議員の言葉の誤りを採り上げられて「姓名」ではなく、正しくは「氏名」であると指摘しておられ。私はその「ウジ=氏」ではなく、名の方に関心があるのだ。2試合あった中で、少なくとも36名の地方の高校生の名前を見る機会があった訳だが「この名前は何と読めば良いのでしょう」というクイズのようなものが少なくとも30%はあったと思う。

私はそもそもキラキラネームには批判的なのだが、今やそんな次元を通り越して「当て物」のような名前が多いのが本当に嘆かわしいのだ。その手の読みようがないか、意味不明な当て字ばかりか、外国人のニックネームに漢字を無理矢理当てた、ズバリと言えば情けない名前の子供は、地方に行くほど多くなっている気がしてならない。最早重箱読みなどはお手柔らかな方で、このような名前を付けられた当人は何とも思わないかと、他人の疝気を頭痛に病んでいる次第だ。どうしてこういう事が流行るのかを、何方か教えて下さると有り難いのだ。国語教育の劣化か。

試合の内容にも触れておこう。先に見たのが鳥取城北高校対21世紀枠だったかで選ばれた静岡県立三島南高校の試合だった。冷静な評論家として忌憚のないところを言えば「低水準で未熟な野球」としか言い様がない惨憺たる野球だった。鳥取が先攻だったので先ず三島南校の投手を見たのだが「これが甲子園に出して貰った高校の投手か」と疑ったほどの欠陥だらけの投球フォームで「監督は何を教えれば、こんな窮屈な投げ方になるのか」と呆れた。投手がこの有様では他の8人も推して知るべしだった。だが、それなりに一所懸命に野球をやっていたのは良かったと思う。

それでは相手の鳥取城北高校はどうだったかと言えば、三島南高よりは良く作られていたが、あの地方の水準がどの程度かが察しがつくような完成度だった。きつい事を言ったが、昨年から新型コロナウイルスの流行という悪条件に苛まれて、十分に練習が出来ていなかっただろうし、未だ新テイームになってから日も浅い事だろうというように、同情すべき点が多々あるとは思う。しかしながら、私にはあの両校の野球を見ていると「指導者に問題があるのでは」と思わずにはいられなかった。

次は当日の第3試合になる珍しい同じ大学の附属高校同士の試合だった。即ち、東海大学の相模高校と甲府高校の対戦だった。この試合はその前の試合とは「同じ高校野球か」と言いたいほど程度が高い野球を展開していた。しかもこの両校は昨年の関東大会で顔を合わせていたとかで、お互いに手の内を承知していただけではなく、両校の監督が共に東海大学相模高校の出身者で名のある選手たちだった。それ故に実に良く鍛え上げられていて、内外野の選手たちの守備力などからは、監督さんたちの指導力が如何に優れているかが非常に良く解った。

勝敗は時の運などという言い方があるが、試合は大接戦でどちらが勝つかの見通しが立たなかった。相模高校の方が1番をつけた投手を救援に使えただけ投手力に余裕があって、1人で投げ抜いた甲府高校の負けとなったのは、相模高校の門馬監督の作戦勝ちだっただろう。私が気になった事があった。それは、この両校は非常に良く鍛え上げられていたが、何故か大学からNPBに行って成長した選手が少ない点だった。それは、私が日頃から批判している「甲子園に出られ、そこで優勝まで望めるように小さく纏まるように育てる」という甲子園野球の問題点の傾向が見えるのだった。

確かに読売の原辰徳監督や最近一本目になりつつある大城捕手は相模高校の出身だが、他に直ぐに思い当たる者がいないのだ。甲府高校出身者には中日の好打者・高橋周平しか出てこない。監督さんたちは「我が校はプロ野球選手の養成所ではない」と言われるかも知れないし、「子供たちに甲子園出場と優勝の夢を実現させてやりたいのだ」と主張されるとも思う。だからと言って、高校の頃から小さく纏めるような技巧派を育てたり、所謂「スキル」を教え込み小成に甘んじさせる事に、如何なる意義があるかも考える必要がある気がしてならない。本日は雨天中止だそうだ。