新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの労働力の質の問題点を探る

2021-03-28 11:09:49 | コラム
労働組合の在り方に原因があると言える:

私はこれまでに繰り返して「アメリカの労働力の質に問題がある」と指摘して来た。その主たる原因としては、1994年7月に当時のUSTRの代表者だったカーラ・ヒルズ大使が指摘された「対日輸出を増やす為には識字率の向上と初等教育の充実の必要性がある」との2点を挙げてきた。これは誠に尤もで、我が国では一寸想像できない事だと思う。それは、「アメリカの労働組合員たちの中には字が読めず、十分な教育を受けていなかった為に英語が読めない者がいる」と、ヒルズ大使は言っておられたのだから。

退屈かも知れないが、この点を立証する為に繰り返しになる事を述べて置こう。それは、戦後間もなくアメリカに学ぼうとアメリカを訪問された方の多くが工場に入られて、そこに用意されている現場の組合員たちの教育用のマニュアルを見せられて「素晴らしいと感動された」との帰国談を発表されたものだった。マニュアルが良く出来ているのは間違いないのだ。だが、問題はそれを読めない者がいるという事だった。だが、問題はそこで終わっていなかった。私が工場の管理職から聞かされた事は「読んだ振りをする奴がいて困る」だった。

要するに、如何にマニュアルに親切丁寧に作業の内容が指示されていても、読めなかったり読んだ振りをされたのでは、如何ともし難いのである。また、経験上も言えるのだが、彼ら組合員たちに語りかけてみると、確かに英語が解らない移民や難民や外国人がいるのだった。解りやすく言えば、アメリカの現場ではそのような労働者を抱えて回っているとなるのだ。その教育の程度ではスペックが守られなかったり、規格外品が正常品として検査の目を潜って出荷されてしまう事が屡々生じるのだった。

ここで、あらためてお断りしておくと、私が論じている事はアメリカの紙パルプ産業界の工場における事であり、他の産業界でも同様な状況にあるとまでは断定していないのだ。だが、アメリカの他の産業界が我が国への輸出で大成功を収めていないという現実を見れば、そこにも労働力の質に問題があると言って大きな誤りではないと思っている。更に、念の為に確認しておくと、アメリカの組合は職能別組合であり、我が国のような会社毎に組合があるのとは大違いであり、組合は法律的にも会社とは別個の存在であるという文化の違いだ。

ここで、これまでに述べてこなかった恨みも残る、アメリカの労働組合の実態に触れていこうと思う。2017年にワシントン州に文字通りの“pleasure trip”で遊びに行った際に、州の南部にある工場を訪問して、旧知の連中に会ってきた。折角だからと、最早部外者となった私も許可を貰って工場見学(何故か tourと言うが)をした。そして、製紙の後の工程であるポリエチレンラミネートの事務所に入った。そこには昔懐かしき数多くの初歩的な事故である不良品の見本が壁に貼ってあり「こういう誤りを犯すな」と大きく掲示されていた。

そこで「未だにこんな事で組合員たちの注意を喚起する必要があるのか」と居合わせた会社側の担当者に尋ねてみた。答えは「残念ながら時が経っても、人が変われば古き悪しき失敗は繰り返されるのだ」となっていた。「なるほど」と納得した。問題はこの「人が変わるから」にあるのだ。その点を解説しない事には、アメリカの問題点を納得して頂けないと思う。これは「部外者の立ち入りお断り」の工場での出来事である以上、新聞記者やジャーナリストの方々には踏み込めないか、踏み込ませない場での事なので、今まで誰も触れてこなかったと思う。

それは「労働組合員たちは会社側とは別個の存在であり、組合に入れば“union card”という身分証明書を交付されて身分は法律的に保護される事になる。そして、組合員は時間給制であり、現場に出れば、先ず最低の時間給である雑役から始まって、年功と共に仕事の内容が高度になって行き、時間給も上がっていく仕組みになっている」辺りから説き起こさねばなるまい。「何だ。当たり前の事じゃないか」と言われそうだが、そうばかりではないのだ。

勤務年数が増えれば仕事が行動で難しくなっていき、最年長者ともなれば現場から離れて、会社員のようにジャケットを着て試験室でデータ表の作成をする等の楽な仕事をするようになるのだ。ここで注意しておく事がある。それは、勤務年数で職位が上がっていくという事は、馴れない新人が入ってくるか、これまでに雑役に従事していた素人が未知の分野の製紙の機械を操作さするとか、ポリエチレンラミネートのエクストルーダーを動かすような事になるのだ。そこで、先達からの引き継ぎが解らなかったり、用意されているマニュアルが読めなかったらどうなるのかという事だ。

そこで、前述の不良品が壁に貼ってあった事に戻るが、そうやって目に物見せておかない事には「何をやってはいけないか」か「どのような製品が出来てしまったら、班長に報告して廃棄すべきか否かの判断を仰ぐ」等を理解させる必要が、13年経ってもあったのだと言う事だ。組合の中で勤務年数で仕事が変わり、時間給が上がっていくという事は、後から後から新人が仕事を引き継いでいくという意味なのだ。その引き継ぎが英語力に問題があるとか、字が読めない者たちの間で行われているとしたら、どうなるかと言う事。こんな事を想像していた方がおられるだろうか。

我が事業部では本社機構にいる者全員がこの現場の実態を十分に認識していたからこそ、組合員たちに「技術を向上させ、品質の向上と改善に努力する事が事業部全体の安定に貢献し、対日を始め輸出市場での地位が確固たるものになれば、君らの職の安全と安定が保証されるのだ」と、再三再四説き聞かせてきたのだ、換言すれば「輸出市場での地位の確立」と「労働組合の意識向上と労働力の質の向上」は、言わば車の両輪であると言い聞かせたのだった。

労働組合が会社側とは別個の存在であるとの点は、これまでに何度も採り上げてきた。しかしながら、この文化の違いを認識しておられる方がそれほど多いとは思えないし、この文化の違いが我が国とアメリカの市場における「品質の受け入れ基準」に大きな違いをもたらしているのだが、この点はまた別の機会にもで採り上げてみようかと思う。