新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月2日 その2 接待の考察

2021-03-02 16:24:30 | コラム
野党とマスコミの見識を疑う:

永年のアメリカの大手メーカーの営業担当マネージャーとして、言わば「国際的」な接待の席を数多く経験してきた者としての「接待とは」との見方を述べてみます。

マスコミ報道を見ていると、如何にも東北新社が接待の場で具体的に「何々の件を宜しくご配慮賜りたく」とあからさまに願い出たかのようですし、立憲民主党他の野党の質問でも「そういう話が出なかったか」と突っ込んでいるのは、彼らが如何にものを知らないのか、あるいは実務の世界の経験がないかの何れだと思います。私はそのような剥き出しのお願いに出る場ではないと思っていますが。

私は接待するのと、接待して頂くと両方の経験をしてきましたが、そこは具体的な交渉の場でも商談の席でもないので、専ら両社間の親睦を計って長い付き合いになるようにしましょうというと、言わば言わず語らずのうちに合意していた宴席でした。私がそういう場に出ていたのはリタイアする1994年1月末までではなく、1993年末まででした。当時でも、時と場合によっては一人頭3万円を超える出費だったことなどは、ごく普通にありました。現在であれば、野党とマスコミの有志連合が騒ぎ立てている7万円には相当したでしょう

我が社の場合は得意先では、北欧が誇る株式非公開の世界的な多国籍企業を除いては、東証一部上場の会社ばかりでしたし、関係先も大手船会社の等々のような全世界を相手にする会社ばかりでしたから、お互いに社格をかけての宴会でした。現在の相場で一人頭2~3万円という、問題になっている接待とは性質が違いました。お互いに尊敬し合っている間柄では、自ずと一流の店を使っていました。

そのようなお客様との間柄でしたから、アメリカに来て頂いた場合には、副社長以下で最善のお持てなしをしていました。例えば、シアトル空港から工場までは車では2時間以上もかかるので、その場から空港の敷地内の我が社の格納庫にご案内して、自社のヘリコプターでお送りするようなこともしました。これは時間の有効的な使い方にもなりましたし、上空から我が社の広大な社有林をお見せ出来る効果もありました。

このようにして、お互いに友好関係と信頼関係を構築して、国際的であり安定した取引を長期的に継続出来たのでした。東北新社のようにあの程度の出費と回数で中央官庁に便宜を図って頂こぅと思っていたとは到底考えられません。故に、マスコミの如何にも悪であるかの如き報道振りを奇異に感じています。私流に言えば「野党もマスコミも接待とは如何なるものかを知らない」と批判することになります。念の為に付記しておけば、1980年代でも都内の某所には、炭焼きステーキ単品だけで3万円という超有名店がありました。

私は「接待とは使う金額の問題ではなく、お招きした側(と言うか、我が方に)誠意が籠もっているかどうか」の問題ではないかと考えております。参考までに申し上げておくと、私はその殆どの席で通訳をし続けているので、1978年のある席では吸い物碗を飲めただけのような辛い経験もしていました。何も食べていなかったと気が付いたのは、宴が果ててホテルに戻ってからでした。接待とは、このように我を忘れて懸命に務めるものです。野党とマスコミが騒ぎ立てるような下心を以て売り込みを掛ける場などではあり得ません。

以上、何らかの参考になれば幸甚です。


山田真貴子報道官の辞任に思う事

2021-03-02 09:17:43 | コラム
気の毒なのか、自業自得なのか:

私は率直に言えば、この見出しの何れもが当て嵌まると思っている。この件でマスコミが騒ぎ出した頃に、私は「既視感がある。悪い言い方をすれば、この儘では山田報道官は過去の例からも明らかなように、自滅する以外ないだろう」との「閃き」があった。だが、敢えて発表はしていなかった。そして、その通りになってしまったのだが、上記のように「お気の毒」なのか「自ら蒔いた種」だったかは俄に断定出来ないが、51%は後者だと思っている。そこで、私なりに分析してみようと思うに至った。

*国家公務員の倫理規定違反:
この点については如何に弁明しようとも、覆しようがないと言える。野党もマスコミもしきりに7万円という金額を騒ぎ立てるが、それは貧乏人のさもしい根性だとしか思えない。嫉妬から来た非難だと思っている。何方だったか指摘しておられたが、山田さんが7万円の接待をしてくれと頼まれた訳ではあるまい。招待した方が一度でも7万円も使ってみたいと思ったのかも知れない。規定がある以上、有罪とされるのは仕方がないだろう。呼んだ方も呼ばれた方も「規定」を知らなかった訳ではあるまい。

*菅首相の対応:
私は冷たいというか、行き届いていなかったと思う。首相は官房長官時代に辞めさせたか、あるいは「泣いて馬謖を斬ってしまう」経験をされていたと思う。今回の山田さんの件の結末が見えていなかった事などないのではないか。それにも拘わらず、一度は庇い立てしてしまったし、山田さん自身も留任する(何度でも言うがマスコミ用語の「続投」は忌避する)意思表示をしてしまった。そこに例によって例の如き、野党とマスコミによる(森喜朗氏の場合と同様に)袋叩きである。山野井と今井が露払いで、締めは枝野だった。私は冷徹なはずの首相の手落ちだと断じたい。

菅首相も内閣も「何故もっと機敏に対応出来なかったのか」と、私は不思議に思っている。一般市民の私でさえ「山田さんは保つまい」と解っていたのに、当事者である総理大臣がやたらに弁解ばかりしていては、始まらないのではないか。「危機管理がなっていない」などと言いたくなってしまう。政府高官の中には「入院も止むを得ない」と言った者がいたと伝えられていたが、あれほど寄って集って叩かれれば「精神的に不安定になっても不思議はない」気がする。

*マスコミ報道の偏り:
私には彼らは最初から山田報道官を辞任に追い込む気で、この件に取り組んでいたとしか思えないのだ。何しろ、彼らは常に反(自公)政権であり、反日的であるのだから、あの袋叩き戦法には既視感があったと言いたい。彼らの歪み振りの例を挙げておけば、第一に彼らは「山田真貴子さんを接待したのは2019年で、菅義偉官房長官の時期であったにも拘わらず、一貫して『菅総理の長男が接待したので誰も断り切れなかっただろう』」と、虚偽の報道をしてきた。それだけではない、接待したのは菅正剛氏ではなく「東北新社」であるとは一切言わない悪意で、偏向している。

結び
立憲民主党とマスコミは山田真貴子さんを辞任に追い込むことが出来て、さぞかしその成果に満足だろうし、これでまた一つ菅首相を貶める材料が増えたと快哉を叫んでいることだろう。菅首相は「ぶら下がり」とやらで、記者の質問に答えて「後手後手ではない」と一蹴された。だが、私は先手を打っていなかっただけではないかと思って見ていた。以前にも指摘していたが、菅内閣に求められることは「素早い決断」と「先んずれば人を制す」的な作戦に出る思い切りの良さではないかと思っている。

現に、未だにバイデン大統領に会いに行っていない。私がバイデン大統領だったら、「安倍晋三はドナルド・トランプ次期大統領の頃に、即刻会いに来たではないか。それに引き換えて菅義偉は」と言っておられるのではないかと、独り密かに心配しているのだ。