新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月4日 その2 新型コロナウイルスの感染拡大の防止策

2021-01-04 14:23:04 | コラム
一層対応が困難な状況に立ち至った時に菅首相に望むこと:

先ほど菅首相の記者会見があった。淡々と訥々に語られたが、その内容は兎も角、聞き手の心を打つというか、打てないように聞こえた。その点を敢えて表現してみれば「慎重に対応しようとしておられることは良く理解できるが、そのコインの裏側には『責任は取れないが、兎に角こうしてみよう』と苦心されている状況が見える」のである。

私は事ここに至れば「約1年間の新型コロナウイルスとの戦いで見えたことは、その感染の拡大阻止に有効な策などは、ワクチンが1億2,600万人に打ち終えてみないことには解らない。故に,今日で打ち出せる対策は東京と周辺の3県に限定的な非常事態宣言を発出することの検討に入る。その代償に1都3県には外飲食業界に午後8時を以て閉店させる事を要求すると表明して欲しい」程度ではなく、「外飲食業界に対して仮令法的根拠がなくとも厳格に時間短縮を励行させて貰いたい。その確約があって始めて緊急事態宣言だ」くらいの強硬姿勢があっても良かったのではないか。

私は既に「菅首相は極めて手堅く、慎重に事を運ぼうとしておられるように見える。その背景にあるものは総理大臣として思い切った決断をすることには未だ不慣れな為であるから」という見方を表明してきた。その意図は「総理大臣の職務に馴れてこられれば、遠からぬ将来に一刀両断で的な決定をされて、この国の内外に山積する難関に挑んで行かれるようになって欲しい」という希望的な観測もあった。思い切った決断の例を挙げてみれば、安倍前総理は誰にも相談せずに「学校の一斉休校」を発令してしまった件がある。あれは結果を恐れていなかったからのようだ。

ビジネスの世界でも「社運か事業部の命運をかけたような決断」を求められる場合が多々ある。そこで結果を恐れて躊躇していては、それこそ破滅に近いような状況になってしまうことがある。政治の世界で総理大臣や担当の大臣が結果を恐れて決断を躊躇っていては、一国の命運が彷徨ってしまうことになりかねない。それは会社が倒産するかしないかどころの規模ではないのだ。その重大さを過剰に意識すると某大臣のように「専門家のご意見を聞いて慎重に検討する」となってしまう。これは「何もしない」という意図の表明と同じだ。菅首相がこうなって欲しくないのだ。

私が新型コロナウイルス感染者の経験談を聞き、それこそ専門家のご意見を承っていてもこのウイルスの感染を拡大を防止できる有力な手立てはないようなのだ。精々「マスク着用と手洗いの励行」に加えて密な状況を避けることくらいしかないようだ。その人物は車でしか移動せず、公共交通機関を避け、リモートで仕事をしていて、感染したと思しき期間内に面談した人物が1人であり、その人が感染者ではななかったのでも感染したので、実感として防止策など考えられず、室内に閉じこもっている以外に何があるのかと回顧していた。

ヨーロッパの諸国では都市封鎖が効果があったという結果になっておらず、中国のように政権の絶対的強権的権力で封じ込めたかのような例があるが、何処にも絶対的な策と思われる例がなかった。そうであれば、これと思われる策を先手必勝的に採用していくことしかないように思える。即ち、A案が不発に終わればB案でいき、それこそZ案まで行って見れば良いのだ。上述のように結果を恐れて「慎重に検討」では良い結果が出て来る訳ないだろうと思ってしまう。

菅首相は先ほど「外飲食業界での感染が60%を占めていると思う」と述べておられた。だから4都県に「午後8時での閉店を励行されたい」と要請しておられた。それならば一歩前進かと思わせるが、矢張り国会を開いての特措法改正の審議入りでは、改正案が実行されるのは早くても2月だ。これでは又ぞろ「後手後手で、対症療法のみで手遅れだ」との批判を免れないだろう。敢えて「本気で拡大を阻止する気が終わりならば、今週中にも国会を召集して審議入りする」くらいを言って欲しかった。嘗て加藤紘一氏は「あんたが大将なのですよ」と言われたではないか。

話を本筋から外すが、私は以前に「安倍総理は人事が不得手だったようで、内閣改造の度に不適切な大臣を選んでおられた」と批判したことがあった。その意味では、私はこれまでに繰り返して西村康稔大臣を「責任回避ばかりのお利口さんである」と批判してきた。その責任回避の裏側にある事が「過剰な慎重さ」である。しかしながら、西村氏は上からの評価は高いようだ。もしも、菅首相が西村氏の過度の慎重さ(=責任回避)を評価しておられたのであれば、それはこの危機の時にあってはお眼鏡違いだと思うと、敢えて言う。

現時点で必要なことは「決断」であって、時間をかけて対策や対案を検討することではないと思う。私は何も西村氏を外せと言っているのではない。総理ご自身で腹を決めて決断をされて、国会を召集されて、事を前に進めて欲しいのだ。誰かが「リーダーシップを発揮して」と言っていたが、何もカタカナ語の必要などないと思う。時間を空費せずに決断して国を引っ張っていって頂きたいのだ、もしも特措法の改正こそが究極の策だと思っておられるのならば。


正月のスポーツ #2

2021-01-04 09:36:32 | コラム
大原則の「強い方が勝つ」を見せつけられた:

東日本大学駅伝選手権:
この競技は「箱根駅伝」という通称で広く知られていて、その人気は読売新聞と中継放映を担当する日テレの強力な支援で高まる一方だ。しかも、1月2~3日という余り面白そうなテレビ番組がない時期なので、余計に視聴率が高まっているのではないかと見ている。これまでに繰り返し述べてきたことなので、詳説は避けるが当方は「箱根駅伝止めてしまえ」論者なのだ。それだけでは説明不足かと思うので簡単に言えば「東日本の有力な大学が20 kmまでは走れる走者を競って育成するので,何時まで経っても優れたマラソン走者が育たないから」である。

79回だったかの昨日までの競争は「強い方が勝つのだ」という誰も逆らうことが不可能な運動競技の大原則を「意地が悪い」と言いたいほど実現して見せていたのだった。この私でさえ最後の最後でひっくり返された創価大学は可愛そうだったとは認める。だが、後難を恐れずに言えば「あそこで逆転されたところまでが創価大学の実力であり、その駒澤大学との差が気の毒なほどに現れてしまっただけのこと」なのだ。あの3分19秒の差を跳ね返した駒沢の実力を賞賛しても良いのだろう。近頃あれほど無残に「実力の差」を示した勝負はなかったと思う。駒沢は「天晴れ」である。

褒めてばかりいては私の本領発揮とはならない。そこで、気に入らなかった点を挙げてみよう。先ずはアナウンサーたちが喚く「母校の襷」だ。国語の誤用である。広辞苑には母校とは「自分が学んで卒業した学校、出身校」と出ている。私はそういうものだと思っていた。中継放映も一般的な解釈でも、各校の走者たちは在校生でありながら出身校の襷を掛けて走っているのだ。不思議なことに東京六大学の校歌の歌詞では早稲田、法政、明治の各校で「母校」が入っている。これではひょっとすると「広辞苑」が誤っているのかと思いたくもなる。

「お前は男だ」と呼びかけて、駒澤大学の大八木監督(62歳)が伴奏者の中から第10区の走者・石川君だったかを激励した。私の感覚では余りに時代感覚の欠如した激励の仕方だと思って聞いた。私はそもそも精神主義が嫌いなので、「あれまー」としか感じ取れなかった。日テレは勿論監督と走者を賞賛したが、私には違和感だけだった。尤も、捻って考えれば「ウエイトトレーニングを始めとして近代的且つ合理的な鍛え方の時代にあっては、それに対抗する意味で精神主義を強調したかったのかも知れない」とは考えた。大八木氏は矢張り「猛練習」主義者なのかな。

余談ではあるが、優勝した駒澤大学は曹洞宗の大学であり、創価大学は創価学会の大学であり、第3位の東洋大学も仏教との縁があった。ここまでは仏教系の大学で、第4位に上がってきた青山学院大学はプロテスタント系でキリスト教系と宗教関連の大学が続き、第5位の東海大学で初めて宗教色が消えていたのだった。信ずる者が強いのかと一瞬思わせられた。

ライスボウル:
言うまでもあるかも知れないが(アメリカン)フットボールの日本選手権の試合である。今回はオービックシーガルズ対関西学院大学ファイターズの試合となった。勝敗の帰趨はやる前から見えていたことで、我が愚息たちも「結果は解っている」と当然のように断言していた。念の為に申し述べておくと、日本大学フェニックスの現監督・橋詰功氏は立命館大学のコーチだった頃に松下電工(現パナソニック)を退けて優勝していた。今日、それほど社会人対大学生の間の実力の差が開いてしまっているのだ。しかも、オービックのQBも2本のTDを記録したTEはアメリカの大学出身者だった。これだけでも「差」があるのだ。

ラグビー界では何年前からだったか、社会人の優勝者対大学選手権者との「日本一」の決定戦を辞めてしまっている。その理由は体格と身体能力の差もあるが、日本全国の有力な大学の出身者で固めた社会人テイームに、単独の大学のテイームが敵う訳がないとの判断だったようだ。昨日の試合もオービックでは主力選手を関西の最強豪校である関西学院大学ファイターズと立命館大学パンサーズのOBを集めているだけではなく、アメリカの大学での経験者まで加入していては、関西学院大学ファイターズというか、大学に勝って当たり前なのだ。

とは言うものの、並大抵ではない鍛えられ方をしてきた関学が何処までその本領を発揮して、磨き抜かれた技術としぶとさを見せてくれるかには大いなる興味も関心もあった。試合の内容と結果はマスコミ報道に任せるが、「流石は関学」と思わせてくれた点は「Xリーグの勇者富士通がオービックからTDを1本しか奪えなかったのに対して、関学は3本も獲ったし、2QまではTDの数では2対2だった」のだ。

今後ともライスボウルを社会人対大学で継続するのならば、例えば大学側を甲子園ボウルに出場の2校の合同テイームにでもしないと「やる前から結果が見えている」状態から脱却できないのではないだろうか。特に、オービックや富士通のようにアメリカの大学のQBを加入させていては、彼らの身体能力(肩の強さと走力等)に加えてアメリカの本場の技術を備えていては、発展途上の大学生に勝てというのは無理があると思う。とは言うが、関西学院大学ファイターズの健闘を称えたいと思う。