新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月17日 その2 私事の回顧

2021-01-17 15:11:26 | コラム
1月は多事多難な月なのだ:

忘れていた訳ではないが、去る1月16日は15年前に一度目の心筋梗塞を発症した日だった。不覚にも心筋梗塞などという病があるとは余り良く認識していなかったので、一旦失神した後は激痛も消えていたので、このまま休んでいれば一過性の痛みで終わるかと思っていた。だが、念の為にと自分で電話してお願いした救急車が命を救ってくれたのだった。病棟での主治医に「心筋梗塞の生存率は25%」と教えて頂けて、自分が如何に幸運だったかを知った次第だった。あれから15年も経っていたのかと思う時に、月並みな言い方だが、感無量である。

そして、明18日は2015年に「善くぞ命を救って頂けた」と国立国際医療研究センター(NCGM)にどれほど感謝しても感謝し切れないだろう、第1回目の心不全での入院の記念日なのだ。この日は14日の3回目の心筋梗塞から目出度く退院できた4日後だったのだ。その日の朝に突如として呼吸が苦しくなって「ゼーゼー」言うようになっていた。そこで、ただ事ではないと判断してNCGMの救急に電話をして呼吸音を聞いて貰った。その結果で「直ちに救急車を呼びなさい」となったのだった。この日も1度目の心筋梗塞と同じように日曜日だった。

救急外来で撮って頂いたX線写真で、心臓が弱って本来ならば小水に回るべき水が胸腔内だけではなく両方の肺までも一杯にしていたので、呼吸が出来なくなっていたのだったと知ったのだった。この水は利尿剤の点滴で排除できたのだったが、心筋梗塞のような一過性の如き痛みがない代わりに、体力が非常に衰えただけに辛かった。この入院中に今でも悩まされている排便の後とか、一寸急ぎ足で歩いた後に発生する鳩尾(心窩部とも言うらしいが)の辺りの痛みが出てきて苦しめられた。院内での治療法は「蒸しタオルを当てておく」と15~20分ほどで収まるのだった。

この心不全は2月にも発生して再度入院となるのだが、2月11日に退院できた時の心不全の度合いを表すBNPの数値が1,300だったのだ。主治医に指示されて院内で通う事になったリハビリ科の糊学療法士に「BNPが1,300の患者さんにリハビリをさせて良いのですか」と、主治医に確認の電話を入れたほどの異常値だった。因みに、BNPの正常値は0~18である。この頃に2007年の1月16日に切除した皮膚ガンのフォローアップで診て頂いていた皮膚科の医師に「BNPが1,300の患者さんが歩いて入ってくるとは」と驚かれたが、何の支障もなく歩けていた。

暦の上ではこの後に回ってくるのが、22日の誕生日である。一昨年辺りから続々と襲ってくる自然治癒を主体とした数々の、心筋梗塞や心不全とは比較にならないと言える軽い症状の軽い病と戦っている間に、気が付けば目出度く88歳なのだ。良く「一病息災」と言われるが、私の場合には「二病息災」で無理をせずに、NCGMの循環器内科の医長先生に指示されたようなストイックに過ごしてきたお陰かと思っている。只でさえストーイックにしているところに新型コロナウイルスが襲ってきたので、基礎疾患を持つ身では、より一層のストーイックさが肝腎なようだ。

私事の回顧談から離れた話題になるが、本17日は阪神大震災の26回目の記念日である。日本の会社の大阪支店勤務の頃とW社に転進した後でも、あれほど慣れ親しんだ神戸が破壊され、しかもあれほど見事に復興したのは、我が国の優れた国力の表れであると誇りに思ってきた。だが、その後の3,11や中国や九州地方を次から次へと襲ってきた台風や豪雨による深刻な災害からの復旧や復興が容易でない状況を見るに付けても、自然の恐ろしさを痛感させられている。そこに加えて武漢ウイルスでは、行政府には一層の努力と対策の実行を願いたいものだ。


加藤勝信官房長官のテレビ出演

2021-01-17 11:24:15 | コラム
守りの姿勢に徹していた:

加藤勝信官房長官は17日朝のフジテレビの“The Prime”(だったかな)に出演されて、緊急事態発言発令後の状況について橋下徹氏と、言うなれば厳しい「論争」を展開された。長官は明晰と報じられている頭脳をフル回転されて、橋下氏の切り込みに応戦されていた。加藤長官は厚労大臣の頃から目立った特徴として、如何なる相手との論争おいても絶対と言って良いほど「負けを認めない」のだった。その最たる例があの「誤解だ」だった。

今朝ほども橋下氏がかなり強烈に切り込んでも、先ず政府側というか菅内閣の方針と現実に打ってきた感染拡大の防止策の不十分さを頑として認めようとしなかった。私は「官房長官として当然の姿勢である」と思って聞いていたので、その意味では立派なものだと認めていた。だが、現実には緊急事態発言発令後も感染者の数は減少せず、大量のと敢えて言うが、脳天気な一般人の外出は止まってはいないのだ。橋下氏はその現実を法整備の不備や菅首相と西村康稔大臣の発言の食い違いを追及したのだったが、長官は言葉巧みに躱してしまった。

私が聞いていて感じたことは「加藤長官は橋下氏の追及を真っ向から否定できないと承知の上で、菅内閣を守るべき官房長官としては非を認める訳にはいかない」と痛いほど自覚されて、寧ろ橋下氏の弁護士的な主張を論破しようとしていたとすら感じた。換言すれば、完全に守りに入っていたということだ。世論調査などでは「菅内閣のウイルス征圧対策は不十分」とする意見が大勢を占めている。だが、私はそれは寧ろ不当な見方であると思っている。

即ち、「現在世界中で有効な対策を講じて抑え込みに成功している大国だどれほどあるかを考えて見ろ」ということだ。しかも我が国では世界の何処の国よりも感染者数も亡くなった方も少ないのだ。それでも一般の市民からすれば不満足な点が多々あるのだ。例えば保健所の過剰な負担を解消できずにいる為に、電話が繋がらないとか入院もままならないというような状況をマスコミが過剰に報道するので、不信感が増幅されているような気がする。不満は何れは菅首相が2月中に接種開始と表明されたワクチン問題にも飛び火するのではないかと危惧する。

先ほどまで加藤長官の反論を聞いていた感じたことは、彼個人の個性だと思うが、もう少し柔軟に橋下氏の指摘を受け入れて、「斯く斯く然々の点では、政府にも反省すべき点があったかも知れないという感が否定できない。そこで、なるべく早い機会に担当部署に指令して改善策を検討させようと思う」くらいの曖昧模糊とした言い方ででも、譲歩のようで譲歩ではない表現でもされたら如何かと思っていた。官房長官は我が身と内閣を守るだけが職務ではあるまいと思うのだ。

今朝は大野埼玉県知事もリモート出演しておられた。その表情を見て痛感したことがあった。それは知事の顔付きに険が出たと言うか、かなり厳しいものに変わっていた点だった。この方は元はと言えば確か外務官僚で、中東問題の専門家として度々テレビに出ておられた。それが何でそうなったか知らないが、民主党から参議院に出られたと記憶している。その頃はごく普通の何らの特徴がない官僚の顔付きだった。それが、埼玉県知事になられて現在の難局に当たられ、小池都知事の盟友の如き立場となって、苦労された為か顔付きが変わったのだと見ていた。

見方を変えれば、知事として現場に出られて実務を担当されていれば、そのご苦労から顔付きが変わってくるのは当然だと思うのだ。小池都知事もスタンドプレーを続けてこられたのだが、今日このように都内の感染者が連日その曜日の最高を記録していて状況下では、その顔付きにも疲れが明らかに見えてきたと思う。先日、鈴置高史氏(元日経新聞)が「自民党に現場と実務を知らない若手の議員が増えたことが、小選挙区の弱点となって現れた」と指摘されていた。「現状は現場を知らない口舌の徒には任せておけない」と、加藤長官にも申し上げたいのだ。。