新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月20日 その2 静岡県下の変異株感染者発見とその対策

2021-01-20 15:34:56 | コラム
川勝平太静岡県知事は独自の緊急事態発出を発動:

菅内閣と西村康稔大臣がこの川勝知事の判断と言うか緊急処置をどのように受け止めたかに、私は興味と関心がある。と言うのは、この川勝知事が講じた緊急処置が果たして先手だったのか、後手だったのかという点だ。UKで発見された変異株は少なくともUKからの入国を帰国者も含めて封じておけば、発生しなかったかも知れないのだ。しかも変異株は南アフリカでも発生している。マスコミ報道では我が国の水際作戦は手落ちがあるそうだし、自民党の外交部会は全面禁止を提言したというのも驚きで、昨年の4~12月間に23万人も入っていると自民党の議員が報じたとか。

私自身がこれまでに何度も「我が国の対策は水際も含めて後手後手であり、継ぎ足し方式である事」を批判してきた。だが、つい先日には「ではあっても、昨年来の感染者も亡くなった方の数も世界の先進工業国中で最も少ないのであるから、批判するのは当たらないかも知れない」と述べたばかりだ。嫌味な言い方をすれば「手遅れだったかも知れない局面があっても、結果は良い方向に出ているのだから、それで良いのではないか」となるのだ。

そこで、静岡県下での変異株の感染者だ。専門家である医師の意見も割れているかの感がある。だが、結論としては静岡県の何処で発見されたかが公表されていないが、経路如何では既に発見された4名に止まらず、他の都県でも大量の感染者が出ているだろう」となるのだそうだ。しかしながら、変異株か否かの判定は国立感染研究所での分析待ちになってしまうのだそうだ。要するに、既に感染が広まっていると見ておく方が無難だということのようだ。恐ろしいことであるが、現時点ではこれから接種されるはずのワクチンは効果があると見られているようだ。

私が関心がある点は「川勝知事の権限で発動された現時点での緊急事態とその内容が、果たして先手なのか政府並みに後手なのか」という事だ。川勝知事が発動された諸項目はかなり具体的であり、解りやすい性質だった。その意味では、これまでに政府か小池都知事が発動されたものよりも、明解だし発表までに長時間を費やしていなかったと感じさせられた。だが、専門家の見解のように既に国内で広く感染が始まっていたのならば、何のことはない「後手だった」となってしまうのだ。だが、そうだとしても川勝知事の失態ではなく、政府の水際作戦の至らざる事の責任ではないか。

川勝知事はその学歴と職歴から見てもかなり個性豊かな方であり、例のリニア新幹線の工事を頑として認めない辺りの政府との遣り取りなどは記憶に新しい。一寸興味があったので、改めてWikipediaで検索してみれば、早稲田大学の政治経済学部を経た経済学者であり、オックスフォード大学で博士号を取得しておられた。「なるほど、その豊か個性はその学歴にあったのか」と思わせられた。個性の件は兎も角、川勝知事が緊急に打たれた策が先手となって、変異株感染拡大を何とか県内で止めてくれる事を真剣に願うものだ。


スポーツ界とその新型コロナウイルス対策を考える

2021-01-20 09:03:26 | コラム
感染の拡大が止まらない状況下の対策は:

ここには私が「興行」の範疇に入れている相撲も便宜的に含めることにする。その譲歩の理由は、プロを含めてスポーツにも大なり小なり興行の要素が入ってくるからだ。

判断の基準:
先ずは相撲から。報道から勝手に推測すれば、この集団は1月場所の開催に散々迷ったような形跡が見えていた。だが、踏み切ったようだ。私が八角理事長なる者の心中を勝手に読んでみれば「観に来て下さるお客様たちが「陰性」であるとの前提で、体温を測り手洗いと消毒を励行して貰えば、仮にも国技館内で何らかの見えざる原因で感染したとしても、PCR検査等で陽性が発見されるのは15日間の場所か終わった後のこと。しかも、お客様たちは少なくともJRと大江戸線の両国駅に来るまでの間に飛沫を浴びる危険性だってあるが、15日以内には陽性とはなるまい」となる。

上記はやや意地悪な見方かも知れないが、相撲協会は収入減を覚悟しても館内の従来のような飲食を停止し、掛け声も野次も封じたのだった。それにしても、菅内閣がウイルス制圧策に悩んでいる時にあって、良くもあそこまでの危険を冒そうとした(リスクを取ろうとした)からには、万が一国技館内の原因で集団感染でも発生した場合の対策が、事前に用意されていたのだろうか。オーストラリアではチャーター機で飛来した者の中から陽性者が何名か出ただけで、同乗したテニスプレーヤー全員を2週間隔離してしまった。文化と思考体系の相違なのか。協会は考えても良いのでは。

無観客の意味は:
何となく免罪符のように思えてならないが、多くの競技種目に大会でそこまでせざるを得なかったのは止むを得ないのだと思う。昨年の春と夏の高校野球大会中止は当時の状況下では他の選択肢はなかったと見ている。問題はマスコミが挙ってこの中止を感情的に採り上げて、高校生たちを悲劇のヒーロー(“hero”の発音はQueen’s Englishでは「ヒアロウ」で、アメリカ式が「ヒーロー」なのが面白い)に仕立て上げてしまったのは遺憾である。開催中止で可哀想だったのは、野球関係者だけではなかったのだから。

NPBは今年も宮崎県と沖縄県でキャンプを張るそうだが、2月1日からのキャンプイン(カタカナ語である)を延期して無観客としたのはある程度以上に筋道は立っている。だが、私から見れば、問題点が二つ残っている。一つは監督以下百人くらいになる(のか?)集団が複数で入ってきて合宿をしてキャンプ場を長期間往復すれば、地元か球団側での感染者は幾ら警戒しても出ないという保証はないだろう。それに沖縄県は玉城知事が県独自の緊急事態宣言を発出してしまっている。無観客程度の措置で済む事態かという疑問が生じてくる。

次に疑問視したいのが練習と訓練の方法である。私は10年以上も前に、あるプロのトレーナーが「我が国のスポーツ(競技の種目)として最もトレーニングの方法が遅れているのが野球である」と語ったのを引用したことがある。それは、同感であると思ったからだ。その根拠としては、何十年も前だったかプロ野球のスプリング・キャンプなる行事では、参加する選手たちの多くが「これからキャンプに参加して身体を作って」などと平然として語っていたことを挙げたい。途方もない認識不足であり、勘違いである。

苟も職業として野球を選び、中には当時でも億の単位の年俸を得ていたのだ。それにも拘わらず、シーズンオフの期間中に怠惰に走り、自らの身体を鍛えておくことをせずにいて、キャンプとやらで監督以下の指導者に皆で鍛えて貰おうという考え方では、とてもプロの名に値しない。

それに野球界では鍛え方も昔ながらの精神主義に立脚した千本ノックに代表される「絞る」方式であったり、ただひたすら陸上競技部の練習の如くに「走る」事を重視しているのだ。そこには合理的且つ近代的と言われている「ウエイトトレーニング」の影すらなかった。タイヤを引っ張って走る程度が報道でも強調されていた。

「またアメリカ式か」と言われるのを覚悟で言えば、彼の地では選手たちが集まって集団で基礎の訓練(と敢えて書くが、例えばウエイトトレーニングのようなものを言う)はコーチたちが予め選手全員にその体格や筋力を測ってポジション別に鍛えるべき部位と方法を指定するのだそうだ。そして各選手たちはキャンプなり全体練習に参加する前に、指示されたような身体作りは完璧に修了しており、直ちに全体でフォーメーションなり何なりの練習に入って行けるようになっているのだ。これが彼らが強調する個人の自覚であり主体性への依存である。

そのキャンプでも、報道によれば「読売の選手の何名かはこの度三井不動産に買収され、読売新聞社にも株式の20%が譲渡された東京ドームで練習を開始する」そうだ。私は合理的だと思う。水道橋であれば、選手たちは自宅から感染の危険がない車ででもタクシーででも行けるではないか。私はそれで十分だと思う「もしも選手たちが冬場にも怠けることなく、自宅かジムにでも通って基礎体力のトレーニングを積んであれば」の話だ。坂本勇人辺りになれば、自宅にウエイトトレーニングの部屋を設置出来る資力はあるだろうから、そこに仲間を呼んでやれば良いのではないか。

私は我が国のNPBの選手たちの野球の上手さ(最近は「スキル」と呼ぶことが多いようだが)は、アメリカ並みと言っても良いと思っている。私は身体体能力や運動神経という意味では、私は未だ未だ我が国では野球に最優秀の人材が揃っていると見ている。だが、そこに欠けているのがプロに必要な体幹と基礎体力の訓練である。昨年の読売の無残なソフトバンクとの4連敗の原因として、ソフトバンクでウエイトレーニングで鍛え上がられて千賀や石川や柳田にやられたことを指摘した。そうであれば、何処でキャンプを張るかとか、無観客であるかどうかの問題ではあるまい。

日本大学フェニックスの橋詰監督は「フットボールの次官と練習量を最低限に抑えるべく、部員たちにウエイトトレーニングで十分に身体を作り上げる事(必要な筋肉を強化して与えられたポジションに適した身体にする)を求めて、3年足らずの間に甲子園ボウルに出場するテイームに仕立てたのだ」と聞いた。換言すれば、全員が集まって長時間の汗と涙の猛練習を長時間続けることだけが「栄光への道」ではないという事になる。

また、我が国のラグビー界でもかのエデイー・ジョーンズヘッドコーチは代表テイームの基礎体力と体幹を鍛え上げる厳しい練習を課して、W拝でマスコミが礼賛するベストエイトに進出する世界的な強豪に仕上げた。ここにも野球界が学ぶべき要素があると思う。私は時節柄キャンプを無観客にするという発想には、何処かに「野球は興行である」という思い込みが見える気がする。NPBには新型コロナ感染対策をも含めて「選手たち全員自分たちで基礎体力と体幹を鍛え上げてからキャンプに参加せよ」との号令をかけても良い時期ではないのか。