新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月12日 その2 「成人式とは」を考えて見た

2021-01-12 14:11:28 | コラム
漸くその存在意義が解った:

私は「成人式」という行事が何時始まったのかは全く知らないし、自分自身は昭和28年、即ち1953年に20歳になっていたが、当時住んでいた藤沢市から成人式に参加せよとの通知があったかどうかも知らない。また仮令あったとしても、当時の忙しすぎる学生生活の中にあっては、到底参加する余裕はなかったと思う。即ち、規律というか規則が非常に厳格なイエズス会系の大学に通い、サッカー部の練習に参加し、1年中何時出勤してくれても結構等というアルバイトをしていたのでは、日曜日であっても参加できなかったと思う。

「成人の日」という祝日が何時から出来たのかも知らないので、成人式とは如何なる趣旨の催し物かも知らなかった。しかし、テレビの報道で見る限りでは、若き男子たちが羽目を外して騒ぎ回り、女性たちは白いフワッとした襟巻きをして和服を着飾って楽しむ会かなと思っていた程度の不案内さだった。だが、今年は新型コロナウイルスの感染が蔓延しすぎた為に、多くの自治体がその開催か延期か中止するかに腐心されているようだとも報道で承知していた。

そこに何処のテレビ局だったか定かではないが、多くの和服(振り袖と言うべきか)に例の襟巻きの美女たちに色々と質問している答えを聞いて、漸く彼らが如何なる形ででも一堂に会する機会を設けて頂けて良かったと感謝する意味が解った。それは「成人式は一生に一度の貴重な皆が集まる機会である」ということと「皆に会えて良かった」に加えて「故郷に戻って同級生や友人たちと再会できる貴重な機会である」との意見に集約されるし「再会の機会」が強調されていたのだった。なるほど「公費による同窓会かクラス会の役目を果たしている」かのようだった。

男性の中には「20歳の成人として社会に貢献すべきだと自覚した」という正統派の意見を堂々と述べる者もいた。だが、事が再会であれば、88歳になる当方の考えでは「ここまで来れば、なるべく多くの同期生や同年齢層の知人たちに会っておきたいものだ」と、日頃から願っている。懐かしい人たちもおられれば、お世話になった人たちもおられる。

新型コロナウイルスの脅威さえなければ、藤沢市でも大阪にでも行って、出来るだけ多くの友人知己と旧交を温めておきたいと思っている。未だ何とかそれくらいの時間を公共交通機関を利用してもへたばらないで行けると過信?している。政治を司る方々には若者だけではなく、高齢者も労って頂けると有り難いのだ。「米寿の日」などがあれば素晴らしいではないか。


トランプ大統領の4年間を回顧すれば

2021-01-12 09:09:57 | コラム
やや複雑な感情で受けとめたトランプ大統領の退陣:

簡単に言えば「ハラハラ・ドキドキ」と「この行く末はどうなるのだろう」とトランプ大統領の予測不能(unpredictable)な政治に振り回されていた感があった。しかしながら、「終わりよければ全て良し」とはならなかった。

あの支持者たちを国会議事堂に向かって歩かせた後の騒ぎを見て思い浮かんだのが「九仞の功を一簣にかく」だった。何の事はない「アメリカの歴史に異色・異能の大統領として名を止めただろうドナルド・トランプ氏は、最後の瞬間に負の意味で名を残す事になってしまったな」と感じていた。更に感じたことはトランプ大統領の最後を「複雑な感情」(英語で申し訳ないが“mixed emotion”をこう表現すれば良いかと考えた)を以て見詰めることになってしまったのだった。

私がトランプ大統領を評価している点には、これまでも繰り返して指摘して来たことで「選挙公約を『メキシコ国境における壁の建設』と『対日貿易赤字の大幅削減成』を別にし成し遂げてきた力量は並みのものではないし、過去の民主党政権が甘やかしてきた中国を徹底的に叩きに出られたことは、我が国の国益にも大いなる好影響を与える」と評価はしてきた。だが、彼の礼儀作法と言葉遣いと服装学は、アメリカ合衆国の大統領としては如何なものかという意味で、アメリカの知人たちと同様に「トランプ大統領嫌い」を表明してきた。

友人や元の上司や同僚たちの中には「ドナルド・トランプ氏が大統領に選ばれれば“disaster”(=めちゃくちゃというか大災害とでもするか)と予告した者もいた。だが、そこまでには至っていなかったとは言え、あの選挙後のトランプ大統領の抵抗の状態を見たトランプ大統領支持派であったニューヨークポスト紙に“Stop the insanity!”と忠告される状態にまでいたり、遂にはトランプ大統領が意図しないと言われた国会議事堂乱入になってしまったのだった。私にはアメリカでも、あの階層の人たちがそこまでやるのかと、驚愕させられた。

ここまでで既に「複雑な感情」に陥っていたのだが、「大統領選挙前から民主党陣営の選挙には不正がある」と繰り返し主張され、「選挙が盗まれた。自分が勝者である」と強弁され数多くの州で法廷闘争に持ち込まれた辺りで「何処までその主張を強硬に貫かれる意図なのか。マスメディアがトランプ支持派と囃し立てた新任の最高裁判事を始めとして、誰一人彼の意のままにはならなかったではないか」とその振る舞いに違和感を覚えてきた。いっその事、アッサリと敗北を認めて「次回に捲土重来を期す」と表明された方が、スッキリしたのではないかとすら考えていた。

だが、6,000万人はいるとも言われている支持者を前にしては、そうとは行かなかったのだろう。私にはトランプ大統領の責任にすることが本筋であり、あの暴徒はトランプ大統領に扇動されたと見るのか。あるいは、あの支持者たちはトランプ大統領の「国会に向かって歩こう」声明に勇気づけられて、勝手に行動したとみるべきかは解らない。だが、世上言われているような、アンテイファ等は紛れ込んでいなかったと、連邦政府側の顔認証で立証されていたとかだ。

私でも我が国にトランプ大統領を支持する方々がおられて、デモ行進までされている心中は解らないでもない。私は「民主党が不正選挙をして政権を奪い取ったのだから、トランプ大統領を惜しむ」のではなく、クリントンからオバマと続いた民主党政権の我が国に対する冷淡であり、高飛車というか傲慢な姿勢を嫌っているからこそ、トランプ大統領のあの振る舞いが最後を飾れなかったと言いたいのだ。今月の20日から先の4年間に、バイデン政権がどのように振る舞うかの予想は控えて置くが、希望的というか明るい期待はしていない。

私のアメリカの上司、同僚、友人、知人たちはトランプ大統領に対する弾劾裁判や合衆国憲法修正25条による罷免党は、残された時間からして現実的ではないと観測していたが、民主党はペローシ下院議長の先導の下に、そこまで行ってしまうようだ。それが、果たしてアメリカの為になるのだろうか。私は多くの権威者が「アメリカの民主主義か・・・」と慨嘆されるのを聞いている。

だが、私には多数決を標榜する民主主義の崩壊と言うよりも、今回の騒動は「一握りの富有層対圧倒的多数を占める富まざる者たち」の間の争いの如くに思えてならない。トランプ大統領は自ら述べておられたように“working class”(=労働者階層)、ラストベルト等における悩める労働組合員、プーアホワイトたちに語りかけられ、彼らの意に沿う方向に導かれていたのだった一方で、法人税の引き下げ策で大企業をも優遇するという両面作戦を採られた、異色の大統領だった。それでも「トランプ以外なら誰でも」という気運を招いてしまっていた。兎角この世は解らないものなのだ。