新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月11日 その3 大学ラグビー選手権の決勝戦観戦記

2021-01-11 16:33:58 | コラム
実は天理大学が勝ってホッとした:

このような書き出しでは、早稲田大学出身者と早稲田のラグビーのファンには叱られることを覚悟で考えで書いているのだ。私は元々早稲田のラグビーの支持者ではないが、今回は得意の「閃き」でも何でもなくごく、論理的に「天理大学の優勝」を期待していただけのことだ。

それは、関東大学対抗戦の優勝決定戦では「あれほど弱い早稲田を見たたことがない」との感想を述べたほど、昨年のシーズンの早稲田の出来が良くなかったと言うよりも「近年にも希な弱体だ」と評価していた。角度を変えてみれば「明治が予想以上に洗練されたラグビーに変貌していた割りには、早稲田を力でも圧倒していた」という事になるのだ。、その明治が準決勝であれほど天理に力負けして一蹴されていた以上、理屈からすれば「天理が早稲田に負けては話の筋が通らない事」になるし、明治に勝ったのが故野村克也氏が言われた「不思議な勝ち」になってしまうのだ。

結果を見れば、トライの数では天理大学の8本に対して早稲田大学が4本と、その意味では「ダブルスコア」であり、点数でも55対28で辻褄が合っていたのだった。戦評を簡単に纏めれば「早稲田の力負けであり、技術力の差であり、精神力というか早稲田魂だけでは及ばなかった」となるだろう。天理が全ての点で優っていたが、特にトンガ(フィジー?)からの強力な留学生を要所要所に配置していたので、あれほどの点差になって表れたと見ている。体格と身体能力の差は日本人だけの早稲田にはどうしようもなかった。

私は早稲田大学の各運動部が絶対と言って良いほど簡単に負けはしないし、特に下馬評が早稲田劣勢と出た時などは「そうはさせじ」と食い下がって、簡単に予想通りには相手を勝たせない精神力は評価している。本日も天理大学に8本も取られて明らかに勝負あったという状況に追い込まれても、最後の最後まで試合を捨てずに4本目のトライを取って見せたのだった。相手をしている天理大学はさぞかし薄気味悪い思いをしていたことだろう。

試合としては結構ラグビーとしての質が高く、テレビ観戦でも十分に楽しめた。先週は高校の選手権決勝で桐蔭学園対京都成章の試合も見たが、サッカー出身者としては非常に羨ましいと言うべきか情けない現象があった。それは、ラグビーの選手たちの体格の良さである。悪い表現を使えば我々が子供頃に肥った同級生を「空気デブ」と揶揄したものだったが、彼らの体格、特にがっしりした上半身を見ると「一体どのようなトレーニングを積めば、あれほどの身体になるのだろう。サッカーの選手たちに見習って欲しい」と思ってしまうのだ。

本日は高校ダッカー選手権の決勝戦が行われているが、準決勝戦で見た限りでは彼らは身長こそあるが、皆ホッソリとした体つきで、あれでは海外の優れた連中と戦えば「当たり負け」と「当たられ負け」ばかりになる訳だと、一人静かに残念がっていた。正直に言えば「ラグビーが羨ましい」のである。そのラグビーの連中はエディ・ハリスヘッドコーチに鍛え上げられて、あれほどの体格と身体能力を備えたのだ。その点を森保監督にも見習って欲しいと願うのだ。

自分が育てられたサッカー界には申し訳ない次第だが、青森山田高対山梨学院高校の決勝戦は見ないで、こうしてここでブログの更新に専心しているのだ。


1月11日 その2 菅内閣の奮起を期待しての批判であり不満を

2021-01-11 09:33:55 | コラム
共同通信の世論調査で不支持率が支持率を超えていた:

4ヶ月目でこの有様では大いに不満であり不安にさせてくれる。私はそうなったのも仕方がないように思えるのが残念なのだ。そこで、これまで封印してきた真正面からの建設的になると信じている菅内閣批判を試みてみようと思うに至った。主として新型コロナウイルス対策関連になると思う。

第一が水際対策である。既にブラジルから(の帰国者?)が今までにない新たな変異種の感染が発見されたと報じられている。報道を聞いた瞬間には「未だに危険区域から外国人を受け入れていたとは何事か」と独り密かに激怒していた。だが、外国人の入国を全面的に拒否しないのは安倍政権の決定であり、安倍政権を方針を引き継ぐと表明していた菅内閣である以上、厳しく追及するのは不公平かと一歩引き下がる事にした。だが、水際対策は甘過ぎる。他国に気兼ねする事なく全面封鎖に踏み切るべしだ。安倍内閣が中国からの入国拒否を決めたのが遅すぎた教訓がある。

次が何事につけても「慎重に検討してから決定する」方針だが、これ即ち「後手後手」であり「継ぎ足し方式」にならざるを得ない点を疑問に思っている。これまでに少し批判めいた事も述べてあったが、私があらためて菅首相とその閣僚に願いたい事柄は「即断・即決」である。ハッキリ言えば「慎重に検討する」とか「専門家の意見を聞いて」で対応しても良い時期は過ぎてしまったのではないか。大阪・京都・兵庫の緊急事態発言発令の要望を専門家の意見もあって経過観察と言われたのは、如何にも慎重すぎるのではないか。首相まで西村大臣の慎重さに倣うべきかと言うこと。

緊急事態発令の適用先には疑問を感じている。家内の感想では「飲食業界を標的にするのは誤りとは言えないだろうが、幾ら自制やステイホームを要請されても飲みに出掛ける連中には責任がないのか」なのだ。私にも酒飲みの気持ちは少しは解るが、時節柄自制心をより一層働かせるべきとだとの自覚を促したくもなる。しかし、彼らを責める前に批判したいのが、特措法の改正を次の通常国会に持ち越した政府与党の過剰な慎重さ(=何も手を打たなかった)である。この場合は遅らせた理由をチャンと公表すべきではないのかな。

昨10日の田原総一朗が司会するテレ朝の「激論」だったかで福山哲郎と小池晃の両野党の巨頭が菅内閣の思い切りの悪さを批判して「野党としてウイルス対策はかくあるべしと提案してあったが、一向に政府の方針に反映されていない」と不満を述べていた。内容には尤もだと思わせる点は多々あったようだが、実際に政府の方針に持ち込むとかなり大幅な追加予算が必要になるだろうと思わせられた。私が思うことは予算の心配をしている時期かということも言えるが、今更景気振興とウイルス制圧策の同時進行させるべきかという政府の決断の問題だと感じた。

医療崩壊を如何にして防ぐかの問題だが、結局は詮無い議論となる「政府には法律的に国公立以外の病院にウイルスの患者を受け入れさせる権限がない事」に尽きるようだ。政府(厚労省?)は1病床毎に1,500万円を支給するとの提案をしていたようだが、問題は担当する医師と看護師がおいそれとは揃わない問題に撞着してしまうのだそうだ。私には法律の問題は解らないが、この場合も法整備の遅れというか法律的な対応が出来ていない事が原因であるようだ。

以上を総合してみると、私には以前から指摘して来たことで「内閣というか省庁の垣根を越えて、この新型コロナウイルス感染拡大防止策の中心的な司令塔となるべき組織も指揮者もいない」としか見えない態勢こそが問題だと思うのだ。これも既に繰り返し指摘した事で、政治家でも何でもない専門家会議のお医者様たちを前面に立てようとしたような姿勢は、責任回避と誹られても仕方がないだろう。

このような責任を担うべき組織が出ていない点こそが、可及的速やかに改善を要する最大の問題だろう。大体からして、厚労大臣がいるのに西村康稔担当大臣も置いている態勢が理解できない。両大臣とも責任がないような態勢では事は前に進まないのではないか。


私事ですが2021年の数字遊び

2021-01-11 08:09:48 | コラム
西暦でなければ出来ない数字いじり:

私は何を隠そう1933年即ち昭和8年生まれなので、もう間もなくやってくる誕生日で目出度く(もないと、当人は思っているが)88歳になる。大学卒業が55年(1955年)だったから、今年で66年目となるのだ。社会人になったのがそんな昔のことだったかと、今更ながら「感無量」と言えば大袈裟だが、1951年からアルバイトを続けていたので、社会人になったという実感は乏しかったと記憶している。即ち、学生と会社員との間隔が空いていなかったのだった。

ここまででも、麻雀で言う「対子」(トイツ)が並んだのだが「ぞろ目」という表現は余り採りたくなかった。更、にこの対子を追及していくと、このアパートに藤沢から転入してきた時には55歳で、ここに住むようになって今年で丁度33年なのだし、88歳にもなってしまう訳だ。しかも、この一箇所に33年も住み続けてきたのが88年に達する人生で最長記録となるのだ。33年も印象的だが、それほどの年数を経てもこの人生初の25階建てのコンクリート住宅はビクともしないし、3.11の地震の際にも、卓上に置いてあった写真立てが倒れただけだった。

次に回ってくる対子の年は11年後なのだが、その時は私の年齢は99歳である。新型コロナウイルスの感染から身を守る為に「ステイホーム」した為に脚を始めとして方々が弱ってきた状態を乗り越えて、何とか無事に2032年を迎えられたら喜ばしいのだ。