新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月3日 その2 正月のスポーツ

2021-01-03 11:15:31 | コラム
ステイホームでスポーツ観戦に努めた正月:

サッカー:
元日には恒例の天皇杯の決勝戦があったが、申し訳ない次第でサッカー出身者の私がほぼ愛想を尽かしているので、ほとんど集中することなく流していた。予想も何も遠藤保仁を放出してしまったガンバ大阪には関心が薄れていたし、川崎フロンターレのサッカーが好みではなかったのだから仕方がない。

1945年というか昭和20年からWMフォーメーションの時代に蹴球部に入った私如きが、現代のような技術的に別世界にある我が国のサッカーを批判するとは烏滸がましいと承知で言うのだが、「兎に角見ていて歯痒いし、手に汗握るような緊張感がない」ので、ついつい真剣に観戦しないのだ。これまでに何度も何度も指摘してきたことで、「暇さえあれば最後陣のバックスに回して後ろの方で横パスを交換しているだけで、前線にいる連中が一向に走らず動かずでは、古き良き時代の蹴球人にはもどかしくて見ていられない」のである。

それだけのことだが、私が以前から遠藤保仁ほどではないが評価してきた中村憲剛が引退を表明した最後の試合だったにも拘わらず、最後まで1秒でも出さなかった鬼木監督とやらの「鬼」のような選手起用には腹が立った。無慈悲である。彼は我が国のサッカー界でも功労者の1人ではなかったのか。

高校の全国大会も一寸見た。その中で東京代表の関東一高のプレーの消極性が全日本代表そのままで、常に安全第一で後ろにパスを回しているのには落胆させられた。彼らは、もしかして日本代表のバックパス優先のサッカーを見て「これぞ見習うべきサッカー」と認識しているのかと疑った。あの形を許す指導者の見識も問題だと思った。

ラグビー:
昨2日に大学選手権の準決勝戦はフットボールの専門家と熱心に観戦した。チラと見ただけの家内は「皆が体格が良い」と感心したが、この台詞はそのままサッカー界に献上したいと思った。ここではラグビーの愛好家に叱られそうな極論で暴論を言えば「NHKのみならずマスコミは早稲田大学のラグビーを神聖化しており犯すベからざる聖域」とでも看做しているのではないかと疑っている。だから、対抗戦の優勝決定戦とも言える明治大学との試合で負けた時の嘆き節としか聞こえない中継の姿勢には疑問を感じていた。故に、大学選手権ではどうなるか解らないなどと言ったのだろう。

あの明治との試合は「あれほどアッサリと蹂躙された早稲田のラグビーを見たことがない」との感想を述べたほどの負け方だった。昨日の対帝京大学との試合も私には早稲田のラグビーの質の低下と思わせられた接戦だった。だが、帝京の後半になってからの早稲田のゴールラインに迫ってからの判断の悪さに救われて早稲田が勝ち上がった。だが、あれこそ「何が何でも勝った方が強いのだ」との典型的な例だと思う。帝京の判断の悪さは「あれほど早稲田が反則を重ねたのだから、点差を詰めた後で再度攻め込めば良いのだから、PKを選択すべきだったのでは」である。

もう一つの天理大学対明治大学は予想もできなかったほどの明治の惨敗だった。アナウンサーは何かと言えば古き時代の北島忠治監督の指揮の下に「前へ」という体格と力に依存した前進あるのみという戦術からとっくに脱皮している明治を「前へ」の精神でなどと言うのはおかしいと思っている。早稲田に勝った時などは綺麗にパスを展開するラグビーだった。ところが、昨日の関西の雄・天理大学は往年の明治はこうだったと思わせられそうな力業に徹していたので、洗練されたラグビーの明治から6本ものトライを獲って圧倒してしまった。

私に言わせれば、これで早稲田は目出度く選手権連覇の芽が出てきたのだが、あのトンガだったからの強力な留学生を要する天理大学を何処までいなせるかが勝敗を分ける鍵になると思う。ここでも敢えて暴論だと叱られそうなことを言えば、明治大学は早稲田に勝ったところまでが限界で、マスコミの好むところではない圧勝をした報いが来て天理大学に惨敗する結果になったのかとすら感じていた。そう言いたくなったほど、明治は天理の攻撃力に圧倒されていた。もしかすると、あれはスカウティング不足だったのではと感じていた。

箱根駅伝は未だこの原稿を書いている時点では、創価大学が勝ちきれるかどうか不明なので、後日に譲ろう。


敢えて言いますが

2021-01-03 10:15:06 | コラム
西村康稔大臣、特措法の改正を優先で宜しいのでしょうか:

昨2日には、小池都知事と神奈川・埼玉・千葉の3県の知事が西村康稔大臣に面会して緊急事態宣言を要請したと報じられていました。正月も休日も返上は結構なことだと思いました。私はある程度以上尤もな要請であると思ったと述べていました。だが、西村氏が直ちに応じるとは思えないとも予測しました。

時事通信では「西村大臣というか政府は緊急事態宣言よりも特措法の改正を優先すると考えている由」です。そうなれば、外食・外飲業界に対する時間短縮や休業の補償が問題化するのでしょうが、それは特措法改正があってのことかと思います。産経新聞では分科会や専門家に計って慎重に検討すると応えたとありました。西村氏ならではの安全運転の思考体系でしょう。

極論を言えば「ウイルス制圧策を優先すれば、経済的に支障を来すのですが、この際は制圧を優先してくれと知事たちが言っている」のでしょう。何れにせよ、西村式思考体系では分科会と専門家のご意見を伺ってとなるでしょう。でも、そんな悠長なことを言っている時なのかと気になってしまうのは誤りでしょうか。

何時だったか専門家の一人(医師だったと朧気に記憶)が「このまま無策でいれば、東京で1,000人を超すのは時間の問題」と予告。そして、その通りに12月31日が1,337人の感染者でした。何れを採るかの決断は焦眉の急だと思います。再び極論を言えば、外食・外飲業界に犠牲者が増加することを覚悟の上で決断しないことには「7月のオリンピック開催どころではなくなりはしないか」というところまで行く危険性を感じております。

人々の危機感の欠如というか、感染は他人事とでも思っているのかという感覚が、日テレで幾ら箱根駅伝の中継放送中に「表に出て応援しないでテレビの前で」とテロップを出しても、多くの人が沿道に出ていました。また、秩父宮ラグビー場の大学選手権準決勝戦には抑えてあると言っても「あれほどの観客を入れて良いのか」と驚かされたほど大勢の観客がいました。自制心というか、欲求を抑制する意識の不足を感じました。

特措法の改正を優先したいと言うのならば、早期に国会を召集しなければならないと思うのですが、そこに法案を提出して立憲民主党他の賛成を経て改正できた頃には「残念、手遅れ」という事にならねば良いのですが。暴論を承知で言いますが、私は飲み屋が何軒倒れても痛痒は感じません。それよりも「感染の拡大防止の手立てを早急に講じて欲しい」と願います。それまでは従順に外出しないで待っています。