一層対応が困難な状況に立ち至った時に菅首相に望むこと:
先ほど菅首相の記者会見があった。淡々と訥々に語られたが、その内容は兎も角、聞き手の心を打つというか、打てないように聞こえた。その点を敢えて表現してみれば「慎重に対応しようとしておられることは良く理解できるが、そのコインの裏側には『責任は取れないが、兎に角こうしてみよう』と苦心されている状況が見える」のである。
私は事ここに至れば「約1年間の新型コロナウイルスとの戦いで見えたことは、その感染の拡大阻止に有効な策などは、ワクチンが1億2,600万人に打ち終えてみないことには解らない。故に,今日で打ち出せる対策は東京と周辺の3県に限定的な非常事態宣言を発出することの検討に入る。その代償に1都3県には外飲食業界に午後8時を以て閉店させる事を要求すると表明して欲しい」程度ではなく、「外飲食業界に対して仮令法的根拠がなくとも厳格に時間短縮を励行させて貰いたい。その確約があって始めて緊急事態宣言だ」くらいの強硬姿勢があっても良かったのではないか。
私は既に「菅首相は極めて手堅く、慎重に事を運ぼうとしておられるように見える。その背景にあるものは総理大臣として思い切った決断をすることには未だ不慣れな為であるから」という見方を表明してきた。その意図は「総理大臣の職務に馴れてこられれば、遠からぬ将来に一刀両断で的な決定をされて、この国の内外に山積する難関に挑んで行かれるようになって欲しい」という希望的な観測もあった。思い切った決断の例を挙げてみれば、安倍前総理は誰にも相談せずに「学校の一斉休校」を発令してしまった件がある。あれは結果を恐れていなかったからのようだ。
ビジネスの世界でも「社運か事業部の命運をかけたような決断」を求められる場合が多々ある。そこで結果を恐れて躊躇していては、それこそ破滅に近いような状況になってしまうことがある。政治の世界で総理大臣や担当の大臣が結果を恐れて決断を躊躇っていては、一国の命運が彷徨ってしまうことになりかねない。それは会社が倒産するかしないかどころの規模ではないのだ。その重大さを過剰に意識すると某大臣のように「専門家のご意見を聞いて慎重に検討する」となってしまう。これは「何もしない」という意図の表明と同じだ。菅首相がこうなって欲しくないのだ。
私が新型コロナウイルス感染者の経験談を聞き、それこそ専門家のご意見を承っていてもこのウイルスの感染を拡大を防止できる有力な手立てはないようなのだ。精々「マスク着用と手洗いの励行」に加えて密な状況を避けることくらいしかないようだ。その人物は車でしか移動せず、公共交通機関を避け、リモートで仕事をしていて、感染したと思しき期間内に面談した人物が1人であり、その人が感染者ではななかったのでも感染したので、実感として防止策など考えられず、室内に閉じこもっている以外に何があるのかと回顧していた。
ヨーロッパの諸国では都市封鎖が効果があったという結果になっておらず、中国のように政権の絶対的強権的権力で封じ込めたかのような例があるが、何処にも絶対的な策と思われる例がなかった。そうであれば、これと思われる策を先手必勝的に採用していくことしかないように思える。即ち、A案が不発に終わればB案でいき、それこそZ案まで行って見れば良いのだ。上述のように結果を恐れて「慎重に検討」では良い結果が出て来る訳ないだろうと思ってしまう。
菅首相は先ほど「外飲食業界での感染が60%を占めていると思う」と述べておられた。だから4都県に「午後8時での閉店を励行されたい」と要請しておられた。それならば一歩前進かと思わせるが、矢張り国会を開いての特措法改正の審議入りでは、改正案が実行されるのは早くても2月だ。これでは又ぞろ「後手後手で、対症療法のみで手遅れだ」との批判を免れないだろう。敢えて「本気で拡大を阻止する気が終わりならば、今週中にも国会を召集して審議入りする」くらいを言って欲しかった。嘗て加藤紘一氏は「あんたが大将なのですよ」と言われたではないか。
話を本筋から外すが、私は以前に「安倍総理は人事が不得手だったようで、内閣改造の度に不適切な大臣を選んでおられた」と批判したことがあった。その意味では、私はこれまでに繰り返して西村康稔大臣を「責任回避ばかりのお利口さんである」と批判してきた。その責任回避の裏側にある事が「過剰な慎重さ」である。しかしながら、西村氏は上からの評価は高いようだ。もしも、菅首相が西村氏の過度の慎重さ(=責任回避)を評価しておられたのであれば、それはこの危機の時にあってはお眼鏡違いだと思うと、敢えて言う。
現時点で必要なことは「決断」であって、時間をかけて対策や対案を検討することではないと思う。私は何も西村氏を外せと言っているのではない。総理ご自身で腹を決めて決断をされて、国会を召集されて、事を前に進めて欲しいのだ。誰かが「リーダーシップを発揮して」と言っていたが、何もカタカナ語の必要などないと思う。時間を空費せずに決断して国を引っ張っていって頂きたいのだ、もしも特措法の改正こそが究極の策だと思っておられるのならば。
先ほど菅首相の記者会見があった。淡々と訥々に語られたが、その内容は兎も角、聞き手の心を打つというか、打てないように聞こえた。その点を敢えて表現してみれば「慎重に対応しようとしておられることは良く理解できるが、そのコインの裏側には『責任は取れないが、兎に角こうしてみよう』と苦心されている状況が見える」のである。
私は事ここに至れば「約1年間の新型コロナウイルスとの戦いで見えたことは、その感染の拡大阻止に有効な策などは、ワクチンが1億2,600万人に打ち終えてみないことには解らない。故に,今日で打ち出せる対策は東京と周辺の3県に限定的な非常事態宣言を発出することの検討に入る。その代償に1都3県には外飲食業界に午後8時を以て閉店させる事を要求すると表明して欲しい」程度ではなく、「外飲食業界に対して仮令法的根拠がなくとも厳格に時間短縮を励行させて貰いたい。その確約があって始めて緊急事態宣言だ」くらいの強硬姿勢があっても良かったのではないか。
私は既に「菅首相は極めて手堅く、慎重に事を運ぼうとしておられるように見える。その背景にあるものは総理大臣として思い切った決断をすることには未だ不慣れな為であるから」という見方を表明してきた。その意図は「総理大臣の職務に馴れてこられれば、遠からぬ将来に一刀両断で的な決定をされて、この国の内外に山積する難関に挑んで行かれるようになって欲しい」という希望的な観測もあった。思い切った決断の例を挙げてみれば、安倍前総理は誰にも相談せずに「学校の一斉休校」を発令してしまった件がある。あれは結果を恐れていなかったからのようだ。
ビジネスの世界でも「社運か事業部の命運をかけたような決断」を求められる場合が多々ある。そこで結果を恐れて躊躇していては、それこそ破滅に近いような状況になってしまうことがある。政治の世界で総理大臣や担当の大臣が結果を恐れて決断を躊躇っていては、一国の命運が彷徨ってしまうことになりかねない。それは会社が倒産するかしないかどころの規模ではないのだ。その重大さを過剰に意識すると某大臣のように「専門家のご意見を聞いて慎重に検討する」となってしまう。これは「何もしない」という意図の表明と同じだ。菅首相がこうなって欲しくないのだ。
私が新型コロナウイルス感染者の経験談を聞き、それこそ専門家のご意見を承っていてもこのウイルスの感染を拡大を防止できる有力な手立てはないようなのだ。精々「マスク着用と手洗いの励行」に加えて密な状況を避けることくらいしかないようだ。その人物は車でしか移動せず、公共交通機関を避け、リモートで仕事をしていて、感染したと思しき期間内に面談した人物が1人であり、その人が感染者ではななかったのでも感染したので、実感として防止策など考えられず、室内に閉じこもっている以外に何があるのかと回顧していた。
ヨーロッパの諸国では都市封鎖が効果があったという結果になっておらず、中国のように政権の絶対的強権的権力で封じ込めたかのような例があるが、何処にも絶対的な策と思われる例がなかった。そうであれば、これと思われる策を先手必勝的に採用していくことしかないように思える。即ち、A案が不発に終わればB案でいき、それこそZ案まで行って見れば良いのだ。上述のように結果を恐れて「慎重に検討」では良い結果が出て来る訳ないだろうと思ってしまう。
菅首相は先ほど「外飲食業界での感染が60%を占めていると思う」と述べておられた。だから4都県に「午後8時での閉店を励行されたい」と要請しておられた。それならば一歩前進かと思わせるが、矢張り国会を開いての特措法改正の審議入りでは、改正案が実行されるのは早くても2月だ。これでは又ぞろ「後手後手で、対症療法のみで手遅れだ」との批判を免れないだろう。敢えて「本気で拡大を阻止する気が終わりならば、今週中にも国会を召集して審議入りする」くらいを言って欲しかった。嘗て加藤紘一氏は「あんたが大将なのですよ」と言われたではないか。
話を本筋から外すが、私は以前に「安倍総理は人事が不得手だったようで、内閣改造の度に不適切な大臣を選んでおられた」と批判したことがあった。その意味では、私はこれまでに繰り返して西村康稔大臣を「責任回避ばかりのお利口さんである」と批判してきた。その責任回避の裏側にある事が「過剰な慎重さ」である。しかしながら、西村氏は上からの評価は高いようだ。もしも、菅首相が西村氏の過度の慎重さ(=責任回避)を評価しておられたのであれば、それはこの危機の時にあってはお眼鏡違いだと思うと、敢えて言う。
現時点で必要なことは「決断」であって、時間をかけて対策や対案を検討することではないと思う。私は何も西村氏を外せと言っているのではない。総理ご自身で腹を決めて決断をされて、国会を召集されて、事を前に進めて欲しいのだ。誰かが「リーダーシップを発揮して」と言っていたが、何もカタカナ語の必要などないと思う。時間を空費せずに決断して国を引っ張っていって頂きたいのだ、もしも特措法の改正こそが究極の策だと思っておられるのならば。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます