こんばんわ。
佐伯祐三の回顧展が東京ステーションギャラリーで開催中である。佐伯の回顧展は初めてのはず、とぼくのブログ日誌をめくってみると、15年ほど前に横浜そごう美術館で”佐伯祐三展”(没後80年;鮮烈なる生涯)を観ている(汗)。すっかり忘れていた佐伯祐三(1898-1928)についていろいろ思い出すことが出来てうれしい。
佐伯はなんと30歳の若さで夭折している。その間、まるで自分の短い生涯を知っていたかのように、疾走し、画風も変遷する。NHKの日曜美術館の”アートシーン”のコーナーで本展を要領よくまとめていたので、ぼくも、これにならって記録しておこうと思う。展覧会場では撮影禁止なので、ここでの画像もテレビ画像が中心となる。
佐伯は東京美校を卒業後、実家が裕福だったこともあり、私費でパリに留学する。そこで、フォーヴィスムの画家ヴラマンクに出会い、自分の絵を得意そうに見せたところ、”このアカデミック!”と怒鳴られ、ショックを受けた。その直後の自画像が面白い。顔がかき消され、自分のアイデンティティを失った衝撃の大きさを物語っている。
立てる自画像(1924)
東京美校の卒業制作の”自画像”(1923)。
この挫折を経て、ユトリロやゴッホらからも影響を受け、佐伯の作品は大きな変貌を遂げていく。ユトリロの絵のように何気ない街角をモチーフにして、次々と作品を発表する。
パリ15区街(1925)
壁(1925)壁の広告の文字もそのまま描き、それが魅力になっている。
そして、1926年、日本に一時帰国。1年半、身近な風景を描く。
下落合風景(1926)電柱の縦に長く伸びる線が気に入ったようだ。
滞船(1926) ここでも、マストの直線が描かれる。
再び、パリに戻り、線の表現に磨きがかかる。
テラスの広告(1927) 文字の線が繊細に、踊るように。
ピコン(1927)
モランの寺(1928)ここでは、線は太く、力強く、変遷している。
佐伯の最晩年の2枚の扉の絵。これは自分の最高の絵だ、売らないで、と言ったという。その五か月後、短い生涯を終える。
黄色いレストラン(1928)
扉(1928)佐伯の力量が凝縮された作品だと、テレビの解説者。
人物画も結構ある。その一つ。郵便配達夫。自分の家に来る配達夫が気に入ってスケッチさせてもらったとのこと。
郵便配達夫(1928)ゴッホにも郵便配達夫を描いた名作があるが、ゴッホのオマージュか。ゴッホの名作、”オーヴェル教会”も佐伯は描いている。
街に生き 街に死す 描くことに命を捧げた伝説の洋画家、佐伯祐三。わずか30歳の生涯だった。
(公式サイトから)およそ100年前、「大阪」「東京」「パリ」の3つの街に生き、短くも鮮烈な生涯を終えた画家、佐伯祐三(1898-1928)。1924年に初めてパリに渡ってからわずか4年余りの本格的画業の中で、都市の風景を題材とする独自の様式に達しました。特に、一時帰国を挟んだ後の2回目の滞仏期に到達した、繊細で踊るような線描による一連のパリ風景は、画家の代名詞とされ、その比類ない個性は今でも多くの人を魅了し続けています。私たちは、佐伯の絵画に向き合う時、風景に対峙する画家の眼、筆を走らせる画家の身体を強く想起させられます。そして、描かれた街並の中に、画家の内面や深い精神性を感じ取ります。それゆえ作品はしばしば、画家自身を映したもの/自画像にたとえられます。
東京ステーションギャラリーは東京駅丸の内駅舎の一画にある。
美術館は、佐伯と同時代の1914年に創建された東京駅丸の内駅舎内にあり、当時のレンガ壁がそのまま展示室の空間に生かされている。
東京駅八重洲口側には、3月10日にグランドオープンする”東京ミッドタウン八重洲”のビルが聳えていた。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
近所の玉縄桜(鎌倉生まれの早咲き桜)が五分咲き程度になってきた。
偶然でしたが、帰路に立ち寄っての鑑賞でした。
観に行きたい気持ちと、出不精が・・・
ここで充分と思えています。
いつもありがとうございます。
郵便配達夫、教科書に載っていましたね。
これで思い出されるのが、郵便配達は2度ベルを鳴らす。
レイモンド・チャンドラーの原作、男女の入り組んだ殺人事件の真相に戦慄した覚えがあります。
連載、第二章終わりです。
この時点で、ふみこは12歳位です。
リョウは8歳かな?
次回には異世界にか、元の時代に還るか・・・
ワ~イ!ぶらぶら美術・博物館観ましたよ。
>>巨匠、ヴラマンクから”このアカデミック”と怒鳴られてから、佐伯の真剣な絵の修行が始まった
>>文字の看板が立ち並ぶ街角風景とか、いたずら書きのある壁の風景などが、好み系でしたが、今回、こうゆう人物画もなかなかいいな
ヒェ~!すでに15年前に観抜いておられたとは!
あっ、”アートシーン”のコーナーでもありましたか!
>”このアカデミック!”と怒鳴られ、ショックを受けた。
絵画って面白いものですね。
>顔がかき消され、自分のアイデンティティを失った衝撃の大きさを物語っている。
この失敗作ですら作品として残っているのですね。
「かき消されいる」こそ面白いです。
「東京美校の卒業制作の”自画像”(1923)」で、すでにパリで学んだみたいですね。
>パリ15区街(1925)
親しみやすいです。
>壁(1925)壁の広告の文字もそのまま描き、それが魅力になっている。
物質感、正面性、書き文字なんて独自性を解説してましたね。
>下落合風景(1926)電柱の縦に長く伸びる線が気に入ったようだ。
はっはっは、ガラリと変わったんですね。
以後「線」ばかり・・・。
>滞船(1926) ここでも、マストの直線が描かれる。
「子供の構図みたい」というこの解説もおもしろかったです。
線なんですね。
>テラスの広告(1927) 文字の線が繊細に、踊るように。
この画は「文字」で生きているのでしょうか?
>ピコン(1927)
右の家の前のもやもやは枯れ木?
>モランの寺(1928)ここでは、線は太く、力強く、変遷している。
面白い!
>扉(1928)佐伯の力量が凝縮された作品だと、テレビの解説者。
画が分からなくても迫力ありますね。
>郵便配達夫(1928)
過去にとこかで見かけた気がしますが、あらためて素晴しさを感じました。
へ~っ、大阪の街も描いているんですか!
・都市の風景を題材とする独自の様式
・2回目の滞仏期に到達した、繊細で踊るような線描による一連のパリ風景
・風景に対峙する画家の眼、筆を走らせる画家の身体を強く想起
・画家自身を映したもの/自画像に
いやいや、感動です。
有難うございました。
おやすみなさい。
シャガール展をここでみられたのですか。ぼくも見たような気がします。
”郵便配達は2度ベルを鳴らす”、ありましたね。これも見たような気がします。佐伯の作品のモデルはこの日が最後で二度と玄関のベルを鳴らすことはなかったようです(笑)。
うさぎのダンス。第三章、楽しみにしています。ふみちゃんとリョウさんの運命いかに。
15年前にも大阪のコレクションを中心とした回顧展を観ているのに、すっかり忘れていました。ボケたもんです(笑)。でも、ブログに残しておけば、思い起こせるわけで、改めてブログの効用を知りました。
郵便配達夫(1928)は、もう体がゆうことをきかず、外へ出られず、郵便屋さんにモデルにたのんだようですね。教科書にものる名作になりました。
いろいろ感想コメントありがとうございました。この展覧会は大坂に巡回するようですね。ぜひ、どうぞ。