こんばんわ。
先日、新千円札の北里柴三郎に初対面した。ぼくは現金を使うことが少なくて、たまたま現金しかだめという都内の美術館の入場券のおつりの中に混じっていたのだ。はじめまして、ご挨拶申し上げます。
ぼくは北里柴三郎には馴染みがある。ぼくが時々訪ねる鎌倉の富士見の名所、稲村ケ崎の丘の上にコッホ博士に碑があり、そこにコッホ博士と並んだ北里柴三郎の写真があるのだ。
石碑の右下の説明板の中にこの写真がある。新札のお顔と同じです(笑)
説明板にはこう書かれている。コッホ博士は結核菌やコレラ菌を発見し、1905年にノーベル賞を受賞し、1908年(明治41年)、彼が65歳になったとき、二度目の妻を伴い、世界漫遊の旅に出た。そのとき、弟子の北里柴三郎が招待し、日本に2ヶ月ほど滞在した。鎌倉が気に入り、ひと月ほど海浜ホテルで過ごし、ここの景観を好まれた。富士山と江の島が並ぶ景観。
北里柴三郎はどんな人?子供の頃、伝記を読んだはずだが、すっかり忘れている。そこで図書館で手にした本が、山崎光男著”ドンネルの男/北里柴三郎”だった。これがとても面白く、北里ファンになった。
北里は明治政府の要請で、ドイツのコッホ博士の元に留学し、破傷風菌、ペスト菌を発見、さらに、ベーリングと共に破傷風(ジフテリアも)の血清療法も確立する。この研究が、第一回ノーベル生理医学賞候補になったのだが、本来ならば、共同受賞のはずだが、ベーリングの単独受賞となった。
2016年の円覚寺夏季講習で白駒妃登美さんが、”志高き日本人の物語”というテーマで講演されたが、それは北里のことだった。”志高き日本人”としての北里は、その後の行動に面目躍如たるものがある。いよいよ帰国となるのだが、これだけの業績をあげた学者だから、ドイツのみならず欧州の大学、研究所が放っておくはずがない。何とケンブリッジ大学が研究所長のポストと多額な研究費を用意して招いたという。しかし、北里は見向きもしなかった。自分が多額な国費を使って海外留学したのは、帰国してから、黎明期の日本の医学に役に立つためだ、食い逃げするわけにはいかない、と。
そして、帰国するのだが、日本で研究を進めるのには困難を極めた。母校の東大医学部と対立し、途方にくれていたとき、手を差し伸べてくれたのが福沢諭吉だった。多額の費用を援助し、私立伝染病研究所をつくってくれた。その後、国立に移管され、志賀潔ら優秀な研究者が育った。さらに、これが東大付設にされるとき、ここを飛び出し北里研究所を創設した。その後、福沢諭吉の恩義を一生忘れず、彼が創設した慶応大学に医学部ができたときに、無給で医学部長を務めたという。
北里ゆかりの地をいくつか訪ねている。
北里柴三郎が留学していたコッホ研究室のあったベルリン大学(現フンボルト大学)。2013年東ドイツ旅行にて。
この近くにあるアルテ・ナショナルギャラリー(旧国立美術館という意味)1876年設立なので、当時からあった。北里は研究熱心で美術館には行かなかっただろう。同時期、森鴎外もベルリンに留学していて北里とも会っている。彼は絶対に美術館に行っているはず(笑)。
北里が所長を務めた旧伝染病研究所。現在東大医科学研究所であるが、伝研以来のレトロな建物。1937年(昭和12年)、内田祥三設計とのこと。外壁はスクラッチタイルを用い、車寄せのポーチには連続アーチが。
”近代医科学記念館”もある。
北里柴三郎と業績集
現千円札の野口英世のコーナーもある。
なんと、稲村ケ崎のコッホの碑の写真の元もここにあった。
北里柴三郎の生家は阿蘇の小国町。ここにも記念館があり、何十年も前に一度、訪ねたことがある。小さな古びた記念館だったように記憶しているが、現在はこんなふうになっているようだ。機会があれば、もう一度。
国立印刷局の特設サイトより。
お札の表面には、破傷風血清療法の確立、ペスト菌の発見のほか、伝染病研究所、北里研究所を創立し後進の育成にも尽力した北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)。裏面には、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作で知名度も高く、世界の芸術家に影響を与えた「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」を描いています。
大谷44号、打点もトップに
大谷、二試合連続の44号ホームラン。これに続いて、ベッツ、フリーマンのMVPトリオが3連続ホームラン!ドジャーズ史上初の快挙。
大谷は、8月、12本目のハイペース、昨シーズン、ア・リーグでホームラン王を獲得したときの44本と並ぶ。ナ・リーグでのホームラン王も見えてきた。2位のオズナに7本差に。打点も首位タイとなり、現在、二冠。さあ、終盤が楽しみだ。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
ベルリン絵画館にて。
志を一貫してやり遂げるには、相当の精神力が必要ですね。
健康維持も無論ですが、何時の時代にも、資金がなければ行い難し。
自らの努力とは云うものの、運気の波に乗れる者は稀です。
大谷選手の謙虚さ、野球を楽しみ、志失わず。
世界中が、ファンですね。
おやすみなさいませ。
>はじめまして、ご挨拶申し上げます。
はっはっは、私は現金党ですが、ATMからすっと表れましたが、「いわれ」も知らないし、未練もないのですぐに使ってしまいました。
笑っているうちにダイヤモンドバックスに4点もとられてしまいました、ありゃ5点・・・。
>ぼくは北里柴三郎には馴染みがある。
あらあらご紹介いただけたら金まわりが良くなりそう(笑)
>コッホ博士は結核菌やコレラ菌を発見し、1905年にノーベル賞を受賞し・・・鎌倉が気に入り、・・・富士山と江の島が並ぶ景観。
へ~っ、世界を旅している中でひと月も!!!
marboさんは、そのような天国でお暮しなのですね。
えっ、「本来ならば、共同受賞のはずだが、ベーリングの単独受賞となった。」
そんなことってあるんですね。
円覚寺夏季講習”志高き日本人”とは格調高いですね。
>しかし、北里は見向きもしなかった。・・・食い逃げするわけにはいかない、と。
いやはや、すばらしいです。
(ドジャースは3連発も出ず、もう9点も取ってしまった)
>東大医学部と対立し、
骨がある方なんですね。
>東大付設にされるとき、ここを飛び出し北里研究所を創設した。
いやはや・・・。
>福沢諭吉の恩義を一生忘れず・・・無給で医学部長を務めたという。
頭が下がります。
>ベルリン大学(現フンボルト大学)。2013年東ドイツ旅行にて。
あらあら、ヨーロッパはどこでも歩かれておられるんですね。
>外壁はスクラッチタイルを用い、車寄せのポーチには連続アーチが。
お詳しい!!!
(ラジオ体操の時間になりましたので、また寄らせていただきます)
有難うございました。。
>”近代医科学記念館”もある。北里柴三郎と業績集、
北里柴三郎の生家は阿蘇の小国町、見るのも聞くのも初めてのことばかりです。
現地の記念館にも足を延ばされた
>北里研究所を創立し後進の育成にも尽力した北里柴三郎に、葛飾北斎の「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」でしたか。
今度お札を手にしたら、しっかり拝見したく思います。
marboさんとの縁がとことんあるんですね。
>MVPトリオが3連続ホームラン!ドジャーズ史上初の快挙。
へ~っ、ドジャースでも快挙だったとは!!!
>現在、二冠。さあ、終盤が楽しみだ。
ダークホースが表れないように祈ります。
なになに。今日は14対3で大谷は「休み」の日でしたか。
とても興味深い記事をありがとうございました。
>自らの努力とは云うものの、運気の波に乗れる者は稀です。
そうですね。
>大谷選手の謙虚さ、野球を楽しみ、志失わず。世界中が、ファンですね。
その通りです!今日は4-0とお休みしました。明日は45-45を一気に。ここでの予想がいつも当たるので。書いておきます(笑)。
北里柴三郎物語、読んでいただきありがとうございまっした。やはりお札み選ばられるだけあって志高き医学者ですね。
海外旅行は70代に入り、ストップしてしまいましたが、現役時代は仕事で定年退職後は旅行で欧米を廻ることができました。
二度にわたるコメントをいただき、ありがとうございました。