おはようございます。三浦海岸の河津桜のつづきです。
跨線橋からはじまる京急電鉄線路沿いの河津桜を楽しみながら歩いて行くと、小池ヶ池公園入口に到着する。先方に桜並木のゴールとなる跨線橋が見える。

公園のメインは池の畔りの方だが、入り口前の小公園でお花見客で賑わっている。

ここで、白梅と河津桜の競艶も楽しめる。

根っこと河津桜の競演も楽しめる。

ここで一休みして。跨線橋へ。ここで、桜並木と京急電車を撮る人々が群がっている。

金網越しに撮るとこうなる。

前に出て、金網の間から撮る。

そして、電車を待つ。何とか撮れた。

場所を変えて。見事な河津桜にうっとりそてしまう。

電車が来た!




普通の赤い電車ばかり。たまに来るブルーの電車、めったに来ない黄色の電車を待った。いつかは運よくいきなり京急イエローに出会えたが、今回ははずれ。近くのガレージセールの白い三浦大根を見てあきらめる。

公園内に入り、小松ヶ池に向かう。小松ヶ池に並ぶ河津桜。見事な咲きっぷり。

お花見をする人々。


土手に上がると、露店が並ぶ。

ここも満開。

ここで、ゆっくりして、畑道を通り、駅へ向かう。
畑道で振り返ると、小松ヶ池の河津桜。

反対側には、畑作物越えに線路沿いの河津桜。

線路沿いと上の道の二列の桜並木。左に跨線橋。

桜並木のスタート地点の跨線橋下に到着。

ここから駅へ。駅近くの海防陣屋跡地に立ち寄り、千年紀樹の河津桜を見る。海防陣屋跡地とは。弘化四年(1847年)徳川幕府が、当時の異国船渡来に怯えて、急ぎ江戸湾(東京湾)防備のために置いた。彦根藩主井伊直弼が赴任した。嘉永6年(1853年)に長州藩が交代し、さらに安政5年(1858年)には熊本藩に代わり、その後は浦賀奉行所に移管された。桂小五郎(後の木戸孝允21歳のとき)や伊藤俊輔(後の伊藤博文16歳の時)はこの陣屋に勤めていた。

これが記念樹。西暦2000年を機に、21世紀が夢と希望に満ちた世紀になるように、花の名所つくりを目指した、という案内板がある。三浦の河津桜のはじまり。羽を拡げたような樹形。



駅の看板も桜模様に。

今年は、これ以上ない最高の三浦海岸の河津桜でした。これで、河津桜の名所、河津、三浦海岸と二冠を制した。残すは松田。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!