こんにちわ。昨晩の、ブラタモリ”東京・白金/白金はなぜシロガネーゼの街になった?”に最初に出てきたのが、旧朝香宮邸(庭園美術館)だった。ちょうど、関連の書きかけの記事があったので一気に仕上げた(笑)。
先日、目黒の庭園美術館で開催されているキスリング展/エコール・ド・パリの夢を見てきた。とてもよかった。なにしろ、会場の庭園美術館が旧朝香宮邸、キスリング(1891-1953)の同時代に全盛だったアール・デコ様式の邸宅だからね。お屋敷に招かれて、壁に飾られた美術品を鑑賞しているみたいな気分。
緑の道を行くと。
その先に、庭園美術館が。(以下の建物、室内等はブラタモリにも紹介されている)
館内は撮影禁止だが、一部、OKなところがある。噴水器台のある次室とか。
書斎とか。(戦後、吉田茂が外務大臣公邸として使用し、この部屋を好んだと紹介されていた)
エコール・ド・パリを代表する画家の一人、キスリング。ポーランドの生まれのユダヤ人で、19歳でパリに出る。モンマルトルやモンパルナスで、フジタやピカソ、ブラック、モディリアーニらと交流。初期はキュビスムの影響を受けるが、すぐに主題を写実的に表わすようになる。さらに、イタリアやフランドルの古典的な絵画に傾倒。1920年代の秩序への回帰の動きに同調していく。
フジタと出会ったのが1913年、ふたりともおかっぱ頭で気が合った。キスリングはキキという愛称だったらしい。キキといえば、フジタのモデルとして有名な”モンパルナスの女王キキ”。なんと、キスリングも彼女をモデルに描き、本展にも”モンパルナスのキキ”の作品があった。残念ながら、絵葉書もなく、ここに載せることができない。キスリングと仲間たちの写真があったが、この中に、フジタ、ユトリロらに混じってキキらしき女性がいた。
ちらしに載っているいくつかの作品をここに記録しておこう。
ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)(1933年)カンティーニ美術館、マルセイユ
シルヴィー嬢 (1927)松岡美術館
レモンのある静物、緑の背景(1916)プティ・パレ美術館
サン=トロペでの昼寝(キスリングとルネ)》プティ・パレ美術館
赤い長椅子の裸婦(1937)パリ市立近代美術館
ミモザの花束(1946)パリ市立近代美術館
では、午後から、また山百合、訪ねて幾千里。