北海道空知郡中富良野町。ラベンダー畑で有名なファーム富田のアドレスである。富良野市には入ってない。ほかに上富良野町もある。よそものからみると、富良野市に合併してもいいのでは、と思うが、いろいろ事情があるのだろう。
さて、はじめにファーム富田の歴史を辿ってみよう。世界の要人も見学に来るという北海道の一大名所となったファームも苦難の途を歩んだのだ。
1903年(明治36年)に富田家初代が福井県からこの地に入植する。孫の代になり、1958年に香料用のラベンダーの栽培を始める。その後、順調に規模を拡大していくが、70年代に入り、貿易の自由化と合成香料の出現により、買い上げ価格が下落する。250戸以上もあった富良野地区のラベンダー栽培農家は、徐々に減少し、とうとう富田家だけになってしまう。1975年、いよいよ畑をつぶさざるを得ないと、トラクターを入れるが、ラベンダーへの愛着を捨てきれない。もう一年と我慢する。すると翌年奇跡が起こる。1976年5月の国鉄のカレンダーに、富田家のラベンダー畑の写真が採用される。これが契機となり、観光客やカメラマンが訪れるようになる。さらに、テレビドラマ”北の国から”(先日、お亡くなりになられた地井武男さんも出演してましたね)がヒット、富良野の知名度が上がり、ここも一躍有名になる。ラベンダー畑は観光農園として発展してゆくことになる。
その当時からの、”トラディショナル・ラベンダー畑”が現在もある。その畑の前に、以上の富田家の歴史を記した案内板が立っている。




その農園と道路を挟んで、数倍の敷地をもつ、ラベンダー畑や花畑がある。また、そこには、富良野オリジナル香水など、ラベンダー関連の製品やお土産品、ドライフラワーなどの館もあり、多くの観光客で賑わっている。






ラベンダーソフト



さて、はじめにファーム富田の歴史を辿ってみよう。世界の要人も見学に来るという北海道の一大名所となったファームも苦難の途を歩んだのだ。
1903年(明治36年)に富田家初代が福井県からこの地に入植する。孫の代になり、1958年に香料用のラベンダーの栽培を始める。その後、順調に規模を拡大していくが、70年代に入り、貿易の自由化と合成香料の出現により、買い上げ価格が下落する。250戸以上もあった富良野地区のラベンダー栽培農家は、徐々に減少し、とうとう富田家だけになってしまう。1975年、いよいよ畑をつぶさざるを得ないと、トラクターを入れるが、ラベンダーへの愛着を捨てきれない。もう一年と我慢する。すると翌年奇跡が起こる。1976年5月の国鉄のカレンダーに、富田家のラベンダー畑の写真が採用される。これが契機となり、観光客やカメラマンが訪れるようになる。さらに、テレビドラマ”北の国から”(先日、お亡くなりになられた地井武男さんも出演してましたね)がヒット、富良野の知名度が上がり、ここも一躍有名になる。ラベンダー畑は観光農園として発展してゆくことになる。
その当時からの、”トラディショナル・ラベンダー畑”が現在もある。その畑の前に、以上の富田家の歴史を記した案内板が立っている。




その農園と道路を挟んで、数倍の敷地をもつ、ラベンダー畑や花畑がある。また、そこには、富良野オリジナル香水など、ラベンダー関連の製品やお土産品、ドライフラワーなどの館もあり、多くの観光客で賑わっている。






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