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気ままに

大船での気ままな生活日誌

中富良野町 ファーム富田のラベンダー畑

2012-07-06 18:42:26 | Weblog
北海道空知郡中富良野町。ラベンダー畑で有名なファーム富田のアドレスである。富良野市には入ってない。ほかに上富良野町もある。よそものからみると、富良野市に合併してもいいのでは、と思うが、いろいろ事情があるのだろう。

さて、はじめにファーム富田の歴史を辿ってみよう。世界の要人も見学に来るという北海道の一大名所となったファームも苦難の途を歩んだのだ。

1903年(明治36年)に富田家初代が福井県からこの地に入植する。孫の代になり、1958年に香料用のラベンダーの栽培を始める。その後、順調に規模を拡大していくが、70年代に入り、貿易の自由化と合成香料の出現により、買い上げ価格が下落する。250戸以上もあった富良野地区のラベンダー栽培農家は、徐々に減少し、とうとう富田家だけになってしまう。1975年、いよいよ畑をつぶさざるを得ないと、トラクターを入れるが、ラベンダーへの愛着を捨てきれない。もう一年と我慢する。すると翌年奇跡が起こる。1976年5月の国鉄のカレンダーに、富田家のラベンダー畑の写真が採用される。これが契機となり、観光客やカメラマンが訪れるようになる。さらに、テレビドラマ”北の国から”(先日、お亡くなりになられた地井武男さんも出演してましたね)がヒット、富良野の知名度が上がり、ここも一躍有名になる。ラベンダー畑は観光農園として発展してゆくことになる。

その当時からの、”トラディショナル・ラベンダー畑”が現在もある。その畑の前に、以上の富田家の歴史を記した案内板が立っている。








その農園と道路を挟んで、数倍の敷地をもつ、ラベンダー畑や花畑がある。また、そこには、富良野オリジナル香水など、ラベンダー関連の製品やお土産品、ドライフラワーなどの館もあり、多くの観光客で賑わっている。













ラベンダーソフト








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美瑛 パッチワークの路から四季彩の丘へ

2012-07-06 08:52:10 | Weblog
札幌滞在5日間、その4日目に出掛けた場所は、花畑で有名な美瑛とラベンダーの富良野。ガイド付きの観光バスで一路、北海道のへそ(富良野が中心に当たるのでへそといわれている)を目指して。

美瑛に近づくと、あれがセブンスターの木です、とガイドさん。セブンスターのパッケイジの模様に採用され、そう呼ばれるようになった柏の木だそうだ。そして、あのポプラ並木は旅行社のパンフにつかわれました、あの一本のポプラの木は、ケンとメリーの木です、由来は、ケンとメリーが出演した第4代スカイラインのCMがこのポプラの木を背景に撮影されたからです、と次から次へと、ほおーの面白情報。また、この辺りの道路をパッチワークの路と呼ぶそうだ。なだらかな丘に、いろんな作物が植えられ、とくに麦秋の頃は、すばらしいパッチワーク模様を表すとのこと。今は、麦はまだ青いけど、ジャガイモの花がいっぱい咲いていて幸せの気持ち。

(セブンスターの木)

(ポプラ並木)

(ケンとメリーの木)

(パッチワークの路から、ジャガイモの花が咲いている)


写真家、前田真三さんの話も聞く。八王子の出身で商社を中途退社、写真家として独立。全国行脚の最後に、ふと立ち寄った美瑛地区。畑地のうつくしさに感激。ここで名作”麦秋鮮烈”が生まれる。赤麦畑(クネコムギ)が夕陽が照らされ、鮮烈な赤色となっていた。この一枚が写真家としての彼と、この美瑛の地を有名にしたのだった。フジタとキキの関係みたい。今回は寄らなかったが、彼の写真ギャラリー、拓真館もこの近くにある。ワイフは入ったことがあり絵ハガキも買っている。
”麦秋鮮烈”


さて、国道から少し入り込んだところに”四季彩の丘”がある。ここは作物ではなく、さまざまな花を植えてある。ルピナス、ハナビシソウ、アイスランドポピーとか。花はまだ早かったけれど、なだらかな、広々とした丘に描かれる花のラインは、夢のような光景だった。そして、背景には、雲が切れ始めた十勝連峰が。後藤純男の冬の”十勝連峰”を思い出したりする。

四季彩の丘








背景に十勝連峰


(冬の十勝連峰)後藤純男


色彩の丘を後にして、ぼくらは富良野に向かった。



そうそう、ひょうきんもの牧草ロールもいったっけ。


道産子も。
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