中秋の名月、昨日の天気予報では、雨か曇り。てっきり、駄目かと思っていたら、なななんと、名月がみられたんでござんす。芭蕉翁は”奥の細道”で敦賀の名月を楽しみにしていたけれど、雨が降り、”名月や北国日和定めなき”と嘆いたけれど、こちらは、雨の予報が晴れということで、逆の意味で、”名月や鎌倉日和定めなき”と、喜んだのだ。
もう4時頃からそわそわ、八幡さまで名月をと、わくわくどきどきして出掛けたのだった。
駅前のルノアールで、アイスコーヒーを飲んで、時間調整し、夕暮れ時に外に出た。そして、若宮通りの段蔓を八幡様に向かって歩いて行った。第二鳥居をくぐって、すぐ、東側の建物の間から、昇って来たばかりの、お月さまが姿を見せた。おおおおっ、これでよし、今夜の名月はばっちりだと、もう有頂天になってしまった。
ぼくは東の空を眺めながら、ときどき、建物の間から見え隠れするお月さまをみながら、つまずいたり、前の犬の散歩をしている女の子にぶつっかて、変な顔されたりしながら、第三鳥居についた。そして、源平池のところで、また、ばっちり、ほとんど満月の(本当の満月は明日なのだ)お月さまが、うす暗くなった空に、ぽっかり浮かんでいたのだ。池の上の名月だ。”名月や池をめぐりて夜もすがら”の芭蕉の名句が頭に浮かんだが、ここは蓮池で、月影をうつすことができないので、”名月や蓮がじゃまして夜もすがら”空ばかり見ていなければならないだろう。蓮池といえば、去年は上野の不忍池で名月が曇り空の中から一瞬、顔を出してくれて、本当にうれしかったことを思い出した。


本当にうれしい。もっとたくさんの人が、名月を観にきているのかと思ったら、まだ残っている観光客が、あらお月さん、とか云うだけで、今日が中秋の名月なんて知らないような人ばかりだった。これではお月さんが可哀そうだ、と思った。第一、カメラを向けてる人なんか、ぼくだけだった(汗)。中村汀女さんの句の、春を秋に変えて”外にも出よふるるばかりに秋の月”と叫びたいほどだった。
池ばかりではなく、舞殿越しにも、東鳥居越しにも、第三鳥居越しにも、燈籠越しにも、狛犬越しにも、名月はいろいろな姿をぼくに見せてくれた。さすが、お月さまだ。大きくたたけば大きく響く、小さくたたけば小さくひびく。龍馬が西郷を評した言葉だが、お月さまも西郷隆盛のように、こちらのたたきかたによって、いくらでも大きく、いくらでもうつくしくみえるのだ。




名月をとってくれよとなくニャンコ


名月を食べてみたいと狛犬め

そして、ぼくが何よりも、八幡さまで名月を観たかったわけは、今年、大銀杏が倒れた年だからだ。ちょっと、合成写真になってしまうけど、再生しつつある大銀杏にも名月をみせてあげた。


家に帰ってから、お月見酒をしたことは言うまでもない。お月見ということで、伏見の月桂冠を途中で買ってきた(汗)
名月をだしに飲む酒おいしいな(汗)


もう4時頃からそわそわ、八幡さまで名月をと、わくわくどきどきして出掛けたのだった。
駅前のルノアールで、アイスコーヒーを飲んで、時間調整し、夕暮れ時に外に出た。そして、若宮通りの段蔓を八幡様に向かって歩いて行った。第二鳥居をくぐって、すぐ、東側の建物の間から、昇って来たばかりの、お月さまが姿を見せた。おおおおっ、これでよし、今夜の名月はばっちりだと、もう有頂天になってしまった。
ぼくは東の空を眺めながら、ときどき、建物の間から見え隠れするお月さまをみながら、つまずいたり、前の犬の散歩をしている女の子にぶつっかて、変な顔されたりしながら、第三鳥居についた。そして、源平池のところで、また、ばっちり、ほとんど満月の(本当の満月は明日なのだ)お月さまが、うす暗くなった空に、ぽっかり浮かんでいたのだ。池の上の名月だ。”名月や池をめぐりて夜もすがら”の芭蕉の名句が頭に浮かんだが、ここは蓮池で、月影をうつすことができないので、”名月や蓮がじゃまして夜もすがら”空ばかり見ていなければならないだろう。蓮池といえば、去年は上野の不忍池で名月が曇り空の中から一瞬、顔を出してくれて、本当にうれしかったことを思い出した。


本当にうれしい。もっとたくさんの人が、名月を観にきているのかと思ったら、まだ残っている観光客が、あらお月さん、とか云うだけで、今日が中秋の名月なんて知らないような人ばかりだった。これではお月さんが可哀そうだ、と思った。第一、カメラを向けてる人なんか、ぼくだけだった(汗)。中村汀女さんの句の、春を秋に変えて”外にも出よふるるばかりに秋の月”と叫びたいほどだった。
池ばかりではなく、舞殿越しにも、東鳥居越しにも、第三鳥居越しにも、燈籠越しにも、狛犬越しにも、名月はいろいろな姿をぼくに見せてくれた。さすが、お月さまだ。大きくたたけば大きく響く、小さくたたけば小さくひびく。龍馬が西郷を評した言葉だが、お月さまも西郷隆盛のように、こちらのたたきかたによって、いくらでも大きく、いくらでもうつくしくみえるのだ。




名月をとってくれよとなくニャンコ


名月を食べてみたいと狛犬め

そして、ぼくが何よりも、八幡さまで名月を観たかったわけは、今年、大銀杏が倒れた年だからだ。ちょっと、合成写真になってしまうけど、再生しつつある大銀杏にも名月をみせてあげた。


家に帰ってから、お月見酒をしたことは言うまでもない。お月見ということで、伏見の月桂冠を途中で買ってきた(汗)
名月をだしに飲む酒おいしいな(汗)

