

地下鉄千代田線竹橋駅の近く(北の丸)の東京国立近代美術館で”上村松園展”が始まった。台風接近で雨降りだったせいもあって、比較的空いていて、ゆっくりと観られた。去年の夏、千鳥ヶ淵を去る記念に開催された、山種美術館の、松園展以来である。展示数も、名品も多く、とても楽しめた。名作”序の舞”は、残念ながら”後期展示”でみられなかった。
宮尾登美子著”序の舞”を読んでから、つい彼女の人生と重ね合わせて、絵をみてしまう。もちろん、小説だから事実と違うところもあるだろうけど、”事実は小説より奇なり”という言葉もあるし、意外ともっと激しい人生だったかもしれない。心の内は誰にもわからない。
小説では、師の一人との間にできた、10歳の男の子をもつ37歳の松園が、7歳年下の京都帝大の学生に恋い焦がれる、彼への狂わしいまでの思いを絵にしたのが、”花がたみ”となっている。謡曲”花筐”を題材にしている。”照日の前(てるひのまえ)”が愛する継体天皇の前で狂い舞う姿である。精神病院に行って、患者の姿をスケッチしたり、能面の”十寸髪(ますがみ)”を狂女の顔の参考にしたという。この展覧会に附章として”写生に見る松園芸術のエッセンス”があり、そこには”花がたみ”のスケッチが7点ほど展示されている。これも興味深いものであった。
(花がたみ)

しかし、桂さま(小説上の恋人名)との恋も家族に反対され破局。桂さまも若い娘さんと結婚、師匠の死にまつわるいざこざ、いろいろなことで悩み、スランプに陥っているとき、文展出品期限のせまる夜、ふと、この構図が浮かんだ。打ち掛けを着て、振り向きざまに怨嗟の眼差しを向ける、打ち掛けの模様は蜘蛛の巣と藤、という壮絶なものだった。謡曲”葵上”の六条御息所の生霊がヒントになっている。ぼくは東博の常設展で、はじめてこの絵を観た時に、これが松園さんの絵?と度肝をぬかれてしまった。迫力満点だった。今では、松園さんの絵では、これが一番好きである(汗)。今回も、”序の舞”と共に、ちらしの絵に採用された。まさに”息をのむ”絵だ。

以上の二点は、第二章”情念の表出、方向性の転換へ”に展示されているが、この章に、”楊貴妃”もある。上半身が透けてみえる楊貴妃など、めったにみられないので、これも好きである(汗)。ほかに、西鶴の好色五人女の中に出てくる男装の女性”お万の図”などがあったり、面白い章であった。

第一章は”画風の模索、対象へのあたたかな眼差し”で、お嫁入りする娘と母親を描いた、”人生の花”、”虫の音”、襖を開いて覗きこむ娘の構図が面白い”人形使い””よそほい”など初期の松園らしい作品がつづく。
(人生の花)

第3章”円熟と深化”
その1では”古典に学び古典を越える”では、同名の謡曲からヒントを得て、能面をつけず生身の小町の顔として描いた、”草紙洗小町”や”伊勢大輔”などが楽しませてくれる。山種の”砧”は、後期展示で残念。
(草紙洗小町)

その2では、”日々の暮らし、母と子の情愛”のテーマで、屏風仕立ての”虹を見る”、実の母親が亡くなって一ヶ月後、完成した”母子”、その前に描いた”青眉”(子供を産んだ母が眉をそる)、櫛、雪、風、夕暮れ、牡丹雪など、おだやかなうつくしい女性が描かれている。でも、松園はこうも述べている、”女性は美しければといい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである”
(母子)

(牡丹雪)

その3”静止した時間(とき)、内面への眼差し。山種でも観た”新蛍”と晩年の作、”庭の雪”。鼓の音、朝ぞら等。遺作となった”初夏の夕”。魂が宿っていて、何か語っているような気がした。昭和24年の作。同年没、74歳だった。
”私の一生はおねいさま遊びをしただけです”と、鏑木清方に語った。清方はこう返した。”お遊びにしても、随分、偉大なお遊びをしたものですな”
(新蛍)

(庭の雪)

美術館前の巨大オブジェ
