2月は”逃げる”と言いますが、まさにアット言う間の2月でした。
この間、日本列島、特に日本海側の各地では数十年振りの大雪に襲われ、人の命や財産を奪
われるなど悲しい事態になりました。
その点、我が地方では雪の被害に遭うことはなかったもののやはり寒波の影響はありました。
電力会社から毎月契約者宛に送られてくる資料によれば、我が家の2月期の電力使用料は対
前年比で約3割増しになっており、やはりエアコンの稼働による影響以外に考えられず寒さに振
るえた2月だったと思っています。
南面のガラス戸越しに差し込む日差しは、まさに春本番の風情を感じます。
そんな中、日課のストレッチをややハードに行えば汗するする程の快適な一日の始まりとなり
ました。
日が暮れて床に付くとき今日も良き一日だったと思える事を念願するものです。
さて、先日投稿した孫息子の名前の由来については、父兄の授業参観の際、しっかりと発表で
きたと連絡がありました。
まだ甘えん坊とばかり思っている孫息子も確実に成長しているようで嬉しい気持ちでいっぱいに
なっています。
”大安”の今日は、高齢者二人だけの我が家にもお雛様がお出ましになりました。
今から40数年も昔のことになりますが、当時住んでいた堺市の社宅に今はなき私の両親が
孫娘にと持参してくれたお雛様です。
数十年振りの寒さに振るえた日本列島もようやく春近しを思わせる季節になってきました。
父親の転勤に伴って、現在は福岡に住んでいる小学2年の孫息子が、学校の父兄参観日に
自分の”名前”の由来について発表することになったのでと、名付け親の私にその意味を聞いて
きました。
今から10年以前ものことになりますが、にわか勉強しで考えた名前、確かな記憶があり、早速
その質問に答えてやりました。
まず、第1には物の本にある生涯を健康且つ穏やかに過ごせることに相応しいという字画を7画
と8画の漢字2文字としたこと。
第2には、その2文字が、お目出度い意味を持つ文字であること。
第3には、日本人なら誰にも間違いなく男性の名前として素直に読んで貰えること。
を考えて付けたことを説明してあげました。
理解できたかどうか分かりませんが、父兄を前にして美味く発表できるれば良いがと思っています。
我がブログ「風の向くまま、気の向くまま」を立ち上げて間もなく13年目に入り、投稿回数も
4000回を目前にして近年は週6回の投稿をかたくなに守り続けてきたところですが、やむな
き事情によりお暫く休みしていましてしまいました。
その、やむなき事情も一段落し、本日からは以前のペースを守り投稿記事を書くことにより
得難い刺激が得られることを信じ、再スタートすることにします。
ご来訪頂く皆様に謹んでお礼申しあげます。
厳しい寒さの続く3連休の最終日となりました。
幸い我が家では大流行しているインフルエンザに罹ることもこともなく平穏に毎日を送ってい
ます。
特に日課のストレッチ等の運動には気合を込めて取り組んでおり、腹筋運動連続60回は流石
に汗するほどにハードなものがありますが、やり遂げた充実感には得難いものがあります。
とは申せ、傘寿を迎え、体力の衰えを思うとき、一寸先は何が起きるか分りません。
年齢相応に、更には体力相応に、堅実に生きる努力をすべきではないかと思う今日此の頃です。
日課のウオーキングコースの折り返し点は、気候の良い時期には家族連れや釣り人が大勢集い、
近くに住まいする雀達にはその人達から頂く食べ物で元気いっぱいなのですが、最近の強い冷え込
みに人出もなく、雀達には空腹の様子、私が休憩していると物欲しげに近寄ってきます。
見ていると何となくいじらしくなり、昨日はパンの耳を持参して撒いてあげました。
気に入ったかどうか分かりませんが、同じ命ある生き物同士、何か通じるものがあれば嬉しいと思
っています。
現在開会中の衆議院予算委員会において、現職の沖縄・北方担当大臣が「北方領土の日」を
「沖縄・北方の日」と言い間違え、その翌日には、沖縄振興交付金の金額を3桁も間違えるミスを
したと実に低レベルなニュースになっています。
また、過去には当該担当大臣に就任した女性大臣が、北方4島の島名を知らなかったと言う許
しがたい事実もありました。
任命権者に言わせれば、適材適所の人事と言うでありましょうが、主権者たる国民の一人として
忸怩たるものがある三流政治のなれの果てを見る気がしてなりません。
今朝も凍えそうな寒気が襲う中、午前の部の日課の運動を完璧に実行し、快調に1日のスター
トを切りました。
幸い、ガラス戸越しの日差しは穏やかで、出来るものなら記録的な豪雪にご苦労の絶えない北
陸地方の人たちに分けてあげたい思いでいっぱいです。
パソコン相手に炬燵番しながら夕刻のウオーキングを締めくくりに、今日も良き一日としたいもの
と思っています。
子供の頃でした。
母方の祖母が「青そこひ」(緑内障)を患い、同居する孫たちの”八つ目うなぎ”捕獲の苦労の
甲斐もなく、晩年になり失明したと聞いたことがありましたが、考えて見るに、外孫に当たる私に
隔世遺伝して来たように思えてなりません。
当時とは医学の進歩は比べようもなく進んでいることに疑いはなく、適切な処置により最悪の
事態は避けることが可能とは思われますが、私の孫たちにはよけいな遺伝など絶対にないこと
を願いたいものと思っています。
此のところのニュースの主役は大寒波と大雪のようです。
現在の我が家は、雪とは殆ど縁のない神戸を終の棲家と定めて30年になりますが、今から70
年も昔、生まれ育った幼少のころの実家は一桁台の番号の付いた当時まだ未舗装の1級国道に
面しており天候が良い日には濛々たる砂塵をまき散らし、雨の日には泥水を跳ね飛ばしながら走
り去る車を憎々しげに見やったものでした。
それが一転、冬になれば当時には積雪量も多く、車の往来は全く途絶えて、一面白い世界に変
わり砂塵も泥水も騒音もなくなり深々たる世界に早変わりし、大人たちが踏みしめた一本道を辿っ
て学校へ行ったことを忘れることがありません。
それが苦痛でも何んでもなく、ごく普通の事として懐かしい思い出となっています。
数年に一度と言う強烈な寒波に覆われた日本列島、立春とは名ばかりですが、自然は
季節の移ろいを誰れ教えることなく間違いなく行っています。
我が家の近くの小さな梅園にも白梅が紅梅が開き始めました。
春の来ない冬はありません。
あと少し頑張りましょう。
我が家から見る六甲山系の中腹以上は雲の中でしたが、平地の小雨は上がって薄日さえ
漏れてくる中、日課のウオーキングを済ませ、今夜は「節分」の定例行事をすることにしていま
す。
豆を撒いて邪気を払い、寿司屋さんの商魂に乗り、今年は南南東の恵方に向かい、巻きず
しをいただき、家内一同が安寧に暮らせるよう、お祈りすることにしています。
今日2月2日は、ず(2)つう(2)の語呂合わせで「頭痛の日」です。
私には、頭痛と聞くと幼少のころから成人年齢に達する頃まで、毎日必ず頭痛に悩まされ苦し
んだ経験がありました。
それを心配した母親が、何処で聞いてきたのか分りませんが、福井県の若狭に頭痛に霊験あ
らたかな恵比寿さんをお祭りする神社があることを知り、頭痛撲滅を祈願すべく連れられて参拝
したことがありました。
それ以来、母親は恵比寿さんと「鯛」は付き物、生涯「鯛」を食することがなかったことを思い出
し、子を思う母親の愛情を決して忘れることがありません。
まさに神頼みが利いたのかどうかは分りませんが、幸いにも成人して以降には頭痛とは完全に
お別れして今年も爽やかに迎えた「頭痛の日」になりました。
平成30年が明けて間もない正月2日のことでした。
隣町に住まいする私より4歳若い従弟が、体調不良により救急病院に搬送されて1か月、よう
やく一般病院に転院が決まりました。
その転院に当たっては、不肖私が付添役を頼まれ、本日早朝から行動開始し、何かと気遣い
のいる役目でしたが、滞りなく済ませることができホットしている状況にありますが、そもそも、救
急搬送されることになったのは、従弟の長年にわたる不節制の数々の付けが廻ってきたもので
あることに間違い在りません。
これからは「災い転じて福となす」と言った先人の教えを改めて脳裏に刻み込み、心身ともに健
康的な余生になるよう努力をして欲しいものと思っています。