作品名 : 希望の船出
作者名 : 不詳
何百年もの間、あり得ないこととなっていた細胞生物学の常識をものの見事に覆して特定
の性質を持つ細胞を比較的簡単に初期化しSTAP細胞と命名した「万能細胞」を作り出すこ
とに成功し、全世界の注目を浴びている30歳のうら若き女性研究者のその成果を語る姿は、
おごることなく、爽やかで、見ていて我がことのように感動し、嬉しくなります。
これから先、研究がますます進展し、人類の成り立ちに大いなる貢献をすることを期待したい
ものです。
作品名 : 希望の船出
作者名 : 不詳
何百年もの間、あり得ないこととなっていた細胞生物学の常識をものの見事に覆して特定
の性質を持つ細胞を比較的簡単に初期化しSTAP細胞と命名した「万能細胞」を作り出すこ
とに成功し、全世界の注目を浴びている30歳のうら若き女性研究者のその成果を語る姿は、
おごることなく、爽やかで、見ていて我がことのように感動し、嬉しくなります。
これから先、研究がますます進展し、人類の成り立ちに大いなる貢献をすることを期待したい
ものです。
今朝も明け方、いつもの通り寝床の中でウツラウツラしながらラジオを聴いていると”母は
来ました、今日も来た・・・」と言う歌いだしで始まる「岸壁の母」のメロディーが流れてきて思
わず正気に戻ったのでした。
今から、50年以上も昔のこと、戦争が終わりシベリヤに抑留されていた人達の故国への引
き上げ港の舞鶴港で息子さんの帰還を待つ母親の姿を歌った曲ですが、丁度その時期、私
は社会人1年生の初任地を舞鶴で送っていたのでした。
私自身の周辺には、そのような肉親はいなかったのですが、社会勉強の一つと思い実際に
帰還する人が到着する桟橋近くに行ってその様子を目の当たりにしたことを、つい先日のこと
のように思い出します。
何組もの帰還した人と待ちわびた人との感動の再会風景を見ていて思わず涙したことを思
い出してしまいました。
今では、舞鶴市内の記念館にその歴史を知ることができるだけで殆ど風化してしまった状況
のようですが、ひょんなことから、50年以上もの昔を思いだす朝になりました。
改めて、戦争や争いのない平和な世界であることを願うのみです。
2月になると所得税の確定申告の受付が始まります。
以前には、現役リタイヤ後も毎年申告して居たのですが制度が変わり、申告の必要がな
くなっていたところ、今年はチョットした譲渡所得があり申告しなければいけないことになり
そうでぼちぼち準備しようかと思っていますが、一部、疑問があり、税務署が開く税理士さん
による相談会か、直接税務署に行って教えて貰うかしないといけないかなと思っています。
何ほどでもない所得でも申告の手間は変わりません。
納税は国民の義務とは言え面倒なことです。
暖かい天候に誘われてゴルフをしてきました。
初対面のAさんご夫妻とその友人のKさんのパーティーに入れてもらい1ラウンドお付き合
いをさせて頂きました。
その3人さん1日中殆ど会話がなく黙々とプレーするだけ、普通はパートナーのファインプレ
ーには賞賛のかけ声を掛け、ミスには慰めの一言など共に気楽な冗談も加えて和気あいあ
いで楽しくと言った雰囲気でプレーできれば最高なのですが、私にとってはそれが叶わず少
々残念に思っています。
救いは、それがその人達の個性・性格であり、初対面の私に対する嫌がらせでないことは
確かで、広い世の中、色々な性格の人の居ることを、改めて知った感じでいます。
今日は、昨年末に、まだまだ先の来年の事と思いながら予約しておいた「視野検査」の日
となり午後受検します。
検査は、約半年おきに定期的に受検しており、慣れもあり、苦痛もなく約30分で終わります
が、一般的な医療のための定期的な検査の目的は、病状は「改善か」「変化なしか」「悪化か」
を判断するために行うものと思うのですが、視野検査にあっては「変化なしか」「悪化か」の判
断をするだけで、一般的な病気のように治療の結果「改善」したと言う期待感はありません。
「変化なし」と言う結果なれば御の字です。
自覚的には、あまり変化なしという感じでいますが、来月予定している外来診察時に医師の
説明を聞くことにします。
それにしても早や1月も最終週になり、目に辛い杉花粉の飛散が始まりかけているとのニュー
スを聞いて少々憂鬱な気分になってしまいます。
我が家の愛車は、形は古いが故障は皆無のすぐれものですが、部品の経年劣化による
寿命の到来だけは如何ともし難いものです。
その部品の1つ、使用実績5年になるバッテリーがいよいよエンジン起動時に寿命近しを
思わせる症状を呈してきました。
更に、週1回1~2時間程度の稼働では充電不足は明かな上、低温による起電力の低下
も重なってはやむを得えない状況です。
最悪時を想定して、事あったときには、何方かの善意にすがろうと、ブースターケーブルは
トランクに常備しているのですが、この際、緊急に車を使いたい時、支障ないよう新品に取り
替えようかと思っています。
隣のマンションのベランダ越しに朝日が昇ってきました。
今日は、全国的に高気圧に覆われ3月の陽気になるとのこと、我が家は、今年喪中のため
年賀のご挨拶を遠慮させて頂いたのですが、一部の方々には近況をお知らせすると同時に
「寒中見舞い」を書こうと思っていたところ今日のような状況になると、時期を失してしまったの
かと思案してしまいます。
凍てつく寒さの続く毎日ですが、その中休みになった今日、こんな日を無駄にする手はない
と、ホームコースに行ってきました。
単に、運動不足の解消を兼ねてゴルフを楽しむだけの積もりで行ったのですが、丁度オープ
ンコンペの日に当たっており勿論参加することに何らの支障はありません。
うまくいって、あわよくば儲けものとスタート
しかしながら、スコアーは不満足なものになりましたが、無欲が功を奏し、シングルペリヤ方式
によるハンデキャップに恵まれ、上位入賞となり豪華景品を頂きました。
思わず「こいつァ春から縁起がいいわい」という感じです。
作品名 : 北の人
作者名 : 不詳
ノロウイルス中毒の蔓延、インフルエンザの急激な拡大には困ったものです。
何れも特効薬のない症例で丁寧な手洗い、うがいの励行が唯一の防止手段のようで、これ
を励行することは勿論のこと、私は、特に「よく食べ、よく寝、よく運動」をして「ストレス」を貯め
ず免疫力を上げることに努めることとします。
今日も「快食、快眠、快便」で一日が始まりました。
私の日課の一つに、約1時間半ほど楽しむ散歩があります。
いつも、同じ時間帯に出かけることにしているのですが、私と同様に散歩する大勢の人に
出会います。
その姿を見ているとつい、あの人は何を目的に散歩しているのだろうという邪な思いが私
の脳裏を横切るのです。
老夫婦お二人のゆったりとした歩きを見ると、戸外の空気に触れて気分転換しているのか
なとか、トレーニングウエアで小走りに駆け抜ける若者は体力を鍛えようとしていつのかなと
か、小幅の足運びで注意深く歩く人を見ると病後のリハビリをしている人なのかなとか、現在
の体力を何とか維持したい人なのか等々、様々の姿を見ていて興味が尽きません。
かく言う私は、今さら体力増強などあり得ないことは自覚しており、せめて今の筋力を維持し
て、よく耳にする、僅かの障害物につまづいて骨折し寝たきりにならないようにと思い、歩く姿
勢は、背中が前屈みにならないよう地面に垂直にし、出来る限り大股で、勢いよく腕を振りな
がら歩くように心懸けています。
そうすることにより、運動量は倍加して約2キロを一気に歩くと、冬場でも汗をかくほどになり
ます。
この結果が目的とするものにどれほどの効果があるのか解りませんが、自分なりに少なから
ず成果はあるものと納得し「継続は力」なりと思い続けることにしています。
また同時に、副産物として精神的リフレッシュができ、気分爽快になること請け合いです。
今日は、1年を通じて最も寒いと言われる「大寒」です。
その通り、夜明け前の冷え込みは厳しいものがありましたが、日の出と共に暖かい陽気に
なるとの天気予報にホットしています。
さて、注目していた米軍の普天間飛行場の辺野古への移設の是非を問う沖縄・名護市長
選挙は反対派の前市長の再任となりました。
政府与党の幹事長が推進派候補の応援に駆けつけ多額の沖縄振興策を約束するなどの
国政選挙並の選挙で、私如きも関心を持ってその成り行きを見ていたのですが名護市民は
「非」を選択したのでした。
理想と現実の狭間で、家族内でも意見の相違があり、普天間側の思いと辺野古側の思い
とに相反するものがあるなど悩ましい問題がある中、今後沖縄の皆さんに納得して貰える解
策はあるのかどうか、引き続き関心を持って注目していきたいのもと思っています。
35年間務めた会社の関連会社に転籍し、大阪支店の運営を任された平成5年の初夏の
頃のことでした。
その大阪支店の協力会社の責任者だったスーさんと私は初対面の挨拶を交わし以来20
年の長きに渡り公私共に、お世話になるばかりの毎日でした。
私と同年代のスーさんでしたが、昨年末にお会いした時も元気そうで好きなお酒を楽しそ
飲んでいた姿が目に残っています。
そんなスーさんが何を急いだのか、アット言う間に帰らぬ人になってしまい、今日は悲しい
告別式に参列してきました。
もとより、私には転籍により不慣れな仕事も多くなり、戸惑う場面も多々ありましたがその
都度、温厚な性格そのままに親切・丁寧なアドバイスを頂くなど私のサラリーマン生活の仕
上げ期を滞りなく済ませることができ、今がある恩人でもあります。
あまりに急な旅立ちをされてしまい、優しい目を見ながら積るお礼を言えなかったことが残
念でなりません。
今はただ、謹んで安らかにお眠りくださいと申し上げるのみです。
合 掌
19年前の今日、5時46分に起きた出来事の瞬間私の頭の中は「飛行機が落ちてきた!」
と言う感覚でした。
それは、それ以前に体験した私の地震に対するイメージとは全く違うものだったからでした。
暫くして我に返り、まだ薄暗かった部屋の中を見回した時、初めて大きな地震だったことを認
識したのでした。
家具類の倒壊で足の踏み場もない惨状、倒れてきた鏡台が顔面に当たり血に染まっている
女房の顔を見たとき、これはただ事ではない、事の重大さを改めて認識したのでした。
それから19年、表面的にはあれほど凄かった爪痕も見事に復興し、恐らく記憶になかったで
あろう子たちが成人になる現実を見るとき、私自身を含めて、未曾有の出来事だった事実が除
々に風化していくように思えてなりません。
今だに、受けた傷害に苦しむ人や、復興住宅問題や災害援助資金の返済等でご苦労をして
いる人達がいることを思う時、私は生涯に渡り、起きた事実を決して忘れることのないようにした
いものと心に誓いました。
昨日、夕刻のこと、日課の散歩の折り返し点から東南東方向に約15キロ、大阪港一帯が
広がっていますが、真冬の澄んだ空気と夕日を受けた景色は見た目4~5キロほどの近さ
に見えました。
それだけに昨夜は放射冷却が盛んだったのか、今朝も厳しい冷え込みになりました。
布団からの脱出に躊躇しますが意を決して飛び起き、今日も元気に一日が始まりました。
「光陰矢の如し」早くも月半ば15日です。
相変わらず冷え込みの厳しい朝になりましたが青空いっぱい、日差しいっぱいの一日が始
まりました。
奇しくも今日15日は、私の従弟は大阪市内の病院で心臓の治療を、女房の従姉は東京都
内の病院で肺の治療をそれぞれ受けることになっています。
両人とも、70歳代の高齢者、いくら医学が進歩しているとは言え、体力的な負担は相当と思
いますがじたばたしても始まりません、この際、全てを医者に任せて「きっと良くなる、頑張れ!」
と励ましのエールを送ります。
結果良好の便りを待っています。