私は、我が子相手に、安易に「ごめん、ごめん」と意味なく謝る親が大嫌いです
そんな親の子どもに限って、何かを忘れたと言っては母親のせいだと怒り・・・ 何か上手くいかないと癇癪を起こして母親をののしり・・・
自分の意志が通らないと泣いて母親を叩き・・・
母親は、完全に我が子になめられ、馬鹿にされていることに気づかず、またまた、その我が儘で依頼心の強い我が子を相手にして「ごめん、ごめん」を繰り返します。
先日、クラスの合間に昼食をとろうと、教室の近所の定食屋さんに入りました そこは、お昼休みのスーパーの方が来ていたり、近くで工事をしている方が来ていたり、買い物帰りの老夫婦が来ていたり・・・と、まさに雑多な客層のお店で、いつも繁盛しているようでした
私が注文をした後、本を読んでいると、杖をついた老夫婦と、5,6歳に見える男の子が入ってきました。夏休みでおじいちゃん、おばあちゃんの家に来ている孫のようでした。
お店の方が、ご夫妻のご不自由さを考慮して、「どうぞこちらに」と、比較的広いテーブルに案内されましたが、その孫、「こっちがいーい ねえ、おばあちゃん、こっち」と、隅っこの狭い席をほうへ、どんどんと行ってしまいました
お二人は、「はいはい」と、とても入りにくそうに、杖を置いてから、席につかれました。
今度は、おばあちゃんがメニューを開き、「あんたはラーメン?ラーメンでしょ」と声をかけたとたん、何を思ったか、急にその孫は・・・
「ねえ、おじいちゃん、なんでこの店に来たの?この間、行ったじゃん。ほらー、あそこの横の店」
と怖い顔をして、身体を揺らして言います。おじいちゃんは・・・
「どこのことだい?あそこの横って、どこの横?」
と孫の顔をのぞき込んで笑顔で聞くと、今度はその孫、完全に癇癪を起こして、
「あそこじゃん ママも一緒に行ったでしょ?!ほら、あそこ じーじのバカ なんでわかんないの」
孫は腹を立てて興奮し、半泣きになりながらこの問答を2,3回繰り返し・・やっと。
「ほらー、プールの横の店じゃん」と叫びます。
このあたりで、お店の人も、まわりの人も、孫が何かを言うだびに、あきらかに「なんだ、コイツ・・・」という顔をして、こっそりと見ていました。今度は横からおばあちゃんが・・・
「ああ、あそこは遠いでしょう。今日は雨も降ってるし、ママもいないから、おじいちゃんとおばあちゃんでは、あそこまでは遠くていけないんだよ」
と答えます。すると孫は案の定・・・
「「あそこが良かった ここは、イヤだよ。あそこがいい あそこだと思ってたのに」
と、訳のわからないことを言い始めました。
そのうちに、ラーメンが運ばれてきました。おじちゃんは、小さなお椀に、ラーメンをよそってやり、孫に渡します。今度は・・・
「なんでこんなところに入れるの そのままがいーい じーじ、これ、ヤダ」
とダダをこねます。ここでお決まりの、老夫婦そろっての・・・
「ごめんごめん」
ほんと、いったいこの「ごめん」は、何の「ごめん」なんでしょうねえ
次は「まずい」と言って怒り(この「まずい」という、とんでもない言葉にも反応せず、おばあちゃんは叱りもせずにウンウンと聞き流し・・・)、「食べたくない」と途中で止め、お椀の中の麺をかき回して遊び・・・(お箸だって、きちんと持てていません!)
私はもう、プッチンと来てしまっていて・・・何度も私の身体から幽体離脱?!したもう一人の私が、その男の子の席に行き、怒鳴っていました
「ちょっとあなた もう一度、言ってみなさい 「まずい」って、何ていうことを言うの 世の中の食べ物に、まずいものなんてないのよ あなたの口に合わないものはあるかもしれないけれど、まずいものなんてないの 覚えておきなさい それに、あなたが食べずに遊んでいるラーメン・・・食べ物で遊ぶんじゃありません こうしている間にも、食べるものがなくて、死んでいく、あなたと同じ年の子ども達がいるのよ」
「おじいちゃまとおばあちゃまに謝りなさい 足がご不自由で、きっと杖をついて傘をさしながら歩くのはとても大変なはず。あなたも一度やってみてご覧なさい どうせあなたは、そんなことを考えもせずに、どんどんと歩いてきたんでしょう?お二人は、あなたのために、わざわざ雨に中を出てきてくださったのよ そんなことも考えることのできない頭なの?あなたの頭は帽子をかぶるためだけにあるのねえ しっかり、自分で考えてみなさい」
そして、幽体離脱した私の身体は、おじいさん、おばあさんにも怒鳴っていました
「何を謝っていらっしゃるのですか?たった5,6歳の子どもに、こんな好き勝手なことを言わせておいて本当に良いとお考えなのですか?祖父母にも、教育、躾の責任はあるのです 年長者として、これから世の中を一人で生きていく孫に、教えてあげるべきことがたくさんありますでしょう なぜ、そういう責任を感じず、たんに甘やかすのですか?あなた達のかわいい孫が、物事を考えない、つまらない子どもでも平気なのですか?」
「ものの道理を教えてやるべき大人が、こういして何もわからない子どもを好き放題させて良いのですか いけない時には、タイムリーに子どもを叱らなければ、子どもには「何がいけないのか?」は伝わりませんよ あなた達がやっていることは、祖父母としての責任放棄ですよ」
などなど・・・
どこの家でも、おじいちゃん、おあばちゃんは孫を甘やかし、教育、躾どころではありませんね
今の時代、ひたすら、孫に嫌われないように、好かれるように、甘い甘い祖父母しか存在しなくなりました
かわいそうなことに、現代の日本の子ども達は・・・
思慮が浅くて、我が子だけをかわいがり、自己満足の評価で、生まれたその時からおしっこも自分で出来ないオムツをした我が子を相手に「立派な一個の個性だ」と何でも認め、賢い子に育てるためにと知育ばかりにアンテナを張り、奨励するような両親に育てられ・・・そして、祖父母にも甘やかされて育つ・・・
いったい、この子達は、どこで「まともな躾と家庭教育」を施されるのでしょう???
結局、幽体離脱をしない私は、すっかり腹を立ててしまい、味のしなくなったランチをいただき・・・
満面の笑顔で「ごちそうさまでした」とお店の方にごあいさつをし、店を後にしました。
その祖父母と孫に、強烈な「イイカゲンニシロビーム」だけを送ることしかできませんでした
お店でお食事をなさっていた方は、みな孫が騒ぐたびにギロリと一瞥していたので、多かれ少なかれ私と同じような思いを持たれた方もおいでになったのでしょう。
私の娘は、「私、子どもが生まれても、絶対、ママには子どもを預けないわ だって、いちいち、すんごくうるさそうだもの」と言います。
はっはっは 結構けっこう。それがイヤなら、完璧な躾を自分でしなさいよねと思ってしまいます。
昔は「良い子」だった娘 すっかり脱皮?!を繰り返し、「良い子」はどこかに脱ぎ捨てられ、今は極々普通の大学生
けれど・・・彼女が幼い頃は、私は本当にうるさく娘を育てました。
彼女が「母親」になった時、あらためて、その当時の「うるさい母の言葉の数々」を思い出し、しっかりと我が子に躾のできる母親になってもらいたいなあ、とひたすら願っています
おばあさんになった私が、目くじら立てて孫を怒鳴らなくても良いように
そんな親の子どもに限って、何かを忘れたと言っては母親のせいだと怒り・・・ 何か上手くいかないと癇癪を起こして母親をののしり・・・
自分の意志が通らないと泣いて母親を叩き・・・
母親は、完全に我が子になめられ、馬鹿にされていることに気づかず、またまた、その我が儘で依頼心の強い我が子を相手にして「ごめん、ごめん」を繰り返します。
先日、クラスの合間に昼食をとろうと、教室の近所の定食屋さんに入りました そこは、お昼休みのスーパーの方が来ていたり、近くで工事をしている方が来ていたり、買い物帰りの老夫婦が来ていたり・・・と、まさに雑多な客層のお店で、いつも繁盛しているようでした
私が注文をした後、本を読んでいると、杖をついた老夫婦と、5,6歳に見える男の子が入ってきました。夏休みでおじいちゃん、おばあちゃんの家に来ている孫のようでした。
お店の方が、ご夫妻のご不自由さを考慮して、「どうぞこちらに」と、比較的広いテーブルに案内されましたが、その孫、「こっちがいーい ねえ、おばあちゃん、こっち」と、隅っこの狭い席をほうへ、どんどんと行ってしまいました
お二人は、「はいはい」と、とても入りにくそうに、杖を置いてから、席につかれました。
今度は、おばあちゃんがメニューを開き、「あんたはラーメン?ラーメンでしょ」と声をかけたとたん、何を思ったか、急にその孫は・・・
「ねえ、おじいちゃん、なんでこの店に来たの?この間、行ったじゃん。ほらー、あそこの横の店」
と怖い顔をして、身体を揺らして言います。おじいちゃんは・・・
「どこのことだい?あそこの横って、どこの横?」
と孫の顔をのぞき込んで笑顔で聞くと、今度はその孫、完全に癇癪を起こして、
「あそこじゃん ママも一緒に行ったでしょ?!ほら、あそこ じーじのバカ なんでわかんないの」
孫は腹を立てて興奮し、半泣きになりながらこの問答を2,3回繰り返し・・やっと。
「ほらー、プールの横の店じゃん」と叫びます。
このあたりで、お店の人も、まわりの人も、孫が何かを言うだびに、あきらかに「なんだ、コイツ・・・」という顔をして、こっそりと見ていました。今度は横からおばあちゃんが・・・
「ああ、あそこは遠いでしょう。今日は雨も降ってるし、ママもいないから、おじいちゃんとおばあちゃんでは、あそこまでは遠くていけないんだよ」
と答えます。すると孫は案の定・・・
「「あそこが良かった ここは、イヤだよ。あそこがいい あそこだと思ってたのに」
と、訳のわからないことを言い始めました。
そのうちに、ラーメンが運ばれてきました。おじちゃんは、小さなお椀に、ラーメンをよそってやり、孫に渡します。今度は・・・
「なんでこんなところに入れるの そのままがいーい じーじ、これ、ヤダ」
とダダをこねます。ここでお決まりの、老夫婦そろっての・・・
「ごめんごめん」
ほんと、いったいこの「ごめん」は、何の「ごめん」なんでしょうねえ
次は「まずい」と言って怒り(この「まずい」という、とんでもない言葉にも反応せず、おばあちゃんは叱りもせずにウンウンと聞き流し・・・)、「食べたくない」と途中で止め、お椀の中の麺をかき回して遊び・・・(お箸だって、きちんと持てていません!)
私はもう、プッチンと来てしまっていて・・・何度も私の身体から幽体離脱?!したもう一人の私が、その男の子の席に行き、怒鳴っていました
「ちょっとあなた もう一度、言ってみなさい 「まずい」って、何ていうことを言うの 世の中の食べ物に、まずいものなんてないのよ あなたの口に合わないものはあるかもしれないけれど、まずいものなんてないの 覚えておきなさい それに、あなたが食べずに遊んでいるラーメン・・・食べ物で遊ぶんじゃありません こうしている間にも、食べるものがなくて、死んでいく、あなたと同じ年の子ども達がいるのよ」
「おじいちゃまとおばあちゃまに謝りなさい 足がご不自由で、きっと杖をついて傘をさしながら歩くのはとても大変なはず。あなたも一度やってみてご覧なさい どうせあなたは、そんなことを考えもせずに、どんどんと歩いてきたんでしょう?お二人は、あなたのために、わざわざ雨に中を出てきてくださったのよ そんなことも考えることのできない頭なの?あなたの頭は帽子をかぶるためだけにあるのねえ しっかり、自分で考えてみなさい」
そして、幽体離脱した私の身体は、おじいさん、おばあさんにも怒鳴っていました
「何を謝っていらっしゃるのですか?たった5,6歳の子どもに、こんな好き勝手なことを言わせておいて本当に良いとお考えなのですか?祖父母にも、教育、躾の責任はあるのです 年長者として、これから世の中を一人で生きていく孫に、教えてあげるべきことがたくさんありますでしょう なぜ、そういう責任を感じず、たんに甘やかすのですか?あなた達のかわいい孫が、物事を考えない、つまらない子どもでも平気なのですか?」
「ものの道理を教えてやるべき大人が、こういして何もわからない子どもを好き放題させて良いのですか いけない時には、タイムリーに子どもを叱らなければ、子どもには「何がいけないのか?」は伝わりませんよ あなた達がやっていることは、祖父母としての責任放棄ですよ」
などなど・・・
どこの家でも、おじいちゃん、おあばちゃんは孫を甘やかし、教育、躾どころではありませんね
今の時代、ひたすら、孫に嫌われないように、好かれるように、甘い甘い祖父母しか存在しなくなりました
かわいそうなことに、現代の日本の子ども達は・・・
思慮が浅くて、我が子だけをかわいがり、自己満足の評価で、生まれたその時からおしっこも自分で出来ないオムツをした我が子を相手に「立派な一個の個性だ」と何でも認め、賢い子に育てるためにと知育ばかりにアンテナを張り、奨励するような両親に育てられ・・・そして、祖父母にも甘やかされて育つ・・・
いったい、この子達は、どこで「まともな躾と家庭教育」を施されるのでしょう???
結局、幽体離脱をしない私は、すっかり腹を立ててしまい、味のしなくなったランチをいただき・・・
満面の笑顔で「ごちそうさまでした」とお店の方にごあいさつをし、店を後にしました。
その祖父母と孫に、強烈な「イイカゲンニシロビーム」だけを送ることしかできませんでした
お店でお食事をなさっていた方は、みな孫が騒ぐたびにギロリと一瞥していたので、多かれ少なかれ私と同じような思いを持たれた方もおいでになったのでしょう。
私の娘は、「私、子どもが生まれても、絶対、ママには子どもを預けないわ だって、いちいち、すんごくうるさそうだもの」と言います。
はっはっは 結構けっこう。それがイヤなら、完璧な躾を自分でしなさいよねと思ってしまいます。
昔は「良い子」だった娘 すっかり脱皮?!を繰り返し、「良い子」はどこかに脱ぎ捨てられ、今は極々普通の大学生
けれど・・・彼女が幼い頃は、私は本当にうるさく娘を育てました。
彼女が「母親」になった時、あらためて、その当時の「うるさい母の言葉の数々」を思い出し、しっかりと我が子に躾のできる母親になってもらいたいなあ、とひたすら願っています
おばあさんになった私が、目くじら立てて孫を怒鳴らなくても良いように
今回のお話もいろいろ考えさせられました。うちの母は、孫に対しても、全力で怒ったり注意したりするおかげで!?孫には嫌われています。もちろん息子も心底嫌っているわけではないです。二人きりになれば、おばあちゃんを頼りにするし、仲良しです。信頼関係があればこそ注意されても、激しい憎しみに変わらないことだってありますよね。
あと、「怒る・注意する・根気よく教える」って、すごい体力が必要です。私も仕事で疲れて帰ってきたときには、「あぁ、もう怒らないでもいいか・・」と思うときが多々あります。でもやはりダメなものはダメを今伝えなくては!と気合を入れます。それに最近は、年配の両親が増え、自動的に祖父母の年齢も上がっていくんでしょうね。。。
先生のブログを読み、いつも納得したり、反省したり。これからも、素敵なお話を聞かせてください。
ちんたんママさんのお母様、素敵ですね 最近、毅然と叱ることのできる厳しいおばあちゃあに、とんと出会ったことがありません。じつは、びしっと叱れる祖父母って、かっこいいなあ、と思うのですよね。それに、ちんたんママさんの坊ちゃんのように、厳しくったって、おばあちゃまの「本心」は見抜き、そこに愛情があることを理解し、子どもはわかっているのです
育児は体力勝負
この体力は、決して肉体的な意味だけではなく、さまざまなパワーという意味での「体力」ですよね。
ここぞ!という時の妥協は、悔いを残します
疲れていようが、時間のない時であろうが、タイムリーに、子どもに伝わる言葉と態度で叱ったり、諭したり、教えたり・・・大事なことです
「ここぞ!」の時のために、上手に体力を温存し、必要度の低いときに、ダラダラと怒らない・・・という知恵も必要ですね
ファイト