「ほら、危ない

あれあれ、まただあ・・・と私は思うのです

危ない、という声かけ、それは、わが子に「危険だ


たとえば・・・



もし、こういう状況で「危ない


しかし最近は、「危ない!」という言葉かけが果たして適切だろうか?と疑問に思うことがよくあるのです

スーパーで買い物をしていると・・・
突然前方から「無人ショッピングカート」が突進してきます

背が低すぎるので、カートの押し手に手は届いても、顔が上には出ない・・・カートは押せても、前は見えない、という状態

「危ない

危ないのは「私」で、その子供ではありません

スーパーという公共の場で、遊び心で勝手なことをしているそこ子は、危なくはありません。
まあ、他にどんな瞬時の言葉かけができるのか?とたずねられれば、ベストの答えはなく、「危ない!」が一番手っ取り早い、と言われれば、一言もありませんが・・・(むー、「ストップ!」はいかがでしょう?

首都圏では、全私鉄、JR、バスなとで共通で利用できるパスモやスイカのサービスが3月18日からは始まり、駅への入場は今後はタッチパネルが主流になっていくでしょう。それを思えば、これからはこういうことは減少するのかもしれませんが・・・改札口でよく見られる光景。
自動改札機の切符の差込口に、親の乗車券である切符を入れたい入れたいとせがむわが子に、わざわざ切符を渡し・・・




わが子がうまく切符を入れられず、それに気づかずにそのままで進もうとしたとき、「危ない

つまり、切符が差込口からきちんと入っていないため、機械が入場を認識せず、ゲートが突然左右から閉まってくる・・・まあ、確かに小さな子供はそのゲートに顔からぶつかってしまうでしょう

しかし、だからと言って、とんでもない大怪我をする、というような大事に陥るとは考えにくいものです


じつは昨日、私は大阪の実家で、両親と近くのレストランまで昼食に出かけました

帰り道、車椅子利用ということで、今では滅多に買い物をするために店に入ることのない父に、いろんなものを見せてやりたいと思い、ロフトに入りました。
首都圏では、比較的バリアフリー化、ユニバーナルデザイン化が進んできていますが、大都市とは言え、大阪はまだまだです

私が父の車椅子を押して歩いていると、人がどんどん平気で前から歩いてきます

本来は、これから成長していく子供たちの社会性を高めるため、車椅子や盲人用の白い杖の人に出会ったら、「そういう人たちはなぜその状態になり、どんな不自由があるか?そこで、健常者はどのようにすべきか?」などを教える生きたチャンスです

しかし、実際には、勝手に突き進んでくるわが子に向かって・・・



そのひとことでおしまいで、すみません!のお詫びの言葉もなければ、当然、わが子への教育的な言葉かけもありません

世の中には、危険がいっぱいです。
幼い子ども達が、そんな多くの危険にさらされている現状を思えば、わが子のことを最優先に考える、という親の姿勢は必然なのかもしれません

しかし、それでもなお、私は「親の教育的姿勢」はとても大切だと思っています

何でもかんでも「危ない!」だけで済まさず、今、わが子に何という言葉をかけるべきか?を考え、生活そのものを、もっともっと「子どもの学ぶ場」として捉え、子どもが多くのことを、タイムリーに肌で感じ、学べるチャンスを作ってあげてほしい、そう考えています
