まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

サクマドロップスは悲しく・・・

2006年08月24日 | めそめそ
 8月もあとわずか。残暑は厳しいものの、日が暮れると、ほんのちょっぴりですが、秋の気配を感じますね・・・ さすがに、花火や海水浴のカットのあるメモは、もう使えないな・・・と思う時期に入りました

 さて、先日、私はどんな残酷でショッキングなことでも、時には親として、子供達にきちんと伝え、教える義務がある、というようなことを書きました
 特に戦争に関しては、風化するに任せるのではなく、どんな方法でもよいから、歴史上の事実として、加害者の立場になったことも、被害者の立場になったことも、双方をきちんと伝えるべき・・・私はそう考えています

 そういう考えに基づき、私は我が子が幼稚園の年中になった頃から、努めて多くのことを意識的に話し、教えてきました 理解度は定かではありませんが、少なくとも「知らない、は罪」という思いと、「感性に響いてほしい」という思いからの親心?!でした

 当時主人は、仕事の関係で、インドネシアのジャカルタに3年間の単身赴任中でした。
 インドネシアは、第2次世界大戦当時は、日本に併合されていた国の一つです ただ、日本の統治時代の前は、「東インド」として、長い長いオランダの統治下にあり、日本の敗戦をきっかけとして、悲願のインドネシア独立に至った経緯があったため、中国や韓国ほど、日本の侵略時代に対しての強い反発は残ってはいませんでした。
 それでもなお、地方に旅行に行くと、そこで出会う年配者などは「君が代」が歌えたり、「ハンチョウドノニ ケイレイ」などという言葉を覚えている人がいたり・・・ そういう事実にたいしては子供達は幼いながらも、少し居心地の悪い、複雑な感情を持っていたようでした

 特に、インドネシアが独立宣言をした8月17日は、日本の敗戦2日後のこと。夏休みを利用して、主人のジャカルタの家に滞在する時にはいつも、この8月17日の独立記念日がやってきて、イヤでも日本との関係を知ることになります

 そんなこんな、主人と私は、努めていろいろと教えてきたのですが、皮肉なことに、幼い彼らの感性に、一番訴えることになったのは、私達が意図して与えたものではなく、たまたま彼らがテレビで見ることになったアニメーション映画「火垂るの墓(ほたるのはか)」でした
 みなさんは、「火垂るの墓」をご存知でしょうか?1988年のスタジオジブリの作品です。
 原作者の野坂昭如氏は、昨年、日本テレビでドラマ化されるにあたり書かれた文章の中で、「あれは確かに自分の経験を書いたものだけれども、原作はすでに自分を離れて一人歩きし、実際には自分は、あの兄ほど優しくはなかった」とあります

 しかし、原作云々ではなく、あのスタジオジブリ特有の、優しいタッチで描かれた人々の容姿や表情であるにもかかわらず、1シーン1シーンは強烈なエネルギーを発し、「戦争はいやだ」という強い拒絶反応だけが沸々とわき上がってくる・・・挿入歌である「はにゅうの宿」も何とももの悲しく、大人の私も、ティッシュの箱を抱えて嗚咽しました

 劇中に大切な意味を持って登場するサクマドロップスの缶・・・
私は子供の頃、あのサクマドロップスが大好きで、母が取り出してくれる一粒一粒を、とっても大切に食べたものです
 金属のふたを開けて、コロコロっと母の手のひらに出てくるきれいな色のドロップ・・・ 
 その時に出てきた色が、「食べる色」であり、替えっこすることは許されません。一度手のひらに乗せられたものは湿気を含んでしまうから、再び缶に戻してはいけない、必ず出てきたものを食べましょうね、それがおたのしみよ というのが母との約束でした。
 たった一つの例外は、真っ白の「ハッカ」が出てきた時でした。
からくて喉にヒリヒリするから、という理由で、ハッカが出た時にはさっと母が口に入れてしまい、「はい、もう1回」と言って私に缶を振らせてくれます。
 でも、缶を振るときも、そっとそっと なんですね、ドロップスが砕けてしまうから・・・

 そんな私の母とのあたたかい記憶から、私も我が子達に、当時すでにレトロ化していたサクマドロップスの缶から、よくドロップを同じようにして与えていたのでした
 しかし、劇中のサクマドロップスの缶は、そんなあたたかい記憶を木っ端微塵にし、それ以降は、全く別のイメージを与えるものになりました

 映像や音、感覚から、子供に与える影響には、計り知れないものがあります
 少なくとも、感覚的に物事を捉えるのを得意とする幼児期に、「火垂るの墓」が我が子達に与えた印象は、筆舌に尽くしがたいものがあったようです
 すっかり大きくなり、その後たくさんの知識も会得し、それらを素にまがりなりにも持論を展開できるようになってからも、彼らは「火垂るの墓」と聞くだけで、戦争とは無意味なもの、悲惨でばかげたもの、ということを「感覚」として蘇らせ、「火垂るの墓だけは、もう勘弁して欲しい・・・」と言います
 
 あれ以降、彼らは小学校で「ガラスのうさぎ」を始め、多くの戦争を伝える本や映像などを目にしていますが、「火垂るの墓」を越えるインパクトのあるものには出会っていないようです
 何の前触れもなく、楽しいアニメを観るつもりで、兄妹揃ってテレビの前に座った彼らに与えたあまりに強い「痛いほどの悲しい衝撃」に、親として、やっぱりかわいそうなことをしたのかな?と、あれから10数年の時が過ぎた今でも、胸が痛みます

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