徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
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東日本大震災10年岩手、宮城、福島の旅から戻って

2021-04-05 11:08:26 | 
 東日本大震災から10年を経過したことを機に、
連れ合いと三陸鉄道に乗りに行こうという企画が持ち上がり、
3月末に出かけた。連れ合いは時間の関係で三陸鉄道に乗ったら、
すぐに帰らなければならなかったけれど、僕は時間に余裕があったので
一人残り仙台以南の被災地を訪れることにした。
震災直後に数回訪れて以来、状況がどう変わっているのかを
この目で確かめるためだ。
第一日目
大阪から一気に青森まで飛行機で飛び、
そこから鉄道を使って久慈駅まで移動するという行程だ。
第二日目
いよいよ久慈駅から三鉄乗車が始まる。
2日間有効の途中下車何度でもできる乗車券がありちょうどよかった。
三陸鉄道に乗ること自体もいいが、途中の駅にできるだけ途中下車して
それぞれの復旧?復興状況を見ることも大事だと思った。
久慈駅 
譜代駅 
田野畑駅 
そして宮古駅まで
第三日目
宮古駅~気仙沼駅
第4日目
気仙沼駅~石巻駅
第5日目
ここで連れ合いと離れて、一人福島へ
原ノ町駅
第6日目
レンタカーを借りて飯舘村、
第7日目
双葉町、浪江町
第8日目
南相馬市小高地区
いわき駅~郡山駅
第9日目
郡山駅~福島空港~大阪
この旅全体を通しての感想は
まず、海岸沿いに列車内から海岸線に目を向けると、
かなりの地域で、防潮堤が建設され、または建設中で海岸線が見えない。
津波対策としてやむを得ないことかもしれないが、
今まで海とともに暮らしてきた地元の人たちはどう感じているのだろうと思ってします。
あの真新しいコンクリートで固められた防潮堤。
防災の面から考えて、作られたものだということはわかるが、
圧迫感もあるし、何とも冷たい印象を与える。
また、岩手県、宮城県、福島県を通して見て思うのは、
岩手、宮城と福島は当然のことながら、状況が全く違う。
最大の違いは原発の被害の有無だ。
岩手、宮城の被害も大変なものはあるが、
放射能がないので被災地も整備されれば、戻ることも考えられるが、
福島は極端に言えば浜通り地域は地域差はあるが、放射線量の問題があり
未だに帰還困難区域が残っている。
それなりに復興しているように見える地域もあるが、
原発のあった地域の復興はまだまだ始まったばかりという印象を受ける。
こちらも地域によってはりっぱな学校や役所などが建設されているが、
本当に地元のニーズに合っているのだろうかと勘繰ってしまう。
ハコものの建設だけが復興ではないと思うのだが。
色々なものが整備されれば、住民の人たちが戻ってくるのかと思えば、
なんと一時的には増加傾向にあった人口がまた減少し始めているということだ。
このあたりに復興の難しさが表れているような気がする。
テレビでもやっていたが、行政と住民のいわゆる「復興」に対する意識が随分乖離しているようだ。
行政はとりあえず、土地を整備して、家を建てて住めるようにすることが復興だという意識で
進めているようだが、住民としては確かに住むところが大切なのは当然なのだが、それと付随して
大切なのは地域のコミュニティづくり、街の賑わいが劣らず大切なのだ。
こういう観点にも重点を置かないと復興はなかなか進まないような気がする。
まあ言ってみれば、山の中に新しく街を作るようなものだ。
コメント
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