誰に借りたのだろう?
「冬のデナリ」 近藤さんか森田さんか。
著者紹介文を読んで、愛着が沸いた。
大阪外国語大学(インド語学科)出身で、
アラスカに留学して戻って来て、
デナリに何度も登頂して、
帰国後、大阪府立高校で英語科教員として勤めた。
その頃、大阪外大には登山部があったようだ。
1935年生まれだから、僕より21歳年上。
ということは、生きていれば86歳。
残念ながら1996年に他界されたようだ。
この方の登山歴を見ると、
国内の山に関しては僕の登り方とよく似ている。
要するに岩稜の山に登っていたようだ。
だから、登場するのは槍ヶ岳、穂高岳、剣岳がメインである。
色々あったが、大阪府立高校で勤務していたようだ。
86歳で永眠。
僕が登山に初めて触れたのは、
最初の職場の青年部登山で何となくついていったのが始まり。
そして、今現在も登り続けている。
お互いに頑張ろう”
「冬のデナリ」 近藤さんか森田さんか。
著者紹介文を読んで、愛着が沸いた。
大阪外国語大学(インド語学科)出身で、
アラスカに留学して戻って来て、
デナリに何度も登頂して、
帰国後、大阪府立高校で英語科教員として勤めた。
その頃、大阪外大には登山部があったようだ。
1935年生まれだから、僕より21歳年上。
ということは、生きていれば86歳。
残念ながら1996年に他界されたようだ。
この方の登山歴を見ると、
国内の山に関しては僕の登り方とよく似ている。
要するに岩稜の山に登っていたようだ。
だから、登場するのは槍ヶ岳、穂高岳、剣岳がメインである。
色々あったが、大阪府立高校で勤務していたようだ。
86歳で永眠。
僕が登山に初めて触れたのは、
最初の職場の青年部登山で何となくついていったのが始まり。
そして、今現在も登り続けている。
お互いに頑張ろう”