2020年3月に再任用を辞めて、一応職から退くという形をとりました。
さて、4月からの一年が過ぎ去りました。
この一年は激動の年でした。
世間はコロナ禍と闘う日々。
僕自身は家族が2人も天国に逝ってしまうというなかなかきつい一年でした。
ということで、あっという間の一年でした。
お父さんも脳梗塞で4ヶ月入院していたので、
波乱の年でしたが、今は何とか日常の生活に戻っています。
あ、間違い。コロナ禍の最中なので、日常生活が戻ったとは言えないけれど、
コロナ以外は普段の生活に戻ったということです。
特に一番堪えたのは、お母さんが天国に逝ってしまったことです。
まあそれ自体は90歳という年齢なので、長寿を全うしたので、いつかは誰にも訪れることだから
悲しむことではないかもしれないけれど、
昔のことを毎日毎日思い出しては悔やんでいるというのが実態です。
両親とも元気な頃は、あまり意識していなかったけれど、
あの頃のうちに、もっとお母さんと話したり、同じ時間を共有しておけばよかったと
そればかり後悔してしまいます。
お母さんの遺品を整理している中で、じわああっと気づかされることがたくさんありました。
僕の好きだったtulipのカセットテープ、職場の方たちのと宴会でお母さんがカラオケのマイクを握るという
なかなか貴重な写真が見つかり、その曲目が「奥飛騨慕情」。奥飛騨といえば、若いころに一度だけ
お母さんと二人で飛騨高山、上高地に旅に出た想い出の地です。お母さんの心にもそれが残っていたのかと思うと
胸にこみ上げてきます。
赤ちゃんを抱っこしている写真がいくつも見つかるけれど、僕の娘を抱っこしている写真がない。。。
自分ばかり旅行に行って、お母さんを連れて行ってあげなかった。。。。なんて大バカ者だ。
僕が苦しかった時に、誰も助けてくれなかったけれど、お母さんだけは僕を助けてくれた。
お母さんのお陰で、僕は立ち直ることができた。
僕の妹が20歳で結婚して家を出たので、娘と共に暮らす日々がそこで途切れてしまった。
母と娘って特別な関係やんなあ。
お母さんは自分もお母さんを小さいときに無くしてそんな母と娘の味をほとんど味わっていない。
お父さんは自分のやりたいことを自分だけ楽しんで、お母さんは置いてきぼり。
きっとお母さんは家で一人寂しい時間を過ごしていたのだ。
そんなこんなが毎日毎日、心に浮かんできてはつらい気持ちになるのです。
だから、この一年はお母さんを偲ぶ一年だったといっても過言ではないのです。
そして、これからもずっとこの状態は続くのだと思います。
そんな気持ちの中で過ごした一年。
滋賀の別荘の件はちょっと頓挫状態。
専ら部屋の片づけの毎日。
そして、再び迎えた4月。
相変わらずコロナ禍で自由に過ごせない。
仕事をquitしたことは納得しているが、隠居するにはちょっと早いなあ。
悠々自適というやつでいくか!
テニスを始めたことやし。
沖縄問題、福島問題、教育問題、行動を起こさなければ。
ビートルズ、登山、野鳥、ギター、音楽、テニス、マラソン、英語力、資産運用、哲学としての仏教。
「生きる」とはどういうことか?この根源的な問いを考え続けなければ。
とはいえ、一人の人間なんてちっぽけな存在だということも頭に置きながら。
人間も小さな虫も同じ一つの命。
さて、4月からの一年が過ぎ去りました。
この一年は激動の年でした。
世間はコロナ禍と闘う日々。
僕自身は家族が2人も天国に逝ってしまうというなかなかきつい一年でした。
ということで、あっという間の一年でした。
お父さんも脳梗塞で4ヶ月入院していたので、
波乱の年でしたが、今は何とか日常の生活に戻っています。
あ、間違い。コロナ禍の最中なので、日常生活が戻ったとは言えないけれど、
コロナ以外は普段の生活に戻ったということです。
特に一番堪えたのは、お母さんが天国に逝ってしまったことです。
まあそれ自体は90歳という年齢なので、長寿を全うしたので、いつかは誰にも訪れることだから
悲しむことではないかもしれないけれど、
昔のことを毎日毎日思い出しては悔やんでいるというのが実態です。
両親とも元気な頃は、あまり意識していなかったけれど、
あの頃のうちに、もっとお母さんと話したり、同じ時間を共有しておけばよかったと
そればかり後悔してしまいます。
お母さんの遺品を整理している中で、じわああっと気づかされることがたくさんありました。
僕の好きだったtulipのカセットテープ、職場の方たちのと宴会でお母さんがカラオケのマイクを握るという
なかなか貴重な写真が見つかり、その曲目が「奥飛騨慕情」。奥飛騨といえば、若いころに一度だけ
お母さんと二人で飛騨高山、上高地に旅に出た想い出の地です。お母さんの心にもそれが残っていたのかと思うと
胸にこみ上げてきます。
赤ちゃんを抱っこしている写真がいくつも見つかるけれど、僕の娘を抱っこしている写真がない。。。
自分ばかり旅行に行って、お母さんを連れて行ってあげなかった。。。。なんて大バカ者だ。
僕が苦しかった時に、誰も助けてくれなかったけれど、お母さんだけは僕を助けてくれた。
お母さんのお陰で、僕は立ち直ることができた。
僕の妹が20歳で結婚して家を出たので、娘と共に暮らす日々がそこで途切れてしまった。
母と娘って特別な関係やんなあ。
お母さんは自分もお母さんを小さいときに無くしてそんな母と娘の味をほとんど味わっていない。
お父さんは自分のやりたいことを自分だけ楽しんで、お母さんは置いてきぼり。
きっとお母さんは家で一人寂しい時間を過ごしていたのだ。
そんなこんなが毎日毎日、心に浮かんできてはつらい気持ちになるのです。
だから、この一年はお母さんを偲ぶ一年だったといっても過言ではないのです。
そして、これからもずっとこの状態は続くのだと思います。
そんな気持ちの中で過ごした一年。
滋賀の別荘の件はちょっと頓挫状態。
専ら部屋の片づけの毎日。
そして、再び迎えた4月。
相変わらずコロナ禍で自由に過ごせない。
仕事をquitしたことは納得しているが、隠居するにはちょっと早いなあ。
悠々自適というやつでいくか!
テニスを始めたことやし。
沖縄問題、福島問題、教育問題、行動を起こさなければ。
ビートルズ、登山、野鳥、ギター、音楽、テニス、マラソン、英語力、資産運用、哲学としての仏教。
「生きる」とはどういうことか?この根源的な問いを考え続けなければ。
とはいえ、一人の人間なんてちっぽけな存在だということも頭に置きながら。
人間も小さな虫も同じ一つの命。