徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

インプットの時代からプロセス、アウトプットの時代へ

2020-09-30 13:16:25 | 日常
 退職してから、家族からものを減らすように言われている。
自分でも減らそうという気持ちはあるのだが、
仮にもその時その時に自分が欲しい、必要だと思ったものを
手に入れたわけだから、まったく不要なものはないのです。
かといって、それをすべて死ぬまで持ち続けると残されたものは
たまったものじゃないというのも理解できる。
 ということで、どうすべきかを模索しているというのが、
今の僕の状態なわけです。
考えてみると、今まで家にたまっているものは収集したままというものも結構多い。
たとえば書籍。その時に読みたいから手に入れたものにちがいないのだが、
読まないまま歳月が過ぎ、今に至っている。
それから新聞の切り抜き、テーマに沿った雑誌。(ビートルズ、山、など)
何のために集めているのかを考えなければならない。
勉強から研究に進化すべきなのだ。
研究とは学んだことを基礎にして、新しい何かを生み出す作業。
沖縄の記事を集めて、それを分析して、今後のために役立てる。
それがなければ、収集したものの意味はあるとは言えない。
これまでがインプットの時代だとすれば、
これからはそれを解釈、分析して、
少なくとも自分なりの意見創出に役立てるべきだろう。
これは死ぬまで続く。がんばれ、僕。
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いわゆる深田久弥「百名山」について

2020-09-30 12:50:56 | 
 世間は空前の登山ブーム。
おそらく火をつけた一つの要因は
深田久弥さんの「日本百名山」だろう。
日本中の山から深田久弥さんが独自の基準で演出した100の山。
だから、本当に個人の好みで選ばれた山なのだ。
100という数字にはおそらく何の根拠もないのだろう。
50では少ないし、200となると多すぎるというくらいの判断ではないだろうか。
ところが、彼が100の山を選んだことによる、貢献もさることながら、
弊害も感じられる。本田勝一さんも「日本百名山」と日本人という書物の中で、
100の山を選んだことを非難している。
100の山を選ぶことによって、その100の山が特別な存在になってしまい、
テレビ、雑誌、その他のあらゆる場面で百名山というものが、一人歩きをして
騒動になっているというのだ。確かにそんな面はあると思う。
101番目の山がどこかは知らないが、100番目とどれくらい違うのだろう。
おそらく101番目くらいの山の地元の方は複雑な気持ちだろう。
深田久弥さん自身もいくつかの山について選出したかったが漏れてしまった山があると述べている。
テレビは視聴率、雑誌は売上のために百名山を利用するのは、仕方ないことではあるかもしれないが、
どうもそればかりがクローズアップされて、日本の他の山が軽視されているように思える。
老後の生きがいなどで、百名山登頂を目指すとかいうのは、それなりに貢献しているかもしれないが、
あまり百名山ばかりクローズアップするのは、どうも行き過ぎのように思う。
日本は山国であり、百名山以外にも美しい、立派な山が数えきれないくらいある。
山に登る人は、自分の百名山を選出してもいいのではないだろうか・
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マラソンに参加するということ

2020-09-30 12:19:09 | 日常
 ある人のHPを見た。
フルマラソンに参加して、完走できたことに対する感動を綴っていた。
フルマラソン完走というのは、それほどの困難が伴うものなのか。
僕自身が初めてマラソンというものに参加したのは、
就職してまもないころ年配の同僚の方に誘われて参加した第2回淡路島うずしおマラソン13kmというものだ。
1982年くらいかな。今確認したらそうだった。
残念ながら第30回で終了したようです。
とにかく、起伏の多い難コースをみごと完走されました、みたいな文言が完走証に記されていたので
困難なコースだったのでしょう。
職場の同僚グループで参加しましたが、
不良ランナーの僕たちは前日に現地の旅館に宿泊し、飲めや歌えの大宴会。
一人だけ先に寝るわと言って寝床に入ったけれど、他のメンバーは
そんなことお構いなしに思いきり宴会しました。若かったなあ。
でも、翌日の13kmは確か58分くらいで無事に完走。
これが僕のマラソンデビューでした。
その後も続けることになるのですが、しばらくは10kmくらいのレースばかりでした。
初めてフルマラソンにエントリーしたのは、1988年篠山マラソンでした。
その年の1月の奈良ハーフマラソンに参加した勢いで、
3月の篠山マラソンにエントリーしたのでした。
ハーフで1時間36分という好タイムだったので、
フルも大丈夫だろうと思ったのが甘かった。
多分30kmくらいまでは順調に走っていましたが、
そのあと悪夢のような時間が待っていました。
とにかく、足がつってつってどうしようもなく、
脚が棒になった状態で、前に出せない。
やむを得ず、両腕を大きく振ることによって
その勢いで脚を前に出す動作をゴールまで続けて何とかゴール。
タイムは4時間59分。おそらく制限時間が5時間だろうからぎりぎりのゴールだった。
苦い思い出です。
そして、そこから本格的なフルマラソントレーニングが始まったのです。
時間があれば走りに出るという生活が始まりました。
職場までの7kmをランニング通勤するとか、休日は河川敷を走るとか。
一番多い時には、3か月で1,000km走ったように思います。
1991年。福知山マラソン。タイムは3時間6分余り。
会場へ向かう大きな舗装道路を走っている時に無情にも時計が3時間をさしてしまった。
忘れもしない。靴紐を直す時間も惜しかったように感じたのを覚えているけれど、
それくらいじゃ6分は縮まらないよ。
あの頃が最盛期だったなあ。その後、娘が生まれて子育て中心の生活になり、
僕の1級マラソン期は終わった。
その後はぼちぼちトレーニングをしてぼちぼちレースに参加するというマラソン生活を続けてきた。
フルマラソンは今のところ合計24回しか参加していない。
そのうち、世間は大都市マスマラソン時代に入り、
昔ながらの篠山、福知山すらエントリーし辛くなってしまった。
ほんまにイベントになってしまった。お祭りですね。
それはそれで別にいいんだけど、昔ながらの大会までエントリーしにくくなってしまったのは
ちょっと残念です。
今はコロナで各地のマラソン大会も自粛気味ですが、
また参加できることを楽しみにしています。
抽選いややなあ。
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今日から9月 相変わらずコロナが居座っている

2020-09-01 23:52:28 | 日常
 新しい月が始まった。
今月からの生活は
火曜日 午前 テニス
水曜日 夜  刑事コロンボ
木曜日 午後 カラフルキャンパス
金曜日 午前 サポート

相変わらず山には行けない。でもそろそろ行けるかな?
大阪南港にはまだシギチは戻っていない。もう少し後かな?
そうこうしているうちにタカの渡りシーズンがやってくる。
今年は曜日を気にせずに行けるかな?
連休には九州に行くつもりだ。
でも、なんといっても最大のニュースは安部辞任だろう。
とは言っても何かモヤモヤが消えない。
後任人事を見ている限り、パッとしないのだ。
国民不在の政府の姿勢は変わりそうにない。
自分の身内の利益ばかりを追求するようなセコイ政府。
国民に寄り添う姿勢などかけらも見られない。
選挙で思い知らせるしかないのだが。
どうもそれもパッとしない。
一体日本という国の住民は何を考えているのだろう?
視野の狭い姿勢しか見られない。
そもそもマスゴミがきちんと報道していない。
政府に忖度して事実を捻じ曲げて
政府の都合のいいニュースばかり流す。
持ち上げる。
首相と一緒にご飯を食べてるようじゃどうしようもない。
お陰で昨夜はすぐに眠りにつけなかった。イライラして。。。。
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