徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

世の中のことにシラケちまった自分がいる

2023-01-27 22:52:58 | 日常
 今日のニュースで高校野球の春の選抜チームの発表があった。
近畿から8校が選出されたらしい。
学校のメンツを見てみると、
相も変わらずいわゆる常連校ばかりが目立つ。しかも私立高校の野球部。
O阪Tインなどは、全国の中学校から強力な選手を集めて、
施設も完全で、監督、コーチなどを揃えて、
選ばれない方がおかしいってやつですな。
もっと言えば全国制覇をしなかったら、恥ずかしいくらいのレベルだ。
だから、昔のように無邪気に高校野球を見て楽しむことなどできなくなって、
もうほとんど興味もわかない。

奨学金を使ってまで大学に行かされる勉強の好きでない高校生。
高卒が減少し続け、大学は一向に減る気配はなく、
それどころか、なぜか増えている傾向も見て取れる。
だから、勉強が嫌いで偏差値が50に満たなくても、
お金さえ出せば、大学には合格できる。
なんせ、定員割れの大学も続出しているようだから。
お金がなくてもご心配なく。
親切にも奨学金という名のローンをちゃんと用意してくれて、
懇切丁寧に手続きを手伝ってくれる。
ましな大学に行かなければ、卒業してからの就職先は下手をすると、
高卒と同じ職場に就職なんてことも起こっているらしい。
そこまでして行くものか?大学って。
そして、大学受験のために、親は高校生の早い時期から
塾に通わせる。これがまた高額だ。
それだけでは飽き足らず、長期休暇になると、特別集中講座などといって、
別途、講座料を巻き上げられる。

ああ、愚かなるかな、受験産業の餌食となってしまっている高校生たち。哀れなるかな。
誰も疑問を持たないのだろうか?
誰もこの問題を取り上げないのはどういうこと?
国民は搾取されているのに、気づかない?
政府の国策かもしれない。
経済を持たせるために、国民に受験という名の消費を奨励させているのかもしれない。
というか多分そうだろう。J民党の重鎮と言われる方々も受験産業と結びついているらしいし。
すべての政策は利権がらみだという噂だから、、、

というわけで、世の中のいろんなことにウンザリしてシラケちまっている自分がいる。
こうなったら世捨て人かな。。。
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人生は 2023.1.26

2023-01-26 09:30:38 | 日常
人生は「楽しむ」ものではなく「味わう」ものである
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Windows 8のサポート終了!

2023-01-25 23:21:03 | 日常
2023年1月10日、Windows 8のサポートが終了された。
ずいぶん前に一度Windows10へのアップグレードを
推奨されていた時に、パソコンが不具合を起こして以来、
トラウマになってそのまま放置していたら
こんなことになってしまった。
パソコンで確定申告をしようと思ったら、
Windows8ではできないことがわかり、
あわてて10へのアップグレードを思い立ち、
パソコン工房に電話して、
状況を確認すると、
パソコン自体が購入して10年になるということは、
もう耐用年数に来てるので、
買い替えを推奨された。
もうそんなに時間が経っていたことに対する驚き、
まだまだ使えそうだという思い、
今から10,11へのアップグレードは
あまり推奨していない(重たくなる)ことなどを考慮すると、
Windows11のノートを導入するのが
最善の策のような気がする。
現在使用しているデスクトップのデータをどうしよう?
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拓郎さんと財津さん

2023-01-20 11:33:31 | 音楽
ネットで「吉田拓郎」で検索したら、
こんな書き込みがありました。

話がちょっと前後するんですけど、2006年のつま恋のときに一番思い出すことがありまして。
最後に何の曲を歌うか、周りのスタッフも含めて、やっぱり「人間なんて」でしょうという声があったんです。
でも拓郎さんはそれだけはしないと、ずっと言い続けたんですね。
なぜかというと、お客さんが「人間なんて」を聴きたいと思ったら俺の負けだ、
若い頃の再現じゃないんだこれは、若い頃の追体験ではないんだ、
若い頃の俺をどこまで超えられるか。
俺は今、「人間なんて」と戦ってるんだという話に感動した覚えがあります。

なるほど、薄々は気づいていたけれど、
拓郎は昔の歌を歌うことをよしとしないのだ。
常に新しい歌を作り、前を向いていく姿勢なのだと。
ミュージシャンとしてのプライドというか、矜持を見たような気がします。
もちろん、僕を含めて昔からのファンは昔の歌を聞きたいと思っています。
というか、僕の好きな拓郎はデビューからまあ、ぎりぎりシャングリラぐらいまでかな。
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南九州の探鳥ツァー 2023.1.19

2023-01-19 09:10:30 | 野鳥
鹿児島の探鳥地
「出水のツル」
熊本の探鳥地 
「人吉市 球磨川」

人吉市に何度も同じ時間に通い、ヤマセミに顔を覚えてもらうと警戒心を解けることもあるそうです。
また、人吉市内には球磨川流域以外にも野鳥スポットがいくつもあります。おすすめの探鳥ルートは以下です。
人吉観光駐車場に駐車→球磨川の川沿いを下流に向かう→矢黒神社(通称ヤマセミ神社)で探鳥→球磨川沿いを上流に向かう→「西瀬橋」西側や「人吉橋」西側を探鳥
「水前寺公園」
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昔の友と現地で再会 越後2023.1.17

2023-01-17 23:12:44 | 日常
若い頃から故郷を離れて30年以上の時を経て
奈良に戻って来た友
やはり子供の頃の話に花が咲くのだ
笑いすぎて苦しかった
こうやって再び巡り会えた喜び
大東の人たちを見て昔の友が集まるのが
羨ましかったが
やっと実現した
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みらい第九 感謝の言葉2023.1.16

2023-01-16 20:12:28 | 音楽
皆様昨日はお疲れ様でました。
サントリーの第九に30年以上前に参加して以来でしたが、
大好きな第九の合唱に参加させていただく機会を提供していただき感謝の気持ちで一杯です。
年末に2度第九のコンサートを聴き、
自宅で第九の動画に合わせて練習し、
図書館で第九関連の書籍を借りて勉強し、
youtubeでパート別の練習動画を見つけて練習し、
本番に臨ませていただきました。
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市民の第九 2023.1.15

2023-01-15 22:52:27 | 音楽
今日、ベートーベンの第九コンサートの合唱の本番だった
久しぶりに背中がゾクゾクした。
本当の感動とはこの背中のゾクゾクだと思っているので
本当に久しぶりだ
それほど最近感動することがないということなのかなと思う
思えばパソコンかスマホで何気なくサーフィンしていて
たまたま見つけた参加の呼びかけ
第九は30年以上も前にサントリーの第九に参加して以来のこととて、
ドイツ語の歌詞なんかほとんど忘れているから
どうなるかと思ったけれどなんとかなりました
メインの箇所は結構歌詞も覚えていて楽だったし
第九自体に思い入れがあるからほとんど苦にならなかった
というか楽しんだ
youtubeでパート練習の動画を見つけて参考にして
練習したり、カラヤンなどの演奏に合わせて歌ったり
この半年は第九の練習を楽しんだ
図書館で第九関連の書籍を借りてきて理解を深めたり
録画していた第九関連の番組を見直したりで
結構理解は深まったけれど
テレビの番組で演奏者が
まだ10%もわかっていないと発言したのを聞いて
恥ずかしくなった
まだまだ奥が深そうだ
30年前ほどの感動はない(たぶん初めて4他のパートが 
合わせて歌った時にすごく感動した覚えがある)けれど
歌っていて楽しかったからよしとしよう
企画してくださった方、歌唱指導してくださった方、
色々と事務的なことを担当してくださった方
ありがとうございました
まだまだ第九の理解は十分ではないので
明日からも研究を続けて
少しでもベートーベンに近づきたいと思う
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的外れな教員不足対策2023.1.14

2023-01-14 23:21:10 | ニュース
最近のニュースで各都道府県の教育委員会が
教員確保のためだと銘打ってあれこれと
対策めいたことを打ち出しているようだが
なんだか笑けてきます
今日の新聞で見かけたのは、
教員採用試験の筆記テストを
大学3年次に受験できるというもの
そういう問題じゃないんだけどなあ。
これ以外にも今まで目にしてきた
教員確保策は
例えば教員免許を持っているけれど
教員にならなかった人に
採用試験を受けるように勧めるとか、
採用試験の倍率を上げるために
受験者を増やそうという発想なんだろうなと思うけど、
問題はそこじゃなくて、
教員の仕事全体を見直さないと
根本的な解決にはならないということに
なぜ思い至らないのだろう。
いや、わかっているけれど
そこには行かないということだろう。
なぜなら、教員の仕事をしっかり見直して
働きやすくするためには
相当な予算増が必要になるからだ。
今までの日本の教育に充てる予算を見ていたら、
到底期待できない。
教育に予算を回そうなんて思わないのだ。
だから、いかに金を使わずに教員不足を解決したり、
教員の働き方改革を進めようとするのだ。
変形労働時間制もそうだ。
これから先も日本の教員に対する働き方改革は
教員自体が望むべき方向にはなかなか進まないだろう。
それには膨大な予算増が必要だからだ。
いつまで続くブラックな教員の世界
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ウルトラマンの苦悩 asahi.com 2001.7.4.MY TOWN 沖縄 

2023-01-13 13:04:35 | 沖縄
知人のほとんどは自殺と疑った。それほど自分を追い込んでいた。
ウルトラマンの原作者・金城哲夫さんは、復帰を見守るために沖縄に帰郷した。
だが、「本土と沖縄の懸け橋になる」という夢は砕け、76年、失意のうちに事故でこの世を去った。享年37歳。

ワッハッハ。大きな体を揺する豪快な笑い。
「オーイ、乗ってかんかねー。」
見知らぬお年寄りを車に乗せる人懐っこさ。
人々の記憶に残るその姿は、南国の空のようにカラッと明るい。
「閉ざされた場所に吹き込む新鮮な風。そんな少年でした。」
54年に上京して玉川学園高等部に入った哲夫を
先輩の山田輝子さんはそう語る。
「当時は、まだ海外にも行けない閉塞した時代。
村の異文化を背負った若者が全国から東京に集まり、
活力を生んだ。未知の沖縄から来たからこそ、異次元のヒーローを生んだと思う。」
玉川学園に在学中、シナリオ作りを学び、
特撮で有名な円谷プロに入った。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」。
テレビの特撮シリーズは、60年代後半にブームを巻き起こした。
「哲夫が書けば視聴率40%。そんな神話があった。科学の夢を信じられる時代でした。」
沖縄出身で共に「ウルトラ」シリーズを手がけた脚本家の上原正三さんはいう。
高度成長のさなかだった。怪獣は悪の権化ではなく、都市や公害の自然の逆襲を体現していた。
登場人物は時に暴力を否定し、怪獣に同情すら示す。
勧善懲悪を超えた膨らみのある物語の根に、戦争体験が埋め込められていた。
〇心に傷残した戦争
45年3月、南風原(はえばる)の自宅で母は米軍機に撃たれ、左足を切断。
動けぬ母を残し、祖父らは跡取りの哲夫を連れて避難する。
この体験は心に傷を残した。大学時代の先輩、屋良朝輝さんは涙まじりで戦争を語った哲夫を覚えている。
「戦火をくぐって逃げる夜道で聞いた人のうめき。子どもの泣き声。
負傷した母を老いて逃げたことが、何よりもつらかった。と話していた。」
迫る夜の恐怖。
置き去りにされた無力な人々を救いに来るウルトラマンは幼い日に戦場で見た幻かもしれない。
脚光を浴びた日々は短かった。後続番組の視聴率が低迷し、円谷プロでの居場所を失う。
69年春、復帰を沖縄で迎えたいと帰郷した。
哲夫は琉球処分などを主題にした沖縄芝居の脚本を立て続けに書いた。
「ウルトラマンのことは何も話さず、沖縄とは何か、という問題に徹底してこだわった。」
テレビ、ラジオ司会者として哲夫を起用した琉球放送の黒島昭男さんは振り返る。
東京では、おおらかに故郷の風を表現にもちこんだ哲夫も、いざ沖縄に向き合うと、厚い壁にぶつかった。
「兄の世代は、方言を禁じられ、使うと罰として方言札をさてさせられた。
芝居で使う沖縄言葉を十分話せない。それがもどかしかったろう」と
弟の和夫さんは言う。
青春の大半を東京で送ったため、沖縄を揺るがした「政治の季節」の体験も欠落していた。
高校時代からの親友で、報道写真家として沖縄に住み着いた森口割る谷さんが語る。
「そのズレが周囲の誤解を招き、哲夫を追い込んだ」
〇75年海洋博に情熱
自衛隊ヘリに同乗してラジオで放送し、抗議を受けた。
酒の深みにはまった。酔うと時間かまわず知人に長電話をかけた。
「このままで沖縄はどうなる」それが口癖になった。
トラブルを起こし番組から降板した。
最後の情熱をかけたのが、75年の沖縄海洋博だった。
沖縄の文化を世界に発信し、経済復興の起爆剤にする。
その式典を演出する大役だった。
「それが命取りになった。開発か自然保護か。沖縄は二分され、鋭く対立した。
沖縄の良さを発信したいという彼の情熱は板挟みになった」と森口さんはいう。
閉会式に、沖縄のクリ船を海一面に浮かべようとしたが、漁民に断られた。
「国の手先」となじられた。
76年1月の閉会式。海洋博旗と日の丸が下りた後も、哲夫は。県は旗だけは下ろさなかった。
風をはらむ沖縄の旗は自立の象徴だった。
直後、がらんとした会場で森口さんは別人のような哲夫を見た。
ゆがんだ口元。光のない目。幽鬼のようだった。
1ヶ月もたたない日、哲夫は自宅離れ2階で脚を滑らせ、転落死した。急な坂を全力で駆け下りるような晩年。不意に断ち切られた人生は
人々に深い思いを残した。
長女で小学校教師をしている奈里子さんは「父の死以来、思い出は封印した。金城哲夫と父の姿は重ならなかった。」という。
亡父と同じ年になった今は、父の抱えた悩みがよくわかる。中1の長男はウルトラマンの大ファンだ。
「早くなくなって金城哲夫は神話化された。それでも、ずっと、父のままでいてほしかった」

〇募る思い「今こそ」
妹の染織家、上原美智子さんは「もし兄が生涯沖縄に生きたら、ウルトラマンを生むことも、早すぎる死を迎えることもなかった」という。
「兄は沖縄と本土の溝をあぶり出すような生き方をしたのかもしれない」
映画「ナビイの恋」の中江裕司監督は、哲夫の生涯を発掘して資料を集め続けた。
「本土と沖縄の懸け橋になるということは、2つの価値観に引き裂かれることだ。彼はその溝を実感しながら、沖縄の娯楽の楽しさ、
豊かさを発信した。彼がいなかったら、ナビイもなかった」
親しかった作家の大城立裕さんは、「80年代、沖縄では劣等感が吹っ切れ、誇りを持つようになった。哲夫の夢は今なら素直に受け入れられたろう」という。
95年の少女暴行事件以降、復帰直後とは違う「ゆるやかだが深い悲観」が沖縄に立ち込める。基地か経済か。開発か自然か。先が見えない。
その重苦しさに触れた後、大城さんは哲夫を知る人みなが口にする言葉を吐いた。
「こんな時こそ、彼に生きていてほしかった。」(編集委員・外岡秀俊)
画像:大型連休まで、金城哲夫さんの故郷に展示されたウルトラマンティガの像。町おこしに円谷プロから借りた=沖縄県南風原町役場前で、撮影 安富良弘
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